第4話 それぞれの事情

 ちょっと後で詳しい事情は知ったのだが、オルセイヤーは本当にフサヤ王国の王太子なのだった。ただ、かなり複雑な事情があっての話だ。


 まず、オルセイヤーは現フサヤ王国国王陛下の庶子で、公妾の息子なのだそうだ。フサヤ王国国王陛下にはお妃様との間に二人の息子がいて、庶子のオルセイヤーには本来、王位継承の目は無かった。なので彼は十歳の時にクロウド伯爵の地位を与えられ、その状態で我が国にやって来た。人質としてだ。


 フサヤ王国と我が国との関係は微妙で、国力的にも軍事力も我が国の方が少しだけ上回るそうだ。そのため、フサヤ王国は我が国との友好関係の維持のため、我が国にここ何世代かに渡って王子を留学という形で人質に出していたのだ。


 そこまで聞いて私はその話を思い出した。あー。そういえば習ったわその話。ただ、その人質がオルセイヤーだとは知らなかったし、彼を社交界で見かける事も無かったから分からなかったのだ。その辺を不思議に思って聞くと、彼は事も無げに言った。


「私は今年で十六歳だ。アンが追放された時は十三歳。まだ社交界デビューしていなかった」


 くらっと来たわ。この人、こんな成りして私よりも三歳も年下じゃ無いの。知らなかった。確かに貴族の社交界デビューは十三歳くらいだ。三年前には社交界に姿が無くても無理は無い。


 隣国で人質にするには庶子というのは好都合だし、フサヤ王国としては当然の選択だったのだろう。そういう訳でオルセイヤーは我が国に十歳の時から滞在していた訳である。


 ところがここで本国で異変が起こる。流行り病でオルセイヤーの兄二人が次々と亡くなってしまったのだそうだ。同時に王妃様も。その結果、オルセイヤーが国王の最後の息子となり、公妾だった母親は王妃に格上げされ、オルセイヤーは王太子になってしまった、という事だった。もっとも、本国に帰っていないからまだ立太子されていないらしいが。


 という話は後で聞いたのだ。なのでこの時の私はオルセイヤーが王太子と聞いても頭の中で?マークを何個も浮かべるだけで何も分からなかった。


 だがしかし一つだけ分かっている事はあった。オルセイヤーが嘘を吐いた、私に隠し事をしていた事だ。私はオルセイヤーの腕の中から逃れるべく、機嫌を損ねた猫のように暴れ出した。


「アン?」


「放して下さい!この嘘吐き!どういう事なんですか!」


「落ち着け。アン。私は何一つ嘘など吐いてはいないぞ」


 しかし私はもがいてオルセイヤーの腕の中から抜け出すと、彼から身を離し、睨み付けた。


「だってあなたがフサヤ王国の王太子なら、私がこの王都で生活する事も、学校を続ける事も出来る訳がないじゃありませんか!」


 オルセイヤーは驚いたような顔をした。


「いや、出来るぞ?」


「は?」


「私は父王が亡くなるまではこの国の王都で暮らすつもりだ。父王はまだ若いからな。二十年くらいはここに居られるだろう。其方の可愛がっている子供達が育つには十分な時間であろう?そしてその頃にはそなたの養父母も亡くなっているに違いない。そうしてから一緒にフサヤ王国に帰ればいいのだ」


 私は思わず口が空いてしまった。なんという事を言い出すのか。


「もしくは父王が母上か、違う女性と子供を造ったら、その子を王太子にして私は王太子を辞めればいい。そうしたら私達はここで暮らすことが出来るではないか」


 私は唖然呆然とし、愕然とし、意識を失いそうになりながらなんとか立ち直った。そして反動で、ググググっと怒りが湧き上がって来てしまった。こ、こ、この!


「あなたはそれでも王太子ですかー!」


 ドカーンと怒鳴りつけてしまった。オルセイヤーが文字通り比喩で無く飛び上がる。私はオルセイヤーに向かって怒りに任せてお説教を叩きつけた。


「あなたは王族の責任と義務を何と心得ているのですか!あなたはフサヤ王国の王太子なのでしょう!ならば王と王妃を補佐して王国を経営し、貴族と民を守り慈しむのが責務ではありませんか!こんな他国で遊んでいる場合ですか!」


 オルセイヤーは事情があって我が国にいるのだし、遊んでいたわけではない訳だがこの時の私は知らないからね。


「いや、それはそうなのだろうが・・・」


「いやも何もあるのものですか!あなたに王族の誇りが少しでもあるのなら、今すぐフサヤ王国に帰って国を守りなさい!」


「そうだそうだ。そうするがいい」


 なぜか勝ち誇ってアステリウス様が言った。私は彼の事も睨み付けた。


「殿下!」


「うぐっ・・・!」


「一体ぜんたい何がどうなっているのですか!私との婚約を破棄して私を貴族社会から追放したのは殿下ではございませぬか!それを今更何だというのですか!もう何もかも遅うございます!おかえり下さいませ!」


「そうだそうだ。帰るが良い」


 今度はオルセイヤーが勝ち誇る。私は今度は彼も睨み付けた。


「お二人とも!出て行って下さいませ!すぐに!」



 怒り狂った私に退室を命じられた二人だが、二人は私の事をなだめすかして、詳しい事情を説明するからとどうしても出て行かなかった。やがて子供たちがやって来て授業を始めたのだが、いつもいるオルセイヤーは兎も角、なんだかキラキラしく尊大な態度で座っているアステリウス様が気になって子供たちは集中出来無いようだった。しかしながら冷静になると流石に王太子殿下(どっちのだか分からなくなるわね)を叩き出すわけにはいかない。


 結局アステリウス様は最後まで居座った。授業が終わって心配気な子供たちに笑顔で手を振って見送り、教室に戻って来ると不機嫌そうにふんぞり返るアステリウス様と、やはり不機嫌そうにテーブルの上に肘を突くオルセイヤーが待ち構えていて、私は諦めの溜息を吐いた。


「では、まずアステリウス様。何かおっしゃいたい事があるならどうぞ」


 私は二人の前に立ち、先生の態度でまずアステリウス様を指名した。


 アステリウス様はガタリと立ち上がり私を見下ろした。む、最後に会った時より背が伸びたわね。キラキラ美少年だった顔立ちも引き締まって大人っぽくなっている。


 アステリウス様は真剣な顔で私を見据えると、彼曰わくやむを得ない事情を。つまりは言い訳を語り始めた。


「あの時は仕方がなかったのだ」


 アステリウス様の表情には苦悩の色が濃かった。


 つまり、あの夜会で婚約破棄を言い渡さない訳にはいかなかったのだが、自分は私との婚約を破棄などしたく無かった。私を庶民に落とすのも本意では無かった。と、おっしゃる。


 しかしながら、事が宰相自らによる大汚職事件だ。しかも当の本人と夫人は逃げ去っている。誰かに責任を取らせねばならず、その対象が一人娘たる私しかいなかったのだそうだ。そして連座で罪に問われた私との婚約を王太子たるものが破棄しないわけにはいかなかった。


 それどころか、貴族達の意見の中には、私を捕らえて牢屋に入れ、処刑せよという意見も強くあったらしい。しかしそんな事はさせるわけにはいかないと考えたアステリウス様は、婚約破棄と財産没収、貴族社会追放で何とか処分を止めたそうだ。この時は父である国王陛下が側近たる宰相に裏切られた事に怒っており、説得が大変だったとか。


 婚約破棄の時には指輪を返させるのが常識だがアステリウス様は意図して私に指輪の返還を求めなかった。いずれ私を貴族復帰させた暁には私との婚約を復活させるつもりだったからだ。確かにおかしいとは思っていたのよね。あの場は仕方がないにしても後日返還を求められると思っていたのに来なかったから。


 親に罪ありとはいえ私が犯罪を犯した訳ではないのだから、貴族追放はやり過ぎだ、という意見は私の追放直後から私の友人たちを中心に強く湧き起こったらしい。何度も国王陛下に意見が出され、賛同する貴族も多く、アステリウス様もこれに乗っかる形で父王に処分の取り消しを打診してみたそうだ。


 しかし国王陛下のお怒りは深く、確かに私に罪はないし、私が王家のため王太子のために尽くしていた事は知っていて認めてはいるけれども、罪人たる宰相が逃亡している現状では連座されて罪に問われた私への処分は解除出来ない。とおっしゃられたそうだ。これは確かにその通りだと思う。だって私、知らなかったとはいえ、お父様が横領したお金を多分使っているもの。完全に無実だとは言えないのだ。連座させられて当たり前ではあるのである。


 そのため、長くても一年ほどほとぼりを冷ませたら私を貴族復帰させる筈だったアステリウス様の目算は外れ、三年近くも経ってしまったというわけだった。


「本当はとっくに迎えにくるつもりだったのだ。信じて欲しいリュビアンネ」


 熱を込めておっしゃるアステリウス様。しかし私はお話を聞いていても一向に見えてこない事があった。私は首を傾げた。


「どうしてまた、アステリウス様は私を貴族復帰させたいのですか?別に放置して下されば宜しいのに」


 私はすっかり庶民生活に馴染んでいたのだし、貴族復帰など欠片も望んでいない。アステリウス様が頑張る必要は無いのだ。私がそう言うと、アステリウス様が信じられない、という表情で叫んだ。


「其方を貴族復帰させなければ、私と其方の婚約が復活出来ないからに決まっているだろう!」


 私の首の傾きは深くなるばかりだ。


「どうして私との婚約を復活させたいのですか?他にもお妃候補はいるのですから、結婚相手には困らないでしょうに」


 キラキラ美少年だったアステリウス様は貴族令嬢に大人気で、早くから婚約者だった私は妬まれて大変だったのだ。そんなに代わりたければ厳しい王太子妃教育込みで代わってあげるわよ、と言いたかったものである。


 不可解を態度で表す私を見て、アステリウス様は愕然として再び叫んだ。


「其方の事を深く愛しているからに決まっているだろうが!」


 ・・・そうでしたっけ?


 私の首の傾げは一向に戻らない。いったい全体いつからそんな話になったのだろうか。アステリウス様が私を愛している?そんな話は見たことも聞いたことも無い。アステリウス様がそのような態度を取ったり、言葉になさったことがあるだろうか。


 首を傾げたまま無言の私を見て、オルセイヤーが堪えきれないという風に笑い始めた。


「なんだ、アステリウス。其方の想いはアンに何にも伝わっていないではないか。ちゃんと言葉にして愛を訴えた事があるのだろうな?」


 オルセイヤーの言葉にアステリウス様がぐっと詰まる。そうですね。少なくとも言葉で「好きだ」とか「愛している」と言われた事は無いと思いますよ。


「・・・わ、私とリューとのような長くて深い付き合いには、言葉など不要なのだ」


 また懐かしい愛称が出て来ましたわね。リューはリュビアンネが上手く発音出来なかった幼少時の殿下が呼び習わした私の呼び名で、長ずるに従って使われなくなった愛称だ。そう。確かに殿下と私の付き合いは長い。


 が、だからと言って言葉も無しに思いが伝わる訳もない。私はアステリウス様が私の事を熱烈に愛しているなどと思った事もないし、そう感じた事もない。私が思っているのと一緒で、まぁ、結婚すると決まっているのだからお互い上手くやりましょうね?と考えていたのだと思っていた。


 それを今更、私を愛していると言われても信用出来ない。何ですかそれは。それならばあの婚約破棄の場面で、なぜに少しくらい私を弁護して下さらなかったのですか?と私は思うだけだった。


 今更だが私はあの時に、幼い頃からの腐れ縁で、少なくとも仲の良いお友達で、長い付き合いでその内八年も婚約者同士だったアステリウス様との絆に少しは期待していたのだ。


 しかし、アステリウス様は一言も弁護をしてくれず、私にはっきりと婚約破棄を言い渡した。あの瞬間私は貴族社会への未練をスッパリ断ち切ったのだ。アステリウス様の妃になる事は貴族である私の全てだったから、それを失った私は貴族としては無になった。だから全く貴族社会に未練なく庶民生活の確立に邁進できたのだ。


 だから今この時点でアステリウス様から復縁を求められてももう遅い、と言うしかなかった。私はすっかり庶民生活を確立し楽しんでいる。そして私はもうアステリウス様に何の感情も抱いていないのだから。


 しかしながらアステリウス様は言うのだ。


「幼少時より私の婚約者として陰日向なく私を慈しみ守ってくれたリュビアンネを私が愛していないわけが無いだろう?ずっと大事に思っていたさ。其方以外の妃など考えられぬ。ずっとそう思っていた。実際、私がどんなに女性に言い寄られても浮気などした事は無いだろう?」


 確かにアステリウス様は社交界でどんなに美しい令嬢に群がられようとも、一度も私以外の女性の手を引いた事も無く、一度も浮いた噂が流れた事も無い。しかしそれは婚約者がいる男性なら当然の事ではある。


「誰よりも其方といると心が休まったし、安心出来た。其方がいなくなって私は半身が欠けたような心持ちがしている。私には其方が必要なのだ」


 幼少時よりの腐れ縁で、みっともないところをお互い晒している二人だったのだ。お互い取り繕っても仕方がないから、二人きりになると普段貼り付けている貴族令嬢と王太子の仮面を外して素が出せたのは事実である。


 「二人きりになりたいから」と侍女や侍従までもを締め出して、ソファーで二人でゴロゴロして本を読んだり、お菓子を食べたり、チェスを指したり(私の方が強かった)、無駄話に興じたり口喧嘩をしたり。そんな事を子供の頃から続けてきたのだ。周囲は「二人きりになりたいなんて、キャー!」と頬を染めていたけれど実情はそんなものだ。色っぽ雰囲気になったことなど無い。


 だがしかし、厳しい王太子教育、王太子妃教育に苦労していた私達二人にとって、お互いは同じ苦労を分かち合う同志であり、二人でいる時は教育から逃れられる避難所であり、まぁ、安心出来る相手ではあった。


 なのでアステリウス様の言わんとしている事は分からないではない。確かに私も気心の知れたアステリウス様がいなくなってなお、あの王太子妃教育を続けられたら気分が参ってしまっただろう。


 なのでアステリウス様が私を必要としている気持ちは理解出来るのだ。それが愛なのかどうなのかは別として。


 だがしかし、問題なのは私がもうアステリウス様を必要としていないという事実だった。私はもう王太子妃候補では無いし、貴族ですらない。庶民であり何の責任も無いお気楽身分だ。


 だから私がアステリウス様のお気持ちに応え、貴族復帰し、再び殿下の婚約者にならなければならない理由も無い訳である。うん。私は結論した。


「私はもう庶民のアンです。殿下のお気持ちには応えられる身分ではありません」


「は?いや、直ぐにも貴族復帰させるから・・・」


「国王陛下は厳格な方ですわ。私の罪が解かれる事はありませんよ。諦めて他の方と結婚なさいませ」


 私が言い切るとアステリウス様は青い顔で立ち尽くした。


「わ、私の事が嫌いになったのか?」


 そう言われると、何だかそれは違うな、という気がする。


「嫌いになった訳ではございませんよ」


 アステリウス様の表情に生気が戻るが、私は彼の希望を打ち砕いた。


「愛想が尽きただけで御座います」


 アステリウス様がガックリと膝を落とす。それを見てオルセイヤーが高らかに笑った。


「残念だったなアステリウス。アンは其方と復縁する気は無いそうだ。それはそうだ。アンは私の婚約者なのだからな!」


 勝ち誇るオルセイヤーを私はジロリと睨む。私の形相にオルセイヤーは顔を引き攣らせた。


「オルセイヤー」


「な、なんだ」


「あなた、私とアステリウス様の婚約破棄が不十分な事を知っていたのですね?」


 オルセイヤーは睨み付ける私に仰け反りながら答える。


「あ、ああ、アステリウスに聞いたからな」


 この親しげな態度からして、オルセイヤーとアステリウス様は仲が良いようだ。ならばアステリウス様の私に対する未練話を聞いていてもおかしくない。指輪の返還が行われていない事も聞いていただろう。


「だとすると、あなたは婚約している女性だと知りながら、その女性に求婚したという事で、犯罪を犯した事になりますよ」


「犯罪?」


「他人の婚約者を略奪婚で奪う事は立派に犯罪ですよ」


 私が言うとさすがにオルセイヤーが黙り込む。しかしオルセイヤーは頭を振って何かを振り払うと、私の手を掴んだ。


「構うものか!犯罪だろうが何だろうが、私の愛を止める事は出来ない!」


 その熱さに私は少しばかり心が動いたが、それ以上に私は彼に不信感を抱いてしまっていた。


「そもそもあなた、アステリウス様に言われて学校に来たのではないですか?」


 そう。貴族のオルセイヤーがあの日に学校にいたのは如何にも不自然だ。何か理由があったのだろうとは思っていたが、アステリウス様の言葉の節々から想像するに、そうは自由に出掛けられないアステリウス様が、まだしも自由に動けるオルセイヤーに頼んで私の様子を見に来させたというのが真相では無いかと思う。


 私の言葉にオルセイヤーはあっさり頷いた。


「そうだ。アステリウスが気にしている女が気になったから引き受けたのだが、其方に惹かれてしまったのだ」


 つまり、オルセイヤーは私がアステリウス様の婚約者解消未満状態で、アステリウス様が私に執着している事も承知の上で、素知らぬ顔をして私に近付いて、私と婚約したという訳だ。


 ・・・最低である。


 友人の婚約者を奪う事に何の躊躇も無いというのはどうなのか。そもそも半年私といる間、オルセイヤーはただの一度もアステリウス様の名を口にしなかった。匂わせもしなかった。つまりアステリウス様の名前を口にする事が私と交際する上でまずい事だと十分認識していたという事だ。完全に確信犯である。


 私はじとっとした顔でオルセイヤーを見た。


「あなた、私がそのような卑劣な男を好きになるような女だと思っているのですか?」


 オルセイヤーはうっと詰まった。


「あなたのような友人を大事にしない、裏切りを気にしない、婚約者に秘密を持つような事をする男は、私は嫌いです!」


 オルセイヤーは衝撃を受けたようによろめき、膝を付いた。王太子二人を揃って撃沈させておいて、私は頭を抱えた。参ったわねこれは。


 はっきり言うと、この時点で私は本当に二人と婚約している状況なのである。


 まず、アステリウス様との婚約破棄は、私が指輪を返還していないので完全には成立していない。これは慣例からしてそのようになっている。なぜかというと、そもそも婚約の一方的破棄が認められていないからで、女性にも拒否権限がある訳だ。その意思表示が指輪の未返還なのである。私はあの時同意したのだから指輪はその内取りに来たら渡せば良いと呑気に構えていて忘れてしまった訳だが、それが間違いだったのだ。私は婚約破棄したくないと意思表示した状態になっている訳である。


 一方、オルセイヤーとの婚約も問題無く成立している。私の養父であるボックルと正式に取り交わした婚約は正当なもので、そして私もきちんと同意して指輪を受けている。婚約の手順として一分の隙も無いくらい、まったく問題が無いものだ。問題なのはアステリウス様との婚約状態が続いていたのを知っていた事くらいだが、私は戸籍が変わっていてリュビアンネとアンは別人という事になっているし、養父のボックルはとっくに婚約解消が成立していると思っているから、気にもせずに私をオルセイヤーと婚約させてしまった。オルセイヤー的には「リュビアンネなんて貴族は知らない。私が婚約したのは庶民であるアン」と強弁出来るのである。


 ・・・そう。つまり、この場合二重婚約に関しては王太子殿下二人は、少しだけ責任はあるにせよ大きな責任は無いのですよ。一番責任があるのは・・・。


「・・・其方の責任はどうなのだ?」


 少し立ち直ったらしいアステリウス様が私をその碧眼でジロっと睨んだ。


「確かに私は婚約破棄を通告してしまったし、その後フォローしなかった。それは悪いと思う。しかしだな。其方は私に指輪を返していない事は自分で当然分かっていた事ではないか。であれば婚約破棄が完全には成立していない事は分かっていただろうに。その状態で他の男とホイホイ婚約するというのはどういう了見なのだ?」


 そうなのだ。私は家の戸棚の中にアステリウス様から頂いた婚約指輪が眠っているのを当然知っているのだ。そうであれば婚約破棄が不十分だと当然思い当たった筈なのである。


 し、仕方が無いじゃない!私は婚約破棄、貴族追放で打ちのめされ、寝込んだあの日以降、意識して貴族社会とアステリウス様の事は考えないようにしていたのだから。指輪の意味も考えれば思い至っただろうが思い出そうとしなかったのだ。


 しかし、確かに、いやホントに、確かに私が迂闊であったのは間違い無いところである。アステリウス様と半婚約状態で、オルセイヤーと婚約したのは間違い無くこの私。つまり二人の男と二重婚約状態になる事を知って(思い出さなかっただけだけど同じ事だ)いながら、オルセイヤーからの指輪を受けたのはこの私なのである。つまり一番悪いのはこの私なのだ。


「その自分の責任を棚に上げて人の事を弾劾している場合か!一体この状況をどうする気だ!最大の責任者である其方が考えるべきであろう!」


「いやー!ごめんなさいー!」


 私は涙目で頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。


 





  


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