未成熟者の他殺願望

@orca05

第一話にて終焉

 年頃の娘が好むような夜景とは程遠い、海辺に備えられたボロボロのてっきん調に仕上げられた展望台で、あまり手入れもされていない伸ばし切りの肩より少し下の髪を靡かせて彼女は無表情に放った。

 よく言って冷静沈着、悪く言って無頓着。そんな、未成年とは思えない程の風貌をしている少女は、いつも風変わりな友人を連れ、可愛らしい物など興味も示さず。特に好みでもない洋服をその日の相手に合わせて着るような性格だった。


 ひと回り以上下の彼女と夜の展望台で二人きり…下手したらお縄者にもなりかねないと思ったが、大人びた(無愛想とも言う)彼女の雰囲気のせいか、半年程この関係を続けているが、一度もそう言った、所謂職質は受けていない。

 彼女にこういった年の差関係の弱音を吐くと、「合意なのだから、何が一体怖いのか。他にやましい事でもあるのか」と言ったなんともとばっちりな疑問を返されるので、あまり表に出さず言わないようにしている。

 新入社員の最年少で我が拠点へ入社してきたこの子は、最初こそ見た目も着飾らず変わった子だなとは思ってはいたものの、こうして職場外で会うと彼女なりのアイデンティティやこだわりが垣間見えるのが何かと嬉しかった。


 …こう言った感情は持つべきではないが、興味本位で声をかけたあの頃より自分は彼女に惹かれていた。初めこそ「恋愛なんて興味無い」という立ち居振る舞いをしていたので、少し揶揄いたくなる気持ちと単純な下心。アイラインもマスカラもしていない顔、仲深くなっても崩さない敬語。読めない表情、時たまに見せる挙動不審な動きが面白くて、自慢では無いが経験豊富な方である自分にとっても「初めてのタイプの女」だった。

 女らしく、男らしくと言うこだわりが無い彼女に少しだけ「女の顔」をさせたくて色々と試してみたが、手を繋いでも無反応。最悪の事態覚悟で抱きしめてみても無反応。いずれ、思いの外華奢でそれでもしっかりと柔らかい彼女の体に自分の制御が効かず、キスをしてみたことがある。何が経験豊富だ。雑魚な理性は中学生と変わらないじゃないかと、唇が離れた瞬間にそう思った。

 ぶたれるか、蹴られるか、罵倒されるか訴えられるか…様々な仕打ちで承知で恐る恐る顔を覗くと、相変わらずの表情筋と、僅かに開かれた瞳。そこに映る俺は、瞳孔の檻に囚われていた。意外と慣れているのか?と勝手に傷ついていると、彼女は身動きを取らないまま通り過ぎた車のヘッドライトに瞳孔を縮めた。二度、三度瞬きをして小さく「手を繋ぐのも、ハグをするのも、キスをするのも、結局は接触ですよ」と言った彼女は、何事もなかったかのように帰路へ向かった。

 そう言う子なのだ。全く、変わった子なのだ。


「殺す…え?こ…またどうして」

「分からないですけど」

「え?」

「死にたいから?」


 今日だって夜景を見たいと珍しく希望を言うもんだから穴場に来たのに、夜景に背を向けて山々の上に霞んだ星粒が散らばるだけの方向をずっと見つめていた。やっぱり感性が曲がっているんだろうなと思っていたばかりだったので、先程の提案にも思ったよりも驚かなかった。ただ一つ、彼女は結論から話し出す癖がある。滅多に彼女から話題を振られること無いので下手に遮る事はしなかったのだが、今回に至っては説明不十分が過ぎるんじゃないだろうか。


「なんで死にたいんだよ」

「いや、分からないです」

「それなら死ぬこと無いだろ」

「でも死にたいって思ってるんですよ」


 敏感な年頃なのか?と首を傾げたが、何処となくこの状況を見回してみたら、ふと、彼女と過去に語った希望の死のシチュエーションを思い出した。

 なんて話題で盛り上がっているんだと冷静に思った記憶が鮮明にある。夜、星、無人、展望台、山奥…そして、「他殺」であると言うこと。全てが彼女の希望に合致していたのだ。人の最期というものは、そうそう自分の思い通りにはならない物だとは思うが、自分でタイミングを決めるとなればそれは別だろう。


「死ぬ為に此処に来たの?」

「あ、いえ。それは違います」


 私は星を見に来ました、とケロッとして言うが、もう何が何だか分からなかった。


「ただ今だって、自分の本能がそう思った気がするんです」

「そりゃまた…急だね」

「死にたいのは常々ですが、自殺だけはしたく無いんです」


 山独特の冷たく擦るような風が吹いて彼女の髪が可愛らしく柔らかい唇を隠す。二重幅のしっかりとした大きな目元が細められ、限りなく黒に近い瞳が夜影に溶けて目が離せない。離せば、このまま消えて逃して二度と手に収められないと思ったから。

 瞬きも惜しいくらい儚いのは、彼女が持ち合わせた品性のようなものだった。その儚さ故、今まで周囲の人間から沢山の執着と思念と変質を強いられて来た事だろう。男も女も関係なく纏い絡みついて来る様な愛情しか知らない、哀れな…________


「死にたい、でも、死にたくない」


 一層冷たく裂かれるような声にハッとする。少なからず、何処かで彼女を哀れで可哀想な寂しい子なのだと見下していたのだと思う。友達の数、親からの過干渉、社交、多趣味、経験値…それが、上に昇る人間の条件だと思っていた。それを彼女は全く持ち合わせていなかったから、個人の見解で彼女を哀れんで、愛したつもりでいた。彼女の親からすれば半年程度の関わりの俺なんて無知に等しいと思うが、その間に知った彼女の闇や思考や価値観はベースとしてはそうかワタないと思う。


「他人からしたら気持ち悪いと思うけど、私みたいな人間からしたら死の順番を暑寒の待合室に置いてある棘のある椅子に座って待つ人間の方が恐ろしくて気持ち悪くて仕方ないですよ」


 普段無口な彼女にしては饒舌で、やっぱり変わった言葉遣いをする。小難しく比喩表現の多い彼女の言葉は、どうやら本人にとってもコンプレックスだったようだが、俺は彼女らしい他にない特性のようなもので面白いと思う。それを彼女に言うと怒るが、何も他意はなく単純に誉めているつもりなのだ。


「"死にたくないから殺さないで"と泣く人間と、"死にたくないから殺して"と怒る人間。私は後者です、それだけです」

「え、怒ってるの?」

「はい、多分」

「多分って…」


 少し笑うように吐息を混ぜれば、彼女は僅かに肩を竦めた。腕を引き寄せると簡単に胸に寄り添ってくれたから、本当に溶けてしまうんじゃないかと思って少し強く抱きしめた。一瞬苦しそうに唸ったけど、悪いがお構いなしだ。


「自分のことは、自分が一番分かってないと思います」

「なんだよそれ」

「私の好きなもの分かりますか」

「え、うーん…猫とか、海とか」

「そんなんですね、知りませんでした」


 小さい呼吸と胸の上下は、彼女が不可抗力でも「生きている」と自然の中で主張している気がして愛おしく感じる。彼女は冗談を好まない。だから冗談も効かない。恥も抗いも足掻きも好まない。呼吸のように無制限の行動と、極力抑えた身動きだけ。生き辛い感性と気にし過ぎる性分は、他人から見れば自意識過剰なのだろうが、彼女にとっては死活問題なのだ。

 そして死にたい彼女は今、死へと自ら歩み寄り、死に逃げられている。死に逃げられ、俺という鎖に捕まり、晴れない未来を細々と生かされている。不憫でならないが、この十数年をそうして生きてきた彼女にとっては、これが日常な筈だ。


「死にたいなら殺してやる」

「本当ですか」

「だからその分生かされろ」

「誰に」

「俺に」

「誰が」

「お前だよ」

「利害の一致にもならない」

「そうだな。ただお前が死んでいい条件も満たしてない」

「条件?」

「未体験なことが山ほどある」

「だからなんですか」

「俺の”一生のお願い”ってやつ、使うわ」

「は?」


 初めて聞いた素っ頓狂な声に、俺はいつもより明るいであろう笑顔を向ける他なかった。

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