第3話 とある・・・

 オレンジ色の光が私の座るベンチを覆った。

 少しまぶしいからかもしれない。

 瞳から涙がこぼれ落ちそうになった。


 いや、違う。

 本当の理由は——


 その時、やけに強い風が頬にあたった。

 少し冷たい風が頬やブラウスから露出する肌に直接当たって、肌寒い。


 もうそろそろ秋から冬に変わる季節……。

 大学の学園祭が近いけど、きっとこのままではひとりぼっちで周ることになるのかな。


 まあ、サークルに関しては徐々にフェードアウトすればいいのかもしれないけど……。


 はあ……私がいけないのかな。


 あまり角を立てないように返事をしたはずだったけど、結局、そんな私の気遣いなど意味をなさなかったわけだから……。


 そう考えると、ため息がこぼれてしまった。


 『さくらって、可愛いからいいよね?勝手に男が寄ってくるんだから——』


 嫌な光景が脳裏に浮かんでしまった。


 ……ほんと、惚れた腫れたなどくだらない。


 どうせ男なんて顔と下半身のことしか考えていないんだから、私がそんな男と付き合うわけないのに……。


 それに、そもそも友だちだと思っていたあの子の好きな男の子なんかとは初めから付き合うつもりもなければ、これから先だって興味もない。


 でも、そんな私の思いなどあの子には伝わらなかった。


 『さくらは、いつだって私の好きな人から告白されるよね……もう、無理。いい加減にしてよっ』


 そんなこと言わないでよ。

 高校の頃からの付き合いでしょ?

 私が一度だって、あなたの好きな男の子を奪おうだなんてしたことないことくらい知っているでしょ。


 ただあなたと彼の接点をなんとか増やしてあげたかっただけで……。


 ああ、そうか。

 それで少し話す機会が増えてしまったのがいけなかったのかもしれない。


 いつから彼が私のことを好きになってしまったのかは知らない。

 でも、彼が、私ばかりに話しかけてくることが当たり前になってしまった時点で察するべきだったことだけは、今更遅いけれど、わかった。


 冷静に思い返すと、前兆はあったんだよね。


 はあ……私が油断して友だち感覚で接してしまったのがいけなかったんだろうけど、それでもなんで私だけが誘惑したみたいなことになるのかな。


 そんな時だった。

 足元にサッカーボールがコロコロと転がってきた。


 中学生かな?

 どこかで見たことのある練習着を羽織った男の子がこちらに駆け寄ってきた。


 私は咄嗟に視界を覆う涙を拭った。


 すぐに足元のサッカーボールを拾い上げて、男の子に手渡した。


 『ありがとう』とぶっきらぼうに言ったような気がした。でも、私の手から受け取ったボールを抱えて、立ち止まったままだった。少し背の高いその男の子は、じっと、数秒ほど私を観察するように見つめた。

 

 冷めたような雰囲気で目つきは悪いけど、全体的に端正な顔立ちの男の子は『はあ』と息を吐いた。


 そして、男の子はなぜか私のベンチの隣に腰を下ろした。


 ……?


 え?なに……この男の子?


 『なんで泣いているのか知らないけど……俺でよければ話くらい聞くけど』


 ガシガシと少し長い前髪をかき上げて、流し目で私の方を見た。


 この男の子……私のこと口説こうとでもしているのかしら。


 ううん、違う。


 この少し細められた瞳は、まるで私のことを憐れんでいる……のかな。


 なんか、年下のくせにこの余裕の態度がムカつく。


 でも……なんでだろう。


 少しだけ、ほんの少しだけ、このモヤモヤとする気持ちを吐き出してしまいたいと思ってしまった。


 気がついたら、とめどなく言葉が次々と溢れ出していた。


 あれ、なんで泣いているんだろう。

 なんで勝手に涙がこぼれ落ちていくのだろう。


 ほんと意味わかんない。

 これまで人前で泣いたことなんて一度だってなかったのに。


 小学校でも、中学校でも、高校生の頃、そして大学生になっても、友だちの好きな人を奪ってしまったことは何度かあった。その度に、私はできるだけ勘違いさせないように、男の子と距離を置いて接するように距離感を修正して接することに注意した。


 でも、それでもなお、結局、私が誘惑したような噂が流れた。


 そんな噂が流れる時、私が友だちだと思っていた女の子が、いつも影で私が誘惑しているというような噂を流していることを今日、知ってしまった。


 そんなこと年下の君に言ったところで、意味なんてないのに。

 

 脈絡もなく、建前もなく流れるように、こぼれ落ちるように口から言葉が出てしまった。


 『ごめん、俺、好きとかよくわかんねーけど……でも、あんた苦しそうなのは伝わってきたから、だから——』とそう言って、私の手を握った。少し暖かい掌が、私の手の甲を覆った。


 なに勝手に、私の肌に触れているのよ?

 誰が触っていいって許可したかな?

 そもそも、私は泣いてなんていないからね。

 だから——早くこの手を退けてちょうだいっ。


『それだけ気が強ければ、もう大丈夫だよな』


 そう言って、少し無愛想な年下の男の子は立ち上がった。


 ち、ちょっと、待ちなさいよっ。

 私のことばかりだったから、次は君の番でしょっ。


 そ、そうこれは等価交換なんだからね。


 『意味がわからない』て……わからないなら、それでいいわよっ。

 とにかく、かわいいお姉さんが君の悩みを聞いてあげるって言っているのよっ。


 それくらい、察しなさいよ。


 ——なっ!?

 

『お姉さん……?』て、なんでそこに疑問を持つのかな!?


 誰がどう考えたって、そこは『かわいい』と言ったことに、『自分でかわいいって言うのかっ』てツッコミを入れるところでしょ。


 『はいはい、わかりました』て、仕方なく私に付き合うような雰囲気を出して、めんどくさそうな表情になるのやめてくれないかな。


 まるで私が残念な美人なお姉さんになっちゃうでしょっ。


 『……』


 まさかの無反応!?

 流石に何かリアクションしてくれないかな。


 へー君の癖わかっちゃった。

 

 困ったような表情で、前髪をかき上げるのが癖なんだね。


 え?『かわいいにツッコミを入れなかったのは……あんたはその……ほんとにかわいいと思うから』って、なんで急にデレるかな……それ、反則だからねっ!?


 はあ……私ばかり焦って、ほんと馬鹿みたい。


 ううん、なんでもない。今のは独り言だから気にしないで。

 

 君はすごくストレートというか……駆け引きみたいものしないんだね。


 だって、普通、女の子が泣いていたら、見て見ぬふりをするとか、私の周りにいるようなゲスな男たちみたいに近づいてきて、慰めるふりして、身体だけを目的にすることくらいわかるでしょ?


 『そんなドラマのようなことあるのか』か……あるよ。私の大学の男の子なんてほんと下半身のことばかりしか考えていないような人ばかりで、ほんと呆れるよ。


 せっかく、それなりに勉強して入学した大学なのに……くだらない男ばかりでつまらないよ。


 ……?

 ああ、私の通っている大学は、国立商科大学ってところなんだけど。


 え?

 うーん、それなりに頭の良い国立の大学かな。


 そういえば、君が着ている練習着?それ、どこかで見たことあるんだけど、もしかして君、結構有名なチームに所属しているのかな?


 そっか、プロチームの下部組織?に所属しているんだね。

 だからどこかで見たことがあるロゴマークが入っていたんだね。

 じゃあ、このままいけば、将来はJリーガーになるのかな。


 え?違うの……?

 

 ご、ごめんなさい。

 怪我しちゃったんだね。それで、辞めるつもりなんだね。

 

 無神経に聞くべきじゃなかったね……ごめんなさい。

 私の話なんかとは比べようもなく、君の方が辛い思いをしていたんだね。


 でもなんでだろう。

 今の君は少しだけ疲れているような気がした。


 『そんなに気を遣わないでくれ』て、そんなに儚げに微笑んで見ないでよ。


 本当は辛いんじゃないの?

 小学生になる前からボールを蹴るのが当たり前だったて今言ったよね?

 だったら、もう君の生活の一部だったんじゃないの?


 そんな簡単に割り切って、辞めることなんてできないんじゃないの。

 

 なのに——なんで全てをわかったようでいて、それでいて諦めていない顔なのかな。

 

 まるでそんなことなんて些細なことだって言わんばかりの吹っ切れたような、そんな雰囲気。


 ああ、そっか。

 この男の子はもう自分の進む道が、これまでとは異なることをわかっているんだろう。


 でも、だとすると今日、なんで一人でこの公園でボールを蹴っていたのか不思議。


 『今日が、ボールを蹴る最後の日だって決めたから』


 そうだったんだね……。

 え?お別れの儀式って……なんかそれズレているような気もするけど……。


 でも、たかだか数分しか一緒にいないのに、なぜだか君のことが少しだけわかったような気がするかも。


 いずれにしたって、こんなにかわいいお姉さんに出会えたんだから、よかったでしょ。


 『ああ、そうだな』て、なんでそんなすました返事なのかなっ。


 だから、こっちが恥ずかしくなるでしょっ。


 あれ……そっか。そうだよっ!

 周りにバカな男の子しかいなんじゃなくて——自分好みに調教——育てればいいんだよっ。


 ふふ、この子なんてまさに最適じゃないっ。

 

 何を考えているのかわからない冷たい目、少し背の高いところ、華奢で色白い肌だとか、フワッとした黒い髪——


 え?『体調でも悪くなったのか』って心配してくれたのかな?


 ふふ、ありがとっ。

 全然、大丈夫だから安心してよっ。


 ……あ、教員免許のカリキュラムとかどうなんだろ。

 今からでも取れるのかな……。

 まあ、最悪、ダブルスクールで取ればいいだけの話しだろうけど。


 そ、そういえば、まだ君のお名前知らないなー。

 せっかくのご縁だから、お名前を教えてよ。


 へー、蓮くんって言うんだね。

 

 後で家の者に調べさせよう……。


 ううん、なんでもないよ。

 独り言だから気にしないで。


 あれ、急に公園の時計を見てどうしたの?

 

 『俺、時間だから帰る』


 そっか、蓮くんはこの後に用事があるんだね。


 うん、じゃあね。

 

 あ、待って。

 もう今後一切、女性——特にお姉さんをナンパしちゃダメなんだからねっ!

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