第6話

「なによビックリさせてくれちゃって……ふっざけんじゃないわよぉ……アンタたちは無様に踊ってれば良いのよぉ!」


 ミネルバの口の端が歪んだように持ち上がり、激しく鞭を振るい始めた。


 空気の破裂する音が連続で響く、それはさながら踊りの手拍子のようでもあった。


「うわ! きゃあ! あわわ! ちょ、まっ、ぅわぷ――!」


 必死で鞭を掻い潜りながら叫ぶエミリーを、ライルは乱暴に引っ掴んで自らのフードに押し込み、地面を転がりながらギリギリで攻撃を躱していく。お世辞にも綺麗な避け方とは言えなかったが、それでも何とか直撃は避けていた。


(あのポーションの効果か……体が嘘みたいに動く……けど!)


 ライルは薬の効果により、普段からは考えられない速度で動けていた。しかしその高い効果に知覚が追いつかず、自らの体に振り回されるような感覚に陥っていた。


「あはははは! 良い、良いわ! もっと踊って! 歌って! 無様に!」


 ミネルバが左手を背後に回す。そして次の瞬間、その手にはもう一本の鞭が握られていた。


「私ね――実は左利きなのぉ!」


 ミネルバの叫びと共に繰り出される先ほどよりも強烈な鞭の一撃。当然のごとく、右手の鞭も休む間も無く振るわれる。時には交互に、時には同時に、空気を切り裂く鞭の雨がライルを襲う。


 ライルの強化されたスピードでも避け切れない攻撃に、次第にその体には傷が増え、あちこちが痛みだし表情を歪めさせる。


「あはっ! 良い顔!」


(このままじゃヤバい! アレを使うしか……くそっ、余裕がねぇっ!)


「ライル! そこ! 床が脆くなってる! 思い切りぶん殴って!」


 フードの中のエミリーが右前方を指差して叫ぶ。その場所の床はひび割れていた。


「このぉ!」


 考えるより早く、ライルは大きく振り上げた拳で床を殴りつける。弾け飛んだ床の破片がミネルバを襲う。


「くっ!」


 逃げ場の無い広範囲の攻撃に、思わず両手で身を庇ったミネルバの前からライルの姿は消えていた。


「また隠れんぼぉ?」


 その顔はイラつきを隠す事なく笑っている。




 ミネルバの注意を逸らす事に成功した二人は、再びアイテムの山に身を隠す。


「はぁはぁ……ふぅ……ありがとよ」


 そこではライルが傷の痛みに顔を歪めながらも息を整えていた。フードの中からエミリーがひょっこり顔を出す。


「ちょっと、しっかりしてよ。折角、力もスピードも強くなってるんだからさ」


「だから荒事には向いてないって言ったろ……」


「結構傷だらけになっちゃったけど……大丈夫?」


「あぁ――“コレ”がある……しかし虎の子使い切る事になるとはな……」


 ライルはもうひとつの虎の子であるポーションを次元収納から取り出す。妙に年季の入った見た目をしていた。瓶を開けるとライルは一気にあおる。


「んぐっ」


 すると体の内から熱くなるような感覚がしたかと思うと、鞭によって身体中に付けられた傷が癒えていく──


「おぉ……ぉ?」


 ──ほんの一部だけ。


「ぉぇ……まっず……」


 ――苦味と酸味とエグ味を合わせたような、筆舌にし難い後味を口内に残して。


「うわっ、くっさ! なにこれ腐ってんじゃないの!?」


 ライルがあおった勢いで溢れたポーションを被ってしまったエミリーが、堪らずフードから飛び出てくる。味だけでなく臭いも酷かった。


「ゲホッ、ゴホッ……ポーションって、腐るのか……?」


「煙玉もそうだけど何で使用期限確認しないの!? 大体、殆ど効いて無いじゃん! 騙されてんじゃないの!? ――あ、丁度良い所に」


 エミリーは小声で叫ぶ器用な真似をすると、ふと近くのアイテムの山の上から綺麗な瓶を抱えてくる。手のひらより少し大きく、一輪挿しにでもすればテーブルが華やかになりそうな意匠だった。


「ハイ、口直し」


「え、おう」


 口直しと聞いて素直に受け取ったライルは、その瓶を一気にあおると目を見開いた。


「──!」


 綺麗な瓶の中の飲み物は信じられないほどに甘かった。それなのに全くクドさを感じさせず、スッキリとした喉越しに爽やかな香りが鼻を抜けて行く。甘さだけでなくほのかに酸味もあり、初夏を思わせるようなその味に心まで癒されるようだった。


(あ、もう無くなっちまった)


 ライルがそんな事を思っていた頃、気づけば身体中の傷は全て癒えていた。それどころか、傷だけでなく体力、気力まで充分といった感じである。まるで好きなだけ寝た後のような、何でも出来そうな気合いに満ちていた。その素晴らしい効果にライルは驚愕する。


「おぉぉ!? 何だこれ! 美味いな!」


「エリクサーよ。次の瞬間には死ぬような傷を受けてても、すぐさまフルマラソンに出場出来るまで回復してくれる薬」


「は!? そんなモンあの程度の傷に使ったのか! 勿体ねぇ……」


「あの程度って言ったって、アンタ結構ヤバかったじゃん!」


 大声で騒ぎ出した二人の方へハイヒールの靴音が近づいてくる。


「そっちかしらぁ?」


 意地の悪そうなミネルバの声が空間に響き渡る。




「チッ……どうしたもんか」


「アンタのその腰の剣でやっつけちゃいなさいよ。なまくらな剣でも、今なら当たれば人くらいは真っ二つよ?」


「妖精のクセに言う事がエグいな……正直言うと護身用に持ってるだけで、扱いに自信は無い……」


 戦闘用のスキルを持たなかったライルは、故郷に居た頃も剣技の訓練をあまり積んでいなかった。


「他に何か手は無いか……何か……」


 ライルの目の前にはアイテムの山がある。しかし見た事もない物ばかりのそれらが、一体何の効果を持つ物なのかさっぱり分からない。


「無い事も無いわよ」


「また遺産のアイテムか……?」


「……勿体無いって言うの? 良いのよ、どうせアイツが使いそびれただけのアイテムなんだから」


「なら――」


 ライルが覚悟を決めると、ハイヒールが床を叩く音が近づいているのに気づく。


「みぃつけたぁ!」


 その声に驚いたエミリーが振り向くとアイテムの山の脇からミネルバが覗き込んでいた。


「――――ひぃ!」


「うわっ、見つかった!」


 隠れていた場所から転がり出たライルは、半ば腰の飾りになりつつあった剣を抜き放つ。


「ようやくヤる気になってくれたぁ?」


「アンタの事は美人だとは思うけど、生憎と俺は巨乳派なんだ」


「うわ、サイテー」


「ま、俺の下手くそな剣術に付き合ってくれよ!」


「ちっ――! 無駄に早いわね!」


 薬の効果で素早くなっているライルであるが、その動きは洗練されているとは言い難かった。その素人よりはマシ程度の動きから繰り出される剣を、ミネルバは紙一重で躱してみせる。


「スピードだけじゃ私には当てられないわよぉ?」


 ライルとミネルバでは戦闘経験の違いで天地ほどの差があるようだった。


「くっ――!」


 それでもライルは薬で強化したスピードに任せて突っ込んでいく。至近距離では扱いにくい鞭の間合いを殺すように、顔と顔を突き合わせるように――その中で一瞬の目配せを交わすライルとエミリー。小さく頷いてみせたエミリーはアイテムの山の影へと消えた。その小さくも頼もしい背中を視界の端で見送りながら、ライルは一層に剣戟を激化させていく。




「ぐぁ──!」


 やがてライルはミネルバの膝による手痛い一撃を貰ってしまい、折角詰めた間合いを明け渡してしまう。そしてすぐさま鞭を構え直したミネルバの攻撃により、剣も吹き飛ばされてしまっていた。


「やっぱ強いな、アンタ……」


「女が一人で生きていくには、強くなきゃどうにもならなかっただけ」


「アンタみたいな美人を一人にして置くなんて、身近に居た男達は無能ばかりか?」


「お生憎様、間に合ってるわ──よっ!」


「ぅぐ──!」


 ミネルバの振るった鞭は蛇のようにライルの首へと絡みつく。その細い腕のどこにそんな力があるのかと言いたくなるほどの力で締め上げられ、ライルは呼吸すらままならない。


「私、ベラベラと要らない事喋る男、嫌いなの」


「んぐ……そりゃ、残念だ……」


 ライルは意識が遠のきそうになるのを必死で堪える。暗くなりつつある視界の中、心配そうにこちらを見るエミリーと目が合った気がした。その瞬間、ライルは不敵に笑って見せる。彼にとっては千載一遇のチャンスが巡ってきた瞬間だった。


「おぉぉぉらぁあ!!」


「な────!」


 ライルは自身の首に巻かれた鞭を掴み力任せに振り回した。ポーションの効果により、人とは思えない力で振り回されミネルバは宙を舞う。


「――っぐ! あぐぁ!」


 ミネルバは壁に強く背中を打ち悶絶する。朦朧としながらも、それでもミネルバは立ち上がろうと片膝を突いていた。


「エミリー!」


 ライルは物陰に隠れていたエミリーへと手を伸ばす。飛び出して来たエミリーが、その手に目がけ水晶玉の様なアイテムを全身を使って放り投げた。


「ライル! 広範囲に回避不能なダメージを与えるやつだから、思っ切りぶん投げて!」


 ライルはそれをしっかりと掴み取る。


「おう! って、こんなのあるなら最初からこれ使えば良かったんじゃ……しかも広範囲って、単体で良いんだけど……」


「うっさいわね、見つけるのも大変なの! さっきから勿体無い勿体無いって、子孫のアンタまで貧乏性なの!?」


「そうだよ! ――悪いか!」


 大きく振りかぶったライルは受け取った水晶玉を力の限り投げつける。それは矢のような勢いで、未だ膝を突くミネルバへと吸い込まれるように飛んでいく。


「ちっくしょぅがぁ!」


 吠えたミネルバは自らめがけ飛んでくる物体へと反射的に鞭を振るう。しかし半ば朦朧としながらのその一撃が水晶玉を捉える事は無かった。


 鞭をすり抜け、ミネルバの額に命中した水晶玉が砕け散るその瞬間。青白い稲妻が網のように半球状に広がり、周辺一帯を閃光が灼いた。その稲妻の網に捕らわれたが最後、回避は不能だと思えた。


「あぐぅぁぁぁああ!」


 雷鳴轟く半球の中心で稲妻をその身に受けたミネルバは、白煙を上げ硬直したかと思うとその場へと崩れ落ちた。


「死んだ?」


「……分からん」

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