第8話 ヴィンツェン司祭の告白
白い、かつては白かったのだろう教会の壁。ひびもそこら中に見られる。とはいえ、『中世らしい』建物としてはこの荘園では一番かもしれない。領主テオバルトの屋敷も城というよりは砦というべきものであり、それも山賊が住んでいるような風情があった。こちらの建物は曲がりなりにも石造りで、月夜の明かりに照らされるさまはなかなかである。この世界に来て、田舎ばかり見ていたのでそう感じるのかもしれないが。建物の高さも、荘園一高い。屋根がまるで天に突き刺すかのようなとんがった形をしていた。
大きな扉がゆっくりと開けられ、下男が中にわれわれをうながした。そして、扉は閉ざされる。
暗い空間。ひんやりとした空気だけがあたりを覆っているようだった。
「ようこそ。わが教会に」
聞き覚えのある声。そう、それはヴィンツェン司祭のものである。突然の声にフィリーネがたじろぐ。
「闇は悪魔の属性なれば、いま明かりをつけましょうぞ!」
その声と同時に、ぽっ、ぽっと小さな光がついていく。蝋燭の明かりであろうか。暗い部屋がその明かりによってゆっくりと侵食されていくように思われた。
広い空間。この教会のメインの部屋、つまり礼拝の間であろう。
明かりがだんだんとこの部屋を照らしあげていく。
壁には色とりどりの装飾。何本もの柱が、広間に並んでいる。そして前面の中央にそびえ立つ十字架。この世界の宗教のシンボルであろう。そこにはテーブルが連なり、その上に何本もの燭台が並んでいた。
その燭台が照らし出す、一人の人物。言うに及ばずそれはヴィンツェン司祭の姿であった。
「何用かな。司祭どの」
私はなるべく平静を装ってそう挨拶をする。
それに対してヴィンツェン司祭は、うなずきながら辺りを手で示す。
「レオールどの、いかがかな。わが教会は」
辺りを見回す私とフィリーネ。フィリーネがまっさきに答える。
「いつも来ていますが、立派な建物です。しかも今日は格別。こんな蝋燭がいっぱい灯っているのを見るのは、復活祭でもありませんでした」
嫌味、ではなさそうだ。フィリーネの基準から言えば、『立派』なのだろう。蝋燭についても、聞いたことがある。江戸時代に日本では蝋燭はかなり高価なもので、おいそれと一般の家では使えるものではなかったらしいと。たしかに、夜にガンガンライトを付けるのは『夜の街』みたいな豪華さを感じさせるものだ。
「レオールどのはそう感じてはおらんようですぞ」
私の心の中を読むように、ヴィンツェン司祭はそう言い放つ。
「......田舎の荘園。領主は爵位も持たぬ在地准貴族。定住の商人も居なければ、小麦がたくさんとれるわけでもない。そんな荘園にある教会がどれほどのものか」
燃え尽きた蝋燭を手にヴィンツェン司祭は語り始める。
「この蝋燭も教会が保有していたすべてのものを灯しました。その程度なのですよ。この教会の財産など」
床に燃えカスをヴィンツェン司祭は叩きつける。
「私がここに赴任してきたのは三年前のことです。その後全く音沙汰なく、私は二七歳を迎えました」
意外に若いのだな、と私は心のなかでつぶやいた。私とさほど違わない。
「いつ死ぬか、そればかりが毎日の心配事です。この地で朽ち果て骸骨となり、魂がさまようさまを――」
「いやいや、二〇代ならまだ......」
そういいかけて、私は言葉を止める。
この世界は多分、寿命が短いに違いない。日本では六〇、七〇歳は平均であった。一歩前の『異世界』でも回復治療の術式により、底まではいかなくても、そこそこに長生きは可能な世界である。
『メメント・モリ』。つまりは『死を想え』だ。テーブルの上には髑髏が並んでいた。祝福を与える教会にしては、悪趣味と思ったがこの世界では違うらしい。死を身近に感じ、それを意識することがこの世界の大事な価値観であるようだった。
それはつまり――中世。
私が経験した『異世界』とは異なる、停滞とまどろみの世界なのだろうか――
「私はもともと、帝国都市の大学で神学を修めたのですよ」
『大学』という言葉にフィリーネが驚く。
大学......かぁ。私も日本にいたとき通っていたこともあった。大卒、だから何?という感じではあったが。
「大学ではスコラ哲学をおさめ、いくつもの論文も書いた。本来はどこかの司教座で、それなりの地位を占めるはずだった――それがそれが――」
エリートの成れの果て、というやつか。と私は理解する。意外に前の異世界は『実力主義』の世界であった。頭脳も体力も、飛び抜けたものはちゃんとした見返りをもらえるという。しかし日本にせよ、この世界にせよ術式のない世界では個人の能力をはっきりと示すことは難しいのかもしれない。人間関係やたまたまの環境でそれは左右されやすいのだろうから。
「そこに、リオールどの。貴方が現れた」
私を指差すヴィンツェン司祭。
おもわず『私?』と答えてしまう。
それが新たなる旅のスタートになるとは、何も知らずに――
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