第11話 王女の話
レティシアは可愛かった。
生まれた時からそうだった。
生まれながらのストロベリーブロンドは珍しくも美しかったし、可愛らしさを強調してくれた。
幼い頃から誰よりも美しいとたたえらえた。
各国の者が美しいと褒め称え、誰も彼も魅了した。
多くの国費を使って贅を尽くし、多くの貴族令嬢に自身のような贅沢を推奨した。
他国からの求婚がくれば、適当に貢がせて捨ててやることさえレティシアにはできた。
国王がそれを止めてもお構い無しだった。
カルサンドラの国王から手紙が届いたのは、そんな時だった。大国であるカルサンドラの国王を魅了したのだ。
レティシアは自分が特別に美しいのだと自覚した。
最初は有頂天になった。喜び、父王にも自慢した。しかし父王は頭を抱え、母は涙した。
レティシアはその時はなにもわからなかったが、後日、カルサンドラ王国国王との婚姻について話された時、愕然とした。
「どうして? いままでも断ってきたし、断ればいいじゃない」
レティシアは政治に疎かった。この国の情勢になど興味がなかった。何度勉強しても、興味がない以上頭には入らず、王女でありながら戦争の危機すら気づいていなかった。
カルサンドラの申し出を断ればどうなるのか。わかっていなかった。
隣国のアルバストを巻き込もう。そう言いだしたのはどこかの侯爵だった。
レティシアに心酔している男だ。レティシアのためならなんでもする男だった。今、父王は貴族たちに押されていて、強く出れないと侯爵は言った。
ならば貴族たちが同意すれば、王を黙らせることができると思った。
レティシアに従う者たちを誘惑し、土地をやると根拠のないことをうそぶいて、彼らにアスバストへ連絡を取らせた。
色よい返事がきて、レティシアはほくそ笑んだ。
そしてアスバストにきた日。噂に聞いた王子の美しさに一目で惚れ込んだ。あんな豚のようなカルサンドラの王に嫁ぐなんていや。
私はこの美しい王子と結婚するのよ。それが美しい私に一番似合う幸せだわ。
レティシアは何一つ疑っていなかった。
「グレン殿下。どうかお怒りをお鎮めになって。我が国の貴族が失礼をいたしました。でも、わたくしのために皆心を砕いてくれたのです」
レティシアは自分自身の強みをよく知っている。グレンの腕に自らのしなやかな手をからめ、豊満な胸をグレンの体に押し付ける。下から遠慮がちに見上げ、瞳を潤ませる。
男なら、誰であっても揺らぐであろう姿を惜しげもなく見せる。
レティシアはグレンが自分を愛していると疑わなかった。
なぜなら、誰であってもどんな男も自分の虜になったからだ。婚約者がいようが、妻がいようが関係ない。男は皆自分に夢中になるのだ。
そう信じ、すがりつくレティシアをグレンは冷たく見放した。
「あなたはご自分の立場がわかっておられないようだ」
「え?」
予想と違う反応に、レティシアは呆けた声をだした。
「貴国は我が国を騙そうとなされた。その結果、我が国に危機を招くところであった。それを見逃せと申される」
「わ、わたくしに免じて、ね?」
可愛らしく首を傾けるが、そんなものに今心を揺らがせる者はこの場にはいない。
ここでようやく空気を察知してレティシアは焦った。自分が出れば仕方ないと言ってくれると思った。
だってあの女を、愛していないと言ったではないか。私を選ぶとそう言った。
ならば私をここで守るべきだ。そうすべきだ。
「で、殿下はわたくしを愛していらっしゃるでしょう? 愛する者を助けてくださるでしょう?」
必死な様子に、ルーラの眉がひそめられた。それは少しの同情を帯びていたが、グレンはレティシアに同情することはなかった。
「いいえ。王女殿下」
「え……?」
「これは政略結婚です。愛はそこにはない。いつか、見つけられる日がくるかもしれないと考えておりましたが……。それももうないことです」
その機会は永遠に失われたのだ。
調査するまでもなく、交渉は決裂したのだ。
グレンの言葉にショックを受けたようにレティシアは体をグレンから離した。
うつむき、足元を見つめている姿を、ルーラは後ろから見つめる。わずかな哀れみを感じていた。
しかし次の瞬間、レティシアが鬼の形相で振り返った。
反応することもできずに、レティシアが詰め寄ってくるのを呆然と視界に収めることしかできない。
「!?」
「お前のせいだ!」
レティシアの右腕が振り上げられる。
その手にはゴテゴテとした指輪がはめられていて、それで叩かれれば頬にはひどい傷がつくだろう。
「レティシア王女!」
「ルーラ様!」
複数の人間の叫び声が響いた。
ルーラは目を閉じなかった。
悲痛な表情で、泣きそうになりながら自分を叩こうとする少女の目を見つめていた。
――ああ、私はいま、この人を不幸にしたんだわ……。
覚悟すら持って、その手を受け入れようとしたその時、グレンがレティシアの腕を捕まえた。
「何をしている!」
慌てた様子でグレンが叫ぶ。
大勢が慌てて立ち上がっていた。
「離して! この女が! この女がいけないのよ!」
叫ぶレティシアの高い声はおそらく開け放たれたままの扉から、部屋の外へ響いているだろう。
外にいた衛兵たちが慌てて入ってくる。
しかし相手は他国の王女だ。命令もなく羽交締めにするわけにもいかず、グレンとレティシアを交互にみる。
グレンも衛兵に任せる気はないらしく、必死に暴れるレティシアを後ろから押さえつけた。両手を掴まれ、暴れるに暴れられないレティシアが、ルーラをぎらつく目で睨む。
ルーラはごくりと喉を鳴らした。けれども怯むことはできないし、謝罪する場でも、勝ちを誇る場でもないことは理解している。ルーラは唇を開いた。
「レティシア王女殿下……。わたくしのしたことを、殿下はお許しくださらないでしょう。けれど、この国の民のために存在する貴族の娘として、わたくしはすべきことをしたと思っております。どうか広いお心をもって……」
「黙りなさい! わたくしは王女なのよ! お前はグレン様が欲しくてわたくしの邪魔をしたのね!」
ひどい言い草に、グレンが眉を顰める。
今、ルーラは国のためと言った。それをレティシアは男を奪うためだと蔑むのだ。
しかしルーラは静かに瞼を伏せた。長いまつ毛の間から、憂いを帯びた瞳が揺れているのがグレンには見てとれた。
ルーラは静かに首をふるが、それはとてもぎこちなかった。
図星だったのだ。自分は本心のどこかで、グレンを手にしようとした。自分の幸せのために動いた。
「お前は自分のためにしたことを国のためなんて言うのよ! お前は自分の幸せのために動いただけのくせに、わたくしがわたくしの幸せのために生きるのを邪魔するというの!?」
まさに、その通りだと言わざるを得ない。
ルーラにはレティシアのしたことを批判はできない。ただ、同じ気持ちでしたことが、結果的に国のためになったかどうかの違いしかないのだ。
「レティシア殿下」
グレンが静かに名を呼んだ。
暴れるレティシアを解放し、すぐにルーラの前に身を滑り込ませる。
「グレン様!」
レティシアの悲鳴に、グレンは首を振った。
「1人の人間としての幸福と、王族としての役目。それを天秤にかけ、貴女はご自身の幸福を取られた。けれど、それは貴国の民を不幸にするところだった。それは王族としてあってはならないことだと思う。けれど、1人の人間として間違っていたかと言われれば、私も頷くことはできない」
「グレン様!」
レティシアの表情に喜びが浮かぶ。
貴族たちが混乱する様子を視界の端に捉えていながら、グレンはレティシアから決して目を逸らさなかった。
「けれど、だとしても、やはり国民を蔑ろにしていい理由にはならないのです。それが王族なのだから」
グレンの言葉は重たかった。
ルーラは顔を歪めてグレンの後ろ姿をみることしかできない。それでもグレンが迷いながら言葉を紡いでいるのがわかった。
「王女殿下、どうか、国のためにできることをしてください。そしてその中で己の幸せを手に入れることを諦めないでほしい。彼女のように……」
レティシアの視線がルーラを射抜いた。
ルーラも目を離さない。
レティシアの怒りのこもった瞳が揺れ動き、やがて一粒の雫が落ちた。
「グレン様は……酷なことをおっしゃるわ……」
レティシアは力無くつぶやいた。
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