第7話

 ピクリとも動かないミネルバへと、ライルは警戒しながら近づいていく。エミリーは恐る恐ると言った様子でその後ろを飛んでいる。


「大丈夫? 急にガバっと起きて襲って来たりしない?」

「大丈夫だろ……多分」


 地面に横たわる細い体からは白い煙が上っている。ミネルバが身につけているピッタリとした薄手の革鎧は、所々が弾けるように破けていた。更にその下の白い肌は赤黒く焼けている部分もある。その光景はあの稲妻の威力を如実に物語っていた。


「うひゃぁ……」


 エミリーは手で顔を覆いつつも、指の隙間からその様子を見ていた。


「息は……まだあるな」


 よくよく見れば、顕になったその白い胸は微かに上下動を繰り返していた。


「スケベ──」

「この状況で混ぜっ返すな……」


 生死を確認しようとしたライルをエミリーが茶化す。自らの年季の入った外套をミネルバに掛けてやりながら、そろそろこの妖精を遠くへ放り投げようかとライルが悩み出した時、ミネルバの目が急に見開かれた。


「かはっ──!」


 意識を取り戻したミネルバはえづくように咳き込む。そこには少量の血が混じっていた。


「わきゃあ! ライルの嘘つき! 動くじゃん!」


 驚いたエミリーはライルの頭にしがみついてガクガクと揺さぶる。


「動かないとは言ってないだろ……頼むから静かにしててくれ」

「ぁぅ」


 ライルは騒ぐエミリーを引き剥がすと放り投げる。ライルは剣を抜くと、ミネルバの動きに警戒しつつその細い首筋へと突きつける。


「分かってると思うけど変な真似はしないでくれよ? 喋れるか?」

「けほっ──誰かさんのせいで喋るのも辛いけど……いちおう、ね……」


 絞り出したような掠れた声でミネルバは答える。


「なぁ、アンタ……本気で母親のために遺産を追い求めてたのか? 俺は……正直なとこ、次元収納を拡張するアイテム以外にはあまり興味が無い。だからそれが手に入った時、残りはアンタに渡ったとしても別に良いと思ってた」

「いやぁ、流石にこんな女に渡すのは──」

「悪い、ちょっとコイツと話をさせてくれ」


 口を挟みかけたエミリーをライルは手で制する。


「むぅ……」

「あなた本気でそんな事──言ってる見たいね……勇者の子孫ってみんなそんな鬱陶しい目をするの? あの男も遺産の話をする時はそんな目してたわ……ママが好きだって言ってた目……嫌な思い出……」


 そう言ってミネルバは自嘲気味に笑った。


「はぁ…………私もね、本当は勇者の遺産なんてどうでも良いの……私はただ、ママが最期に言った“夢を叶えて”って言葉に従っただけ……あるかどうかすら分からなかった遺産を見つけてあげたんだから、一応あの男の夢は叶ったって言えるのかしらね? あははは──かはっ! ゴホッ!」


 笑おうとしたミネルバは咳き込み、血を吐いた。


「……なぁ、それって、アンタの夢を叶えろって意味で言ったんじゃ無いか?」

「──え?」

「今際の際に自分の夢を子供に託すってのは、無くは無いだろうけど、遺産探しは男の方の夢だろ? 母親がそれをアンタに託すのは、何か違うだろ」

「そうかしら…………でも、私の夢なんて────覚えてすらないわ……」


 ミネルバは何かを振り払うように、かぶりを振った。


「そうか──勿体無いな」

「本当にね──」


 再びミネルバは自嘲気味に笑った。




「最後に確認だが……もう勇者の遺産は良いのか?」

「えぇ、どうでも良いわ。ほら、やるなら早くして頂戴……正直、そろそろ意識が飛びそうなの……自分を殺す相手くらい目に焼き付けさせて」


 ミネルバは突きつけられた切っ先を一瞥するとライルをじっと見つめる。その視線を正面から受け止めたライルはやがて──


「なら、ここまでだな」


 ──ミネルバへ突きつけていた剣を鞘へと戻した。


「……殺さないの?」

「知ってるか? 勇者は人間同士の争いにも巻き込まれまくったけどな。なんだかんだで一人もは殺してないんだよ」

「……」

「アンタの母親には、うちの親戚が迷惑かけたみたいだしな……」

「…………甘いヤツ……」

「あと俺は巨乳派だが、アンタの事は美人だと思ってるんだ」

「うわ、ほんとサイテー」

「本当ね……ふふっ――」


 憑き物が落ちたように笑い、ミネルバは意識を手放した。




「……普通に笑えるじゃねぇか」

「今度こそ死んだ?」

「おい……気絶しただけだ」


 ライルはミネルバの脈と呼吸を確認していた。


「後であのすげぇポーションを傍に置いといてやってくれ」

「こんな女に勿体無くない?」

「……いいんだ」

「あっそ。じゃあ、あっちの男共は?」


 エミリーが指差した方には、ライルが投げ飛ばした男に巻き込まれてノビていた男達が、小さな山のように積み上がっていた。


「あー、あっちはよく分かんない奴らだからな……適当に縛って放り出しとくか。目が覚めたらミネルバがなんとかするだろ」

「良いのあるわよ! 一回しか使えないけど相手をガッチガチに拘束出来るっていう──」

「勿体無いから普通のロープで良いよ! 俺の鞄に入ってるよ!」

「あ、そっちは勿体無いんだ……」


 エミリーは呆れたように肩をすくめたのだった。




 ──◆──




 適当に男達の拘束を終え、一息ついた頃。


「よし。それじゃ、そろそろ──」


 ライルは次元収納から一つのアイテムを取り出す。先ほどは使おうと思った瞬間をミネルバに邪魔された形になっていた。


「もう一回言うけど、次元収納の黒い球の上で割れば良いのよ」

「……わ、分かってるよ……よ、よし、やるぞ――!」


 意気込んだライルは次元収納の出入り口を出現させると、その上に震える手で水晶体をかざした。そして今にも水晶体を割らんばかりに力がかごめられる。今度は邪魔が入らない事をライルが確認したその瞬間――


「――ちなみにそれは神様の試練で入手できる物なんだけど……正真正銘のレア物よ?」


 エミリーは意地が悪そうな顔をし、そう言ってのけた。


「――んぐ」


 その言葉にライルは躊躇しかけるも――パリンという軽い音と共に、水晶体は砕け散った。


「あ――」


 ライルの間の抜けた声と共に、中にあった小さい黒い球が次元収納に吸い込まれる。


「おま、そういう事は――!」

「んっふっふー、言ってたら勿体なくて使わなかったー?」


 悪戯が成功した子供のようにエミリーはニヤニヤと笑う。


「ぬぐぐ……って、これ大丈夫なのか!?」


 黒い球は脈動するように大きくなり、膨れ上がっているように見える。


「大丈夫よ、そろそろ終わるわ」


 エミリーのその言葉の通り、黒い球は大きく一度脈動すると動きを止めた――その大きさを何倍にも膨れ上がらせて。


「球がでっかくなった……」

「良かったわね、これで大きい物も入るじゃない」

「ぉぉおお、マジか! いや、デカすぎるのも考え物……おぉ、大きさ変えられるのか……すげぇ……」


 大きくなった黒い球へとライルが右手を近づけたり離したりすると、今までのような手のひらほどの大きさから抱えるような大きさまで、その大きさを変えてみせた。ライルは楽しげにそれを繰り返している。




「さて、ここの場所もバレちゃったし。このアイテムをここに置きっぱなしにする訳にもいかないから、移動させたいんだけど……手伝ってくれない? アンタ運び屋でしょ?」

「おぉ、この運び屋“素通り”に任せとけ! 拡張祝いだ! タダで運んでやるぜ!」


 念願の次元収納の拡張を終えたライルは普段は自称しない二つを自分で名乗り、意気揚々とアイテムを吸い込むように仕舞っていく。


「今ならいくらでも入る気がするぜ! あっはっは!」

「どんどんいけー! はい、次こっち!」

「おう!」


 アイテムは部屋のあちこちで山のように積まれている。勇者が残したそれらは本当に様々な物だった。ポーションを始めとして水晶の様ないかにもな物や、剣や盾、杖のなど武具の形をした物、指輪やネックレスなどアクセサリーの形をした物、変な形のよく分からない物、中には真っ当な財宝も少しだけ含まれていた。ライルはそれらを次々と次元収納の黒い球へと収めていく。




 やがて、幾つもあった山も残すところ一つとなり──


「これで最後だな――あれ? ……入らないな……何でだ?」


 ライルは広げた次元収納で包み込もうとするも、黒い球はもうアイテムを吸い込まなかった。


「ん? ありゃ、もう限界か」

「へ?」


 エミリーの予想外の言葉に目を点にするライル。


「収納空間を広げられるとは言ったけど、あれ一個でどこまでも広がる訳じゃないわよ? まぁ、ここにあった物が大体入る位にはなったって事じゃない?」

「なん……だと……」

「どしたの?」

「だから、そういうのは……先に言えって……」


 ライルは地面に膝を突き、くずおれていた。その背中は言い知れない哀愁を漂わせている。

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