第3話 公爵と娘と国の事情
夜もふけて、人々の熱が冷めてきた頃、舞踏会は終了となった。
最後の最後まで残っていたルーラだったが、目当ての人物がこないことに焦れて帰り支度を始める。
足早に馬車へ向かうその途中で、後ろから声をかける者がいた。
「ルーラ、まだ残っていたか……一緒に帰ろう」
ルーラの父である公爵が、気難しい顔をして立っていた。
「お父様。よかった、今日の会議は終わりましたのね」
エルマル王国とアスバスト王国の対談が終わって、グレンは舞踏会に姿を表したが、会議に出席している父、公爵は姿を見せなかった。内々の会議があったのだろうと考えて、共に帰れるかと悩んでいたルーラは、ほっとして笑顔を見せる。
一方の公爵は、外灯に照らされた実の娘に一瞬見とれていた。儚く美しく笑う姿はいつもと変わらない。しかし無理をしていることは知っている。だから余計にいつも通りに振る舞う娘を哀れに思った。そして同時に思うのだ。「どうしたらこの子を幸せにしてあげられるだろうか」と。
公爵は雑念を振り払うように息をつき、流れるようにルーラをエスコートした。
エスコートを受けたルーラは小さく笑う。
娘相手でもこういうことをする男なので、結婚してそれなりの歳になった今でもダンスの誘いが頻繁に来る。ルーラ同様に滑らかな金髪をしているので、それもあって舞踏会に出席したならば、随分目立っていただろうと予想できた。
馬車に乗り扉が閉まる。するとひんやりとした夜の空気から少しだけ解放された。
二人が向かい合って座ると、ゆっくりと馬車は動き始めた。
沈黙が二人を包む。
ルーラは目の前で難しい顔をして黙る父親をじっと見つめていた。おそらく、何かをルーラに話そうとしている気配がある。しかし一向に言葉は出てこない。言いづらいことなのだろうと、ルーラは覚悟を決めていた。
「ルーラ」
「はい」
重々しく開かれた口。ようやく言葉が紡がれることにホッとするルーラだが、その意表をつくような言葉が公爵から放たれた。
「お前、ニーデルベア伯爵の御子息とは会ったことがあったか?」
ルーラは瞬きを繰り返した。
突然の話題である。
「ニーデルベア伯爵の御子息というと、長男のカルセル様ですか? それともジョエル様でしょうか」
「ジョエル殿だ」
「でしたらお会いしたことはございます。以前……グレン殿下からご紹介いただきました。友人だとおっしゃっていましたわ。気さくで快活な方と記憶しておりますが」
「そうか」
そう言ったまま、また押し黙る。
ニーデルベア伯爵は数ある伯爵位を持つ貴族の中でもとくに有力な貴族で、その膨大な資産が国を支えている。公爵家より下位ではあるが、決して立場的には下とは言えない相手だ。
もし、ニーデルベア伯爵と何か問題が起きているならば、早期に解決しなくてはならないことだが、そういうことなのだろうか。伯爵も今回の会議に出ていたはずだ。そこで何か話したのだろうか。
「ルーラ」
「はい」
「……ジョエル殿と婚約するつもりはないか」
「え……」
思わぬ話に、ルーラは言葉を失った。
グレンの友人であるジョエルと婚約。考えたこともなかったことだ。今までグレンと婚約すると疑っていなかったのだから当然だが。
「どうだ?」
「どう……と言われましても、その、突然で……。好ましい印象はございますがお話したことは二度ほどしかないのです。それに……」
それに、まだルーラはグレンの婚約者候補から外れたわけではない。
この話は時期尚早ではないか。
――いいえ、そんなことはないわ。だって、今日も対談が進まなかったのかなんてわからないもの。
「お父様……もしや対談に進展が?」
「……ああ、そうだ。話がようやく収束に向かい始めている」
それは、つまり、交友が結ばれるのはもう確定したということでもある。そうなれば、婚約の話は当然白紙。
わかっていたことだ。しかしつい先程ダンスを踊ったばかりなのに、もしやあれが最後になるのだろうか。最後になる覚悟をしていたはずなのに、ルーラは心に起きる動揺を隠せなかった。
「もし、対談がうまくいけば、殿下はレティシア王女殿下とご婚約されるだろう。というよりその婚約が行われることが、あちらの目的と言ってもいい」
エルマル王国を含む東諸国は数年前まで大規模な戦争をしており、今でも小さなイザコザがあるという。また大きな戦争を今後引き起こさないためにも、彼らには後ろ盾が必要だった。そのために彼らは西との繋がりを求めている。エルマル王国は山脈越しとはいえ西と接している数少ない国である。他国より一歩抜きん出て交流を行いにきたその動きは評価されるべきものだろう。
一方西の国々はアスバストも含めて友好関係が築かれている。そしてアスバストもまた山脈越しに唯一東と接している国だった。西諸国だけで物資を回すには限界があり、アスバストに東諸国と繋がることを西の国々は期待している。
エルマルは他国を出し抜く一歩として、アスバストは西諸国全土の今後を担う代表として、共にここで繋がりを持たなければならない。
とはいえ、通商さえ結ばれればよいアスバストと違い、エルマルは後ろ盾となるほどの深い繋がりを西の国と持たなければならない。
そのための王族同士の婚約だ。
「エルマル王国の目的が婚約……。たしかに後ろ盾を得るのに、婚姻は大きな意味を持ちますから……。もしや……揉めていたのはそこなのですか? 我が国が婚約について消極的なのですか? それで会議が長引いて?」
「うむ。もちろん、通商を行うにあたっての課税問題や、交流の中心になる街をどこにするかという話も決着はついていなかった。ただ、殿下が……」
殿下が、返答に時間がほしいと申された。公爵は重い口ぶりでそう言った。
「それは……」
「話あうことは山のようにあるので、そこは良かったのだが、しかしもし婚約が進められれば、その後の細かい取り決めに関しては後回しでも良いのではという意見もでておった」
そうだろう、とルーラは思った。彼らの目的はひとえにレティシアの婚約、そして結婚に他ならない。そして彼らがそれを成せば、ある程度こちらの要望も聞いてくれるのではないかと思えた。
――どうして殿下はそれを先延ばしに? まさか……。いえ、私のためなんて、そんなこと烏滸がましいことだわ。
「ですが、話は収束していると先ほど……」
「ああ。諸侯は殿下へ決断を求めていた。殿下はそれを受けて、先程……」
「そう、ですか……」
グレンは婚約を承諾したのだ。当然だ。自分のわがままで国益を損なうようなことを、グレンがするはずがない。国のことを一番に考えている、王になるべくして生まれた人なのだから。
「それでわたくしとジョエル様との婚約の話が?」
「そうだ。今回のことがなければ、殿下が学園を卒業する数ヶ月後にはお前との婚約が進められる予定だっただろう。それが白紙になる。しかし本来ならもっと早く婚約していてもおかしくない歳だ」
王子が学園を卒業してから婚約者を決める。
国王陛下が決められたことだ。こんな事態になることを想定していたのだとしたら、恐ろしいほど先見の明があると言えるだろう。
王のその宣言を受けて、数年前までは多くの淑女が王子との婚約のために他者との婚約を避けていた。
ルーラが候補筆頭と呼ばれるのは、そうした事態で婚約の機を逃す令嬢たちが増えないようにという対策でもあったのだ。それを知るものがどれほどいるかはわからないが、事実ルーラがいるのなら、と別の貴族との婚約を進めた令嬢は少なくない。
しかしグレンが別の女性と婚約することになれば、その機をのがすのはルーラも同じこと。
「それで、早く別の方との婚約を進めるべき。ということですわね」
「……すまない。しかしあまり時間が過ぎるのは」
「わかっておりますわ。行き遅れなどと言われないようにしなければ。それこそ公爵家の名に傷がつきます。わたくしもそれを望んでいるわけではありませんもの」
ルーラは穏やかに微笑んだ。
それしか、今のルーラにできることはなかった。それから静かにまぶたを伏せる。
「すこしだけ、考えさせてください」
そんなことは許されないとわかっていながら、ルーラは静かに父にお願いした。
公爵もまた、だまって頷いた。
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