第6話 篁、冥府の王に会う。


 おかっぱ姉弟サーラとメイヤーの後について、たかむらは一本道を歩いた。

 魂となった死者たちが、長蛇の列を作って目指す冥府の王の宮殿は、外観も天井の高い広間も、まるで帝のおわす宮城のようだった。


 広間の奥はきざはし十段分ほど高くなっていて、そこには立派な装飾のある大きな机と椅子があった。

 帝の座る高御座たかみくらとは違い、ひどく事務的な高座だったが、そこには青白い髪を肩に垂らしたほっそりした青年が座っていた。

 机の前には魂の列の先頭らしき男が立っていて、今まさに冥府の王の裁きを受けているようだった。


 サーラとメイヤーが小鬼のような姿をした大王の家来に取次ぎを頼んでいる間、篁たちは階段下に待たされていた。

 待っている間、篁はその長身を生かして、高座の椅子に座る青年をじっくりと観察した。

 冥府の王などというから、恐ろしげな偉丈夫を想像していたのだが、銀糸のような真っ直ぐな髪を肩に垂らした色白の青年は、女と見紛うほど秀麗な顔をしていた。


「あれがエンマ大王なのか?」


 篁は、隣に立つ白髪の青年シロタに小声で尋ねた。


「そうだよ。あのお方がエンマ・ラジャさまだ。美しい方でしょ?」

「ああ……うん。きれいだよ。けど、女みたいだな」


 そう答えた途端、高座のエンマがキッと鋭い視線を篁に投げかけてきた。


「ひっ」


 まるで氷の短刀で胸を貫かれたような凍える傷みを感じたが、よく見ればどこにも短刀など刺さっていない。

 篁はキョロキョロと己の身体を確認してから、再び高座に視線を戻した。

 エンマはまだ篁を見下ろしていた。眉をひそめ、細めた目には冷たい怒りが潜んでいる。


「私の宮殿に、なぜ生者がいる!」


 エンマの声が響き渡ったとたん、広間は騒然となった。

 たくさんの目が篁を見つめ、「生者だ」「生きているニンゲンだ!」「食べたら美味かろうか?」などと口々につぶやきはじめた。

 その声は、鬼とも妖怪ともつかぬようなエンマの家来どもだけでなく、列に並んだ死者たちからも向けられていて、篁は背筋がゾッとした。


「愚かな人間のせいでエンマ様がお怒りだ!」

「裁きも止まってしまったではないか!」


 おかっぱ姉弟が戻って来てグチグチ言い始めたが、そのお陰で、篁の胸に怒りの炎が燃え上がった。


「丁度良いじゃないか! エンマ様が冥府の王だって言うなら、寿命でもないのに魔魅まみに魂を狩られた壱子の件は、死者の裁きより重要なはずだ。当然、さっさと人界に戻してくれるよな?」


 篁は壱子の手を引いて、階を上がった。


「そもそもおまえらが、魔魅を退治しないのがいけないんじゃないのか? 人の生死ということわりを問答無用で断ち切るような妖怪の退治を、シロタ一人に背負わせて放置するとはどういう了見だ!」


 階を登りきった篁は、書類の積まれた机の上にバンッと手をついた。

 エンマ・ラジャは机脇に立つ篁を一瞥いちべつしてから、サーラとメイヤーのほうへ視線を移した。


「魔魅の退治は……魔犬一族に頼んだはずだが?」


「ひっ!」

「それは!」


 おかっぱ姉弟は飛び上がり、黒っぽい魔犬の姿に変化すると、「シロタが勝手に」

「一人で倒したいと言って聞かなかったのです!」と言い訳を始めた。


「そなたらの処分は後だ。下がっておれ!」


 エンマが手を一閃すると、黒い双子魔犬はキャウーンという鳴き声とともに一瞬で消えてしまった。


「さて」

 エンマは篁に向き直った。

「その娘が魔魅の被害者か?」


「そうだ。今すぐ戻してやってくれ」


 篁が壱子を引っ張って前に立たせると、エンマはじっと壱子を見つめてから。書類の束の上に手をかざした。


「確かに、その娘の書類はここにはない。寿命が来ていないことは確かなようだ。よかろう。体に戻るがいい!」


 エンマが再び手を一閃すると、篁の目の前から壱子が消えてしまった。


「ほ、本当に? ちゃんと体に戻ったんだろうな?」

「大丈夫だ。冥府の王を馬鹿にするな。娘は無事、体に戻った」

「そうか」


 ホッとして、篁はニヘッと笑み崩れた。


「どうやら、シロタが世話になったようだな。そなた、名は何という?」


「俺? 俺は小野篁だ。確かに、怪我をしたシロタを拾ったのは俺だけど、そのお陰で冥府まで来られたし、壱子も取り戻せた。全部シロタのお陰だよ。……そういやぁ、壱子みたいな魂は他に来なかったか? 寿命じゃない奴の書類はここには無いんだろ?」


「そうだ。さっきの娘が初めてだが、この列に並んでいないとは断言出来ない。順番が来るまでに器の方が滅びてしまう者も居るかも知れぬな」


 エンマは眉をひそめ、白魚のような手で口元を覆った。


「そういう奴はどうなるんだ?」


六道輪廻りくどうりんねから外れ、人界を彷徨さまようことになる……が、今までそのような魂が裁きの列に並んだことはない」


 エンマの言葉を聞きながら、篁は昨夜のことを思い出していた。


「魔魅は、魂を喰らうわけじゃないのか? やつは壱子の魂を咥えてどこかへ行こうとしてたんだ。俺が斬りつけたから、壱子の魂は解放されたけど……そうだ! 魔魅は朱雀門の上にいた怪しい男と合流したんだ。あれは何だ? 人型の妖怪か? あんたなら知っているだろ?」


 篁は机の上に身を乗り出した。


「怪しい男? それだけじゃ私にもわからぬな。魔魅はたしかに性質たちの悪い妖魔だが、もとは人を魅了して揶揄からかうだけの無害なやからだ。魂を喰らうこともないし、何者かと手を組むような妖怪じゃない」


「本当かなぁ? 俺の見たところ、あんたは仕事の能率が悪そうだ。裁きの列はこんなに伸びてるし、自分の手下の管理も出来てない。これじゃ人界に悪さをする妖怪のことまで手が回らないんじゃないか?」


「私の仕事にケチをつけるのか? ならばそなたがやってみろ!」


 エンマの瞳に怒りが閃く。


「やってやれない事も無いけど、俺は早く戻って壱子の無事を確かめたいんだ。だから、やり方を教えるよ────じゃあ、はいはーい、次の人!」


 篁がパンパンと手を叩くと、小鬼にしょっぴかれて一人の男が机の前に引き出されて来た。


「この者は、生きていた時、悪どい商売で財を成し、親孝行もせず、善いこともせず、死んだらどうなるかを恐れませんでした。この者の処分をお決めください」


 小鬼の口上が終わると、篁はエンマに向き直った。


「あんたは質問がいちいち多い……いや、丁寧過ぎるんだ。俺が考えるに、質問は二つでいい────おまえの一番の武勇伝を教えてくれないか?」


 見るからに悪徳商人風の男に向かって、篁は質問を投げかけた。


「わしの武勇伝はな、盗賊団と手を組んで、貴族から豪農まで、この日ノ本で富を蓄えた者どもから金を奪い取ったことだ!」

「へぇー。そいつは凄い! じゃあ、思い残したことはあるか?」

「屋敷の庭に隠した金を使わずに死んだことだ。あー勿体ない!」


「はい。こういう奴はどこ行き?」

「……餓鬼界、だな」


 エンマは書類の上に【餓鬼界】という朱色の判をポンと押した。 

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