村雨
きょうじゅ
本文
驟雨であった。篠突くほどの激しい雨が、しかし小半時も続かずに降り止んだ。故に、白糸宿の人々は恐れた。この地では、激しい俄雨が降った時には、必ず言問いが現れるからである。
「雨は誰が降らすの?」
言問いは童子の姿をしている。傘も持たずに驟雨の中を歩き、雨が止んだ後、人々に災いを及ぼして去る。七年前の夏に近くで鉄砲水があって、言問いが現れるようになったのはそれからであったから、鉄砲水で死んだ子どもの霊が言問いとして現れるのではないかと言う者が多かったが、その真偽は分からない。言問いはこの言葉をただ口にするだけで生者とそれ以上の会話は交わさなかったし、言問いに対して答えを発した者は、まもなく水に吞まれて死ぬ。この怪異について、分かっていることはそれだけである。言問いが現れると、白糸宿の人々は家を締め切り、じっと押し黙ってそれが去るのを待つ。しかし、誰か一人が自分に向けて答えを発するまでは、言問いは消えない。
「なんだね、あれは」
と、一人の男が言った。かれは白糸宿の者ではなかった。旅人である。白糸宿が宿場であるからには旅人は別に珍しくはないが、しかしかれは珍奇な旅人だった。南蛮人なのである。この頃、まだ日本に基督教は伝来しておらず、そしてかれは宣教師というわけでもない。本人自身は、自分を冒険家であると語る。
「七年前に大水に呑まれて死んだ、子供の幽霊です。あれの言葉に答えを返せば、あなたは必ず死にます」
「はは。人はみな、いずれ死ぬし、いずれ神の御許に行くのだよ。どれ」
男は命知らずであった。ぬかるんだ道の真ん中、言問いの正面に立つ。人々は恐れ、そして同時に心のどこかで安堵した。今回はあの男が犠牲になってくれる。
「雨を降らせるのはな。他の誰でもない。天の国のあるじだ」
言問いの目が大きく開かれ、その洞穴のような闇が男に向けられる。
「いいか、童。お前が幼い身空で水に呑まれて死んだというのが本当なら、人の世を恨む気持ちはもっともと言えばもっともだ。だがな。そも、天地の万物はな。みな初めから、滅びるものと決まっているのだ。誰がそう決めたのかと言えば、それもまた天の国のあるじがそう定めたのだ」
言問いは答えないが、まだじっと男を見ていた。
「昔、天の国のあるじは、地上を水で覆われたことがあった。人が愚かであったからだ。聞かせてやる。『わたしは地の上に洪水を送って、命の息のある肉なるものを、みな天の下から滅ぼし去る。地にあるものは、みな死に絶えるであろう』。これは創世記の六章の十七節に書いてある」
男の話は続く。
「そうして、ひとりの老人とその家族とその方舟だけを残し、地上は全て水に呑まれた。それが天の国のあるじの力だった。それに比べれば、なんだ、お前のやっていることなんぞ、ほんの餓鬼の駄々で、つまらない八つ当たりでしかないんだ」
言問いはまだ話を聞いている。これまでの言問いは、誰かが返事をすればすぐに姿を消すものであったのに。
「だが。見ろ」
男の指差した先に、虹がかかっていた。
「あれを見ろ。あれは、天の国のあるじが、ひとと約した証。最後の日が至るまで、もう二度と地上が水に呑まれることはないという約束のしるしなのだ」
辻褄が合っているかといえば、合っているかどうかは怪しかった。ひとを説き伏せるための理路が整っているかといえば、それは疑わしかった。だが、おそらく、言問いが求めていたものは、最初からそういうものではなかった。
「分かったなら、お前はもう死者の国へ行け。そして、天の国のあるじのさばきを受けるがいい。いいか。お前にも、その資格があるんだ。きっと、そうだからな」
言問いは、小さく頷いて、宙に消えた。そしてその後。もちろん、幾度となく白糸宿には村雨の降る日が訪れた。それでも、言問いと呼ばれた怪異が、再びその地に現れることはなかった。
男はまもなく白糸宿を去り、そしてこの国をも去った。男は死ぬまで、伝説の黄金の国をこの目で見てきたと故郷で語り、人々からは法螺吹きと嘲笑われていた、と伝わっている。
村雨 きょうじゅ @Fake_Proffesor
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