「ゼロの偽証」 呪い

 到着した味方の車は四台の乗用車と一台の装甲トラックだった。乗用車から降りてきた職員の顔は信じられないという言葉が顔に貼り付いていた。

 今は装甲トラックに二人で乗せられ、運ばれている。行き先はルシッフルタワーだ。

「二人とも無事で良かったよ」

 装甲トラックの助手席、そこにいるのはジョンだ。シートベルトを外して後部の荷台へ彼はやってくる。

 レラジェは先ほど手当てを受けた為、もうすっかりピンピンしている。

「まさか君ら二人を保安局側が本気で狙うとは思わなかった。私の判断ミスだ、すまない」

 ジョンが右手を胸の辺りまで持ち上げて、謝罪の意思を示す。

「結果的には向こうの戦力を大幅に削ぐことができたわけだし、構わないわよ。こちら側に死者は出なかったしね」

 レラジェが答えた。

 トラックの荷台は人工的な白色灯が照らしているので、レラジェの肌の白さが強調される。

 トラックの荷台は意外に快適な空間だ。空調は自動で調節され、揺れも少ない。

 しかしながら、両側面についたベンチは一番後部の五〇センチほどを除いて、かなりでかい白い箱のような物がベンチと拳二つ分の距離を取って設置されている。

 そのせいで二人は両のベンチの端に所狭しと座らせられている。

「ありがとう、レラジェ。君らの仕事のおかげでこの後が随分と楽になった」

「あら、礼を言うべきなのは私じゃなくて、イポスよ?」

 急に名前を呼ばれたので背筋が伸びる。

「イポスがいなきゃ、今頃私は死んでたわ」

 買い被りすぎだとは思いつつも、レラジェに褒められるのは気分が良い。素直に受け止めておこうと思う。

「そうか、良かったなイポス」

 ジョンがいたずらっぽく笑う。そして口の動きだけで一歩前進だな、と呟いたジョンの顔を睨む。

「いつから気がついていたんだ」

 照れ隠しのため息に混ぜて、ジョンに問う。

「あまり研究者と言うものを舐めるもんじゃない、我々の持つ洞察力は本物だ。カマかけにも見事に引っかかった訳だしな」

 やられた。

 カマかけに気づかないとは、ジョンがやり手なのもあるとは思うが自分がまだまだ甘かった、と反省という名の現実逃避でいつの間にか赤くなっていたらしい顔を冷ます。

「若いってのは良いものだな」

 ジョンがちらりとレラジェの方を見ると、こちらはこちらで顔を真っ赤にして伏せている。

 かわいい奴らめ、と誰にも聞こえない声量で呟いた後、ジョンはベンチの上にあるタブレットを手に取った。

「さあ二人とも、仕事に戻るぞ。そういうのは二人っきりの時にやってくれ」


 この車は、ただの装甲トラックではない。

 正式名称は機動展開支援車、スペクターという組織の上で非常に重要な役割を持った車両だ。

 対テロ作戦の要は機動力にある。無論、起こさせないというのが大前提だが、起きてしまったのなら事態の早期解決に尽力することが重要なのはもはや語るまでもない。解決に時間を要すれば要するほど、事態は悪化の一途を辿るだけだ。

 スペクターもこの基本理念は変わらない。機動警備隊がいち早く現場の安全を確保し、可能であれば情報収集と無力化を実施する。その後に到着した機動部隊が武装解除と制圧を行う、というある程度マニュアル化された行動指針がある。

 このマニュアルにおいて与えられた時間は非常に短い。特に機動警備隊に関しては、一分一秒を争いながら戦っている。そんな彼らは多少の武装こそ許可されているが相手は組織化されたテロリスト達だ、間に合わせの武器で対抗できるはずがない。しかし、ヘキサゴンタワーへとわざわざ戻っているような暇はない。

 そこで活躍するのがこの機動展開支援車というわけだ。

 各種衛星やスターズと呼ばれる偵察機、ヘリコプターなどから送信される情報を閲覧できるディスプレイ、本部との無線通信の中継、一時的なセーフハウスとしての役割を備え、さらには移動式の武器庫としても利用される。

 研究部門の支援要員としての一面が、この車両に詰まっている。

「現在の状況を確認しよう」

 ジョンはそう言って手元のタブレットの電源をつけ、イポス達に見せる。

 その画面に映っているのはルシッフルタワーとピースサークルビルの立体モデルだ。

「五時三〇分現在、我々の置かれた状況はかなり逼迫している。およそ五十分前に発生したブース陣営の襲撃により爆弾発見作業は中断、更に職員含め六十七名の人質を取られた」

 ジョンがしかめっ面を隠そうとしないのは、こういうことだ。

「ピースサークルビル内部は西側に位置するアーケード入口とその周辺以外は全て安全確認をが済んでいない、機動部隊の到着待ちだ」

 タブレット内のモデルが拡大され、ビルの平面図になる。その平面図はアーケード入口周辺だけが緑色に塗られている。安全確保済みである部分だろう。

「タワー内は完全にブラックボックスだ。哨戒ドローンを飛ばしたが、敵側の詳細な装備や人数などはわかっていない。分かるのは人質が収容されている場所とブースがどうやらいるらしいということだけだ」

「随分だな、優秀な研究部門が音を上げるとは」

「そう見えるかもしれんな」

 ジョンがレラジェの方をチラリと見た。黙って話を聞いていたレラジェがイポスに向き合う。

「ルシッフルタワーの電波塔としての役割はまだ生きてるの。主に航空機の管制用にね」

「その通り。通信をシャットアウトする訳にもいかんからな、周波数帯が混線していて通信障害が発生する。四五〇メートル以上の高度は通信機器も使えないと思え」

「なるほど」

 航空法の範囲内にしたのは失敗だったな、とジョンは呟く。

 イポスが苦笑いすると、ジョンはタブレットを再び操作し、今度はルシッフルタワー内の透過モデルへと変わる。

「タワー内部の状況だが、分かっている範囲で説明する。まず、主電源が破壊され、五基あるうちの二基しかエレベーターが動いていない」

「照明はついてるか?」

「全て落ちている。フラッシュライトと高機能ゴーグルが装備に含まれてはいるが、充分に注意が必要だ」

「非常用電源はどれくらい持ちそうかしら?」

「エレベータにしか給電していないお陰で長く持つには持つが、恐らく合計十五分程度の稼働が限度だろう」

 追手の戦力を分断する為の作戦だろう。綿密に作戦を練らなければ、エレベーターを降りた途端に蜂の巣にされる。

 画面が立体モデルへと戻り、タワーの最上部へと近づいていく。

「MOD爆弾は、最上部に当たるアンテナゲイン塔の点検用に設置された屋外足場に設置していると予想される。ここが効果範囲が最大になると予想されているからな」

 ゲイン塔の中程までを巻きつくように設置された鉄製の足場、その最上部はドーナツ状に足場があり、赤く染まっていた。爆弾の設置予想場所だろう。

「タワーへの侵入経路は、東側二階の団体用入口と南側の一般入口、ピースサークルビルのアーケード入口と繋がった西側入り口の三つだ。手順は君らに任せよう」

 両側にある白い箱の窪みに、ジョンが指を滑らせた。

「向こうの人数は四十人以上、こちらが動員するのは機動部隊『泣く鬼』と『タンタロス』の二つ。内、制圧にあたるのは各九人の二分隊ずつ、合計三十六人の四個分隊だ」

「攻撃を行うには随分と劣勢だな」

「即応できるのは君らの部隊しかいないんだ。その代わり、装備はとびきり良いものを揃えたぞ」

 白い箱が観音開きに開いた。

 中には物々しく光を反射する大量の銃火器がラックに掛かっている。

「レラジェ、お前にはいつものサブマシンガンを持ってきた」

 そう言ってジョンがレラジェに職員たちがリリックと呼ぶ銃を渡す。

 遠目だが入念に整備されているのがわかる。ウェポンライトがハンドガードの右側に、フォアグリップが下側に取り付けられている。カスタムはそれだけではない、通常モデルでは伸縮式のストックが固定式の物に換装され、グリップやマガジンの挿入口、セレクターやスリングマウントに至るまでレラジェのために調整されている。小ぶりの銃ながら、圧倒されるほど出来の良い銃だ。

 レラジェの顔が僅かに綻ぶ理由もわかるというものだ。

「無茶を言って悪かったわね、最高よ」

「お安い御用だ、むしろ苦労したのはこいつの方だよ」

 言いながらジョンが取り出したのは、リリックよりも二回りほど大きな銃。

「お前の銃だ。持ってみろ」

 投げ渡されたライフルを眺める。なるほど、確かに良い銃だ。固定ストックにバーチカルグリップ、握り込みやすい革張りのグリップ、引っかかりやすいチャージングハンドルに薄型大型のボルトキャッチ。使用する弾薬にもよるが反動制御は苦ではないだろうし扱いやすそうだ。

 銃側面に『ゼクス・アハト』と刻印されている。この銃の名前だ。

「満足するのはまだ早いぞ」

 ジョンに小指ほどもない金属塊────今まで見たことのない銃弾を見せられる。通常の拳銃弾のように弾頭の先は丸まっておらず、だがライフル弾の様に大型の銃弾ではない。

「こいつは?」

「我々研究部門の最高傑作、六・八ミリ尖頭弾。銃口初速八二〇メートル毎秒、有効射程一八〇〇メートル、しかも一般的なボディアーマーでは防げない。それでいて、反動はかなり抑えられている、そのライフルを使えば反動はないも同然だ」

 声のトーンがが跳ねている。こんなテンションのジョンは見たことがないが、聞けば聞くほどイポス自身の期待が高まり、つい相槌が大袈裟になってしまう。

 やいのやいのと騒ぐ男二人を、冷ややかな目でレラジェは眺めていた。

 それに気づいたらしいジョンが咳払いを一つ挟んで、また険しい表情に戻り、その他の装備を手渡される。レラジェとジョンはそれを次々に身につけていく。

「これよりこの作戦はパージャリィ作戦と呼称。同様のブリーフィングを君たちの部隊員にも実施している」

 ジョンの言うことを聞きながら、モバイル機器を左腕に装着、マテバを右腿のホルスターに、左腿のホルスターに自動拳銃を入れて高機能ゴーグルを頭に載せた。それを確認すると再びジョンが口を開く。 

「君たちの任務は五つ。第一にピースサークルビル内の制圧、第二に人質の回収、第三にMOD爆弾の発見・無力化、それからブースが持ち去ったと思われる文書の後半部分の回収、そして」

 一瞬、ジョンが言い淀んだ。

「そして、クリークゾフツの幹部と思しき人物、ブース・フィリーの暗殺だ」

 声は震えていた。当たり前だ、誰だって自分の友人を殺せなんて指示できるはずがない。

「……私の数少ない友人だ」

「わかってる。ギリギリまで撃たないでおくわ」

「いや……」

 ジョンが歯を食いしばりながら言う。

「脳天に一発、それで殺せ」

 仕事に情は持ち込みたくない、そう言ってジョンは頭を下げた。

「あんたも人間なんだな、ジョン」

「心外だな、人の心も情も持ち合わせてる。……だから、どうか苦しませずに一発で殺してやってくれ」

 はたり、と金属製の床に涙が落ちた。レラジェがジョンの背中を優しくさする。静かに啜り泣く声を、エンジン音が掻き消した。



「どうした?」

 ジョンが助手席へと戻って、他愛もない会話を続けていた。少しの間、レラジェが押し黙るのを見て、心配になった。

「友人を失う苦しみは、私にも分かる」

 遠くを眺めるように、レラジェが言った。

「あなたも辛かったでしょうね、聴きましたよ」

「……なら、話は早いわね」

 ピトフーイ、ラフィーネ大陸に生息する鮮やかな鳥の名だ。レラジェをそう呼ぶものがスペクターには幾人かいる。

「四人、目の前で死んだ。うち一人は自分の手で殺した。でも、看取ってあげられただけジョンよりはマシかもね」

 スペクターのエージェントは基本的にバディを組んで任務にあたる。どちらかが引退や殉職すれば、新しいバディが編成される。しかし、そんなことは稀だ。

 エージェントという称号は、数多の優秀な職員の中でも飛び抜けて優秀な者だけが与えられるものだ。そう簡単に死ぬものではない。

 だが、レラジェとバディを組んだ四人は死んだのだ。

 ピトフーイの特徴である美しい外見と、触れただけで人を死に至らしめるほど強い神経毒。

 蠱惑的なレラジェとその呪いを、美しき毒鳥に重ね合わせた。

「でも、私にかかった呪いはそれだけじゃない」

 左腕のモバイル機器をレラジェが操作する。数秒の操作の後に、イポスに画面を向ける。

 そこにあったのは、ライトで照らされた死体の写真だ。

「これは?」

 写真の死体は耳や鼻から血を垂れ流している。

「四回目の地下鉄占拠テロの時に撮った、当時の相棒よ」

「この死に方は……」

「そう、あの文書の添付写真と同じよ」

 氷柱で心臓を刺されたような気分だ。何が起きているのかわからない、いや理解したくない。

「去年の時点で既に、彼らは魔力をある程度制御する術を彼らは持っていたのよ」

「ジョンはこれを?」

「もちろん知ってる。ただ、当時は謎の変死を遂げたとしか私も思ってなかったのよ。私の目の前で死んだけど、それが意図的に引き起こされているとは思えなかった」

 確かに現実味のない死に方だ。当時、この死体を検死した人間は発狂ものだろう。

「クリークゾフツのメンバーを二人で追い詰めた時、何か装置を取り出してピンを抜いた。その瞬間に、青白い光が私たちを包んで、気付いたら相棒とそのメンバーは死んでいたの」

「……でも、あなたは何の影響も受けなかった」

 レラジェが無言で首を横に振ってバックパックを漁る。

「影響自体は、恐らく受けた」

 取り出したのは指先ほどのサイズの木片だ。それを右手の指で摘んで、レラジェは言う。

「『聖痕スティグマ』に祈りを」

 同時に木片は細かな破片となって破裂した。イポスが感嘆の声を漏らすとレラジェはため息混じりに悲しそうな顔をしながら笑う。

「この力で最高戦力なんて呼ばれるようになった。お笑いよね、対テロ組織の精鋭がテロ組織のお陰で戦えてるだなんて」

「でも、その力がなければ俺は死んでましたよ」

 レラジェは黙ってしまった。

「そう、ね。始めてこれに感謝した気がするわ」

「エーリッヒがいつも言ってるじゃないですか、『使えるものは全部使え』って」

 イポスが上司の声真似をしながら言うと、レラジェが笑った。随分とツボに入ったようでひいひい言いながら笑い続けている。

「あははっ……全然、似てないわよ、ふふふ」

 流石に笑いすぎだ、いや笑われすぎだ。少し顔を顰めてみせたが、レラジェはずっと楽しそうに笑っている。

「えっと、もう平気ですか?」

「ええ、もう大丈夫……ふふっ」

 最後に少しだけ笑ってようやく呼吸が落ち着いたようだった。

「そんなに面白いもんでもないでしょう」

「いや、面白いわよ。仕事辞めてコメディアンにでも転職すれば?」

 随分と顔が綻んでいる。どうにも憎めないのが困ってしまう。

「お断りですよ。俺はこの世界にしか生きられないし、それに」

 言い淀んだ。これを言っていいものかどうか迷ってしまった。

「それに?」

 レラジェが顔を覗き込みながら訊き返してくる。

「……それに、あなたの隣に立てなくなる」

 レラジェが目を丸くして硬直してしまった。イポスは、思いのままを話した恥ずかしさから目を合わせることはできなかった。

「そう……ね、私もあなたの成長を見届けられなくなってしまうわね」

 小さな鈴を転がしたかのように笑うレラジェの目には溢れんばかりの愛おしさが見える。

 感極まったかのように、未だ顔を背けているイポスの肩をレラジェが抱いた。

「諦めずに生き続けてみるものね、こんなにも可愛い愛弟子ができるなんて思ってなかった」

 心なしか、レラジェの声は震えていた。イポスは想像以上に細い背中を優しく撫でる。

「心配しないでください、俺は先には逝きませんから」

 肩に目元を押し付けているのが感覚でわかる。呼吸も少し乱れていた。何度か呼び掛けてみるが、首を少し震わせるだけで姿勢を変えることはなかった。

 いったい、この華奢な身体でどれほどのものを背負って生きてきたのだろうか。

「……イポス。貴方がバディで良かった」

 耳元で絞り出すかのように呟いたその声を最後に、肩の重みが消えた。

 次の瞬間、二人の唇が触れる。

 小鳥が啄むかのような口づけは、一瞬でもあったし途轍もなく長い時間でもあった。それから、彼女はイポスの両目をじっと見据えて口を開く。

「私にかかった呪い、あなたに振り払えるかしら?」

 挑戦的に、それでも縋るような顔。彼女なりの優しさの表れなのだろう。

「ええ、俺が振り切ってあげますよ。亡霊スペクターの呪縛から」

 それに応えない理由は、あるはずもなかった。

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