第4話 旅の楽師いわく


 

 金色の豊かな髪を一つに結び、質素なドレスで街にでる。そんな簡単な変装をして、ルーラとマリーは街を歩いていた。

 まだ朝早いが、街はすでに活気に満ちている。朝の市場では新鮮な果物や野菜が並び、人々は朝食をそこで買うのだ。

 ただしそこに貴族はあまりいない。仕事に向かう者たちは見つけても、市場に来るような貴族は少ないのだ。ルーラ自身こうして気分転換をしにこなければ、こんなに朝早く街を歩くことすらない。そもそも普段から買い物には出ない。店側が屋敷にやってくる事の方が多い。だからなのか、ルーラは街には馴染まない存在だった。こうして軽くでも変装しなければ目立って仕方ない。

 それでもわかる者にはわかってしまうし、何度か街に出ていれば顔も覚えられる。

 

「あれ、ハードヴァード家のお嬢様? 久しぶりですねぇ」


 声をかけてきたのは果物屋の女店主だった。


「ケイトさん、おはようございます」

「ええ、おはようございます。今日はおいしい桃が入ってますよ」

「本当に? それなら少しいただこうかしら」


「ああ、ルーラお嬢様ではないですか。おはようございます」

「パン屋のおじさん。おはようございます」


「ルーラお嬢様、お久しぶりですね。いい茶葉が入ったのでよかったら」

「ありがとう。ミゲルさん」


 一度誰かから声が掛かれば、あとは波のようにルーラの存在はひろがって街の人々が声をかけてきた。

 ルーラは公爵家の人間で、王族の次に偉いといっても過言ではなく、国民にとっては王族に並ぶ遠い存在だ。だからこそ、そのルーラが気安く街にでてくると、彼女と言葉を交わしたがる民は多い。

 なにより、ルーラが時期王妃候補であることは国民の誰もが知っていたことで、それもあって市井にお忍びてくる王女のように皆扱うのだ。


 こうなってくると護衛は大変だとマリーは思うのだが、このように民に愛されるルーラが愛おしくて仕方ないので、どうにも顔は緩む。

 しかしすぐに、今回のエルマルとの件がなければと思ってしまった。

 民の中にもそのような想いがあるのだろう。何人かの人々が、ルーラに近寄っては、エルマルの王女について遠慮がちに尋ねていた。


「王女様はどんな方なのでしょう」

「そうね……感情豊かで、とても明るい方よ。それにとても可愛らしくて、ダンスもお上手だったわ」


 それは随分とよく言ったものだと、きっとレティシアを知る者がいたらそう言うだろう。

 しかしここにはもちろんレティシアを知る者はいない。こう言われると、結構いい人なんだね。なんて答えが返ってくるのだった。


「とはいっても、私もまだそんなにお話したことがないの。だから仲良くできたら嬉しいと思っているのだけど」


 これはルーラとしては本心でもある。仲良くしたくないわけではない。そう、もしレティシアがルーラにとって素晴らしい人であったなら、もう少し潔く身を引ける気がした。


「でもお嬢さん。こないだ衛兵さんが言っていたんだけど、王女様がご自分の侍女さんを、その……叩いたとかって。他にも何人も侍女さんをクビにしているって話だったよ」

「ああ、それは……えっと、何か行き違いがあったのかもしれないわ。エルマル王国と我が国とでは何かと違うこともあるでしょうし……王女殿下も気苦労があるのかも」

「はぁ、それならいいんですけど」


 ルーラは冷や汗をかきながらなんとか誤魔化した。その手の話は事実だ。

 レティシア王女はこの国にきてから、何かと気に入らないことが多いらしく、つけられた使用人をことごとく追い返している。グレンがなんとか諌めたという話も聞いたことがあるし、エルマルの使節団にいる貴族の誰かが、自国に報告しエルマルの国王から直々に嗜められた。という話もある。

 まさかこのように街に広がっているとは思わなかったが、事実なのでなんと答えたらよいかわからないのだ。それでも悪い印象がつかないように努力するのは、国民がこの結婚に反発することで、全てが失敗することを恐れてのことだ。


 ――さすがにそうなれば、お父様も苦労なさるし。陛下も望まれないわ。


「問題がある王女様は嫌だねぇって、街で話してたんですよ。だってほら、お嬢様が王妃になられるとばかり……」


 困ったように話す民に、ルーラも顔色を悪くするしかない。

 思った以上に悪い噂は進行している。

 ルーラは意識的に笑顔を作った。


「大丈夫ですよ。王女殿下もきっとこの国をお好きになってくださいます。そうすれば素晴らしい王妃様として、皆さんを支えてくださると私は信じております」


 ルーラにはこれが精一杯の慰めだった。

 人々は少しだけ納得したように頷いて仕事に戻っていく。いつのまにか小さな人だかりができていたことに気づいて、ルーラはふぅと息を吐き出した。


「おやぁ、そこにいるのは金髪のお嬢さんではないですか?」


 低く、透き通るような声がきこえて、ルーラはハッとして声の主をさがした。


「こっちです、こっち」

「あ……楽師さん!」


 そこにいたのは若い男性だった。青い色の髪は特殊な素材で染めているらしく、瞳はこちらも見たことがない黄金の虹彩を放っている。

 背中になにか大きなものを背負っているが、それが何かの楽器であることをルーラは知っている。遠い国の楽器だそうで、不思議な音色を奏でるものだ。楽師自身もとても美しい声を持っていて、あちこちの国で見聞きしたことを歌にしている。

 楽師の名はしらない。お互い名乗ったこともないからだ。しかし楽師のほうは、ルーラことを知っているのではないかとルーラは思っていた。

 楽師と会うのは、本当に久しぶりだ。


「一年ぶり? それ以上かな? 元気していたかい?」

「ええ、楽師さんも、いつからアスベルトに?」


 楽師は国々を転々としている。会えるのは奇跡にも近いような気がするが、彼がアスベルトに来た際には結構な頻度で会えていた。楽師はルーラにそれらの出会いを運命だなんて歌ってきかせたりもしていた。


「おとといかな。いや、いつ来ても活気のあるいい街だね」

「ふふ。ありがとう。そう言ってもらえるとなんだかうれしいわ」

「そうかい?」


 不思議な声音で、ルーラもついついうっとりとしてしまう。

 一方の楽師は何やら深刻な顔をしてみせた。珍しい表情に、ルーラはすぐに表情を引き締める。めずらしいと言ってもたまに見かける表情だ。そしてそういう時はきまって良くない国外の噂や情勢を教えてくれる。


「どうかしました?」

「うーん。この国に来てさ、聞いたんだけど、今エルマルの王女様がこの国にきてるんだって?」

「ええ」


 さすが、耳が早い。そしてやはりその話か、とルーラは思った。


「結婚するのかい?」


 一瞬、何を指しているのかわからずに沈黙してしまう。しかしすぐに、王女とグレンのことだと気づいて、ルーラは顔を上げた。


「えっと、まだ確定ではないわ。今使節団が来ていて、うまく話がまとまれば、そういうことになると思うの」


 ルーラの言葉に後ろにいたマリーが顔を顰める。

 マリーは楽師がルーラの正体を全く知らないと思っていた。だからこのようなことを聞かれるのが非常に不愉快に感じられたのだ。

 しかしルーラはといえば、楽師は恋の物語を歌にしやすいと昔いっていたから、それに使うのだろうと考えているので、快活に答える。

 楽師はルーラの言葉をきくと意味深に「ふぅん」と相槌を打った。


「どうか、したの?」


 思わず尋ねる。すると楽師は、身をかがめてルーラに耳を貸すように仕草で訴えてきた。ルーラはそっと耳を傾ける。


「実はひと月くらい前、カルサンドラ王国に行ったんだ」

「カルサンドラ? 東の大国ね。あまりいい噂は聞かないわ」


 カルサンドラは東側諸国の中でもっとも巨大な国だ。もしかしたら、西側のどの国よりも国力があるかもしれない。東諸国が大戦をしていた時は不戦を貫きながらも各国に武器を売るというなんとも不穏な動きをしていた国である。そして大戦はカルサンドラの出兵により混乱した。

 結局カルサンドラが一人勝ちする前に、終戦することで、各国はカルサンドラに統治されるという最悪の状況を免れたそうだ。

 終戦後、東のどの国もこのカルサンドラを強く警戒しており、国同士が同盟を組めば、カルサンドラに落とされると考えて、同盟を組めないでいるという。

 エルマルが西の代表であるアスベルトと対話をおこなった背景には、カルサンドラに万が一でも攻撃されないための後ろ盾を西に求めたということもあった。


「国は落ち着いているよ。さすが大国なだけあって、治安もいい。ただ、ある噂をきいた」

「噂?」

「エルマルの王女レティシアが東諸国でなんて呼ばれてるか知ってる?」


 突然の質問にルーラは首を傾げる。


「ええと、たしか、東の秘宝? だったかしら」


 ルーラも美しいが、レティシアはそれは可愛らしい少女だ。

 東ではその美しさは国外にもとどいているという。それでそのような名称がつけられたと、以前ルーラは聞いたことがあった。


「そう。東の秘宝。それでね。東の国では彼女を妃にしたいって王族がたくさんいる」

「そうなの?」


 それは初耳だ。しかしない話ではない。しかしエルマルとしては他の国と同盟を結んだところで、カルサンドラから目をつけられるだけ。それなら西との国交のために、言い方は悪いがレティシアを使おうとしたのはわかる。

 楽師がルーラの思考を読んだかのように頷いた。


「たしかに、エルマルは東のどの国と同盟を結んでもカルサンドラには勝てないだろう。だが、カルサンドラと同盟を組んだら、どうなる?」

「それはないでしょう? カルサンドラの国王は東諸国を自国の統治下におきたいと考えていると聞いたわ」

「そう。だからどの国も、カルサンドラから同盟を持ちかけられたとしたら断れない。たとえそれが一方的な支配だとわかっていても」


 そこでルーラはハッとした。

 関係のないように思われるレティシアの話。そしてカルサンドラが求めている支配という目的。そんな状況下で行われるこの東西の対話において、レティシア王女の結婚という条件がある理由。


「まさか……」

「どうやら、カルサンドラの国王がレティシア王女に求婚しているらしい」

 

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