第8話 グレンの気持ち


「グレン殿下、このドレスいかがですか?」


 レースをふんだんにつかったドレスをまとったレティシアが、グレンの元へ駆け寄る。

 挨拶もそこそこに行われるドレスを見せびらかす姿に、側にいた宰相が眉をひそめたのがわかった。

 宰相はこのエルマルの王女のことをよく思ってはいないらしい。しかし婚約は積極的に勧めてくる。

 東側との交流をよほど熱望しているのだろう。実際、多くの貴族が願っていることでもある。もちろん民もだ。いろいろな物が入って来れば新しい産業も始まり、国が栄えるのは前例もあって皆知っている。一方で面倒ごとや大きな変化についていけないという問題もあり、反対する声があるのも事実だった。

 グレンはといえば、国のためと考えると、この交渉をうまくいくように進める義務があった。

 父である国王にも強く望まれていることだ。

 とはいえ、グレンは正直な話レティシアをよく思っていなかった。


「グレン様?」

「ええ、お似合いですよ」


 愛想笑いを返せば、うれしそうに頬を染める。

 そうした姿は年相応で可愛らしいとも思うのだが、世間知らずな面も強調しているように感じた。

 彼女が毎日のように見せてくるドレスも、どれも高価な物だろう。しかしエルマル王国はそこまで裕福な国だっただろうか。大きさで言えばアスバストより小さく、東側の実情的に国際的な立ち位置も弱いだろう。それでいてこれだけの贅沢をできるということが、グレンには不思議に思えた。

 思い浮かぶのは、そうした贅沢を貴族の義務といいながら、質素さを好んだ愛する女性のことだ。


 ――ルーラ。


 貴族とは多くの責任を持つがゆえに贅沢が許されるというのが、ルーラの考えであったが、その上で質素なドレスを纏とい、民の生活に少しでも家の富を還元したいと望むような女性だ。贅沢を極めるレティシアとは正反対にいるようにも見える。

 装いを見せびらかすようなことも、もちろんしない。

 しかし、先日のドレスは美しかったとグレンは思った。

 金色の髪に青いドレスが映えて、目をひいた。派手なレティシアよりも目立っているような気がしたのは、彼女への想いゆえだろうか。

 グレンは、ルーラを愛していた。

 けれど、だからといって、その恋を強引に叶えていいかといえば、そういう立場ではないのは重々承知の上だ。

 王子だからこそ、結婚は政略の上になければならない。

 ルーラもそれを痛いほど理解しているだろう。舞踏会で踊ったルーラの寂しげな表情が忘れられない。

 

「レティシア王女」

「なぁに? 殿下」


 甘えた声を出してレティシアがグレンの腕にしだれかかる。それを優しく解いた上で、グレンはレティシアを見つめた。

 視線がひどく冷たいであろうが、レティシアにはわからなかったようで、うれしそうな顔をする。

 しかし、グレンの一言にレティシアの機嫌は急激に落下した。


「先日の舞踏会で、ハードヴァード公爵令嬢となにやら口論になったとか……。彼女はこの国の公爵の娘です。もちろん王女殿下の方が身分は上ですが、彼女をないがしろにすることは他の貴族たちとの亀裂を生じさせる原因にもなりかねません」


 本心で言えば、ルーラにちょっかいをかけるな、という意味だ。

 真剣な表情で話すグレンとは対照的に、レティシアはつまらなそうに顔をそらした。


「あちらが文句を言ってきたのです」

「王女殿下から話しかけたと伺っておりますが」

「わたくしの言葉が信じられないのですか?」


 まったく信じられないが、それを正直には言えない。グレンは口を噤む。


「わたくしを疑っていらっしゃるの!?」


 レティシアがヒステリックに叫んだ。


「いいえ」


 とっさに否定する。そうすればすぐに機嫌が治った。しかしすぐにまた顔色を変える。


「グレン殿下はあの女を好きなの?」


 一瞬、誰を指しているのかわからなかった。当然といえば当然だ。ルーラを”あの女”よばわりできる者など、この国にはいない。聞きなれなさすぎて反応ができなかった。


「あの女、グレン殿下の婚約者だって噂ですわよね。殿下の婚約者はわたくしなのに。それが不愉快なの。だからそう言ってやっただけです。それを口論だなんて、そう報告した人を処罰していただきたいですわ」


 グレンは内心頭にきていた。あの女呼ばわりと言い、婚約者が誰か、ということをルーラに声高に言ったのだろう事実もひどく苛立つ。

 それを受けたルーラの気持ちを考えればなおさらだ。


「あの女とはなんともない。そうですわよね。殿下」


 にこりと微笑むレティシアは美しいが、心根は美しくない。そう思いながら、グレンは首を横に振りたくなる気持ちを抑えて、首肯した。

 


 機嫌がよくなったレティシアが去っていくのを見送って、グレンは思わずためをついた。これから先もずっとレティシアが隣にいるのかと思うと気が滅入ってしまう。


「殿下……」


 咎めるような声音を受けて、グレンは宰相を見遣った。

 レティシアとグレンが話している間、一歩下がって様子をみていたようだ。

 表情ではレティシアへの嫌悪を一瞬でも見せていたというのに、グレンのあからさまなため息は咎める気らしい。グレンの方こそ、宰相を咎めるように視線をやった。


「レティシア王女殿下は未来の王妃となられるお方……王女殿下と親しくしておくことは、今後の生活を考えると必要なことですぞ」


 まさしくグレンが気を揉んでいた事を告げられて、グレンは無言で眉を寄せる。

 共にある時間が増えほど、こういった疲れは溜まるというから、今のうちに慣れておいたほうがいいのはわかっている。そのためにも一緒にいる時間はある程度確保したほうがいいのだろう。

 しかし、だからあの癇癪持ちを愛せと言われても、そうすぐには愛せない。

 頭の中には常に、別の人の姿がある。

 それは、レティシアにも、ルーラにも失礼にあたる。それはわかっていたが、気持ちはそうそう変えられないものだ。


 グレンがルーラの姿を思い浮かべようとすれば、舞踏会で踊った時の悲しそうな表情ばかり思い浮かぶ。

 それもグレンを憂鬱にする。

 不意に、宰相が「そういえば」と明るく声をあげた。


「どうした」

「実は先日の舞踏会の日、使節団との会議の後で、ハードヴァード公爵令嬢とニーデルベア伯爵の御子息とのご婚約はどうかという話になりまして。お二人ともお年も近いですし……」


 グレンは思わず立ち尽くした。

 手にグラスでも持っていたら、間違いなく落としていただろう。

 それほどの衝撃だった。


「殿下?」

「ニーデルベア伯爵の……ジョエルか……」

「ええ、そうですそうです」

「それは……」


 その続きは言葉にならなかった。

 親友と愛する人が婚約……。

 しかしおかしな話ではない。2人は婚約者がいないのだ。

 ジョエルは次男ということや、伯爵が恋愛結婚をしたこともあって、自由に青春を桜花しているが、ルーラに関してはグレンとの婚約が破談になる時点で、次の婚約者を探すのは急務になってくる。

 地位も、年齢も、そしてきっと相性も悪くない。

 悪くないのに……。


 グレンはここにきて、ようやく自分が他者と結婚するということが、ルーラにどれだけの衝撃を与えているのかを悟った。

 

 ――彼女が誰かのものになる……。


 それがグレンには何よりも苦しいことに感じられた。それはルーラとて同じだったはずなのだ。彼女がどれだけ苦しんでいるか……。想像するのも烏滸がましいことだった。


 グレンはレティシアとの婚約に頷けずにいた。

 エルマル側の使節団の態度に疑問があったからだ。何かを隠している。そんな気配がしてならない。それでグレンは時間を先延ばしにしていた。

 何か調査結果がでるやもしれない。そう思って秘密裏に調査をさせているが、使節団できている貴族たち文官たちにやましいことがある。という話はよくある派閥の話程で、目ぼしい話題はあまり入ってこない。

 怪しいから先延ばしにした。

 そうずっと思っていた。

 けれど。


 ――国のためと言いながら、彼女を俺のものにしたくて抗っているみたいだ。


 なんと愚かな……。グレンは自分が矮小な存在であることを自覚せざるを得なかった。

 グレンにはルーラを縛る権利はない。人の人生を縛る権利など誰にもないはずだ。

 かつてかわした約束を思い出す。

 自分から反故にするなど、考えたこともなかった。

 でもきっと、ルーラはこの約束が必ず果たされるものだとは思っていなかったかもしれない。彼女は聡い人だから、可能性は考えていたかも知れなくて。そしてきっと強い人だから、覚悟を決めたら迷わないだろう。

 グレンのようにウジウジと悩まない。きっと。


「宰相」

「は」

「次の会議で終わりにしよう」


 宰相の顔に喜色が浮かぶ。

 これで会議は進むのだ。皆が望んでいたことだ。

 そして自分も。

 

 覚悟は決まった。

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