覚えているのはそこまでだ。

 いや、そのあと後頭部に痛みを感じたようにも思う。眩暈がして目を閉じる寸前、石を手にした大男の姿を見たような……。

 とにかく橋場の記憶はいったん途絶え、再び目を開けたときにはここ――井戸の底のような、謎の空間にいた。

 考えられることは一つ。橋場はあの大男に、突然石で殴られたのだ。そのまま担ぎ上げられて、ここにつれてこられた。


 ざっ……ざざっ……


 今までのことを反芻している間にも、砂は上からどんどん降ってくる。ざざっ……という音にまじって、微かなモーター音が聞こえた。

 砂を降らせているのは、降雪機のようなものだろう。それが、そり立つ土壁のどこかに埋め込んであるのだ。

 おそらくここは、人工的に作られた場所。橋場は今、井戸の底のようなところに立っているが、壁をよじ登った先はどうなっているのか見当もつかない。


 あの大男は何者なのか。そしてなぜ、自分をここにつれてきたのか……。

 考えてみてもさっぱり分からず、橋場はひとまず巻いていた腕時計に目をやった。だが、倒れた拍子にどこかに当たったのか、文字盤が割れていて完全に故障している。これでは時刻が分からない。

 ただ、降り積もる砂の量が時の経過を確実に伝えていた。まさに砂時計だ。先ほどまでは脛から下が埋まる程度だったのに、もう膝まで砂が来ている。


(このまま、俺の頭の上まで積もったら……)


 背中に、嫌な汗が伝った。砂の中に全身が埋もれてしまったら、呼吸ができない。要するに、生き埋めだ。

 砂まみれでもがく自分の姿を想像し、橋場は慌ててそれを打ち消した。

 焦ってあたりを見回す。

 四方を取り囲む土壁には、ところどころ拳大の石の塊が埋め込まれていた。砂から抜け出せれば、石を足掛かりにしてボルディングの要領で上まで行けそうだ。

 そこまで考えたところで、絶望的な事実が橋場を打ちのめした。

 橋場の右の足は今、鉄の輪のようなもので地面に固定されているのだ。


 目を覚ましたときにはすでにこの状態だった。慌てて降り積もる砂を払いながら懸命に足を外そうとしたが、ごつい鉄の輪は地面と橋場の足首をしっかりと繋いでおり、びくともしない。

 持参したリュックには簡単な工具を入れていたものの、着の身着のままここに放り込まれたので今は手元にない状態だ。


 それでもポケットに折り畳みナイフが入っていたのを思い出し、橋場は汗だくで鉄の輪と格闘した。

 が、結局何もできないまま、足は鉄の輪ごと砂に埋もれていく。


「――誰か! 誰か、助けてくれ!」


 橋場は思いきり叫んだ。

「ここから出してくれ! 早く、誰か、なんとかしてくれ!」

 なんとかしてくれ、助けてくれ、俺が何をしたんだ、助けてくれ、助けてくれ、助けて……お願いだ!

 最後は声が枯れていた。

 それだけ叫びつくしても、何も返ってこなかった。返事の代わりに聞こえたのは、砂が落ちてくる音と、微かなモーター音のみ。


「駄目だ……」


 絶望が、呻き声になって漏れる。

 橋場はこの週末、誰にも告げずにソロキャンプに来た。田舎の両親は三十をとうに過ぎた息子のことなど放置気味。半年前に彼女と別れて以来、密に連絡を取っている者もいない。

 周りが橋場の失踪に気付くのは、早くても週が明けてからと思われる。

 会社を数日無断欠勤していることを上司か同僚が訝しんで、ようやくどこかに届け出てくれるのが関の山だ。

 それでは間に合わない。

 そして、どう頑張っても、ここから抜け出せそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る