第3話 二人の王太子

 それからというもの、オルセイヤーは学校がある度に律儀にやって来た。


 最初は約束通りニコニコ笑いながら座っていただけだったが、その内いつの間にか子供に混じってゲームで遊び始めた。勿論、完全に字が読み書きできるオルセイヤーにして見れば私が作ったゲームなど遊びにもならないが、意外な事に子供たちのレベルに合わせてわざと間違えるなどしてゲームを盛り上げていた。子供たちは大喜びだ。


 小さい子のゲームをオルセイヤーに任せられると、私は年嵩で勉強の程度が進んだ子供たちに注力できる。オルセイヤーの持って来た本を目を輝かせて読む子供たちに、分からない単語や言い回しを教えてあげる。思った通り、子供たちはあっという間にそれらを理解し、吸収していった。オルセイヤーは定期的に本を入れ替えてくれたので子供たちはこれも大喜びだ。いや、ちょっと待って。一体何冊本を持っているの?首を傾げている私の前にもオルセイヤーは何冊か本を差し出した。


「これはアンが読んだら面白いだろう本を持って来た。読んでみるといい」


 あら嬉しい!私は有難く、その本を借りた。貴族時代は読書は趣味の一つで、自宅の本は勿論、王宮の王立図書室の本もお借りして読んだものだ。オルセイヤーが貸してくれた本は物語や詩集だったが、流石に男性の所蔵本らしく勇ましい話や詩が多かった。昔なら避けて読まなかっただろうが、久々の読書だった私には楽しく読めた。中には戦略戦術に関わる指南書みたいなものもあり、こんなものを持っているのだとすればオルセイヤーは軍事関係に関わる貴族なのかもしれないな、と思った。


 二ヶ月もするとオルセイヤーはすっかり学校に馴染んでしまい、子供たちからは「オル先生!」と慕われるようになってしまった。彼は男性だけに力も強くどうやら運動も得意らしく、勉強に飽きた子供と格闘をしたり外に出て駆けっこをしたりして気分転換をさせてくれたりもした。更には教材造りも手伝ってくれるようになった。彼は手先が器用で、絵心もある。力も強いのでそれまで構想はあったが制作を断念していた教材を作る事が出来るようになった。そこまで行くと彼はこの学校のもう一人の先生になってしまったと言って良いだろう。


 私の学校からの送り迎えをしてくれるようになり、帰りの買い物にも付き合ってくれるようになる。街の人はすっかり彼に馴染んで「オル先生」と呼び掛けて親し気だ。彼が貴族服を着ている事も気にならなくなっているようだ。オルセイヤーも貴族ぶる事も無く街の人に気軽に声を掛け、何か力仕事でもあれば率先して手伝うなど、貴族とは思えない程気さくな態度を見せていた。


 流石にここまで来ると、私はオルセイヤーに感謝するようになっていた。彼は実に面倒見がいい。子供にも大人にも好かれる。私の手伝いの仕方も出しゃばらず押し付けがらずで、実に清々しいのだ。おまけにさわやかな健康的な美男子で、近くで見ると実に目の保養になる。


 つまるところ私は彼に好意を持ち始めていた。男性に好意を抱くなどもしかしたら初めてかも知れない。元婚約者の王太子殿下に対しての感情は違った気がする。アステリウス様とは物心ついた頃からの幼馴染で、しかも良く分からない八歳で婚約して、王宮に上がる度に一緒に過ごさせられたので、気分的には恋人、男女の関係というよりは腐れ縁に近かった。キラキラした美男子だったアステリウス様に果たして男性に対する好意など抱いた事があっただろうか?


 私の自意識過剰で無ければ、オルセイヤーも私に好意を抱いてくれている、筈だ。何しろ彼は優しく、私を非常に大事に扱ってくれる。寄り添い、笑い、守ってくれる。彼といると私は心が暖かくなり、楽しくなるようになってきた。いや、アステリウス様とお会いしている時も楽しかったけど、あれは他の方とお会いしている時は一分の隙も見せられないと緊張していたものが、殿下になら腐れ縁だしどうせ夫婦になるんだからとある程度素を見せられたので楽だったから、という感じで、オルセイヤーと一緒に居る時の感情とは違うと思う。



 そうやってオルセイヤーと仲良く楽しく協力しながら学校を運営して半年ほどが経ったある日、私はセレスとボックルに「大事な話がある」と呼ばれた。居間にあるテーブルに着くとボックルが真剣な表情で言った。


「オルセイヤー様から求婚の申し出があった」


 私はびっくりした。なんだそれ。


「アンを是非嫁に欲しいそうだ。先ほどオルセイヤー様が直々にこちらへいらして、俺に正式な申し入れをしてきた」


 婚姻は家同士の決め事である。なので求婚の際はまず家の当主同士の話し合いから始まるのだ。オルセイヤーの申し出はその形式に則って行われた訳である。どうやらオルセイヤーはあの若さで家の当主らしい。


 私は庶民になってしばらくして、庶民の戸籍を造るためにセレスとボックルを養母養父として登録していた。なのでボックルは私の法的な父親なのだ。


「俺には決められない。アンと話し合って返事をすると答えておいた。オルセイヤー様は了承して下さった。・・・アン、どうする?」


 どうすると言われても困る、寝耳に水の話だ。困惑する私にセレスが言った。


「私は良いお話だと思うわ、アン。オルセイヤー様は貴族でいらっしゃるでしょう?しかもご当主だとの事。お嫁に行けばアンは貴族に戻れるじゃない」


 私は更に困惑する。


「別に貴族に戻りたいと思ってはいないけど」


「いいえ、アンは庶民には勿体ないわ。私は貴族時代のアンにお仕えして、あなたの事をどれほど誇りに思っていた事か。その美しさ、人柄、教養。そして庶民も慈しむその慈愛。誰にも認められ愛される侯爵令嬢なんて他に居なかった。きっと王国を正しく導く王妃様になると思っていました。庶民に埋もれるなんて女神さまが許さなかったのよ。良かったですね・・・」


 セレスは涙を前掛けで拭い始めた。私は困惑を深める。


「私はそんな大した存在じゃ無いわよ。もうすっかり庶民だし。今更貴族に戻れと言われても困ってしまうわ」


「アン、俺もセレスの意見に賛成だな。アンはこんな下町にいるような女性じゃない。貴族になってもっと大勢の人間の役に立つべきだと思う」


 しかしボックルも私に貴族に戻るべきだと言ってきた。


「実は、今まで黙っていたが、アンには縁談がたくさん来ていたんだ」


「え?」


 何でも庶民の富裕層を中心に多くの家から縁談の申し入れが来ていたのだそうだ。考えてみれば私ももう十八歳。もうすぐ十九歳だ。とっくに結婚していても良い歳である。実際、十七歳でアステリウス様と結婚式を挙げる事になっていたのだし。


 しかしセレスとボックルはそれを全て断っていたのだそうだ。私を庶民に嫁入りさせるわけにはいかないと。ボックルはサーマルト伯爵のお屋敷で庭師長として働いている。その関係で私の貴族復帰の噂を聞いていたらしい。


 なんでも、複数の貴族が私の貴族復帰を国王陛下に働きかけてくれているらしい。特に友人でボックルの就職時にも助けてくれたサーマルト伯爵令嬢、いや、嫁入りしたのでコルンスト伯爵夫人になっているそうだが、彼女は実家に帰って来る度にボックルに私の事を尋ね、私の貴族復帰のために動いているから私を庶民に嫁に出すなと頼んでいたそうだ。


 なんとまあ。私は驚くと同時に胸にじわじわと温かいものが染み出すような心地がした。お父様の罪を負って貴族社会から放り出され、もう貴族社会とは縁も所縁も無くなったと思いこんでいたが、貴族の中にも私の事を友人と未だに認めてくれる人がきちんといたのだ。それは素直に嬉しい事だった。


「アンならきっと貴族復帰出来ると思っていたから庶民との縁談は断ったが、オルセイヤー様は隣国のフサヤ王国の方とはいえ貴族だ。だから判断に迷ってしまってな。お貴族様相手に言下に断り難いのもある。だからアンに選んで欲しいんだ」


 ボックルは困っているようだった。それはそうだろう。相手は隣国のとはいえかなり上級のお貴族様だ。庶民が逆らったら命も危ないくらいの階級差だ。それにしてもフサヤ王国か。我が王国の西隣に国境を接する国で、我が王国よりも少し小さい。言葉も文字も同じな、我が王国と文化的な結び付きが強い国で、非常に友好的関係だった筈。しかし、フサヤ王国にクロウド伯爵なんて家あったかしら?


 それにしたって私にも急な話で決められない。オルセイヤーとは半年以上に渡る付き合いで、一緒に学校を運営して気心は知れていて、気が合う事も分かっているし、お互いに多分好意を抱き合っている事は間違い無いとしても、結婚はまた話が違う。それに貴族復帰の話もある。


 それにしても。私はボックルに尋ねた。


「ボックルは私の養父なのですから、結婚はボックルが決めて良いのに。私の意向を気にする必要なんて無いのですよ?」


 するとボックルは照れたように顔を緩ませた。


「いや、だからこそアンに幸せになって欲しいのさ。アンは大事な娘だからな」


「そうですよ、大事な娘だからこそ、あなたの良いようにして欲しいのです。もしも庶民の男性とどうしても結婚したいと言い出したら、それを尊重する気でいたんですよ」


 私は嬉しくなった。二人の養女になって三年近く。すっかり二人は私を娘として愛してくれている事が分かったからだ。正直、私はもっと二人の娘でいたかったし、二人に存分に親孝行したいとも思っていた。なので実はまだ嫁入りする気は無かったし、まして二人と別れて隣国の貴族に嫁入りなどとんでもない、と、この時は思っていた。



 翌日、学校に行くとオルセイヤーが満面の笑みで待っていた。


「聞いたか?」


 聞きましたけどね。私は不満で頬を膨らませながらオルセイヤーを睨んだ。


「何もいきなり養父に話を持って行かなくても。庶民が貴族からの申し入れを断るのは難しいと知っているでしょうに。まず私に話してくれても良かったのではありませんか?」


「断らせないために、わざとだとも」


 そういう事ですか。ふん、と私はオルセイヤーから顔を背けた。


「怒ったのか?」


 オルセイヤーが慌てたように言う。彼はこういう可愛い所がある。


「怒ってはいませんけどね。困ってはいます。私は貴族に戻るつもりも、王都を離れるつもりも無いんです。養父母に親孝行もしたいですし、学校を止めたくもないんです。あなたと結婚すると全部がダメになってしまいます」


 オルセイヤーは驚いたようだった。


「貴族復帰したくないのか?」


「あなたはこの半年、私の何を見てきたのですか?私が貴族社会に未練を見せた事無いでしょう?」


「いや、貴族社会で君を貴族復帰させる運動があると聞いたが」


「あれは昔の友人が動いてくれているだけです。ですが、事が事だけに恐らく無理ですよ。お父様がやらかした罪はそんなに軽いものではありませんし」


 オルセイヤーは考え込むように腕を組んだ。


「・・・君の希望は、養父母に親孝行が出来る事と、学校を続ける事で相違無いな?」


「そうですね。今はその二つの事で私の頭は一杯です。ですからまだ結婚は・・・」


「叶えよう」


「は?」


 私は間抜けな声を出してしまった。


「私と結婚してくれればその願いを叶えよう」


 オルセイヤーは見た事も無いくらい真剣な表情をして言った。


「私はフサヤ王国の貴族だが、このとおり事情があってこの国に滞在している。恐らく当分はこのままこの王都で暮らす予定だ。だから君が養父母と会う事も学校で先生を続ける事も制限はすまい。約束しよう」


 驚くべき事を言い出した。


「君がフサヤ王国で貴族になる事をこの国の国王が止める事は出来ない。隣国の貴族になった君はこの国でも貴族として扱われる。そうすれば君の貴族復帰を願って運動している君の友人たちも喜ぶのではないか?」


 う、そう言われて私は、友人たちが貴族復帰の運動をしてくれていた事を思い出した。私がフサヤ王国の貴族になれば社交界に復帰出来る。そうすればまた友人たちと会えるのだ。そうすれば喜んでくれるだろうか?


「其方がこのまま独身でい続けても誰も得をせぬし、庶民の嫁にするなど国家の損失だ。許されぬ」


 オルセイヤーはずいっと私にその精悍な顔を近づけた。美男子の真剣な表情は心臓に悪い。私は心臓の鼓動を早くしながら仰け反った。


「其方、私が嫌いか?」


 嫌いでは無いです。と反射的に返事をしそうになって黙る。ここでの迂闊な返事は命取りになる。しかし間近にせまるオルセイヤーの顔に自分の頬が赤くなるのを感じた。私の身体は正直だわ。


「私は其方の事を好いておる。一時の感情ではないぞ?この半年、其方の側で其方の人となりを十分見ての想いだ」


 そうですね。この半年、誰よりも私の近くにいてくれて、私の事を慈しみ守ってくれたのはこの人だった。


「私は其方を愛しておる。そして、其方も私の事を好いていてくれていると信じている。故に其方に私は求婚したのだ」


 ぐううう、凄い真っ直ぐな、誤解の余地のない愛の言葉だった。熱量が凄い。私は迫って来る彼から限界まで身を反らしながら言った。


「ざ、罪人の私を娶りなどすれば、オルセイヤー様にご迷惑が掛かりますよ。フサヤ王国と我が国との国際問題になるかも」


 するとオルセイヤーはニヤッと、勇ましく微笑んだ。


「なに、構わぬとも。よその国の人間の嫁取りに文句を付けるようなら、そんな国との交流は願い下げだ。たとえ戦争になろうと私は其方を娶ろうぞ」


 オルセイヤーは私の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。


「私は決めたのだ。いかなる困難があろうとも、誰と其方を争う事になろうとも、愛する其方をけして譲らぬと。だから、どうか私の求婚を受け入れて欲しい」


 私の顔は真っ赤だ。こんな直球の愛の言葉を聞かされた事など今までの生涯で一度も無い。当たり前だがアステリウス様に言われた事など無いし。考えてみれば私には恋愛経験が無い。幼少時より王太子様の許嫁だった私に告白してくる男性などいる筈が無かったからだ。つまり私には愛の告白に対する免疫が無いわけである。


 私は初めて経験する愛の告白に対する、あまりの緊張感と興奮と恥ずかしさで頭に血が上り過ぎ、ぽてっと倒れてしまった。


 

 家に帰って、ベッドの中でオルセイヤーの愛の告白を思い出して悶々としながらも、私は考えた。求婚を受け入れるかどうかをだ。


 まず、オルセイヤーの出してきた条件は魅力的だと思った。私はもう全然まったく貴族社会に未練は無い。無いのだが、貴族時代の友人に会いたいとは思っていた。もうみんなどこかに嫁入りしてしまっただろうが、私もオルセイヤーの妻になり、夫人として社交界に出れば再会できるだろう。それは凄く楽しそうな事だと思えた。


 学校を辞めないで良いというのも良かった。私はあの学校と子供たちに愛着を持ってしまっていたから、今更離れたくは無かった。これには本当はオルセイヤーとの関係も含まれる、今まで通り彼と二人で協力しながら学校を、ずっと運営していければ幸せだと思う。


 そしてセレスとボックル。私の大事な養父母への恩を、私は一生返して行くつもりだった。私が一番大変で落ち込んでいた時に親身になって助けてくれて、血の繋がりのない私を養子として迎えてくれたのだ。お金を十分に稼げない頃も文句など一つも言わず、私が先生としてちゃんと稼げるようになると非常に喜んでくれた。私はとっくに薄情にも私を置いて逃げたお父様お母様なんかより、セレスとボックルの方が大事な自分の「親」だと思うようになっていた。二人ももう遠慮なく私を娘だとして扱ってくれている。この二人と離れなくても良いというのは非常に安心出来る条件であった。


 条件面はかなり好条件。更にオルセイヤー本人も、まぁ、素敵な人だった。美男子だし、たくましいし、優しいし、笑顔が良いし、気が回るし、子供に好かれるし、明るいし。あれなら結婚したら豹変して妻に冷たくするような男では無いと安心出来る。アステリウス様はあれでガサツな所があり、私の前では少しだらしない所もあり、癇癪を起して私と喧嘩になる事も良くあったので、結婚したら思いやられるなぁ、と考えた事もたまにあった。勿論、オルセイヤーの事はアステリウス様程は知らないから、彼の知らない一面が隠れているかもしれない危険があるにしても。


 私は一晩うんうん唸りながら考えて、結局、オルセイヤーの求婚を受け入れる事に決めた。


 条件は魅力的だし、オルセイヤー本人に好印象を抱いている。認めてしまえば私もあの人が好きだ、という事がまず第一で。それとこれを断るとボックルが色んな意味で困ると思ったからだ。即ち貴族の求婚を断ったらオルセイヤーは兎も角他の貴族から睨まれる可能性がある事や、こんな良い話を断っては他から話が来なくなって私を嫁に出せなくなるかも知れないという危険性に思い至ったのである。幾ら可愛い養女とはいえ、二十歳を過ぎた嫁ぎ遅れが家に居座っていたら、ボックルが後ろ指を指されかねない。


 私は次の日セレスとボックルにオルセイヤーの求婚を受け入れる事を告げた。二人は殊の外喜んだ。


「そうか!あの方ならアンと気心も知れているし、庶民とも気さくに接して下さるお方だ。アンをきっと大事にして下さる」


「そうですよ。高位の貴族の方ですからアンに相応しい方だと思うわ。おめでとう!」


 ボックルは早速オルセイヤーの屋敷に向かって求婚の承諾を伝え、その場で婚約の約束をしたそうだ。次の学校の日、満面の笑みでオルセイヤーが私を出迎えてくれた。


「求婚を承諾してくれてありがとう。アン」


 私はなんだか素直に答える気になれなくて、プイと横を向きながら言った。


「あの求婚条件に一つでも嘘があったら、婚約は無効ですからね!」


「ああ、もちろんだとも」


 オルセイヤーは私の前にすっと跪き、胸の前で手を交差して私の事を見上げた。


「私、オルセイヤーは汝、アンとの約束を守り、生涯其方を愛し慈しみ大事にすると偉大なる女神の聖名に誓う」


 そしてポケットから、用意していたらしい指輪を差し出した。


「いついかなる時も二人を繋ぎ導くよう女神に願い、その証としてこの指輪を贈る。私が其方を見失った時にそのしるしとなる様に」


 その指輪は、地味な銀のリングだった。アステリウス様から頂いた大きなサファイヤが付いた指輪に比べれば見た目も価格も大きく劣るだろう。そういえばあの指輪は返し損ねてまだ私の部屋の戸棚の奥にしまってあるわね。だけど、庶民の私がこの下町の学校の一室でもらうには相応しい輝きだと思えた。今の私はこちらの方が好きだ。


 私は左手を差し出した。オルセイヤーはその手を取り、薬指にキスをしてその指に指輪を差し込んだ。


 その瞬間、女神の名の元に私とオルセイヤーの婚約は成立した。


 オルセイヤーは立ち上がり、私を潤んだ瞳で見つめていた。私も赤い顔をしているだろうなぁ、と思いながらオルセイヤーを見上げる。


「一生其方を大事にする。約束する」


「心配してはいませんよ」


 オルセイヤーは私を抱き寄せ、私も彼の胸に頬を寄せた。


 その時。


「何をしている!」


 学校の中に怒鳴り声が響いた。ドアが大きく開いてそこになんだかキラキラした人が立っていた。・・・というか、この怒鳴り声に物凄く聞き覚えがある気がする。


 私は驚いてオルセイヤーから離れようとしたが、オルセイヤーはむしろ私を強く抱き寄せた。それを見たのか学校に入って来た男性はより大きな声で叫んだ。


「その手を離せ!オルセイヤー!彼女は私の婚約者だぞ!」


 は?私は慌ててその怒声の主を見ようとしたが、オルセイヤーが固く抱きしめているので動けない。流石に男性の凄い力だ。


「残念だったなアステリウス。たった今、彼女と私の婚約は成立した。彼女は既にお前の婚約者ではない」


 オルセイヤーの声には余裕が滲んでいた。というか、アステリウス様?辛うじて顔を向けると、そこには確かにキラキラした金髪碧眼、白を基調とした王子様装備に身を包んだアステリウス様が眉を怒らせて立っていた。三年近くも経って成長しているが、私がこの人を見間違える筈が無い。


「そんなモノは無効だ!なぜなら私と彼女の婚約は継続中だからだ!」


 え?私の目が点になる。あんなにはっきり婚約解消を宣告されたのに?


「私は彼女から婚約指輪を返されていない!だから私とリュビアンネの婚約は継続中なのだ!」


 確かに私は婚約指輪を返してはいない。だがそれを聞いてもオルセイヤーの余裕は揺るがない。彼は私の左手を取り、そこに輝く銀のリングを見せる。


「そうは言うが、今彼女の指にあるのは私が今送った婚約指輪だ。だからアンは私のものだ」


 アステリウス様は今にも飛び掛かって来そうなくらい怒り狂ったお顔をしながらも、辛うじて自制したらしく、低い声で言った。


「私が婚約したのはリュビアンネだ。リュビアンネの貴族身分はく奪は保留になっている。今後、彼女が貴族に復帰すれば自動的に私とリュビアンネの婚約は復活する事になるだろう。其方が婚約したのは庶民のアンだろう?リュビアンネが貴族復帰すれば庶民のアンはいなくなって自動的に婚約は消滅する」


 ・・・初耳情報が沢山出てきたんですけど?なんですかそれは。


 だがオルセイヤーは鼻で笑って言った。


「それならリュビアンネが貴族復帰する前に私がアンと結婚してアンをフサヤ王国の貴族にすればいいわけだな。リュビアンネの貴族復帰は三年も掛かって実現出来てはいないじゃないか。あと何年掛かるんだ?私は直ぐにもアンと結婚する。間に合わないと思うぞ?」


 オルセイヤーの言葉にアステリウス様は激昂した。


「卑怯者!貴様、それでもフサヤ王国の王太子なのか!」


 ・・・は?なんですって?私は思わずオルセイヤーの顔を見上げた。オルセイヤーは流石に焦ったようだった。


「ば、馬鹿!それは言わない約束だろう!」


「貴様こそ約束を違えたくせに何を言うのか!」


 私はじとーっとオルセイヤーの顔を見つめた。オルセイヤーは冷や汗らしき汗をかいている。


「・・・オルセイヤー?」


「・・・ハイ」


「本当なのですか?」


 オルセイヤーは観念したように頷いた。


「本当だ」


 ・・・私はどうやら、二人の王太子殿下の婚約者になってしまったようである。


 


 

 

 

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