第7話 フィリーネの畑

 異世界、三日目の夜が明けた。

 ようやくわかったことがある。ベッドが狭いのは、ベッドの上に腰掛けて寝るからだということを。いつ敵に襲われても良いように、そのような形になったらしい。危険を感じるときには剣を抱いて寝る戦士もいるらしい。

 そういったことを、フィリーネから教えてもらう。

 農民、とはいえ父が兵士なだけに無知ではない。いろいろなことを知っている。

 好奇心が強い子なのだろう。私がプレゼントした眼鏡をかけて、辺りを興味深そうに見回していた。

「明日は畑に行きますね」

 大事な仕事である。私もタダメシを食らうのは本意ではないので、手伝いを申し出る。

「貴族様にそのようなお仕事をさせるのは......」

 最初は固くなに遠慮していたフィリーネだったが、『土地は国の基、農業は国の礎』などと説明していたら、ぷっと笑い了承してくれた。一般的な格言だと思うのだが――

 夜明けとともに、起床する。

 荘園の小道を行く。こんなに早いにもう、農作業を始めているものたちがいた。一人の老人は私に気づくと、驚いた表情を浮かべつつも深々と礼をした。

 フィリーネの畑に到着する。

 悪くない。土がいくつも盛り上がり丁寧に耕作した様子が見られた。

 私はひとつまみ、土をつかむ。柔らかく、黒い土。栄養は問題なさそうだが――

「このあたりの土は『黒き魔女の呪い』と呼ばれていて、収穫量が少ないんですよ」

 そう言いながら、鍬で土を耕すフィリーネ。

 なんとなく原因が察せられた。

「ここで毎年同じ麦を栽培しているのか?」

 首を横に振るフィリーネ。

「毎年同じ場所で同じ作物を植えるとそれこそ『呪い』で収穫量は激減します。だから一年目は大麦、二年目は畑を休ませて三年目に小麦を植えています。小さな畑ですが、三等分してそれぞれずれるようにして毎年、大麦と小麦が収穫できるように」

 いわゆる『三圃制』だな。中世の農法で地力を損なわないようにするための工夫である。

 この世界には近代的な『科学』も人知を超えた『術式』つまり『魔法』も存在しないが、それでも経験と観察からこのような農業方法を編み出すに至ったのは感心に値する。

 しかし私は違う。

『科学』的な常識も、究極の『術式』も身につけている偉大なる人物である。

 この土地に決定的に足りないもの――それは『窒素』である。

 現代科学において、これを人工的に合成したことが人口爆発を支える農業生産を可能とした。

 ならばそれを『術式』でやってみようではないか。

「フィリーネ。少し後ろに下がれ」

 私は詠唱をしながら、そう命じる。

 『炎』の術式。土の中の水分が蒸発しグツグツと地面が沸き立つ。

 大剣を抜き天を突き刺す。

 一天にわかにかき曇り、空を黒雲が覆い尽くす。

 頭を抱えて小さく震えるフィリーネ。私はそれを合図に大剣をゆっくりと振り下ろす。

 爆音。いくつもの雷の筋が地面へと叩き込まれたのだ。

(......電気分解......地中の『水素』は空中へと放出され、これを空中の『窒素』と反応させる)

 またもや詠唱。目の前にゆっくりと火球が生じる。水素を吹き出す地面めがけて大きな火球が叩きつけられた。

(これを硝酸化すれば出来上がる......硝酸アンモニウム。つまりは化学肥料が!)

 眼の前で起きていることに信じられない表情を浮かべるフィリーネ。

 私は手をフィリーネに差し出し、ゆっくりと立たせる。

「次の収穫には二倍以上の大麦が取れるだろう。そうすればパンをもっといっぱい食べれるようになるな」

 キョトンとしていたフィリーネは何かを悟ったのか、大きくうなずき答える。

「はい!レオールさまにいっぱい食べていただきます!」と。


 その夜、フィリーネの家に使いが現れる。教会で働いている下男であった。何でもあの司祭ヴィンツェンが私に話があるらしい。

 不安そうな顔をするフィリーネ。

『あの司祭さまは時折、怖い顔をされます。異端ということで追放された領民もいるくらいです』

 まあ、この世界の常識から言えば私のような存在はまさに『異端』であろう。ジャンヌ・ダルクの映画で見たことがある。『異端』として認定されたものは十字架につけられ火あぶりで処刑されるのだ。

 しかし、不思議は残る。

 それだったら、堂々と宣告すればよいのになぜこのように人目をはばかって私に会おうとするのか。

 そこに何かこの状況の解決の糸口があるように思えた。

 外出の準備を私は始める。

 フィリーネも一緒に行くと言ってきかない。まあ、一人でおいておくよりは安心だろう。教会もそれほど遠くにあるわけではないし。

 私たちは連れ立って家を出る。

 それがこの家で過ごす最後の夜になったとは、全く予想もつかないことであったのだが――

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