名古屋の追憶

飛嘉未来

第1話

昭和18年に私の上の兄が徴兵されたんですよ。私の家は5人兄弟でね私が昭和2年の生まれでね5人兄弟の五番目だから悟朗っていうんですよ。生まれは九州の小倉なんだけどもね親父の仕事の都合で若い時分特に戦時中は名古屋に住んでたんですよ。とは言いましてもね名古屋でも当時はずっと戸外のほうだったんですよ。まあ今で言ったら都心部の完全な一部になってますけどもね。まあ今の名古屋市の北区に住んでたんですよ。荘内川を渡ったところにね。

 さっきも言った通り親父が転勤族だったもんでね。転勤族だからねおふくろと出会う前は平壌や大連の支店にもいたみたいなんですよ。

 おっと少し余談でしたね。家はすごい立派でね200坪ほどあったんだよ。土地が縦長だった関係でね1階建ての立派な日本家屋だったよ。家の中には猫や犬それに鶏も飼ってたんだよ。犬は番犬、猫はネズミ捕りの役だね。鶏は卵をとるために飼ってたんだけど、毎朝けたたましくコケッコーと鳴いてくれるもんだったから家では目覚まし時計いらずだったどね!アハハハハハハ!

 夫またはなしが脱線しちゃったね。どこまで話したっけ・・・?そうそう家の場所までだ。庄内川の橋を渡ってね、私はいつも東海学園っていう今でもある男子校に通ってたんだよ。代表的な卒業生で言うとこの前亡くなられた宮澤喜一元首相そんなのが先輩にいたよ。まあ厳しい学校だっからねとにかく勉強したね。さらにうちはね。親父が教育にとにかく熱心だったんだよ。何せ親父は今だと一万円札で有名な福沢諭吉がいるだろ。あの人にあこがれて慶応義塾大学のしかも経済学部に入ったっていうエリートだったからね。

 さらにうちには兄貴が四人いてね。みんな親父の都合で出身地は別々なんだけど親父は兄貴たちにも学問を徹底的にやれって教えてたんだよ。だからね一番上の兄貴は早稲田大学、二番目の兄貴は東京帝国大学に入ったんだよ。そんなもんだから兄貴たちに負けじと一生懸命勉強したね。唯一苦手だったのは芸術だけだったけどそれ以外ではほぼ最高評価だったね。

 戦前はね日本男児たるもの文武両道であるべしって教えられてたんだよ。特に家は武士の家系だったからね余計にその風潮が強くてね。小さいころから兄貴たちに交じって剣道をやらされたんだよ。際よはぼこぼこにされててけどね負けるかとくじけずに頑張ってね。最終的には2段くらいまで上達したんだよ。戦前の県道は今の剣道よりレベルが高かったからね今でいうと4段くらいにはなるだろうね。

 だけど上には上がまだいたよ。武道の先生やるような人は軍関係の武道専門の学校を出た人だったんだよ。そういう人たちと試合をする機会があったんだけど、まあー強いのなんの。こっちがエーイと威勢よく組み合わせようとするんだけどそれをあっさりとよけられてね。返しに面をやって一発で仕留めにくるんだよ。戦前の防具だからね今より頑丈さでは劣るけどそれでもその面を食らった瞬間にはあために地響きでも起こったのかっていう衝撃を受けてね。まともに立っていられなかったよ。

 まあそんな思いでもありつつ県道で体を鍛えてたから体力はあったね。だから戦前は徴兵制があったんだけどンその中で身長だけは低かったけどそれ以外の項目では最高評価をもらってね。兄貴たちもみんな兵隊にとられてたからいよいよ俺も兵隊になって御国を守るんだって張り切ってたよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る