第2話
だけどね昭和19年の9月に親父がなくなってね。兄貴たちは全員兵隊に行っていたから、喪主を根親父の代各時代の親友の方がやってくれたんだよ。親父はよそ者ではあったけど人柄もよくて地元の名士としてみんなに尊敬されたたんだ。ちなみに余談だけどその喪主をやってくれた人がね東海銀行の頭取さんでね。私もよくかわいがってもらったもんだよ。その人の息子さんも私が社会人になった時に家に尋ねに佳てくれるくらい家族同士での付き合いもあるくらい仲が良かったんだよ。
親父の葬式のことは新聞にも載ってね。いろんな方面から弔問に乙津れる方がいてね。あの時厳格なオヤジの真の人間味ってやつを感じたな。
まあそれからは戦争中だから制限はあるけどしっかりと学問を収めて私はだ伍や帝国大学を目指して必死で勉強してたんだよ。
そうあの日が来るまではね…。
親父がなくなってから約3か月後のね12月7日に東南海地震が名古屋を襲ったんだよ。
私はその日学徒動員でね今のナゴヤドームにあった飛行機の工場であの有名の零式艦上戦闘機通称零戦のエンジンを作ってたんだよ。地震が起こったのは午後の就業が始まってすぐだったね。後で調べたら13時35分らしいんだけどとにかくお昼が終わってみんなと作業を再開した瞬間にいきなりグラグラと揺れたかと思ったら、一気にズドーンと大きな揺れが来てね。私はいったい何が起こったんだと思ったんだけど、あまりに揺れが強すぎて立っていられなかったんだよ。私は何とか近くの机に入り込んで地震が収まるのを待ったんだよ。
揺れが収まってあたりを見渡すともう苦情の中がぐちゃぐちゃでね。なにもかももがひっくり返っててね、足の踏み場もなかったよ。そのあとは上司の指示に従いながら後かたずけをしたよ。地震で傷んだ機械もあったもんだから、ある程度後かたずけがすんだらその日は把握家に帰ったんだよ。
とはいっても自身のおかげで路面電車は止まってたからね家までは歩いて帰ることになったんだよ。家へ帰る途中の名古屋市内はそれはもうひどかったね。近所の寺の5メートルくらいあった壁が根こそぎ倒れてい足り、あたりに瓦が落ちててね。道には負傷者や亡くなった人も大勢いたよ。
家に帰るとね家にいたおふくろと祖母が「悟朗無事だったか。よかった。」って私を見るや否や私を抱きしめてくれたのがうれしかったね。家の被害は家の客間に飾っていて、うちの家宝でもあった乃木希典真筆の所があったんだけどそれが地震の大揺れで落ちちゃって額縁が大きく壊れちゃったことぐらいだったね。
地震は戦時中の出来事だったからということでね。工場の軍部の人からこのことを言っちゃいけないなんて言われたんだよ。だからね群にいた兄貴たちにこの自信を伝えることさえできなかったんだよ。そのうえ政府は自身を徹底的に隠したかったらしくてね、流通元土光ってね。ただでさえ食料も配給制になってみんなおなかがすいてしまってたのにそれも滞ちゃってね。まだ17だったもんだったんでおなかが特にすいてたね。
おなかが少なくてどうにもならないから庄内川の河川敷で野草やイナゴをとってきてねそれでおなかを満たすこともあったよ。
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