第9話 会議
貴族会議を行う部屋は、今は来客であるエルマル王国の者たちを迎えるために、一際豪華に美しく整えられていた。
その部屋の窓際で、グレンは無心で城の庭を眺める。
すでに気持ちは会議へと向いているのに、ぼんやりと揺れている心を感じ取ってもいた。
覚悟など決めたところで、グレンの憂いは晴れない。
なんと弱いことかと、グレンは自嘲気味に笑う。
「殿下」
声をかけてきたのはハードヴァード公爵だった。
ルーラの父で、いままでと同様に今回の会議に出席してくれる。
「公爵……よくきてくれた」
「は……」
彼もまた、憂いを帯びた目をしている。
グレンは意図的にそれを思考から追いやって、再び窓の外へと視線をうつす。窓に公爵の顔が歪んで写っている。それはガラスの歪みか、公爵の表情か。
「公爵」
「いかがいたしましたか」
「この会議が最後になると思う」
そう告げれば、窓に写る公爵は一瞬傷ついたような顔をして、それから真剣な表情に変わった。
怪訝に思って首をかしげ、公爵本人に顔を向ける。
「どうした、公爵、何か……」
「殿下、私は国のためならなんでも良いと思えるほど、お人好しではなかったようです」
「それは……」
ルーラについてか。と尋ねる前に、公爵が口を開く。
「どうか殿下、私には今その言葉を言わないでください。そして会議が終わった時には……」
そこまでいって、使節団が部屋に入ってきた。公爵はさっと頭を下げると、使節団と共に椅子に着く。
公爵の不思議な言動はグレンを大いに乱した。
だが、それも使節団が席に着く姿を見ていると落ち着いてくる。
己は王子で、これから国の行く末を決める大事な会議があり、そこでこれまで先延ばしにしていたことを詫びて、会議を進めなくてはいけないのだ。
グレンもまた宰相の隣に腰掛けた。
今回の会議のほとんどは、グレンに一任されているといっても過言ではない。結果を王は聞くだろうが、そこは信頼されているのだろう。「うまくいったら報告を聞く」とだけ言われている。
宰相が静かに口上をのべる。それを皆が真剣な顔で聞いている。
いままでは、グレンはどこか遠くで起きていることのように感じていたが、今はそうではない。
会議は滞りなく行われた。
話題はすぐに前回の続きになる。問題点をどう解消するか、それについて双方の国がだした結論を話し、折り合いをつけることになる。
その前に、とグレンは会議を遮った。
宰相が隣で期待の高まった表情をしているのを気配で感じる。他の貴族も「ようやくか」という顔をしていた。
グレンは静かに深呼吸をする。
これで全てが滞りなくすすむ。
「長らく、時間をもらってしまいすまなかった。レティシア王女との婚約の件だが……」
「お待ちください」
重厚な扉が開くのとほぼ同時に、玲瓏な声が響いた。
部屋にいた全ての者の視線が一気に扉へと向かう。
「どうして……」
グレンは小さく呟く。
扉を開けて入ってきたのは、ルーラだった。
唐突な状況に困惑して、半ば腰を上げてグレンがルーラを見た。
「ルーラ?」
思わずグレンが呼びかける。
しかしすぐにルーラの後ろによく知る人物がいることに気づいた。
――ジョエル?
視線に気づいたように、ジョエルが笑う。
悪戯をしようとしている子供のような表情だった。
「これはこれは公爵令嬢、それに伯爵のご子息まで……今は大事な会議中ですから。すこしお待ちくださいませ」
宰相が立ち上がってルーラを諌める。
そこにはわずかな嘲りがあった。
もちろん宰相自身も貴族であるから、公爵を嘲けるようなことはない。公爵は筆頭貴族であり、優秀な人物でもあるから。ただこの場においては、婚約予定の相手を奪われ嫉妬に狂った女のように見えているのかもしれなかった。
他の貴族にもそのような思考が伝染していっているような気がして、グレンは不快感を覚える。
ルーラは宰相の言葉に首を振って答えた。
「いいえ、宰相様。今この場でお話ししなければならないことがあるのです」
視線も姿勢も揺らがない。
ルーラの佇まいに、宰相が困惑した様子で言葉を重ねる。
「しかし――」
「殿下。どうか我が娘に発言の許可をいただきたく」
とっさに公爵が立ち上がり、頭を下げてそのように言った。
「公爵様まで何をおっしゃる。大事な会議なのですよ!」
声を荒らげるのは宰相だ。
グレンは周囲を見渡した。
困惑したようすの使節団。そして貴族たち。その中で何かを訴えるようにグレンを見る、公爵と伯爵の姿があった。
グレンはこれが公爵、伯爵も知った上での事件であることを察する。ならばそれは一個人の話として軽んじるべきではない。
「宰相」
「はっ」
「良い。さがれ」
言い募ろうとする宰相を手で制し、ルーラに視線をむける。
美しい瞳と視線が交差した。
――ああ、こんな顔を見るのは久しぶりだ。
彼女が何かに立ち向かおうとする顔だ。そこには迷いも悲しみもない。自身がもったはずの覚悟に不安げに揺れる瞳もそこにはない。
眩しいものをみるように、グレンは目を細めた。
「公爵令嬢、発言を許可する。エルマル王国の皆様、しばしお待ちください」
これは会議に関することである。とグレンは静かに言葉を紡いだ。
そうして再びルーラに視線を向ける。
ルーラが静かに、緊張した様子で頷いた。
その後ろで、ジョエルが穏やかに笑うのが視界の端にうつる。
――お前は、彼女の味方なのだな……。
不思議と嫉妬心は湧かなかった。ジョエルの表情が間違いなく親友の顔だったからかもしれない。
ルーラが一歩前に出る。
「わたくしは、ハードヴァード公爵家の長女、ルーラ・ハードヴァードと申します。唐突なわたくしの行動をお許しくださり、殿下、ならびにエルマル王国の使節団の皆様。そして我が国の諸賢の皆様、ありがとうございます」
美しい最上級の礼がなされた。
ほう。と息を呑むのはエルマル王国の者たちだ。
しかし、直後にルーラが紡いだ言葉に、見惚れていたものたちは一斉に顔を青褪めさせた。
「単刀直入に申し上げます。エルマル王国の皆様……此度の交渉を成立させるにあたり、ひとつ我々に黙していることはございませんか」
ルーラの張りのある声が響く。
エルマル側の席がざわめいた。
それを気にした様子もなく、ジョエルがグレンに数枚の紙の束を渡す。
グレンはそれを無言で受け取った。
エルマルの使節団を一瞥し、その紙に視線を戻す。グレンがエルマル王国の使節団に感じていた違和感が形となりつつあると感じていた。
資料に書かれた内容に、グレンは眉を顰める。
「これは……カルサンドラ王国からの親書?」
「はい」
一斉にエルマル側がざわめき立つ。そしてアスバストの貴族たちも。
「この資料は、カルサンドラ王国の国王陛下から、エルマル王国へ親書が送られた日と、その回数が書かれています」
それは、グレンが見てもあまりにも多かった。親しい関係でもこれほどの頻度でやりとりされることはないだろう。エルマルとアスバストですら、今回の交渉にあたっての事前段階連絡で、これだけの回数は行っていない。
紙には、エルマルからの返信があった日付も入っている。
「これは、どのような理由で行われたやりとりだったのでしょうか」
グレンは静かにエルマルの使節団代表であるバッケム侯爵に訪ねた。
バッケム侯爵は口を噤み。ひどく狼狽した様子だった。
グレンは無言でルーラに視線をむける。彼女がこの理由を知らずに来たわけがない。続きを無言で促すグレンに、ルーラは再び頷いて声を張り上げた。
「内容は、カルサンドラ国王からレティシア王女殿下への婚姻の所願です」
ルーラの口から発せられた言葉は、会議室に異常な沈黙をもたらした。
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