第12話 アステリウスの婚約者 オルセイヤー視点
アステリウスの婚約者であったリュビアンネ・ヤンドリュード侯爵令嬢に、私は直接会った事は無かった。社交界デビュー前だった私は貴族令嬢とはほとんど会った事が無かったからだ。しかし、私はその女性の事を相当詳しく知っていた。
友人であり、兄貴分であったアステリウスが会うたびに私に惚気を聞かせていたからである。私はアステリウスに剣を習うために頻繁に王宮に上がっていたのだが、剣術の訓練場やその後の休憩時、アステリウスはリュビアンネの事をいつも話していた。リュビアンネの美人さだとか、その聡明さだとか、意外におっちょこちょいな事をしでかすところだとか、些細な事で人に説教をしたがるところだとか、そういう事を飽きずに何度も私に話して聞かせていたものだ。
私は一切関心が無かった。友人の恋人自慢程聞いていてつまらない話は無い。聞くのが友人の義務だと思うから邪険にせずに聞いていたようなものである。
私とアステリウスの出会いは私がこの国に来た十歳の時分に遡る。当時、私は本国では国王の愛妾の子として非常に軽い扱いを受けていた。父親は冷淡で、兄二人は顔を合わせれば私を馬鹿にして虐めた。母は私を愛してくれたが無力だった。
そして私は厄介払いされるようにこの国にやってきたのだった。一応、名目は留学だが、要するに人質だ。クロウド伯爵という爵位は与えられていたが、それが他国であるこの国でどれ程の役に立つものか。
私はこの国に着いて直ぐに王宮に上がり、国王に挨拶をした。そこで三歳上のアステリウスと知り合ったのである。
第一印象は、なんだかキラキラした奴だ、だった。銀髪に青い目といういかにも王子様と言わんばかりの色合いで、顔立ちは繊細な美形。それが屈託無く笑って「其方も王子なのか?私と同じだな」と言うのだ。
それに対して、私は彼に対する反発もあって殊更「ああ、私も王子なのだ!其方とは対等なのだぞ!」と胸を張ったものだ。今考えると幼稚な対応だが、どうもそれがアステリウスのお気に召したらしい。彼はむしろ喜んで、それからというもの事ある毎に私を王宮に招き、勉学を教えてくれたり、剣術の手解きをしてくれる様になった。アステリウスが庇護してくれるおかげで、私がこの国で不当な扱いを受ける事はなかった。
そういう風に共に過ごすうちに、私はアステリウスを友人として信頼し。兄貴分として慕う様になっていた。そんな彼が嬉しそうな顔で惚気るリュビアンネ嬢に、私が興味を覚えなかったと言えば嘘になる。社交界デビューすれば会えるだろうか、そう考えていた十三歳の頃、私が何時ものようにアステリウスの所に行くと、何だかアステリウスがガックリと落ち込んでいた。何があった?
どうやらリュビアンネ嬢の親が問題を起こしたとかで、アステリウスとリュビアンネ嬢との婚約が解消になったのだとか。それでアステリウスは凹んでいるらしい。なんだそれは?ガッカリするくらいなら婚約解消などしなければ良いのに?と思ったのだが、どうもそんな簡単な話では無かったらしい。王族というのは不自由なものなのだな、と王族である自覚が薄かった私は思ったものだ。
アステリウスの嘆き様は惚気ていた時よりもウザく、リュビアンネ嬢がいなくて大変だ、寂しいと漏らしていた。これが会う度毎回だ。それは、アステリウスが弱音を漏らす相手など恐らく私しかいないのだろうとは思うのだが、あまりのウザさにメソメソするくらいなら男らしくリュビアンネ嬢を迎えに行け!と怒鳴った事も一再ではない。
私が十五歳になった頃、フサヤ王国で異変があった。なんと流行病で王妃と兄王子二人が死んでしまい、公妾であった私の母が繰り上がって王妃となったのだ。私は驚いたが、その異変を知らせる書簡に「急ぎ帰国せよ。帰国したら立太子する」と書かれていたのには失笑した。追い払うように人質にやったくせに都合の良い事だ。私は帰国要請を黙殺した。
その頃になると、私は体はアステリウスに負けないくらい大きくなり、力も体力も付いた。勉学にも励み、社交界にも出て多くの貴族と交流した。すっかり大人だ。しかしながら、私は剣術訓練でアステリウスにまだ一度も勝てないでいた。勉学でもまだ敵わない。そもそも垣間見るアステリウスの王になる為の努力は凄まじいもので、それをこなしているというだけでアステリウスは尊敬に値した。そう。私はアステリウスを兄貴分として尊敬していたのだ。
そんな尊敬出来る兄貴分が、事がリュビアンネ嬢の事になると途端に煮え切らなくなる。リュビアンネ嬢の事を愛し過ぎるあまり、他の令嬢には目もくれないせいで、未だに新たに婚約出来ないでいる有様なのに「もしかしたらリュビアンネとはもう結婚出来ないかもしれない」などと嘆くのだ。
アステリウス程の男があれほど執着するリュビアンネとはどんな女なのだろう。私がそう興味を持ったのも無理はない。
そんなある日、アステリウスが妙な相談を持ち掛けてきた。
「リュビアンネが下町でどのようにしているか、様子を見てきてほしい。そして、同時に彼女が私のことを今どう思っているか、探ってきて欲しい」
私の屋敷が貴族街の外れである事を利用して。私がしばしば下町を散歩しているという事はアステリウスも知っていた。アステリウスがまさか下町をウロウロするわけには行くまい。確かに私が適任だった。私はリュビアンネ嬢に興味を抱いていたから、その依頼を承知した。
下町に行き、リュビアンネ嬢の事を聞けばすぐ彼女の事は判明した。何でも子供に文字の読み書きを教える先生になっているという事で、その学校に行けば会えるだろうとの事だった。
その学校の日、私は早々に教えられた場所に行き、その建物の管理をしているらしい者に授業料を払った。たまに大人も教わりにくるとの事だったので、不審には思われなかったが、私の服装は上位貴族相当の服なので奇異には思われたようだ。
やがてリュビアンネ嬢、ここではアンと呼ばれている女性が入ってきた。確かに美人である。亜麻色の髪は長く腰にまで達し、理知的なグレーの瞳は澄んでいて、やや痩せ型の肢体は優美な曲線を描いていた。そして、庶民の服装をしていても誤魔化しきれない程の威厳を醸し出している。なるほどこれがアステリウス御執心のリュビアンネ嬢か。
授業が始まると、これが驚いた事に、見た事も聞いたことも無い様な教え方なのだ。小さい子供たちにはゲームをさせ、そのゲームで自然に文字の読み書きが覚えられるように仕向けているし、もう少し上の子供たちには彼女が書いたと思しき見本を何回も読ませて根気良く間違い易いところを潰している。私が教わった、間違ったら鞭で手の甲を叩いてくる教師とはまるで違ったやり方だ。私はすっかり感心してジロジロと彼女を見てしまった。すると、リュビアンネ嬢は嫌そうな顔をしながら私に近づいてきて言った。
「あの、貴方、貴族の方ですよね?」
「よく分かったな」
と私が答えると呆れたような顔をして、私に要するに私は邪魔だから出ていけ、と言った。私は少なからずムッとした。故に恐らくは庶民であれば返答に窮するような事を意地悪のつもりで言ったのだった。
「そなた、私が貴族と分かってその態度なのか?貴族に楯突いてただで済むと思うのか?」
その瞬間、リュビアンネ嬢はグレーの目をカッと見開いた。
「誇りある貴族にとって、庶民は護り慈しむものではありませんか。それを自分の横暴で罰しようとは何事ですか!恥を知りなさい!」
一息に叩きつけられた鋭いお説教に、私は息が詰まる思いがした。その通りだと思った。思えば兄達は身分の下の者は私を含めて常に態度に出して見下していたが、アステリウスは絶対にそんな事はしない。彼は尊大な態度こそするが、他人への尊敬をけして忘れない男だ。
そんなアステリウスの弟分であるのに、庶民に身分を振りかざすとは何事か。私は反省した。そしてこの瞬間から、私はリュビアンネ嬢に、いや、庶民のアンに惹かれ始めたのだ。
彼女に近付くため、私はまずあの教え方なら必要だろうと思った高価な本を持ち込む事から始めた。庶民では欲しくても本は容易に買えるものではない。本を見て子供達も、アンも喜んだ。おかげで私は学校に受け入れられた。子供達と遊び、教材の作成を手伝い、協力して学校を運営しているうちに、私とアンの距離はどんどん近付いていった。
アンは極めて聡明な女性で、学校を運営しながら常に子供達の成長を願い、その先を考えていた。子供達を愛し慈しみ、その成長を我が事のように喜ぶ彼女は女神の様だと思った。私は今までこの様な女性に出会った事が無い。これは成程、あのアステリウスがあれほど惚気て未練を語る訳である。
私はこの時点までは、あれほどリュビアンネ嬢に執着しているアステリウスを差し置いて、アンと恋愛関係になるつもりは無かった。私にとってはアステリウスは大事な友人だし兄貴分だし保護者だったからだ。しかしながら、社交界に出ながら噂を収集している限りでは、アステリウスの父の国王は多数の陳情があるにもかかわらずリュビアンネ嬢の貴族復帰を認めない意向のようだった。アステリウスも、ほとんどリュビアンネ嬢との結婚を諦めているようにも見えた。
アステリウスは私がアンとの楽しい生活を語っても嫌な顔一つせず聞いてくれた。むしろ、アンが充実した生活を送っている事を喜んでいるようにも見えたのだ。私がアンへ好意を抱いていると匂わせても何も反応が無い。私は、これはアステリウスはリュビアンネ嬢を遂に諦め始めたのか?と考え始めてしまった。良く考えれば、あれほど執念深く二年もリュビアンネ嬢に執着していたアステリウスが諦めるなんてあり得ない事だったのだが。私もアンへの想いが高まるあまり目が曇ったのだろう。
アンはアステリウスの事について一言も口に出さなかった。というよりは貴族だった頃の事をなるべく思い出さないようにしているようだった。ただ、アンといて、彼女が私の事をじっと見ながら何やら考え込んでいる事があった。その時は何をしているのか良く分からなかったのだが、今にして思えばあれは、私とアステリウスを比べていたのだろう。その事があの頃分かっていれば、私はアンにプロポーズなどしなかったに違いない。
結局、私はアンに惹かれていってしまった。もちろん、アステリウスへの罪悪感はあったが、アステリウスは私がアンへの好意をはっきり口にしても何も言わなかったし、むしろ喜ぶような素振りすら見せたのだ。私はアステリウスの公認を得たと思いこみ、どんどんアンとの恋愛にのめりこんで行った。アンも私への好意を少しずつ明らかにしてくれた。私にとっては初めての恋であり、私は有頂天になった。
私の愛は深まり、アンへの求婚を考えるまでになった。私はこの時点で伯爵で、アンは庶民だ。伯爵が庶民と結婚するなど普通は有り得ないが、全く例の無い話では無いし、私は他国人である。しかも本国から離れてもいる。アンとこの国で結婚して、それから本国に帰れば誰にも文句は言えまい。そもそもがアンは貴族なのだし、その美しさや威厳は王妃にこそ相応しいレベルである。本国に連れ帰り、私が王に、アンが王妃になったとしても誰にも文句は言えないだろう。ただ、私はその時には本国に帰る気など無かったが。
いよいよ結婚の申し入れを行おうか、と考えた時、私は流石にアステリウスに対して申し訳無い気分にはなった。なので私は求婚前にアステリウスに一応話はした。アステリウスは驚き、物凄く微妙な顔をした。自分が諦めた相手でも他の男の物にはなって欲しくないのだろう。その表情を見て、私は自分の心の中に今までにない感情が沸き起こるのを感じた。
アステリウスに負けたくない。そういう思いだった。
アンと結婚すれば、私は一生アンにアステリウスと比較され続ける事になるだろうと気が付いたのだ。アステリウスは素晴らしい男だ。当然、アンもそう思っていた事だろう。二人の仲は良好だったと聞いている。その彼女が私と結婚したなら、常に私とアステリウスを無意識にでも比較して差を感じてしまうだろう。私にとってそれは恐ろしい事だった。少し前、私がこれほどアンを愛するようになる前なら、私はその恐ろしさの前に身を引いた事だろう。
しかし、今やアンへの想いは燃え上がってしまって消火は不可能だった。どうしても彼女を娶りたかった。そうであれば私は、アンが私とアステリウスを比較しても見劣りしないような、いや、アステリウスに勝るような男性になる必要がある。これまで兄貴分として尊敬して、内心敵わないと脱帽していた相手なのである。容易な事では無い。しかしながらもう私は引き返す気は無かった。
例えアステリウスとアンを奪い合うような事になっても、私は譲るまい。例え女神に逆らってでも私は必ずアンと結婚してみせる。
私はアンの養父に婚姻の申し入れを行い、更にアン本人に直接の求婚を行った。私の熱意は伝わったらしく、アンは真っ赤になって倒れてしまった。しかし、手ごたえはあった。あの様子では恐らく彼女は断るまい。私は返事があるだろう次の学校の日を内心で小躍りしながら待っていた。
ところが、その間に王宮に行くと、アステリウスの様子がおかしい、なんだかソワソワしている。そして言うには「どうやらリュビアンネと結婚出来そうだ」と言い出したのである。私は驚くと共に流石に怒った。
「今更そんな事を言われても困るぞアステリウス。今まで其方は私がアンと付き合っていても何も言わなかったではないか」
しかしアステリウスは私に詫びながらも、実は婚約解消はそもそも不十分だったのだ、と言った。形式上、婚約は続行中なのだと。アンがアステリウスとの婚約指輪を返していないなど初めて知った。アンはそんな事は一つも言わなかった。
もしかしてアンにもまだアステリウスへの未練があるのだろうか。私の心の中に嫉妬の炎が燃え上がった。私はアステリウスに宣言した。
「私はもう決めたのだ。たとえ相手が其方でも、私は譲らぬ。必ずアンと結婚する!」
結局、私はアンに婚約の承諾を貰ったのだが、そこにアステリウスが乱入し、私がフサヤ王国の王太子(仮)である事をばらされ、その事がアンに不信感を持たせる結果となってしまった。アンは、リュビアンネとアンとで別々に婚約者を持つ身となってしまい頭を抱えていた。
その日、アンと別れて帰る道すがら(アステリウスは下町の土地勘が無く、一人では王宮に帰れない有様だった。よくもまぁ学校を探し当てたものだ)アステリウスは憮然とする私に向けてむしろ清々と言い放った。
「こうなっては仕方が無い。お互い、正々堂々リュビアンネにアピールしようではないか。リュビアンネがどちらを選んでも恨みっこ無しだ」
私は目を丸くした。
「其方が負けても私を恨まぬのか?」
「ああ、其方に負けるのなら仕方が無い」
私は息を呑んだ。私には不可能な考え方だった。もしも私がアンをアステリウスに奪われたなら、私は一生アステリウスを恨んでしまうだろう。それが人間というものでは無いか。
しかし実際、アステリウスは王族の権力でゴリ押しする事も無く、正々堂々とアンへアピールしていた。彼の権力があれば庶民の女などどうにでもなると思うのに。彼はアンに誠心誠意謝り、彼女への愛を語り、未来への展望を語った。その赤裸々でありながら堂々とした態度に、アンの心が動かされるのが良く分かった。
それに比べて私は、自分が王族である事の自覚も薄く、責任感も無い。庶民のアンと結婚するのなら問題にはならなかっただろうそれも、アステリウスと再会してから次第に貴族としての自覚を蘇らせつつあったアンには頼りなく映ったようだった。私は焦りを募らせた。
アンを社交界に連れて行こうと考えたのにはいくつかの理由がある。まず、アンを貴族復帰させようという動きが、社交界ではほとんど広まっていないという現実をアンに見せ、アンに貴族復帰を諦めて貰おうと思った事だ。私が社交をする中でリュビアンネ嬢を貴族復帰させるという話は聞いた事が無かった。彼女はもう貴族たちにほとんど忘れられていて過去の人扱いだったのだ。アステリウスが頑張ってももうリュビアンネ嬢は貴族には戻れないだろうというのが私の見立てだった。
もう一つは今のアンは庶民であり、庶民として社交界に連れて行った時に、貴族たちの嫌な面をたくさん見る事になるだろうと思った事だ。貴族は庶民を差別する。庶民になったアンを貴族たちは嘲り蔑むだろう。元侯爵令嬢ならなおさらだ。それを経験すればアンは貴族には戻りたくないと考えるだろう。
そして、最後にはやはりアンにも言ったが、アステリウスに対して公平であろうと考えた事だ。アンを庶民の領域から出さずにいればアンと結婚するのは間違い無く私になる。アステリウスは二度も脱走してしまい、国王や周囲の者に怒られたらしいからもうアンに会いに来ることさえ容易では無くなっている。アンを貴族社会から隔離して、そもそも彼女の希望であった養父母と暮らし学校を運営するという点に絞ってアンにアピールし続ければ、恐らく私がアンを勝ち取れただろう。
しかし、アステリウスはアンを権力で攫う事もせず、正々堂々と振舞っているでは無いか。それを考えればアステリウスからアンを強奪するような卑怯な振る舞いは出来なかった。アステリウスと友人であろうと思えば、彼に勝ちたいと思うのであれば、私はアステリウスの領分で堂々と彼と渡り合わなければならなかった。
しかし同時に、私は自分が絶対的に優位であるとも思ってはいた。私はアンに自分の屋敷を案内し、彼女のために用意した部屋も見せた。この部屋はプロポーズすると決めてから用意した部屋で、彼女のためのドレスも多数用意していた。アンはそれを見て驚くと同時に、私が本当に彼女と結婚したいのだという事を感じてくれたようだった。アンは責任感が強い女性だ。私がこれほど本気でプロポーズしたのが分かれば受諾してしまった責任を感じてくれるだろう。逆にアステリウスは婚約解消を一度ははっきり宣言してしまっている。あの言葉に責任を持たなければならない立場だ。あれを無かった事にするような事はアンが一番嫌いな事だろう。
ただ、この頃から私は、アンが貴族に、というより王太子の婚約者に戻りたがっている事は薄々感じてはいた。アンは学校運営の独自性を見れば分かる通り、発想も実行力も兼ね備えた才能豊かな女性だ。その彼女が長年王太子の婚約者という立場にいて、将来王妃になった時の展望を考えなかった筈は無い。アステリウスと共にこの国を発展させるための青写真を描かなかった筈は無いのである。それは彼女の夢だった事だろう。アステリウスが学校を国内に広げる事を提案した時に、アンがアンとしては見せた事の無いような表情で目を輝かせたことに、私は気付いていた。あれが王太子の婚約者としての、将来の王妃としての彼女の顔なのだろう。
長年描いてきた王太子の婚約者としての自分と、庶民として数年間積み上げてきたアンとしての人生を秤に掛けて苦しむアンを見ながら、私は自分を選んで欲しいと強く思いながらも、彼女に本当の希望を見つけて欲しいという矛盾した思いも抱くようになっていた。彼女が自分の本当の希望に気が付いた時、私は彼女を失う事になるだろうと分かってはいたのに。
結局、アンと共に出た夜会で、トラブルが原因だったとはいえアンは貴族に復帰してしまった。私が思っていたほどアンは過去の人間では無かった。アンの友人は彼女を歓迎し、国王もアンを認め、アンの貴族復帰を発表されても異議の声は出なかった。リュビアンネ嬢が如何にこの国の貴族界でしっかりした地歩を築いていたのか、皆に愛されていたのか。それが良く分かる出来事だった。私は衝撃を受けると共に、どこか納得していた。流石はアンだ。私の愛した女性だ。
しかし、アンが拍手と共に貴族界に復帰しようとしていたその時、隣国の侵攻を告げる使者が王の元に駆け込んで来たのである。
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