「ゼロの偽証」 スタングレネード
闇に包まれたピースサークルビル、中は破壊の限りを尽くされており通路だというのに土産品やらどこかの棚が進路を狭めていた。
今、イポス率いる『泣く鬼』は南側の一般入口の目の前にいる。ここはブースの指揮するエンヴィー部隊がタワーの内部へ強行した場所だ。
一般入口は辺りの棚などを使ったバリケードによって塞がれている。だが、それ以上に奇妙な点があった。
「こちらチャーリー・アイン」
イポスが無線を繋いでタワーを挟んで向かい側、ピースサークルビルの北側にいるであろうレラジェと交信する。
「接敵なし」
そこには彼ら以外いなかった。
『こっちも同じね。入口はどう?』
「塞がれてます。壊そうと思えば壊せそうですが、少し時間はかかるでしょうね」
『……人感センサーへの反応は?』
「タワーの方向にはあるようですが」
少なくともビル内に誰かいるような気配はなかった。
「こっちはライトを緑色にします」
ため息混じりにイポスが言った。
『了解、こっちも同じ色にする。くれぐれも誤射のないように』
背後にいる仲間たちにライフルの銃身の下部にあるライトの色を緑にするよう伝える。
「行こうか」
イポスたちはまた、ビルの中をゆっくり進み始める。
「見事に誰もいなかったわね」
ピースサークルビル東側の出口からほど近い仮設テントの中で、レラジェがアウトドア用チェアに座りながら言う。
「中で守りを固めてるんでしょうね、大人数でないなら下手に分散させたほうが危険ですし」
「緊張し損だったわ……」
ぐったりとうなだれるレラジェの側に座ったイポスが彼女の首を支えて持ち上げる。
「起きてください。もうすぐタイムリミットが三時間半を切りますよ」
「わかってるわよ」
十八時半まであと僅かだ。こうしている間にも時間は流れてしまう。
そんなやりとりをしていると、テントの中へニコラとマルガが入ってくる。彼らは各出入り口のバリケードの状態を確認しにいっていた。
「なにイチャイチャしてんの」
「イチャついてない」
マルガの冷やかしにレラジェが返すと、わざとらしくノリノリのニコラとヒソヒソ話を始めた。レラジェが席を立ち、二人の間をこじ開けてその茶番は終わる。
「で、バリケードはどうだったのよ」
近くの机に座るようにレラジェが催促する。
「南側の方は、爆弾使うほどでもないけれど崩してる間に攻撃されるのがオチね。タワーの中へ行くにはどのみち一直線で遮蔽のない渡り廊下を進むから」
「東側二階も似たような状態でした。三つのうちどの場所を選んでも被害は大きいでしょう」
「万事休すか」
各々が座って思案を巡らせる。背後では研究部門の職員たちが慌ただしく作業をしている。
「例えば、ですが」
イポスが手を挙げて発言を始める。
「西側、アーケード入口から重武装した部隊が突撃し、東側二階から残った部隊が制圧する、というのは」
「出来なくはないでしょうけど」
「ほぼ不可能だろうな」
テントに入ってきたジョンがレラジェの言葉を引き継ぐ。
「重武装とは言っても、グレネードに耐えられるようなものでもない。一階の制圧自体は上手く行っても戦力は大幅に削がれるだろうな」
「何より、南側の入り口を残しておくと敵はそこに逃れようとするでしょうね。そうなれば、外に居るのは戦闘能力のない研究部門の職員と軽武装の機動警備隊だけ」
そうなれば、一方的な虐殺が始まる。仮に全滅させられたとしても、その後にタワーを登れるような継戦能力は無いだろう。
「全ての入り口を塞ぐように、かつ戦力をほぼ減らさないように……」
聞くだけで無理難題だ。戦力を結集しても、分散しても結果は失敗に繋がる。
「失礼します」
どうやら、このテントはかなり出入りが激しいようだ。入ってきたのは顔見知り、『泣く鬼』の戦術衛生員のハルだ。
「ニコラ副長、頼まれていたものを見つけました」
ハルが敬礼を解いて持っていた画用紙を五人の前に広げた。
そこに書かれていたのはルシッフルタワーの設計図だ。丁寧に配線図まで書かれており、どうやら地下の配電室から予備電源含め、すべて電力が供給されているようだ。
「地下か」
「これはエレベーターに乗る部隊と地下に向かう部隊の二つが必要そうね」
また問題が増えた。ハルを除いたそこに居る誰もが、ため息を漏らした。
「では、失礼しますね……?」
少し気まずそうにしたハルがおずおずと出口に向かった。
そこからまた、しばらくの間作戦の議論が交わされる。だが、どれも決定的な一打にならないことはわかりきっていた。
「一つ、一つだけ案が」
それまで黙りこくっていたニコラが遂に口を開いた。
「不安かな? マイク少尉」
ピースサークルビルの外側、アーケード入口のそばに設営された突入部隊『エイダ』の控えテント。上司であるリザ大尉に声を掛けられたマイクはいつもの調子で肩をすくめる。
「まさか。決死隊であることは知ってましたし」
「お前も物好きだな、わざわざ死にに来ることも無いだろう」
リザは取り出した煙草に火をつけ、煙を吐く。
「死ぬために志願したんじゃありませんよ。あのバカに勇気とやらを見せつけてやるんすよ」
「例のルームメイトか。よほど気に入ってるようだな」
そんなわけないでしょう、とマイクはテントに置いてあったウイスキーを呷りながら言う。
「アイツはなんでもかんでも自分なら出来ると思ってる節がある。だからあの鼻っ柱を折ってやりたいんですよ」
リザが口を豪快に開けて笑う。
「そういうのを気に入っているというんだよ」
「顔の可愛い男なら歓迎ですけどね、アイツは俺の好みじゃない」
一度引いた笑いがまた、リザの口から溢れ出る。
「そうか、お前はそういう奴だな」
手もとのウイスキーに漂う氷を眺めながら、リザは細く漏らした。少し、物憂げに。
「死ぬのが怖いですか、リザ」
「そりゃな。怖いもんは怖い」
ロックグラスに半分ほど残ったウイスキーを一気に呷ったリザの横顔に張り付いた笑顔が、妙に優しげだった。
「だがな、それ以上に怖いのは遺してく奴らだ」
「嫁さんですか」
頷くリザが、聖画に描かれる人物の如く美しかった。
「死に瀕してなお、他者を気遣ってるあなたは偉いと思いますよ。この言葉が救いになるとは思えませんがね」
そうかな、なんて言いながら継ぎ足すウイスキーを取りに行くリザ。その隙にマイクは携帯を取り出して、手早く操作する。
スコッチがもうなかったことにぶつぶつ言いながら戻ってきたリザに携帯を渡す。
「どうしたんだ、急に」
その携帯は発信中を示している。
「嫁さんと話してきてください。残すのが怖いなら気が済むまでどうぞ」
リザが困惑している中で、電話は繋がった。
『もしもし? 急にどうしたの、マイク』
声を出さずに早く返事をしろとジェスチャーしてから、リザをテントの外へ追い出す。
一部始終を見ていたのだろう、同僚のピートがマイクの背後から声をかけてくる。
「どうしたんだ、マイク。リザと何を話してたんだ」
「何にもないさ、惚気を聞かされてただけだ」
テントの外から聞こえてくるリザの声は艶っぽく、また聖母の如く優しいものだった。
「全く、世話の焼ける部隊長だよ」
荒々しい口調に似合わないロングヘアと細い長身で整った顔立ちのリザ。
「妻帯者じゃなければ、彼女をナンパしてたな」
「やめとけ、それで腕脱臼させられた奴いたらしいから」
ピートが真面目な口調でそんなことを言う。夜は更けていく、残された時間も少なかった。
ニコラの提案した案を、全員が黙って聞いていた。
興味があったわけではない、全員わかっていたのだ。それ以外に方法はない、と。
「……つまるところ、機動警備隊を囮にするわけだな?」
ジョンは責めるわけでもなく、ただ努めて事務的にそう言う。
「そうなります」
誰も、何も言えなかった。
選べるほど手段はない。それ以上に、時間がなかった。
「迷っている暇は、恐らくないだろう」
ジョンが腕時計を見た。十九時が迫っている。タイムリミットは二十二時なのだ。もしかすると、もっと早いかもしれない。
「その案でいくしかないだろう。部隊を編成する、作戦開始は、二十時頃を目安に」
「わかった。ビル内と同じく部隊はここにいる四人をトップに分隊を作る。電源復旧のために研究部門の職員も数人募っておいて」
レラジェの指示に軽く頷いてジョンがテントを出て行った。それに続いて皆が退出する。全員が浮かない顔をしていたのは言うまでもないだろう。
最後に残ったのはイポスだけだった。数万人のために、一体何十人が犠牲になるのだろうか。
「考えたってしょうがないか……」
ぼそりと独りごち、テントを後にした。
いつものこの時間は星など見えないほど活気に溢れ眩く空を照らすものだが、今日は違う。明かりは僅かだ、空を照らすのはほんの少しの街の灯りと大きな月のみだ。
良い景色であるはずだが、それだけに色々考えてしまう。
「空なんか眺めるような奴じゃなかっただろ?」
声の主を探るように顔をそちらへ向けた。
「お前もいたのか、マイク」
「最初に派遣された機動警備隊だからな、同期が何人か取り残されたが」
ルシッフルタワーの方を仰ぎ見るマイクが、悲しそうに言った。よくよく見ると、彼のスーツはところどころに汚れと血が付着している。
「ま、お前が助け出してくれんだろ?」
「……まあ、そうだな」
目を少し細めたマイクの問いに、自信を持って肯定することはできなかった。
「なあ、マイク」
彼の目を直視することはできなかった。縋るような視線がイポスの背に刺さる。
「誰かのために、命を投げ出していいと思えるか?」
この問いが、マイクを冒涜することはわかっていた。答えを考えるようにマイクは頭をガリガリと掻いた。
「……そうだな、俺はこれまでのらりくらりと生きてたが」
寒空の下で、マイクは空を仰ぐようにしながら言うのだ。
「惚れた女のためには命を投げ出していいとは思うな」
これまで見たことがないほどの朗らかな笑顔に、イポスはそれ以上何も言うことはできなかった。
二十時、遂に時が来た。
昏く閉ざされたルシッフルタワー内を、轟音と閃光が駆け回る。
眩い光は各所に隠れているブースの部下たちの視覚と聴覚を奪う。自由を奪ったのは二秒か、三秒か。生まれた隙はその程度だ。
だが、その隙は大きい。同時に投げ込まれた大量のケミカルライトがロビー全体を薄く照らす。
一足遅れて雪崩れ込む『エイダ』の兵士たちを複眼のナイトビジョン越しに敵兵士が捉える。
初弾は、エイダの先陣を切った職員の肩に命中。後ろに転がるように倒れ臥した職員を気にも止めず、エイダの兵士たちは飛び交う銃弾を避けることもできずに走って掩蔽物を求める。
ブース側の兵士たちの注意は、完全にアーケード側に取られていた。
銃声は足音を掻き消し、そして。
『制圧開始』
南側一階と東側二階のピースサークルビルとの渡し廊下から、それぞれイポス率いる『泣く鬼』とレラジェの率いる『タンタロス』が突入。
地獄と化した。
マズルフラッシュと銃声は途切れることなく満たし続ける。
『二階制圧!』
マルガの声だ。
銃声は絶え間なく響き続け、一人、また一人と倒れる中、ついに戦局は膠着する。
『意外と多いわね』
レラジェの声だ。
断続的に銃弾と手榴弾が飛び交うようになったロビー、エレベーターを中心に西側に『エイダ』、南側に『泣く鬼』、東側二階に『タンタロス』、北側と東側一階にブース陣営が動かないでいる。それぞれが円形の防御陣地を構築し、隠れるようにしながら銃撃戦を続けていた。
銃声が響く度にエイダの隊員が斃れる。この膠着状態はエイダの犠牲によって成り立っているのがありありと分かった。
「突破口が必要だな」
北側からエイダへの圧力がかかっている。このままエイダ側が押され続ければイポス達の退路は塞がれる。当初の想定よりも制圧がし辛い。このままでは成功は遠ざかっていくばかりだ。
無線機の送信スイッチを入れる。
「まずは東側を叩き、その後にタンタロスをラペリングで下ろして北側を潰す」
『なかなかの無茶を言いだすわね』
繋いだ先はピースサークルビルの外、ジョンたちのいる司令テントとレラジェだ。
『エイダがどれだけ保つかわからん。やるならできるだけ早急に、頼む』
「了解」
背後のニコラと暗視スコープ越しに一瞬の目配せを交わす。
「援護は任せてください」
「味方の誤射の方が怖いね」
グータッチの後に、イポスが立ち上がった。
『エイダ』は今にも全滅しそうなほどに消耗していた。
「グレネード!」
誰かの叫び声の直後に、マイクの目の前に手榴弾が落ちてくる。
「クソッ」
マイクはそれを掴む。冷気の染み込んだ金属製の外殻が肌に張り付くようだ、力一杯それを円形に構築された障害物の外へ投げ出した。
「マイク!」
投げ出すために立ち上がったマイクの襟首を掴み、リザが思い切り引っ張ってくる。
鼻先を銃弾が掠めた。
「助かりました、リザ」
「お前に先に死なれると夢見が悪い。死ぬんだったら軽口叩きながらにしてくれ」
手元の自動拳銃のマガジンを抜きながらリザが言った。
「分かりきっちゃいたが、流石に消耗が早いな。後ろもなくなったことだしそろそろ進展してくれてもいいんだが」
リザが振り返った後ろ────出口まで伸びていたはずの障害物の道は爆風によって途切れ、もはや安全に通れる道ではなくなっていた。引くに引けず、被弾した仲間を研究部門の職員の元へ送り届けることもできない孤島と化している。
そう長くは保つまいと、そこに残った十数名が思っていた。
「動いたぞ!」
障害物に身体を預けていた仲間が、南側を指差して叫んだ。
走った、その先に見えるのはエレベーターだ。
銃弾の驟雨の中、雨粒を避けるように障害物を乗り越え、あるいは潜り抜けて残り二十メートルというところか。一度、イポスは近くの障害物に身を隠した。暗視スコープが邪魔だ、頭上から取り払って投げ捨てて再び走り始める。
今度はほとんど障害物がない。走りやすい反面、銃撃を凌ぐ場所がなかった。イポスの右手はゼクス・アハトのグリップから離れて背面のポーチへと伸びていく。取り出したのは展開型の防弾シールドだ。
広げて右へ、銃弾の飛んでくる方へと投げ飛ばす。エンヴィー部隊の面々は暗視スコープを持っていなかったはずだ。
空中に漂った防弾シールドに銃弾が当たる。シールドの主成分たるチタンが砕かれ、粉末と化して空気中を舞った。粉塵化したチタンは急激な酸化を起こし、赤色に自然発火する。今回も例外ではなかった。
暗闇の中で唐突に発生した光を見は、一時的に急激な視力低下を引き起こす。敵の視線は防弾シールドへと向く。
絶え間ない銃声、その銃弾はシールドを叩き続ける。その度に僅かながら強烈な光が瞬く。だが、支えのない防弾シールドはやがて地面へと落ちてしまう。稼げた時間は一秒と少し程度、だがそれで充分だった。
残り十メートル、あとは運任せだ。どうか銃弾が当たらないことを祈りながらイポスは駆け抜けた。
成し遂げた、遂にエレベーターの扉が目の前にある。勢いが殺せそうにないので身体を半回転させて背中を打ちつけた。重い金属音が響く。
エレベーターの扉は少し奥まっており、人一人がすっぽり収まる程度の遮蔽になっている。イポスはそれを頼りに射線から逃れ、無線機の送信スイッチを入れた。
「援護する、一般入口からエレベーターまで横に広がれ」
イポスはゼクス・アハトのマガジンを抜いて中身を見る。十二分に入っている、ボルトを少しだけ開放して銃弾が入っていることを確認してからセレクタをフルオートに。マガジンを戻してハンドガードをしっかりと左手で握り、壁から少しだけ身を乗り出す。
「ゴー!」
叫ぶと同時に、引き金を引く。
引き続け、戻す。引き続け、戻す。断続的に引き金を引くことで六・八ミリ弾をばら撒き、敵を牽制する。銃撃が弱まったその隙をついて『泣く鬼』の隊列がエレベーターの方へ縦に伸びていく。
「カバー!」
弾切れ、同時に身を隠す。交代するように掩蔽に隠れていた隊員たちが上半身をのぞかせてライフルを撃ち始める。
その間にゼクス・アハトのマガジンリリースを押し込んで空になった弾倉を床へ落とす。その後に、ベストのポーチからマガジンを取り出して叩き込んだ。ボルトキャッチを叩いて薬室を閉鎖する。
まだほんの少し時間があった。壁に身体を隠しながら左手の感覚だけでエレベーターの呼び出しボタンを探す。
『降下準備完了、援護ちょうだい』
レラジェの声にふと二階を見やれば、手すりにロープが巻き付いているのがわかる。
「『泣く鬼』隊員諸君。カバーする、ありったけのスタンとグレネードをお見舞いしてやれ!」
手榴弾を持った隊員が掩蔽へ身体を隠し、各々がピンを抜く。持っていない隊員はライフルを撃ちながら時間を稼ぐ。
銃撃が双方弱まった瞬間、一斉に投擲された手榴弾たちが炸裂する。
眩い閃光と轟音、それすらも凌駕する熱気と床の振動がイポスの平衡感覚を狂わせる。直視したわけでもないイポスがふらつくのだから、まともに喰らったエンヴィー部隊の人間たちはひとたまりもないだろう。
静寂は一秒足らずだった。間髪空けずに紐を伝って素早く降下してくる『タンタロス』がエンヴィー部隊を蹂躙していく様子が視界に映る。
エレベータの到着を告げるベルが鳴った。
銃弾の貫通力とは、映画やゲームとは一切違う。スペクターで採用された社用車にはフレームやドアにはアーマープレートが入っているが、通常の車であれば拳銃弾でさえドアをいとも容易く貫通する。木製の壁も銃弾は貫通し、花崗岩のプレートをライフル弾は削ってしまう。
即席の掩蔽に使われたのは柱や倒れた棚だ、銃弾が当たれば当たるほどにそれらは削れ摩耗していく。そして、掩蔽としての役割は失われていくのだ。
それが招いたのは。
「……ぐっ!」
倒れた棚を掩蔽に、北側のエンヴィー部隊を牽制していたリザを凶弾が襲った。
「リザ!」
その場に倒れ臥したリザが、マイクの視界の端に映る。数メートル離れたところで、同じくエンヴィー部隊に応戦していたマイクが後ろの仲間と交代し、リザへと急ぎ足で近づく。
「グレネ……!」
誰かの言葉は爆発音に遮られた。
それは円形の掩蔽の外に落ちたらしく、爆風は全てを蹴散らし、すぐそばにいた職員たちをも吹き飛ばす。それは、マイクも例外ではなかった。
マイクが一瞬、宙を舞う。
背中から落ちてバウンドする。呼吸が一瞬止まって、受け身を取るような余裕すらなくうつぶせに重力によって叩きつけられる。
「あぁ……」
耳鳴りが酷い。爆発はかなり近くで起きたようだ。
「リザ……!」
部隊長の名前を呼びながら、身体を持ち上げる。先ほどの衝撃で拳銃を取りこぼしたようだ、両手が空いていた。
「……ッ……な……!」
聴力が戻らないながらも、誰かの叫び声が微かに聞こえる。だが、それも全て耳鳴りにかき消されてしまう。ただ、リザのもとへ行かなくてはならないのだ。
「……ク……! ……マイク!」
身体を完全に持ち上げたところで、ようやく先ほどまでの叫び声が自分のことを呼んでいることに気づいた。ハッとして先ほどまで掩蔽だった方向を見遣る。
そこに居たのは物々しい装備を身に纏い、大きなライフルを構えた誰か————いや、考えずともわかる、エンヴィー部隊の隊員だ。
その銃口はマイクに向いている。
まずい、やらかした。さすがに考え無しに動きすぎだ。らしくねえな、などと諦めかけたその時、マイクに横方向の凄まじい加速度がかかる。何事かと思いつつも、ライフルの射線からは消えた。銃声は虚しく響き、マイクに当たることはなかった。
マイクがようやく何が起きたのかを把握できたのは、勢いがなくなってからだった。
「どうして、リザが……」
手負いのリザが、マイクを庇ってくれたのだ。見れば彼女のスラックスには腿の辺りに穴が空き、そこからどす黒い液体が流れている。庇った際に負った傷だろう。
リザは動きそうにない。恐らく、気を失っている。ダメだ、早く助けなくてはいけない。
気を取られすぎている。足音がすぐそばに来るまで気づかなかった。先ほどのエンヴィー部隊の隊員だ、目下の問題は一切解決していない。周りを一瞬だけ見る。『エイダ』の隊員は全員倒れている、助けは見込めない。
目の前の敵がライフルの重心をこちらに向ける。ああ、死ぬのだ。リザを抱えて、一人で。
銃声。
飛んだのは敵の頭だ。頭蓋を食い破ったらしい銃弾が、血飛沫と共に向こうの壁へと突き刺さった。誰がやったのだろうか、『エイダ』の隊員ではない。なら。
「伏せろ!」
誰かの声に従い、リザを抱えるように姿勢を低くしたマイクの背中を、誰かが押し付ける。
再び、先ほどと同じ銃声が響く。
腕の隙間から救世主の方を、マイクは見た。その手に握られたのは時代外れなリボルバー、振り乱した黒髪に、僅かに翳った金眼。見間違うはずもない、それは。
「安全は確保する。立てるか!?」
「……ああ!」
顔をこちらに向けずに叫ぶ彼の言葉を肯定する。
「東側は『タンタロス』に任せておけ、北側を叩くぞ!」
無線で誰かと交信する彼の援護を頼りに、リザを持ち上げてなるべく姿勢を低くしながら足を引き抜いた。
両脇から腕を通してリザを引っ張る。『泣く鬼』の隊員たちが駆け寄ってきて、マイクたちを守るように敵との射線上に立ち塞がってくれたので、出口まで安全に向かうことができた。
最後にもう一度だけ、助けてくれた彼を見る。その顔は、マイクが良く知るものであったはずなのに、どこか遠い人間のものだった。
『東側の制圧完了、そっちは?』
レラジェの声だった。降下から三分も経っていないだろうに、凄まじい速度だ。
「『エイダ』の全隊員が離脱。戦線はうちの部隊が引き受けました」
『なら、ベルタとドーラに任せて上へ向かうわよ。どうせ大した人数は運べないでしょうし』
彼女の提案は合理的だ。その旨を近くにいたニコラに伝え、一階の掃討を任せてエレベーターの方向へ分隊員を引き連れて向かう。
エレベーターは先ほどイポスが呼んだものしかいない。
「もう一つのエレベーターは?」
「いくら呼んでも来やしないのよ。ボタンがいかれてるのかも」
悩んだって仕方がなさそうなのでそれぞれの分隊から数名ずつピックアップして乗せ、最後にイポスとレラジェが乗り込んだ。
閉鎖ボタンを押すと扉がゆっくりと狭まっていく。最終的には壁と化し、照明が無いので真っ暗になる。
誰かが気を利かせてケミカルライトを三本ほど床に置いてくれたのでなんとかエレベーター全体が仄暗く照らされる。
このエレベーターは全ての階層へと繋がっているが、このルシッフルタワーは一階層が非常に大きなフロアで構成されている。受付等を供えた一階と二階が構成する第一フロア、第一展望台のある三階から五階の第二フロア、第二展望台のある六階から八階とゲイン塔などの通信等の部分に繋がる第三フロアの三つに分かれておりそれぞれが遠く離れている。
エレベーターはそれぞれのフロアに一つだけ降り口があるため人質の収容されている五階へ行くには二階で降りなくてはならない。
「誰か防弾シールド出してちょうだい」
レラジェの呼びかけに答えるように、一階でイポスが使ったものとは違う、少し大型で防弾性能が強化された防弾シールドを二枚、二人がかりで上下に連ねて扉の前へ構えた。
「さて、お出迎えはさぞ豪勢でしょうね」
「保安局は派手好きですから」
嫌味と共に目的階到着を告げるベルが鳴った。
盛大な出迎えだ。いくつか掩蔽があり、それぞれに敵が二、三人ずつ潜んでいる。
「押さえろ!」
大量のライフル弾が改良された防弾シールドを貫通し、弾き飛ばさんと叩きつけられる。
一瞬、鉄の雨足が弱まった。必死な顔でシールドを保った二人の隊員の為、今度は反撃へと出る。
シールドを持った二人をゆっくりと前進させ、その後ろを追従するようにイポスとレラジェもまた前進。それぞれが愛銃のライフルをその両手に握っている。
ほんの僅かにエレベーターの外へ出たところで、扉を取り囲むように立っていた敵の隠れる掩蔽を狙って発砲。
自由に出入りできるだけのスペースが空いたところで、蜘蛛の子を散らすかの如く、エレベーター内にいた全員が思い思いの掩蔽へと急ぐ。イポスは向かって右側にある固定された受付用のテーブルへ、レラジェは左側のメンテナンス用の部屋へと繋がる廊下の壁へ隠れた。
レラジェと一瞬目配せし、イポスが上半身を乗り出して掩蔽を目掛けてゼクス・アハトの引き金を引く。マズルフラッシュが月明かりしか光源の無いフロアを照らす。
「ゴー!」
六・八ミリ弾が雑多なもので作られた掩蔽をガリガリと削る。敵が怯んだその隙にイポスの背後にいる味方たちが先の方の掩蔽に身を隠す。
ちらとレラジェの方を見ても、同じくリリックを発砲しながら味方を前方へ進ませている。
最後の薬莢が排出され、ボルトが開放されたままになる。弾切れだ。
「カバー!」
上半身を引っ込めて、ゼクス・アハトのマガジンを交換する。ボルトキャッチを叩いて閉鎖し、セレクターをセミオートに変更。今度は受付台の上ではなく、横から覗くようにして低姿勢のままゼクス・アハトを構える。
威嚇射撃をしている味方が視界の端に、その先にある掩蔽をサイト越しに睨む。
少し待てば、掩蔽から頭とライフルだけを覗かせて応戦せんとする敵の姿がピタリとサイト上の光点と重なる。
引き金を引く。
一発の六・八ミリ弾が真っすぐに飛んでいき、頭を吹き飛ばした。倒れていく知らない誰かを横目に、次の目標を探そうとしたその時。
先ほどとは違う掩蔽から腕だけが覗く。その手に握られた鉄塊————手榴弾だ。
「伏せろ!」
遠目でよく見えないが、恐らくピンは外れている。叫びながら狙いを手榴弾へと合わせた。
間に合うかどうかわからない、当たるかどうかも定かではないが、味方を減らすよりはマシなはずだ。
引き金を引く。
運よく銃弾は手首を穿つ。力の入らくなった手から手榴弾がこぼれ落ちて掩蔽の向こう側に消えていく。
転瞬、爆発音。飛び散った掩蔽物だったものの破片がイポスの近くまで飛んでくる。
こうして、戦局は一転、攻勢に変わった。
「退け! 退け!」
敵が動いた。後ろへ後ろへ、窓の方へと駆け出していく。そこにある上層へと繋がる廊下を目掛けて。
「逃がすな! 撃て!」
レラジェが叫んだ。それに応えるように味方が発砲を始める。敵が一人二人と倒れていく、負けじと敵が撃ち返してきた。その凶弾もまた、味方を襲う。
敵も味方も、幾人もの人数が倒れていく中で、ようやく敵の姿が一人も見えなくなる。
「四人逃げたぞ!」
味方の誰かが叫んだ。
どうやら、生き延びた敵を追いかけなくてはいけないらしい。
「ハル!」
自分の分隊に居るはずの彼の名を呼ぶ。
「どうしましたか!」
「負傷した味方の手当てを頼む、それから後続の誘導もだ」
「了解!」
ハルと若干名を残し、残った二名ほどを連れてレラジェの分隊と合流し、上を目指す。螺旋状に上へ登っていく廊下を駆ける。
十数秒走り続けて、ようやく敵の最後尾が見えた。
「撃て!」
レラジェの号令でイポス以外の味方がライフルを撃ち始める。だが、すぐにその姿はカーブの先に見えなくなってしまう。
「五階までは辿り着かせないで、イポス!」
イポスはゼクス・アハトとベストを繋いでいた差し込みバックルを外して後方の味方に投げ渡す。空いた右手にマテバを持って全力疾走するイポスに追従し、レラジェもまた走る。
見えた最後尾に、マテバで牽制しながら追い続ける。
観念したのか、はたまた前方の味方の為か、二人だけが坂の中央に立ってライフルを構えていた。
「レラジェ!」
身体を大きく捻って初弾を避ける。同時に彼女の名を呼ぶ。一歩遅れて走ってきたレラジェと前後を交代して、彼女の肩に左手を置く。
レラジェの持っていたリリックが火を噴く。交差する銃弾、向かって左側の敵が九ミリ弾に倒れた。負けじとイポスも、レラジェを盾にしながら右側の敵の心臓をマテバで狙い撃つ。
敵が頽れ、また二人は走り出す。
各々の銃をリロードしながら走るイポスとレラジェの目に、しばらく残りの二人の敵が映ることはなかった。
遂にその姿を捉えたのは、五階の目前だ。
レラジェが深いため息を漏らした。
「……人間業じゃないわね」
二人の目前にあるのは二つの死体だ。片方は頭部か完全につぶれている、もう片方は心臓を大ぶりのナイフで一突きしたかのような傷を負っている。
「これは即死ですね」
目的地を目前に、死体が転がっている。数時間前の保安局を思い出す。
「後続を、とりあえず待ちますか」
凄惨な現場を前に、レラジェは何か言うことはなく、ただ静かに頷くのみだった。
追いついた後続には、一階の制圧が終わったらしいニコラの分隊も合流していた。明らかに人数が少なかったが、どうやら三階のけが人救護を手伝っているらしい。
「この死体は……」
「心当たりがないわけではないが、な」
ニコラの言葉に、イポスが繋いだ。
「取り敢えず、すぐそこが第一目的よ。さっさと終わらせましょう」
そこにいる七名のうち二人が念のために周囲の安全を確保するために見張りとして残され、残った五名は人質が収容されている部屋の前に立つ。
預かってもらっていたゼクス・アハトをもう一度ベストと接続したイポスが、レラジェと共に先頭に立った。
レラジェとの短い目配せの後、観音開きに部屋の扉を開ける。
雪崩れ込んだ五名が見た光景は、想像以上に悲惨だった。
「酷い、としか言いようがないわね」
声を震わせながら言うレラジェの言葉に、誰も返事をする者はいなかった。
目の前に広がっているのは虐殺の跡だ。数えたくはないが、恐らく人質たちは一人残らず殺されている。
「スペクター職員だけでなく、一般人まで……!」
ニコラの堪えがたい怒りを滲ませた言葉に、胸が痛かった。
死体の山に近づいたイポスの足元は血だまりが出来ている。どれだけの苦しみだったろう。
妙な点があるとすれば、銃殺された死体が極端に少ないことと鼻血にしては粘性のある液体を垂れ流す死体があることだ。
もはや言うまでもない。マジック・リコイルによるものだ。
「……司令テントに報告してきます」
ニコラは、そう言って部屋の外へ。目を背けるように扉を閉めた。
その瞬間だった。何か重いものが落ちる音が扉の外からした。明らかに異質で、若干の金属音も混じっていたと思う。
「警戒!」
部屋の中の四人がほぼ中央に集まり、四方をそれぞれが警戒する。
向かって右側を警戒したイポスの視界の端には、ひとりでに開いたドアが映った。
「イポス、ひとりでに開くドアって既視感あるわね」
数ある中で、最悪を引いたらしい。
「総員、警戒を緩めるな」
イポスの声に、皆の間に流れる緊張の糸がより張り詰められる。
何も見えない。何も聞こえない。その静寂と何の異変もない景色が不気味で仕方がなかった。
「強烈に嫌な予感がします?」
ドアから最も近い位置に立つ隊員がぼやいた。その呼吸は浅い。
その瞬間だった。つい先ほどぼやいていた彼の喉元から血飛沫が上がる。ごぼごぼと自身の血液に溺れながら断末魔を叫ぶ味方を抱えるために振り返った。
その瞬間に、今度は向かって左側に立っていた味方が宙を浮く。どこかに飛んで行ったのではない。垂直に、凄まじい速さで持ち上がった。彼はそのまま天井に激突し、重力に惹かれて床にもう一度叩きつけられる。
それっきり、二人はもう動くことはなかった。
イポスが首を斬られた死体を放って、ゼクス・アハトを持とうとした瞬間に彼の身体は何かに押されて数メートル離れた壁へと叩きつけられた。
「……がぁっ!」
あまりの衝撃に呼吸が止まった。
一人残ったレラジェがイポスを見たその時、見えない何かに掴まれて彼女は扉の方向へと飛ばされる。これでは一方的な蹂躙だ。
タネがわからない。何が起きているんだ?
思案するイポスを、無慈悲に不可視の力が引っ張り上げて再び部屋の中央辺りに投げ飛ばされる。
レラジェが渾身の力を振り絞って立ち上がる。このままでは自分の弟子が死んでしまう。
「イポス!」
「他人を慮る暇があるのかしらね」
唐突にかかった言葉に振り返ったレラジェの目に映ったのは、自動拳銃と消音器、そして目隠しをした女。
避けなくては。骨身に沁みついた動作で体を捻った。間に合わないかもしれない。抑制された銃声が響き、レラジェは倒れた。
一方、イポスは痛みに耐えながらも立ち上がり、迫り来る何かを迎え撃とうとする。
何か、来る。それだけは分かった。
その時に気づく。灰色の円筒、それが床を転がって何の脈絡もなく止まった。その円筒は、レラジェの投げたものだ。
そこにいる、ゼクス・アハトを離して両手を空ける。その瞬間に大量の煙幕が視界を覆う。
先ほどの円筒はスモークグレネードだった。
レラジェは一つの行動に二つ以上の意味を込めることがある。それは戦術的な意味でもあるし、メッセージでもある。
視界が閉鎖された中での戦闘について、彼はもう訓練をしていた。他ならない、レラジェと。
両眼を閉じて、全神経を集中させる。シューシューと煙を吐き出し続ける音や呼吸音、心臓の鼓動までもが普段の数倍大きく聞こえる。
何かが右腕を触れる。人の手だ。
右腕を捻って、相手の見えない腕を掴む。そして右腕を思い切り引いた。
ここでようやく理解する。見えない戦士のタネは、スペクターのドローンに搭載された光学迷彩————ME迷彩だ。
腕を引いたことで、この透明人間は重心を崩しているだろう。そうだと信じて、左手でそこにあるであろう誰かの左肩を掴んだ。
見えない以上は関節技などの比較的複雑な技を決めるのは難しい。そう判断したイポスは、素早く右足を軸に半回転し、その遠心力を使って透明人間を向かい合った壁へ投げ飛ばした。
一秒ほど経ったその時、凄まじい音と共に壁が僅かにひび割れる。
「レラ……」
彼女の名前を呼ぶ声は不自然に途切れた。銃弾が音もなく飛翔し、彼を襲ったからだった。
「サイラス、無事?」
「今日は厄日だよ、畜生」
ME迷彩が壊れたらしいサイラスが愚痴を零しながら立ち上がった。
「トーカこそ無事か? かなりの手練れらしいが」
「案外、呆気ないものね」
足元に転がる死体を見ながら————と言っても、目隠しをしているので正確には見えていないのだが————少し寂しそうにトーカは語るのだった。
「煙いな、お前が羨ましいよ」
「怪力があるんだから羨ましがらないの。さっさと下も制圧しましょう」
トーカは踵を返して、扉を開けようとした。
その時、死体が動いた。サイラスが相手にしていた方だ。拳銃を構えている。
「サイラス、後ろ!」
相棒の名を呼んで右手の拳銃を構えた、その瞬間だった。
トーカ、その名で呼ばれた女の足を、レラジェは掴んだ。思い切り引っ張ればトーカはバランスを崩し、照準がブレる。
抑制された銃声、イポスを狙ったその弾丸は本来狙っていた場所とは違う場所へ飛んでいく。
一方、煙幕が晴れ始めた部屋の中央に立つサイラスが振り返る。その視界の中央に居るのは、マテバを構えたイポスだ。何か行動を起こすよりも前に、イポスの人差し指は引き金を引いた。
銃声が響いた。咄嗟の判断で左腕で顔を庇ったサイラスの胸を九ミリ弾が思い切り叩く。防弾だ。
咳き込んだサイラスに追撃の為に、マテバをしまいながらイポスは跳ねるように飛び起きてサイラスに接近する。当然のように反撃するサイラスの右フックを左手で掴んで制止し、胸ぐらと頸のあたりを掴んでイポスが足を地面から離す。重力に惹かれるがままに倒れるイポスとサイラス、空中でその上下関係は逆転して、サイラスが床に叩き落とされる。
レラジェは、その両足をトーカに絡ませ、思い切り力を込めて床に叩きつける。絡ませた両足をそのままに上体を起こし、トーカの顔面に右拳を一発。
反撃の為に伸ばしてきた拳銃を握る右手を、床に押さえて拳を叩きつけてその拳銃を放させて遠くへ蹴る。
イポスがサイラスを放って扉へと走り出す。それを見たレラジェもまた、トーカをそのままに部屋の外を目指す。二人が外に出た時、言葉を交わすことなく扉を同時に閉めた。
そして二人は扉にもたれかかって押さえる。
数瞬の後、扉に凄まじい衝撃がかかった。イポスは何とか持ちこたえるが、レラジェは吹き飛ばされてしまう。
急ぎ立ち上がって戻ってくるレラジェの視界に一つの死体————ニコラの遺骸と、ライフルが目に入る。イポスと目配せをして、彼が頷くのを見てから死体からライフルを取り去る。早く戻らなければ、イポスが根負けしてしまう。
ニコラのライフルを持って素早く扉へと戻ってかんぬきのように手すりにライフルを差し込む。スリングを外して両の手すりに渡してもう一度ライフルにつける。最後に長さ調節用の紐を思い切り引っ張って動かないように締め付けた。
イポスはすぐそばにあった縦長の棚に手を伸ばし、回転させるようにしながら引っ張っていき扉を塞ぐ。
時折、凄まじい音が鳴り響いているがしばらくは大丈夫だろう。
「三階にいる隊員を全員降ろすわよ!」
「走りましょう」
レラジェと短い会話を交わして廊下を駆けていく。走っている最中にレラジェは司令テントにイレギュラーの発生を、イポスはハルに避難するよう交信をする。
酷く長い廊下に思えた。
三階、エレベーター前に戻った時には大半の支度は済んでいたようで、多少ではあるが避難も始まっていた。
「細かい説明は無しよ、今すぐ降りて!」
レラジェの半分怒号になった声が響いた。発破をかけられた隊員たちはきびきびと動き始める。迷いなく動く隊員たちには安心感すら覚えるが、イポスにはどうしてもぬぐえない不安感があった。
ひび割れて今にも崩れそうな窓を見た。窓の向こうには満月が浮いている。
そして、妙な予感が的中した。
凄まじい音を立てて窓ガラスが割れた。重量物がぶつかったようで、それは窓を突き破って真っすぐにイポスへと激突する。
吹き飛んだイポスはエレベーター近くまで、道中の隊員たちをなぎ倒しながら倒れる。ワイヤーが窓の外に一本垂れ下がっていた。
いったい、どれだけの覚悟があればそんなことができるのだろうか。
サイラスがマチェーテを手に、そこに立っていた。二階も上からワイヤー一本を頼りに振り子の如く窓を割って入ってきたのだ。
————非凡、イポスの脳内が彼の言葉を反芻する。
サイラスが懐に左手を入れ、五十口径の自動拳銃を取り出した。明らかな異常と察知した味方たちが反撃せんとライフルを構える。
隊員たちは構えたはいいものの、引き金を引くのを躊躇った。いくら用意が始まっていたとはいえ、まだ部屋の中にはまばらに味方がいる。下手に発砲すれば味方に危害が及ぶ。
故に、初弾が早かったのはサイラスだ。五十口径弾がけが人たちを庇うように立っていた隊員の頭を吹き飛ばす。
一歩遅れて、サイラスから向かって左側に立っていたレラジェが飛び出す。向けられた自動拳銃を右の掌底を使って射線を逸らし、左の下顎を殴った。
「……マジ?」
苦笑いを漏らすレラジェを何でもないようにサイラスが見た。殴ってはいるのだがダメージは入っていない。
サイラスがマチェーテを振り上げる。すんでで避けたレラジェの視界に映るのは自動拳銃の銃口、必死に体を捻って銃弾を避けたが、背後にいた味方に当たってしまう。
「全員、早くエレベーターに乗れ!」
イポスが立ち上がる。身体中が痛い中、味方たちにそう告げる。
サイラスがもう一度マチェーテを振るった。避けたレラジェがバランスを崩して床に倒れてしまう。
イポスが走り、サイラスに近づく。レラジェに注意が向いていたサイラスの右手を掴んで、思い切り体を捻ってサイラスを投げ飛ばす。窓の方へ投げ出されたサイラスは躓いて尻もちをついた。
レラジェが目配せをしてくる。どうやら、ここは二人で足止めするしかないようだった。
「凡人がいくら束になろうと、神に選ばれた私は負けん」
「嘆かわしいわね、宗教は弱者のものじゃなかったかしら?」
売り言葉に買い言葉、イポスに手を借りて立ち上がったレラジェがサイラスと対峙する。相手の出方を探る時間が無いことは、イポスたちが一番よく分かっていた。
まず最初に動いたのはレラジェだ。応戦の為にサイラスが構えた拳銃を掴んで捻る。
レラジェの影に隠れるようにしながらイポスはサイラスに近づく。レラジェを引き離そうと大上段に構えられたマチェーテ、振り下ろされた右腕をイポスがすんでで掴む。
サイラスの右手を大きく開かせて、その分の間合いが詰まる。イポスは大きく上体を反らし、目の前にあるサイラスの頭蓋を自分自身のそれとぶつける。
痛みのあまり手を離してしまい、後ずさるサイラスとイポス。レラジェは拳銃を掴んだままだ。
追撃と言わんばかりに、レラジェを掌中にある拳銃をサイラスの手の甲側に捻り、トリガーガードにかかったままの人差し指の関節を外す。
拳銃を取り落とした。
大きく振るわれたマチェーテを避けたレラジェと復帰したイポスが位置を入れ替わる。
空いたサイラスの右手側の間合いにイポスが入り込んだ。そのまま自身の右腕をサイラスの右脇から通して首まで伸ばしてサイラスを拘束する。
これならマチェーテは振れない。
クリーガーを取り出したレラジェの注意がサイラスの頭部に向く。サイラスが自由に動かせる左手で顔を隠す。
銃声が立て続けに響き、その度にサイラスの左腕を九ミリ弾が強烈に叩いていく。三発ほど撃ったところで僅かにレラジェに隙が生まれた。その隙を逃すことなく、サイラスが右足を振り上げてクリーガーを蹴り飛ばす。
サイラスが二、三回ほど大きく体を捻った。イポスは勢いで振り落とされてしまう。
床に落ちたイポスに追撃の為、サイラスが振り返った。その背後にレラジェが近づく。その手に握られたワイヤーをサイラスの首に巻きつけ、レラジェがサイラスの膝の裏を思い切り蹴りつけた。
頽れたサイラスの息の根を止めるためにレラジェが思い切り、ワイヤーをきつくする。イポスが立ち上がり、ナイフを抜いてサイラスに近づいた。首を絞められ、呼吸もままならない中でサイラスは必死にワイヤーを手繰りながら足だけでイポスに応戦して蹴り飛ばす。
吹き飛ばされたイポスに注意を逸らされたレラジェの左腕を、サイラスが掴んで力任せに引っ張り、そのまま床に叩きつけた。
呼吸ができるようになったサイラスが息を整えている間に、レラジェが上体を起こす。それに気づいたサイラスが、完全に起き上がる前にレラジェを割れた窓の方へ蹴飛ばした。レラジェはしばらくの間、宙を舞う。あまりに唐突の衝撃にバランスを崩してしまったレラジェは窓の外へと放り出されてしまう。
地上三百メートル、すんでのところでカーペットを掴みはしたが身体のほとんどは外に投げ出されている。
イポスがナイフでサイラスの振るったマチェーテをいなす。右へ左へと空を裂くマチェーテをいなしながらイポスは反撃の瞬間を探す。
風が強い、身体が風に煽られて腕に上手く力が入らない。早く戻らないとまずいが、つい先ほどイポスを除いた味方は全員エレベーターに乗ってしまった。やけくそに思い切り力を込めて身体を持ち上げた。
何度目かの剣戟を躱し、ナイフを突き上げる。その腕は見事にサイラスに掴まれてしまう。
「集中できていないのが丸わかりだ、凡人」
にやりと笑ったサイラスがマチェーテの柄でみぞおちを殴り、そのままイポスは投げ飛ばされる。
レラジェが二十数秒ぶりの床を踏みしめる。久方ぶりに危機を感じたせいか、少し鼓動が早い。呼吸を整えながら懐から二式警棒を取り出す。
サイラスがレラジェを見た。左手の人差し指を曲げてみせる、口の端を吊り上げたサイラスが飛ぶように近づいてくる。二式警棒の指を通すためのリングを握り、レラジェもまた少し駆けるようにしながらサイラスとの間合いを詰める。
レラジェが左手で警棒を掴み、鎖をピンと張る。サイラスの初撃、マチェーテをレラジェは鎖で受け止めて刃に巻きつけた。そしてサイラスの右腕を広げるようにして両手を動かし、右肘でサイラスの頬を打つ。
いつの間にいたのだろうか、サイラスの背後にナイフを振りかざしたイポスがいた。
イポスの右腕を空いている左手で受け止め、右手のマチェーテを無理やりに振ってレラジェの二式警棒ごと投げ捨てる。自由になった右手をイポスの腰辺りを押して距離を取る。
レラジェは空いた両の手でサイラスの右腕を絡み取り、体を捻ってサイラスを振り回しながら遠心力で投げ飛ばす。
数メートル引き離されながらも、驚異的なバランス力で倒れることなく止まったサイラスが振り向いてイポスらを見る。
イポスはナイフを左手に持ち替えて構えており、レラジェはさすがに疲労があるのか中腰姿勢で膝に左手を預けている。
レラジェはイポスにだけ見えるように右手を開いて見せる。もはや、言葉を交わすまでも無かった。
イポスが走り始めた。
サイラスがこぶしを握り締め、構える。
レラジェとすれ違うその時、イポスの掌中のものを入れ替える。その瞬間、レラジェが右手を振り上げる。レラジェの手を飛び出したナイフ、気づかなかったサイラスが一歩遅れてそれを身体を左に捻って回避する。
そうこうしている間に、イポスは既に目前だ。反撃の為に捻った体を戻す勢いで出した左フックを、イポスは難なく右手で受け止めて左の掌底をサイラスの顔目掛けて突きだす。
それはサイラスの右手に阻まれる。
サイラスの意識はイポスに向けられすぎていた。背後に回っていたレラジェが膝の裏を思い切り蹴る。
体勢を崩したサイラスが仰向けに倒れていく。イポスはダメ押しとばかりに左の掌底をさらにサイラスの右手に押し込んでそれごと顔面に押し付けた。
散るように離れたイポスとレラジェが不思議だった。サイラスが頭を打ち付けた痛みを堪えながら、右手にある異物感の正体を見た。
そこにあったのは、無数の穴が空いた灰色の円筒。
その正体に気づくのが一歩遅かった。
それを手離したその瞬間に、サイラスの視界は真っ白に塗りつぶされ、耳をつんざく凄まじい大音響があらゆる思考を取り去っていった。
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