第4話

「いや―古いなー、うん。実に古い」

「こらこら、匠くん。いくら思っててもそんなこと言うんじゃありません」

 次の日。警視庁から下道で大体一時間ほど走った先に台場の持つ屋敷はあった。事前に台場から屋敷のあらましを聞いていたが、それでもかなり古く、そして立派に感じる木造の屋敷だ。そして何よりも広い。ここまで広い正門から正面玄関まで約20メートルほどの距離があり、石畳がしかれていた。その石畳の周りには小規模ながらも日本庭園が存在しており、松やツバキなどが植えられている。これだけでも一般家庭で過ごしてきた白谷にとっては驚くべきことだが、屋敷そのものも3階建てで存在感があった。台場は日本庭園に面した縁側に腰かけ、盆栽を手入れしていた。着流した和服を身に纏っている。大企業の社長というより流浪の旅人と言った方がまだ相応しく見える格好だ。彼らに気づいた台場は立ち上がり笑顔で手招きしてきた。

「殺害予告出された人とは思えないくらいのんきね」

「有栖もあまりそういうこと言うんじゃない。おら、行くぞ」

 白谷と国本が台場のもとへ行くと、台場は誇らしそうにその盆栽を掲げた。

「これはかの徳川綱吉が育てていた盆栽でな。鑑定によれば2億円はくだらんらしい」

「2……2億円……」

 二人ともものも言えなかった。二億円って私たちの給料何か月分だろと国本は衝撃を受けた頭でぼんやりと考えていた。いや、まずそんな高いもんがこんな木造建築の誰にでも入れそうな場所に存在していいのだろうか。

 そんな国本の考えを読み取ったのか台場は日本庭園の隅っこを指さした。台場のささくれ立った無骨な指が差す先には小さな温室が建てられている。

「指紋認証のみでしかあの温室には入れんし、ガラスもこの縁側の窓とおなじ7.62NATO弾くらいまでなら耐えられる強化ガラスだ。まさに鉄壁だろう」

 そのセリフ、あとで怪盗かなんかに盗まれる人が言うセリフなんだよなーと白谷は頭の片隅で思った。ある意味怪盗の予告に類するフラグのようなものだ。


「それで、あの小僧はあそこで何をしている?」

 見ると、彼は正面玄関を観察していた。白谷と国本は日本庭園に気を取られて気が付かなかったが正面玄関は引き戸式であり、すりガラスでできている。ただこの屋敷に見合わず真新しいもので、なにやら黒い小さな無機物が引き戸につけられていた。

「何をそんな不思議そうに見てるんだい?」

「いや特に不思議って程のことはないですよ。ただなんか鍵の形が変わってるなって。なんかベランダみたいじゃないですか。えーと何て言うんだっけ、あそうだクレセント錠」

「……確かにそうだな。おまけにカギ穴がないじゃないか」

「あーじつはこれカードキー式なんだ」

 白谷と国本の後ろから優雅に歩いてきた台場が彼を見下ろす。その手には名刺サイズのカードが握られている。

「カードキー式?」

「ああ。ちょっとどいてろ小僧」

 台場は得意げに彼を押しのけると、引き戸に設置されている黒い無機物、否カードリーダーに手に持ったカードを挿入した。するとすりガラスの向こう側からクレセント錠が下に下がったのが見えた。

「なるほど、ピッキング不可能なカギというわけか」

「そうだ小僧。なかなか画期的だろう。これの実用化試験をうちでやっているんだ。やっぱりこういうものは開発者が責任をもって最初に使わねばならんからな。あ、だから今日は屋敷の中ではなく外から見張ってほしい」

「いや、でも……」

「いいから。むしろ屋敷の中に妻以外の人間がいる方が気になる。まあ妻も今日は一日留守だがな」

 自分の製品には責任を持っているのかと、白谷は少し感心した。ただ横暴なだけでは自分の会社をここまで大きくすることはできない、間違いなく開発者としての台場の側面があるからこそ、人々が安心して台場セキュリティーの製品を使えるのだ。


「それでは、そろそろ中へ案内しよう。秘書も到着したことだしな」

「秘書?」

 後ろを見ると昨日見た女性秘書のほかにもう一人、顔に傷のあるスーツを着た男性がこちらに向かって歩いてきていた。昨日見たときは気が付かなかったが、女性秘書が掛けているのはレンズの入った眼鏡ではなく、どうやら伊達メガネのようだ。秘書としての勤めている年数が長いのか、台場の咎めるような視線を見ても堂々としている。一方、男の方は長身ですらりとした体系でありながら無駄な肉が付いておらず、一目で鍛えていることがわかる。顔の傷のつき方的にボクシングをやっていたのだろうと彼は推察した。だが、明らかに台場にビビっているあたり、あまり台場セキュリティーに勤めている期間は長くない、もしくは台場のことを心の底から恐れていることがわかる。

「おまえら、5分遅刻だ」

「大変申し訳ございません。……わたくし、第一秘書の東野圭子とうのけいこと申します」

「私は台場社長の第二秘書をやっている三上俊みかみしゅんと申します。台場社長の警護任務、どうかよろしくお願いいたします。それでは屋敷内を案内させていただきます」





 屋敷の中は外見に違わずとても広いものだった。応接間だけでも5部屋存在し、台場によると相手の好みに合わせて趣向を変えているのだという。お金持ちという者の存在のすごさを改めて思い知らされる。だが白谷は部屋のことよりも彼がどうも浮かないような、考え込んでいるよう表情をしているのが気になった。大体彼がこういうことをしている時は何かしらの違和感を感じている時だ。

「どうしたんだい? 匠くん?」

「いやなんかちょっと変だなーっていうか」

「変? 具体的にどこが」

「いや、なんか歩いているとたまに足の感触がおかしくたうわっ!!!!」

 どすんという音を立てて彼が倒れた。痛そうに腰をさすり必死に立ち上がろうとしている。滑ってこけてしまったようだ

「大丈夫なの? 何もないところで転ぶなんてそろそろ年かしらね匠くん」

「いやなんかこの床だけつるつる……ん?」

 白谷の後ろから国本がからかうように彼に声をかける。彼は少し恥ずかしそうに口をパクパクさせ、いかに弁明すれば恥ずかしいと思われないか言い訳を考えている。だが、その言い訳の途中で彼は床を凝視し始める。そしてその目線は壁の方へと向いた。彼の見ている壁はなんてことのないただの木の壁だった。

「小僧、そんな壁なんか見てないで早くいくぞ」

 台場は壁を凝視し続けている彼に構わずさっさと先に行ってしまう。仕方なく白谷は彼を半ば引っ張るようにして先を急いだ。




 それから5分と経過せずに台場の屋敷を大体回り終えた。彼の気難しい顔は見まわることにはさらに厳しくなっている。体調が悪いのかと疑ってしまうほどだ。彼は表情を変えず、廊下に飾られている写真に目を移す。そこには若かりし頃の台場とその妻らしき女性、そして娘らしき女の子が写っていた。

「これで大方の屋敷の案内は終わりです。お見せになることができない部屋もありましたが、それは社内機密にかかわる部屋ですのでご了承ください」

 彼らが正面玄関の前まで戻ってきたところで三上が丁寧に頭を下げた。

「わかりました。ありがとうございます。それで、台場さん。今回の殺害予告を出してきた犯人に心当たりはないのですか?」

「……ないな」

「それじゃあ西野明美さんとは、いったい誰なんですか?」

 彼が白谷と台場の間に割り込んできた。その手にはスマートフォンが握られている。

「敵対企業から引き抜いてきた私の前の秘書だ。彼女は、自殺した」

「……自殺」

「ああ。前会社で日光のホテルを貸し切ってのイベントを行ったことがある。女性社員は全員和服でな。彼女はそのイベントの日の夜、滝に身を投げて死んだ」

「……」

 東野が顔をしかめる。3年前のその日を思い出したのだろう。

「最初は和服を着たままだったから事故と疑われたんだが、状況的に自殺が妥当らしい。なぜかは……わからない」

「そうですか」

 彼は白谷を見上げる。この空気をどうにかしろという意味だ。全くこんな空気にしたのは自分なのに無責任なことだ。

「とりあえず、今日は我々のほかに近所の所轄から10人ほどが警護にやってくる予定です。それに近所の交番にも警邏の強化をお願いしています」

「あ、あの」

 三上が控えめに一歩を踏み出した。

「私はキックボクシングの経験がありますし、その、あの……」

 白谷は三上が言うことのできない文脈を汲み取った。ようは万が一のことがあれば屋敷内のことは詳しいので役に立てるかもしれないということだ。確かにこの屋敷は外から見て想定するより見るところがなかったとはいえ、一度見せてもらった程度では自由にすいすい動けるような簡単な造りではなかった。

「わかりました。それではよろしくお願いします。東野さんは」

「私は家がここから非常に近いので一旦帰ります。あ、その前に……社長。発表のことでお話が……あ、鍵は私に任せておいてください」

「……わかった。中で聞こう。それじゃあいたずらだとは思うが、一晩よろしく頼むぞ」

 そう言い残して、台場は屋敷の中へと入っていった。時刻は午後6時。刑事たちにとって長い長い夜の始まりだった。

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