第7話 リュビアンネとアン

 国王陛下から解放されて、私はふらつく足で会場に戻った。


 国王陛下には「オルセイヤーとの結婚したらオルセイヤーは本国には還さない」と明言されてしまった。もしも強行しようとすれば二人して殺されてしまうだろう。フサヤ王国の跡継ぎの事を考えると、これで私はオルセイヤーと結婚する訳にはいかなくなったのではないか。


 そう考えると流石に心が沈む。何しろ一度は結婚を決意した相手なのだ。正直、今でもアステリウス様よりもオルセイヤーと結婚したい気持ちの方が僅かに強いくらいなのである。オルセイヤーと結婚してこの半年のように楽しく庶民暮らしをして学校を二人で運営するのは楽しい想像だった。


 しかしながら、国王陛下にあのように望まれて、アステリウス様にも想われている事を自覚すれば、長年の婚約者生活で染みついた、この国の王太子妃になるという自覚と覚悟が蘇ってくる。あの頃私は、王太子妃、王妃になって権限を得たら、この国で色々やりたい事を考えたものだったのだ。長年の悪しき慣習を改め、民への福祉を充実させたいと思っていた。今ではそれに、王国中に学校を広めるという思いも加わっている。


 そう考えると、貴族復帰してアステリウス様と結婚して将来的に王妃になるのも私が全く望んでいない事では無いのだ。むしろフサヤ王国の事まで考えるのなら、私はオルセイヤーとの婚約を破棄して彼をフサヤ王国に送り出すべきだろう。


 そもそも結婚とは必ずしも好き合った者同士がするものでもない。庶民なら恋人から夫婦になる事もままあるが、貴族の場合はまず無い。家同士の利害関係による結び付きのために子女を結婚させるのが普通で、当人の意思は無視される。恋人がいようがお構いなしだ。恋人と別れたくない場合はどうなるかというと、結婚してからお互い浮気不倫として続くのである。半ば公認で。


 ちなみに私とアステリウス様の場合も純然たる政略結婚だ。私のお父様は現国王陛下のお父様である前国王陛下の代から王国宰相を勤めていたのだが、実は子爵家出身で血筋が悪かった。出世して侯爵になっているとはいえ、血筋を良くしたいというお父様の意向と、実力者である宰相の手綱をしっかり握りたいという王家の意向が重なって、私とアステリウス様の婚約は調ったのである。


 貴族の婚姻などこんなものなのであるから、私はアステリウス様と恋愛を育もうという意志が物凄く薄かったのである。というか、幼い頃にアステリウス様と婚約してしまったために恋愛経験すら無い。恋愛感情がどういうものかもよく分かっていないかも知れない。その私がオルセイヤーやアステリウス様から寄せられる感情に戸惑うのは無理もないと思って頂きたい。思って下さい。


「何を馬鹿な事を言っているのリュビアンネ」


 会場に入るなり、私は今度はコルンスト伯爵夫人に拉致された。別室が用意され、ソファーで向かい合って、また尋問体制だ。


「あなたとアステリウス様は結婚すべきだと思ったから、私はあなたを養女にする計画に賛成したのよ?夫を説得するのは大変だったんだから」


 ごめんなさいとしか言えません。頼んだ事では無いとはいえ、彼女が私のために頑張ってくれたことは間違いの無い事実だろう。


「あなたは王妃になるべき人だと思ったからよ?それをなんですか。オルセイヤー様とも婚約してしまったですって?呆れてモノも言えないわ」


「まったくです」


「自分で分かっているならオルセイヤー様との婚約は破棄なさい。指輪を返せばあとは手続き上の問題でしょう?ボックルに事情を話せば婚約解消には協力してくれますよ」


 婚姻は家で同士の契約なので、私の養父であるボックルが婚約解消を申し入れるのが正式な手続きとなる。オルセイヤーが受け入れるかどうかは分からないが、少なくとも結婚強行は出来なくなる。今のアステリウス様が私と結婚を強行出来ないのと同じだ。・・・しかし・・・。


 返事をせずもじもじしている私を見てコルンスト伯爵夫人は溜息を吐いた。


「オルセイヤー様との婚約を破棄したくないの?」


 図星である。


「一体どうして?」


「だって、オルセイヤーは私との婚約で悪い事はしていないのです。それは、アステリウス様との婚約が完全に解消されていないのを知っていたのは問題だと思いますが、少なくとも一方的に婚約破棄されるほどの罪を犯したとは言えません」


 あれほど真面目に誠実に半年も掛けて私との愛情を育んでくれた彼に対して、一方的に婚約解消を言い渡すなんてあまりにも酷い所業ではないか。私も自分にほとんど罪無く一方的に婚約解消された経験があるから分かるが、あれは効く。心に来る。あれほど熱心に私に愛を訴えるアステリウス様をいまいち信用できないのは、アレがあったからなのだ。


 コルンスト伯爵夫人は額を押さえた。


「それにしても二重婚約はまずいでしょう?アステリウス様だってあなたとの婚約を復活させるために、色々根回しをして、国王陛下を説得して、頑張っていたのよ?」


「その頃私は、すっかり庶民になっていたから貴族社会の事情は一切聞こえてきませんでした。アステリウス様が私の婚約復活をお望みだと知っていれば、流石に私だってオルセイヤーと婚約などしませんでしたよ」


「確かに、ボックルから楽しく庶民生活をしているとは聞いていましたけどね・・・。ねぇ、リュビアンネ?あなたは庶民でいたいの?貴族に戻りたいの?どっちなの?私はあなたを貴族に戻したいけど、あなたがどうしても庶民でいたいというなら尊重するわ?私はあなたの友人だから」


 コルンスト伯爵夫人の言葉に私は思わず目頭を熱くした。私はとっくに縁が切れてしまったと思っていたのに、彼女は私をずっとちゃんと友人だと思ってくれていたのだ。だから私も正直に言う事にした。


「・・・私は、あの婚約解消の夜から、二人に分かれてしまったのです。貴族としてのリュビアンネと、庶民のアンとに。私は二人いるのです。リュビアンネはもういない筈だったから、自分はアンだともう三年も生きてきてしまったのよ。今更リュビアンネに戻れと言われても、アンは消えないわ。アンも大事な自分なの」


 コルンスト伯爵夫人は真剣な顔で聞いてくれる。


「だから、どちらを取るかと言われても困るのです。アステリウス様との婚約を復活させればアンは消えてしまうし、オルセイヤーと結婚すればリュビアンネは消えてしまうでしょう」


 結局は私がどちらも選べない理由はそれだった。どちらの男が好きか嫌いかというような理由では無い。リュビアンネとアンという二つの人生のどちらを選ぶかという問題なのだ。そしてやはり私にとってはどちらも大事だ。十七年も努力を重ねて来たリュビアンネの人生は無論無駄にしたくは無い。しかし、養父母の愛に恵まれ、街の人の協力や子供たちと一生懸命に生きて来たこの三年間のアンとしても人生も消してしまいたくない。


 コルンスト伯爵夫人は貴族らしい微笑みを浮かべる事もなく、生真面目に頷いた。


「分かったわ。私は無理強いはしないと誓います。でもね、リュビアンネ、もうそれ程時間は無いし、どちらも選ばないという道は無いのだという事は覚えておいてね」



 会場に戻ると、周囲から大注目が集まった。はー。もうなんだか面倒くさくなってきた。貴族時代ならアステリウス様と一緒に注目を集めるのには慣れっこで、どんな視線で見られても微笑みに全てを隠して跳ね返せたのだが、今は精神状態もアレだし、アンとして裏表がなく感情を容易に露わにする庶民の人生を送ってきたせいで、貴族社会のこの表は華やかで裏はドロドロの雰囲気に疲れてしまう。


 私はオルセイヤーの所に行き「もう帰りたいです」と囁いた。オルセイヤーは少し驚いたようだったが、頷いてくれた。


「分かった。帰ろう」


 しかし、フレダン伯爵にお暇のご挨拶をする前に、嫌な人に捕まってしまった。


「これはクロウド伯爵」


 にこやかに微笑みながらやって来た少し太めの中年男性は、ハラルド伯爵。その腕には豪奢な金髪の年若い令嬢が自分の手を絡めている。ハラルド伯爵令嬢だ。彼女は私の事を思いっきり馬鹿にした目で見ていた。・・・あああ・・・。今の私が一番会いたくない人が来てしまった。私は随伴らしく頭を下げる。


「もうお帰りですかな?」


「ああ、ちょっと連れがな。具合が良くないというので」


「随伴の体調にまで気を使うとはお優しい事ですな。主人に迷惑を掛けるような随員は叱責すればよろしいのに」


 ハラルド伯爵は声を出して笑った。が、目が笑っていない。


「そうですとも。なんなら私が叱って差し上げましょうか?」


 ハラルド伯爵令嬢がそもそもきつめな目を更に吊り上げて言う。


「いや、遠慮しておこう」


「何も庶民を随員にしなくてもよろしいのでは?失礼ながら庶民を社交の会場に入れるのは推奨されませんよ?クロウド伯爵はご存知無いかも知れませんが」


 ハラルド伯爵令嬢が私を含めてオルセイヤーを嘲笑う。私が当然どこの誰かが分かっていてのこの態度である。


 ハラルド伯爵はお父様の政敵で、お父様の横領の事実を調べ上げて国王陛下に密告し、更に例の婚約破棄の夜会で大々的に発表して大問題化した張本人だ。全貴族に事実(横領自体は完全に事実だった)を発表されては、国王陛下も王太子殿下も不問には出来ず、お父様と私が貴族界を追放される事態となったのである。


 その後の事は知らないが、この態度を見るに貴族界での地位をかなり上昇させていると見える。ついでに言えば伯爵令嬢は王太子様の婚約者候補で、私がいなければハラルド伯爵令嬢が王太子妃になるだろうと言われていた筈。現在は候補筆頭だろう。


 オルセイヤーが微笑みながらも僅かに眉を顰める。人質であるオルセイヤーにとって、王国貴族界の実力者であるハラルド伯爵は格上だ。無礼だと思っても迂闊に反論は出来ない。そしてその随員である庶民の私は勿論反論すら許されない。


「ふふん、庶民に落ちてまで社交界に未練を持って潜り込もうなど、落ちたものね。アステリウス様もこんなみすぼらしい女のどこが良かったのやら」


 伯爵令嬢はせせら笑いながら頭を下げたままの私を見下ろす。


「何とか言いなさいよ。え?リュビアンネ?どんな気分?王妃気取りで散々見下ろしていた私より下の身分になった気分はどうなのよ?」


 見下ろしていたつもりは無かったが、彼女にはそう感じられる事もあったのだろう。まぁ、それ以前の問題として彼女は以前から何かというと私に喧嘩を売ってきて、公衆の面前でも平然と私を罵倒し、王太子殿下の婚約者として迂闊な対応が出来ない私の頭痛の種だったのだ。その気位の高さにアステリウス様が辟易としていたのを思い出す。身分差が出来た今、彼女が今ここで私を殴打しても問題にすら出来無いだろう。難癖をつけて父親の権力を振るい、牢屋に入れることすら可能かもしれない(アステリウス様とオルセイヤーが黙っているとも思えないが)。それが大貴族と庶民の身分差であり、逆にだからこそ、貴族は庶民を慈しみ保護しなければならない。


 ・・・それは兎も角、この時点で私の忍耐力は尽きつつあった。ただでさえ緊張して三年ぶりの夜会に潜入し、そこでいきなりオルセイヤーとアステリウス様の暴露大会が始まり、更には国王陛下の尋問があり、コルンスト伯爵夫人とも難しい話をしたのだ。失礼を承知で夜会を途中退席したいとオルセイヤーに頼むくらい疲れ果てていたのだ。


 そこにこの天敵の登場である。この三年間、気楽に暮らしていたせいで、アステリウス様の婚約者時代にはどんな誹謗中傷も跳ね返せた心の鉄の防壁も、大分薄くなってしまった。彼女の言葉の一つ一つが私の忍耐力を削り取った。


「ふん、アステリウス様に捨てられたら直ぐにオルセイヤー様に媚を売るなんて浅ましい女ね。ま、隣国の人質王子なら今のあなたには上等すぎるかもね」


 そして、おほほほほ、と笑った彼女のその言葉に、遂にぶちっと、私の堪忍袋の緒が切れてしまった。私はクワッっと顔を上げてハロルド伯爵令嬢を睨み付けた。


「うるさいわね、この嫁ぎ遅れが!」


 ハラルド伯爵令嬢は確か私の二歳上。もう二十歳を越えている筈である。私のその一言には甚大な威力があったようだ。咄嗟に反論も出来ずに固まってしまっている。


「あなたは馬鹿なのですか?オルセイヤーは隣国の王子であなたよりも身分が上で、更に言えばアステリウス様の親友なのですよ?その王子を蔑むそのあなたの発言が、あなた自身の品位を下げている事がなぜ分からないのですか!そんなだから私がいなくなって三年も経つのに結婚出来無いのですよ!」


「な、な、な!」


「私がいなくなったのだから、あなたが王太子候補筆頭になった筈ではないですか!何を三年もグズグズしていたのですか!どうして二十歳を越えているのにアステリウス様と結婚していないのです!あなたがとっととアステリウス様と結婚していれば、私がこんな苦労をする事も無かったのですよ!」


 伯爵令嬢は口を開けたまま硬直している。


「そもそもあなたは口を開けば身分身分言う癖に、侯爵令嬢だった私との身分差は弁えないし、アステリウス様への態度も砕け過ぎだし、そもそも婚約者のいる男性にあからさまに媚を売るなど言語道断だし、問題のある行動が多過ぎです!アステリウス様が怒ってあなたを処罰すると言い出したのを何回私がなだめて差し上げたと思っているのですか!」


 今や伯爵令嬢は涙を流して震えていた。しかし私の長年溜め込んでいた彼女への怒りはまだ収まらない。


「そもそもお父様の横領について騒ぎ立てていましたが、あなたの家も似たような事をしていた事はお父様も勿論、国王陛下もご存知なのですよ!政治に関わっている大貴族が大なり小なり汚職をしていた事は私だって把握していました!私は王妃になった暁にはそのような悪しき慣習である汚職を一掃しようと証拠を集めていましたからね!あなたの家が十年前のオルルト河への橋梁建設の際に予算をちょろまかし、それを自邸の修繕費に当てた事は、金額から関わった官僚の名前までちゃんと記録して公文書館に保存してあります!」


 ハロルド伯爵が愕然としているが、事実だ。私は王妃になったら集めた証拠を使って汚職に関わった者達を一掃しようと思っていた。これには勿論お父様も含まれる。ただし、お父様は私の望む他の貴族の汚職の証拠集めに協力してくれながら、自分の汚職の記録は巧妙に隠して私に中々尻尾を掴ませなかった。ハロルド伯爵が発表した証拠は私が掴んでいないものだったのだ。


「だいたいあなたは・・・!」


「アン!そのくらいにしておけ!」


「リュビアンネ!落ち着け!」


 私のぶちゃけ大暴露大会に慌てたオルセイヤーが私の口を塞ぎ、アステリウス様が飛んで来て私を抑えた。


「伯爵!」


 アステリウス様が微笑みつつもヒヤッとするような目でハロルド伯爵を見た。


「リュビアンネは、まだ完全に私の婚約者でなくなった訳では無い。その意味が分かるな?」


 つまり、私を庶民扱いして、私の態度を理由に処罰する事は許さないという事だ。


「それと、私は其方の娘を妃にする事は絶対に無い。諦めて他と結婚させろ」


 それを聞いて伯爵令嬢が真っ白になってへたり込んでしまった。私はオルセイヤーとアステリウス様に引き摺られるようにして会場の隅に運ばれた。コルンスト伯爵夫人も慌てて駆け付ける。会場に戻っていた国王陛下は見ないふりをして下さっているようだ。


「リュビアンネ。落ち着け。何があった」


「アンは私に対する侮辱に怒ってくれたのだ」


「オルセイヤーを侮辱しただと?あの女は本当に無礼だな」


 アステリウス様の顔に怒りが浮かんだ。アステリウス様はそもそもハロルド伯爵令嬢が嫌いだったが、これでいよいよ伯爵令嬢の王太子妃の目は無くなっただろう。アステリウス様は自分に対するものより自分の庇護下にある者への侮辱の方が許せない人だ。


「それにしてもリュビアンネ。伯爵令嬢を庶民が罵倒したら流石に大問題だ。それに、汚職の証拠の話もある。其方を今のまま庶民にしておくのは危険になってしまったぞ?」


 ・・・そうでしょうね。またやってしまった。今回のこれはご寛容な国王陛下やアステリウス様、オルセイヤーにやらかしたのと違って、そもそも仲が悪いハロルド伯爵令嬢に対してだ。庶民が伯爵令嬢を公衆の面前で罵倒して、それを不問に付すことは身分社会の秩序維持という意味合いからしても良くは無いし、そもそも伯爵令嬢が我に返ったらヒステリックに騒ぎ立てる事だろう。そうなればアステリウス様もオルセイヤーも庇い切れるとは限らない。


 私が罪に問われれば、養父母にも迷惑が掛かるし、まかり間違えば学校の子供達すら罰せられるかもしれない。そんな事はさせられない。ううううう・・・。私はしばらく頭を抱えて悩みまくったが、あんなことをやらかした以上、他に選択の余地が無かった。


「・・・分かりました。貴族復帰します。アステリウス様、コルンスト伯爵夫人、お願いします」


 それを聞いてアステリウス様はほっとした顔をなさったし、コルンスト伯爵夫人は嬉しそうに微笑んだ。そしてオルセイヤーは、少し寂しそうに笑った。そ、そんな顔をしないで欲しい。大丈夫。貴族復帰したからと言って、アステリウス様を選んだという事にはならない、筈。


 コルンスト伯爵夫人は夫を連れて来た。コルンスト伯爵は二十二歳のまだ若い伯爵で、茶色髪をしっかり撫でつけた、如何にもまじめなそうな方だった。ただ、この時はかなり困惑した顔をしていた。


「・・・今からですか?」


「ちょっと問題が起きてしまってな。直ぐにもリュビアンネを貴族に復帰させねばならなくなった。今すぐにリュビアンネを其方の養子にすると発表したい」


「まぁ、既にお約束はしましたから、構いませんが。国王陛下のご意向は大丈夫なのですか?」


「先ほど、リュビアンネが父王に連れられて行って、無事に戻って来ただろう?アレが答えだ」


「なるほど。それならよろしゅうございます。リュビアンネ様はよろしいですか?」


 コルンスト伯爵が私の事をじっと見た。知ってはいるが親しいという程では無かったこの人の養女になるのか。・・・しかし、この期に及んで選択の余地は無さそうだ。私は深く頭を下げた。


「ご迷惑をお掛け致しますが、よろしくお願い致します。伯爵」


「何、構いませぬ。王太子妃の養父になるというのも一興でしょう」


 伯爵はカラカラと笑った。中々肝が太いようだ。動揺や緊張をしている様子は無い。勿論、私やアステリウス様に恩を売って、アステリウス様の治世で権力や影響力を持ちたいという野心もあるのだろうが、どことなく一番重視しているのは「面白そうだから」と考えているようにも見える。


 アステリウス様とコルンスト伯爵夫妻が会場の中央に出て行き、私がその後ろを付いて行くと、会場中の視線が集まった。何だなんだ?これ以上何が始まるのだ?という雰囲気になっている。十分に会場中の注目を集めたアステリウス様は良く通る美声ではっきりと宣言した。


「ここに、私、王太子アステリウスは、コルンスト伯爵と元ヤンドリュード侯爵令嬢で現在は庶民のリュビアンネとの、養子縁組の証人になる事を宣言する!」


 会場中からどよめきが沸き起こる。


「私、コルンスト伯爵コリュードは、リュビアンネを養子として迎え入れる事をここに宣言する。それに従ってリュビアンネは伯爵家令嬢となり、貴族身分に復帰する事になる」


 コルンスト伯爵がそう言って、私を前面に押し出した。


「書類の手続きは既に済んでいます。本日は皆さまへ紹介するために彼女をここへ連れて来ました。まぁ、皆さま知らぬ方はおられないでしょうけどね?」


 コルンスト伯爵は言ったが、嘘である。書類の手続きが終わっているというのが。さっきの事件より先に養子縁組と貴族復帰が終わっている事にしないと、難癖を付けられる余地が残るからだろう。それにしても・・・。私は内心でガックリしていた。自業自得とはいえ、養父母に何の相談も無く、よその娘になってしまった。いや、庶民と貴族の籍は違うから、今度は二重婚約ならぬ二重戸籍だ。アンとリュビアンネが戸籍上も並立してしまう事になる。これは犯罪であるとまでは言い切れないが、良くない事ではある。


 しかし、もう方法が無い。私は仕方なくグレーのドレスのスカートを広げ、優雅に見えるように軽く頭を下げた。


「コルンスト伯爵の養女となりましたリュビアンネです。皆さまよろしくお願い致します」


 驚きの声と、不審のざわめき。しかし、その中には歓迎の声もいくつか混じっていた。特に私の元友人たちは嬉しそうに手を叩いてくれている。それにつられて会場に少しづつ拍手が広がりつつあるようだ。どうやら、貴族界の総意として拒否をされるような事態にはならなそうだ。私は内心で安堵の息を吐いた。


 その時。


 会場のホールに駆け込んできた者があった。社交の会場に似つかわしくない駆け足で入って来たその者はどうやら官僚のようだ。アステリウス様が少し眉を顰める。私の貴族復帰がどうやら社交界に受け入れられそうだ、という場面を邪魔されたくなかったのだろう。


 しかしその官僚と思しき若い男性は息を切らして走りながら会場を突っ切り、国王陛下の元に跪いた。どうやら国王陛下に緊急の報告に来たようだ。それなら仕方が無い。しかし、社交の場にいる国王陛下に伝えなければならない緊急の用事なんて。一体何事が起きたのだろう。自然と、会場中の注目がその男性に集まった。


 男性はゼイゼイと息を切らしていたが、唾を飲み込むと大きな声で奏上した。


「も、申し上げます!た、ただいま国境から報告があり、イマリアス王国が国境を侵し、侵攻して来たとの事!」


「「何!」」


 国王陛下とアステリウス様の声が見事にハモる。


「そ、そしてイマリアス王国から宣戦の書簡が届きまして、それに曰く『無実の罪で放逐されたヤンドリュード侯爵の復権を要求すると』と!どうやらヤンドリュード侯爵がイマリアス王国を手引きしたようです!」


「お父様が!?」


 今度は私が叫んでしまう。そういえば、お父様お母様が逃げて行ったのはイマリアス王国だったような・・・。


「至急対処せねばなりません!如何致しましょう!国王陛下!」


 と、とんでもない事になった・・・!私は立ち尽くしたまま青ざめるしかなかった。

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