パージャリィ作戦
「ゼロの偽証」 16:43
ルシッフルタワーは混沌に包まれていた。
スペクターの職員たちが誘導できる人数を明らかに超過した数が出口を目指して移動している。
怒号と悲鳴がタワー内を駆け巡る。
ルシッフルタワーの出入り口は三箇所、その全てが一階に存在している。最大二十人収容可能な高速エレベーターが五基、一度に移動できる人数は百人だけだ。高速エレベーターと言えど、首都内で最も高い場所であるルシッフルタワーの第二展望台から降りるのには一分半程度はかかってしまう。
さらに言えば、今日は休日だ。観光客が多いのはわかっている。
一秒たりとも無駄にはできない。さもなくば、ここにいる人々は想像を絶する惨禍に見舞われることになる。
「落ち着いて移動してください!」
「時間はまだあります、ですからできるだけ冷静にお願いします!」
第二展望台のエレベーター前で誘導しているスペクター職員たちが声を張り上げる。
そんなことを言ったところで、暴徒にも近い人々を抑えられる訳がなかった。
タワー内部だけで二千人弱の観光客が集っている。タワーの一階にいた受付嬢はそうスペクターの職員に語った。だが、地獄はここからだった。
「試算が終わった」
ジョンがそこにいるイポスとレラジェに話しかける。
「詳細な情報がない今、無闇矢鱈と話すのは無駄に混乱を冗長するだけだ。だから君たち二人だけに話す」
「それで?」
「最悪の場合、だ。ルシッフルタワーから半径六〇〇メートル以内は人体に中程度の、三キロメートル以内には軽度のマジック・リコイルを引き起こす可能性がある」
「マジか」
淡々とした口調には、明らかな焦りがある。
いつもの見透かされたように光るあのダークブルーの目は、疲労と憔悴に支配されていた。
「これだけで済むならいい。本気で最悪なことが起こるとすれば、爆発後の
「……フォールアウトってことか」
「核で例えるのであれば、そういうことだ」
ため息をついたジョンの肩を、後ろで控えていた部下が叩く。
「タワー内の避難は半分が終わったようです」
「そいつはいい知らせだな、もっと急かさせろ。時間がない」
苛立ちを隠しもせずに命令する。返事だけ残してその部下は下がっていく。
「クソッ、急かして早く終わるのであればいくらでも職員たちを怒鳴りつけてやるのだがな」
「エーリッヒ中将が動けない今、司令塔はジョン、貴方だけしかいないわ。あまり感情的にならないようにね」
「ああ、勿論、勿論だとも」
深く、深くため息をついたジョンをレラジェが励ます。少し平静を取り戻したようだ。
「話を戻そう。MODの滞留や影響範囲についてだが、こればかりは予測が難しい。上空の風や粉塵の大きさにもよるとしか言いようがないからだ」
「ちょっと待て、さっき影響範囲の試算が出たと言っていただろう」
「魔鉱石には形状が崩壊した時に魔力を放出する性質があるって話はさっきしただろう。その強さは大きさにもよるがかなり強い。そいつだけの影響範囲を考えた場合だ。無風であればほぼ同心円状にMODが降り注ぎ、魔力そのものへの暴露に加えてそれらの体内曝露を受ける可能性がある」
デスクトップに映し出された地図と、その上から橙と黄色で塗られていた円が見る間に血色に染まっていく。
「もしそうなれば最悪だ。影響範囲は倍増、受けるリコイルも一等級上昇で済めば儲けだ。さらに、数週間は五分呼吸するだけで脳が溶ける死の街が出来上がるだろうな」
首都同時爆破テロの時の十八時間に及んだ行政機関の機能停止が易しく見えてくるレベルだ。
「ま、要するに爆破させなきゃいいんでしょ?」
レラジェが言う。
「ここをディストピアにしたくなかったら、な」
「任せとけ、俺たち二人なら出来ないことは無い」
戯けて言ったイポスの顔面目掛けて飛んできた裏拳を屈んで避ける。
レラジェを見ながら口の端を上げて笑って見せると、ふん、とレラジェは鼻を鳴らしてみせる。
「ちょっとは強くなったわね、例の二人組に鍛えてもらったのかしら?」
「それは洒落にならないのでやめてください」
二人を見て、ジョンが苦笑いを漏らす。レラジェと目配せをしながら、ジョンを見る。少しは緊張がほぐれただろうか。
「全く、今日は君たち二人に助けてもらってばかりだな。全部済んだら酒でも奢ろう」
レラジェが肩を竦める。どうやら見抜かれていたようだ。
「ありがとう、君たちが居てくれるだけでかなり楽になるよ」
「お役に立てているのであれば、良かったよ」
イポスがそんなことを言うと、珍しく良いことを言うじゃない、とレラジェがボソッと呟いた。
「大変です!」
走ってきたのは実働部門の女性職員だ。息を切らしながら彼女は言う。
「ルシッフルタワーにいる職員たちが……!」
残り六百人ほどになったところ、だろうか。
「もう一踏ん張りです! どうか落ち着いて、職員の指示に従って避難してください!」
ルシッフルタワーをぐるっと囲うように存在するピースサークルビル。ルシッフルタワーに出入りするにはこの二階建てのビルを通らなければいけない。
ここには土産屋やフードコート、タワーとツーショットが撮れるフォトスポットなど、一階層あたりの床面積が小さいタワーに代わって、観光地然としたもので溢れかえっている。
ランドルト環のように西側の一部で円が途切れており、ここは最寄りの駅から直通のアーケード入口となっている。避難者の半分はここから外へ出ており、もう半分は東側の団体用出入り口から避難している。
正面入り口は駐車場から最も近いが、この二つの出口と比べると狭い。
余裕の無い今、そこに配置された人員は僅か六人程度であった。
「我等が主よ、私の過ちを罰してください」
その正面入り口を真っ直ぐ見据えるように、トラックは走っていた。
「我等が主よ、罪なき仔羊たちを私が巻き込むのをお許しください」
距離はおよそ二〇〇メートル、スピードメーターの針はみるみるうちに最大の方向へ振れていく。
「我等が主よ、どうか私を地獄で罰してください」
百二十キロ毎時まで加速したトラックは、一〇〇メートルをわずか三秒で走り抜ける。
「どうか主よ、私を許さないで」
気づいたスペクターの職員たちが拳銃を取り出し、応戦を始める。だが、トラックはみるみるうちに近づき、そして目の前へ。
「伏せろ!」
忠告が耳に届くより早く、高速で移動する怪物となったトラックが、ガラスを突き破った。
瓦礫が、トラックの部品が、ガラス片が、そして血肉の塊たちが散らばった。
「……主、よ……」
エアバッグに埋もれた運転手を、かろうじて生き残った職員たちが握っている拳銃で滅多撃ちにする。もう動かない。
「……クソッタレが!」
尻をついて座った職員が床を叩いた。二人巻き込まれて死んだのだ。
「気持ちはわかるが、後で悔やめ。中身を確認する」
トラックの後部、オリーブドラブ色の幌を指差して一人の職員が言った。
丹念に訓練を積んだ彼らの動きは的確で迅速だ。全員が素早くトラック後部に集まり、リーダーとなった男の目配せによる合図とともに荷が暴かれる。
「何も無い」
何も無かった。
その瞬間、職員たちの頭が次々と吹き飛んだ。
反撃する間もなく、彼らは倒れて伏せた。
荷物はすでに降りていた。中身は武装したブースの部下たちだ。
警備が手薄な正面入り口を突破口として選び、あらかじめ荷下ろしを済ませてからトラックに突っ込ませた。
「無闇に一般人を殺すな。スペクターの人間は容赦なく撃て。特にバディを組んでいるやつはな」
隊列を組んで前進する兵士たちの中央で、白髪混じりの茶髪に黒目の男────ブースはそう命令した。
「まさか、こんなに早く約束が達成されるとは」
「喜びなさいよ、しかもタダよ?」
こんなことになるとは、ジョンがこう語ったのには理由がある。ブースたちの行動があまりに支離滅裂だからだ。
一体誰が使われなくなった電波塔と一緒に爆死したいなんて思うのだろうか。
邪魔立てされる可能性は念頭においていたが、まさか持ち得る戦力を全て使って攻勢に出るとは、誰が予想できるだろうか。
「テロリストの思考を予測するなんて不可能よ」
そうは言いつつも、レラジェのハンドル捌きは荒い。
秋も終盤に差し掛かった今、外はかなり暗い。冬が来る。
二人は保安局強襲から帰ってきた部隊が務める先発隊の出発を待ってからルシッフルタワーへと向かっている。
先発隊の役割は二つ、ルシッフルタワーから半径三〇〇メートル以内の住民たちを避難させること、それから検問を張ることだ。
ブース側の勢力は幌付きトラック五台、文字通りだ。うち三台はルシッフルタワー襲撃で目撃、展開されている。
残り二台が問題なのだ。もし野放しにすれば、ルシッフルタワーに突撃した際に挟み撃ちに遭う可能性がある。
その為の検問だ。先に撃滅、とは行かずとも戦力を減らし、どこにいるか分かれば対策を立てることができる。
「問題は、住民の避難ですね」
「そうでしょうね。素直に話を聞いてくれたとしても、相当な人数を一度に避難させるわけだし」
車が右折する。細めの道だから車が少ない、と一蹴するにはあまりにも車がいない、それどころか歩行者の一人もいない。現在時刻は午後五時、通行量のピーク時間だ。
誰もいないのには勿論理由がある。
先発隊が仕事をしている証拠だ、避難者は国内最大の国道一号線を利用して避難している。すなわち、避難開始がほとんど済んでいるのだ。
「嫌味の一つでも言いたくなる仕事の速さね」
レラジェがにこやかに言う。
「全くですね、今度酒でも奢りましょう、ジョンが」
『聞き捨てならんな』
なんで聞いてるんだよ、というツッコミは隅に追いやる。
何にしたって、先発隊の連中の仕事が速すぎる。一体どんな手を使ったのか気になって仕方がない。……穏便な方法であることを願っておこう。
「そういえば、例の二人についてだけど」
保安局で襲ってきた二人組のことだろう。
「該当する二人組は保安局本部ビルの中では確認できなかった。どういうことかしら?」
「……どういうことか知りたいのは俺の方なんですが」
横目で睨まれたイポスは少し気圧されたが、臆せずに答えた。
「……その反応から見るに嘘ではなさそうね」
「疑われてたんですか」
「もちろん、あらゆる可能性を検証するのは優れた兵士の必要条件よ」
肩をすくめて見せると、レラジェは楽しそうに笑う。
「ただの冗談よ、本当にあなたを疑ってたわけじゃない」
「どこまで信用していいのかわかりません」
若干人間不信になりそうだ。
レラジェはひとしきり笑うと、その顔を真面目な顔に戻した。
「それじゃあ、例の二人について教えてくれるかしら?」
イポスはレラジェに従って、保安局で襲撃してきた二人組について話し始めた。
「まず襲ってきたのは、俺より一回りほど大きい怪力男です」
「怪力というのはどの程度?」
「予備動作なしで人をぶん投げた挙句に厚さ十センチの強化ガラスにヒビを入れたって言ったらわかりますかね?」
レラジェは目を丸くする。
「冗談よね?」
「残念ながら」
詠嘆とも諦観とも取れるうめき声を出しながら、レラジェは片手をひらひらさせて話を続けるように催促してきた。
「もう一人は両目を黒い布で覆った女でした。何も見えないはずなのに、まるで見えているかのように機敏に動いていました」
「反響定位の可能性は?」
レラジェの言った反響定位────自らが発した、例えば杖で床を叩いたり指や舌を鳴らした時の音は物体に当たると反響する、それを耳で聞いてその空間に何があるかを知ることができる技術の可能性も、もちろん考えた。
「ほぼ、ないと言っていいでしょう。銃声がバンバン鳴ってたわけですし」
銃声は、すぐそばで聞けば鼓膜を破りかねないほど音が大きい。射撃時は誰でも耳栓をつけ、鼓膜を保護する。
耳栓なんてつければ、反響音のような非常に小さな音は遮断されてしまう。かと言って、耳栓を外せば、鼓膜破裂とまではいかずとも、耳鳴りでまともに音なんて聴いていられないはずだ。
イポスが答えると、レラジェは顔を顰め、しばらく迷うような素振りをしながら何かをぶつぶつと呟いている。
「……その二人組、少し心当たりがあるわ」
散々熟考したらしいレラジェが、ようやく口を開いてくれた。
「心当たりというのは……」
「お喋りはここまでみたいね」
イポスの言葉を遮って、レラジェが言った。イポスはミラーを覗く。
「幌付きトラック……」
「そういうことでしょうね」
マテバを取り出して、シリンダーを開けて銃弾を確認する。
「気づいてないフリはどこまで通じるのかしらね」
「俺ならバレてる前提で動きますが」
トラックの速度が上がった。助手席側のパワーウインドウをレラジェが開ける。どうやら、やるしかないらしい。
開いた窓から身を乗り出して、イポスはマテバを構える。
発砲、外れる。高速で動くもの同士、当てるのは至難の業だ。
「いつまで豆鉄砲に頼ってるのよ」
片手でハンドルを操作しながらレラジェは後部座席の下を指差す。そこから出てきたのは中くらいのガンケースだ。
開けるとそこにはサブマシンガンとその箱型マガジンが三つほど入っていた。
「景気良くやんなさい」
「お任せあれ」
マガジンを入れ、ボルトを引いて初弾装填。再び上半身を乗り出し、ダッドサイトを覗く。セレクタをフルオートに変更し、引き金を引く。
軽快な銃声と共に九ミリ弾が駆けていく。
フロントガラスをズタズタに切り裂き、その先にある命を狩らんと直進する銃弾は荷台と運転席を分ける仕切りにぶつかって止まる。
運転席からむくりと起き上がった人影がイポスを睨む。
慌てて身体を引っ込めたイポス、コンマ数秒だけ遅れて車のリアガラスに小さなヒビが幾つも走る。運転手が応戦しているのだろう。
「九ミリじゃ景気良くなんてできませんよ」
「でしょうね、逃げるわよ」
抗議の言葉は急加速に伴う急激なGの増加で掻き消された。トラックもまた、加速する。一瞬、重めな金属音が鳴った気がした。
「……どうするんですか?」
「遠いからその豆鉄砲は当たらないんでしょう? だったら近づいてあげるわ。シートベルトして歯、食いしばっときなさい」
レラジェがブレーキペダルを思い切り踏む。当然のことだが、車は急激に減速する。身体が前のめりになって、急いで締めたシートベルトが気道に食い込む。
かなり苦しい、呼吸ができない。
トラックはイポスたちを追い越して、レラジェは再びアクセルを踏む。
一気に形勢逆転、イポスの三秒間分の呼吸を犠牲にして、だが。
「ほら、背中取ってやったわよ!」
「そりゃどうも!」
持ち替えたマテバのシリンダーを開放し、イジェクターを押し込んで残っていた銃弾たちを吐き出させる。一発だけ徹甲弾を取り出してフロントガラス越しに、姿の見えない運転手の頭を狙う。
────当たる。
発砲、同時に徹甲弾が防弾のフロントガラスとトラックの仕切りを突き破って運転手の頭を吹き飛ばした。
レラジェがハンドルを操作して騎手が居なくなったトラックを避け、追い越していく。鉄のひしゃげる音が後方で聞こえた。
「フロントガラス代は高くつくわよ?」
「必要経費です。のんびりしてる暇はありませんでしたし。それに」
銃声と共にリアガラスが叩かれる。
「身体見せたら撃たれてました」
バイクが二台、イポスたちを追いかけている。
荷台の中身はおそらくあれだ。走行中に降ろしてトラックの後ろにつかせていたのだろう、金属音の正体はこいつらだ。
「しつこい連中ね」
持っているのは小型のサブマシンガン、バイクがちょろちょろ動くせいでこちら側からはかなり狙い辛そうだ。
「どうしますか?」
「引きつけるわよ」
バイクが二台とも加速した。同時にサブマシンガンを片手で乱射している。銃弾がイポスたちの車を叩く。
テールランプの尾を引いてあっという間に一台目が追いついて、助手席側に近寄ってくる。
イポスはノブに手をかけ、タイミングを見計らう。
「今!」
レラジェが一瞬ブレーキペダルを踏む。同時にイポスがドアを蹴り開けた。
車が減速したことで相対的に近寄ってきた開いたドアをバイクは避けきれなかった。
凄まじい破砕音とともにバイクは外れたドアに潰されながら横転、放り出された運転手が無事かどうかは再度加速した車に乗った二人には見えなかった。
「まだ来るわよ!」
急減速したことで追い越したもう一台のバイク。目の前に躍り出たそれの運転手がこちらに銃口を向けている。
レラジェの頭を掴んで上半身を隠し、イポスもまたダッシュボードに身を隠して射線から外れる。
フルオートでばら撒かれた銃弾たちが座席シートをボロボロにしていく。
銃撃が止んだ。
すかさずレラジェは姿勢を戻して思い切りアクセルを踏む。加速した車に呼応してバイクもまた加速する。
「威嚇射撃、左側に誘導させなさい!」
イポスは足元に放っていたサブマシンガンを拾い上げて、箱型マガジンを交換する。
装填終了と同時にバイクへ向けて発砲。クネクネと動き続けるバイクに当てることは出来なかったが、運転手の右側を狙うようにしたお陰で指示通り向かって左側に移動させることができた。
弾切れと同時にレラジェがアクセルをさらに踏み込んだ。ついにバイクと並んだ。
レラジェがハンドルに右手を残したままクリーガーを取り出す。左腕をイポスの目の前まで伸ばし、ドアのなくなった助手席側のフレームの先に見えるバイクの運転手を狙って、引き金を引いた。
頭部に命中、脱力した運転手が左に倒れ、それと一緒にバイクも倒れた。
突如として、静かになった。
「なんとかなったかしら?」
「恐らく」
二人で後ろを振り向きながら、言葉を交わす。遠ざかっていくバイクの残骸などは、ぴくりとも動く気配はない。
「大変だったわね」
レラジェが前に向き直って、ハンドルを両手で握った。
交差点を渡るその瞬間、とてつもない衝撃と音によって車が駒のように吹き飛んだ。
「少将、どうかされましたか」
街の外れへと走る車の中で、エーリッヒの右隣に座った第一部隊の護衛が話しかける。
見れば、エーリッヒは暗くなってきた夕方の空を深刻そうに眺めていた。
「いや、なんでもない。少し嫌な予感がしただけだ」
紅く染まった空を、アメジスト色の目が眺めていた。
ドアの無い車から振り落とされなかったのはシートベルトのお陰だ。
トラックが横腹から突っ込んできた。どうやら先のトラックとバイクはただの囮だったようで、本命はこちらだったらしい。
重量差で負けたイポスたちの車は、電柱にぶつかってようやく止まった。
シートベルトを外して、車の外へ。
レラジェは気を失っているので引き摺り下ろす。ドアがなくて良かった。ついでにカーステレオの音量ボタン、その隣にある発信機を押す。
サブマシンガンのマガジンを交換し、マテバにも弾を込める。
「厄介だな」
車の影から確認すると、敵は全部で十六人と運転手一人。
運転手は確認できないが、幌から降りてきた兵士たちは全員かなりの武装をしている。得物はサブマシンガンに自動拳銃と、まともに戦ったら一瞬で蜂の巣だ。
「ぅん……」
レラジェが目を覚ました。
「どこか痛みますか? レラジェ」
「足に力が入らない。しばらくすれば治るでしょうけど」
レラジェがイポスの顔を見て諦めたように微笑む。
「力になることは無理そうね。私を置いて行きなさい」
「お断りします」
レラジェは目を丸くする。
「地獄に落ちる時は一緒です」
そう宣言すると、しばらくイポスの目を見つめ続けた後でレラジェが吹き出した。
「わかったわよ。でも、生き残るつもりでいなさい」
「当たり前です」
グータッチを交わすと、レラジェは懐からクリーガーを取り出す。
もう一度、敵を観察する。
二人一組で縦列を組み、盾の役割を持つ前の兵士はかなり大型のサブマシンガンを、後方の兵士は前方の兵士の肩に左腕を乗せて拳銃を構えている。
これが八組、すなわち十六人。
距離は、およそ八メートルに縮まった。銃撃が始まる。
「援護は任せて」
「頼みます」
車の陰に隠れた二人を文字通り炙り出そうと、銃弾は車を叩く。防弾仕様の車を貫くことはないが、ガラスにヒビを入れ、ボディを歪ませる。
ゆっくりと、だが着実に距離は狭まっていく。銃弾の嵐が止むことはない。
異質の銃声が響いた。
次の瞬間、三人の盾役の足を銃弾が貫き、銃撃が止まる。
イポスの撃った弾丸だ。見れば、イポスは左足を前に投げ出し、右膝を畳んで前屈し、右肘をその膝に乗せて姿勢を安定させ、銃を構えている。俗にモディファイドプローンと呼ばれる射撃姿勢だ。
低姿勢で構えられたサブマシンガン、その射線は車の下部を通り抜け、比較的安全に攻撃を加えることができる。
倒れた三人の兵士の頭をイポスが撃った。直後、レラジェがクリーガーを握った右手をボンネットに載せて、無差別に乱射する。
兵士たちは何が起きたか正確に把握できずにいた。数瞬遅れて、レラジェに応戦せんと銃口と意識を向ける。
数発の弾丸が車を撫でたところで、向かって左側の兵士たちが銃撃に倒れた。
その銃撃は、車の後方から飛び出してきたイポスによるものだ。フルオートで横薙ぎに発砲された拳銃弾は敵兵士六名の命を狩る。
弾切れ、替えのマガジンはもうない。イポスは屈むようにしながら時計回りにサブマシンガンのスリングを外しながら回る。
回転するまでそこにいたイポスの影と防弾スーツに守られた背中を、銃弾がなでていった。
遠心力と腕力を使って、イポスはサブマシンガンを一番近くにいた兵士へと左手で投げつける。空いていた右手はマテバを抜いていた。
間髪入れず、発砲。狙うは現在満足に動ける七人のうち、サブマシンガンを投げつけた奴以外だ。
シリンダーに込められた六発全てを撃ち切った。二発だけ、偶然兵士のヘルメットに隠されていない頭や首を撃ち抜いた。残りの四発はヘルメットや防弾ベストに当たって一時的に動きを麻痺させるのみに止まる。
だが、それでも上々だ。
マテバをしまいながらサブマシンガンを投げつけた兵士へ走り寄る。
スリングが絡まったサブマシンガンを、ようやく振り解いた兵士が、近づくイポスに銃を向ける。
だが、既に銃よりも素手の方が有利になる距離まで縮まっていた。イポスが銃口を掴んで射線を無理やり払い除け、兵士の左腿にあるホルスターから右手で自動拳銃を抜き取る。
そのまま安全装置を外して左大腿を撃ち抜き、次に右足の甲を撃つ。
足に力が入らなくなった兵士と共にイポスは倒れ、兵士の腕で覆うようにしてイポスは右腕を伸ばした。
流れるように引き金を引く。負けじと兵士たちは応戦するが、倒れた兵士が盾となってイポスには当たらない。
最後の一人の頭を撃ち抜いたところで、拳銃は弾切れになった。
「大丈夫ですか、レラジェ」
立ち上がって車に向かいながら、レラジェに声をかけたその時だった。
乾いた銃声、同時に左肩に鋭い衝撃。衝撃に逆らわず、前へ上半身を抱えるようにしながら振り向く。
先程まで盾にしていた兵士が、なんという豪運か、生き残っていた。味方が撃った弾丸は致命傷どころか行動不能になるような部位に一切当たっていない。
倒れた味方の死体から拳銃を奪い取ったらしい、イポスはその銃口を睨む。
距離は大股二歩。
発砲、一発目を首を振って避けて、右足を踏み出す。二発目は先に二歩目の左足を置いてから体を横に開いて避ける。三発目は撃たせない、拳銃を右足で蹴り払う。
しかし、イポスは失念していた。
止まったトラックの運転席の扉が僅かに開く。中から出てきたのは、運転手が構えた自動拳銃の銃口だ。
その延長線上には、イポスの頭がある。
引き金にかかった人差し指に力が入って、比較的長いトリガーストロークを進み続ける。
進み切ったその瞬間、凛と響く声があった。
「
イポスにはわかる、それがレラジェの声であることが。
同時に、路面上を細い亀裂が走ってトラックの底部まで伸びる。トラックへ潜り込んだ途端にそれは顕現した。爆発にも近いそれは、アスファルトを細かな瓦礫へと変えて、トラックすらも持ち上げてしまった。
トラックが宙を浮いたのは一瞬、一秒と経たないうちに側面から地面へと叩きつけられた。
不可解な挙動のせいで明後日の方向を撃ってしまった運転手がどうなったかは想像に難くない。
生き残っていた兵士に馬乗りになりながら首を絞めていたイポスは口をあんぐり開けたまま、横転しているトラックを眺める。
兵士の首を左腕で固め、右手で頭を掴んで捻る。ゴキッという音と共に頸椎が折れ、兵士のしていた細い呼吸と僅かな抵抗が途切れた。
死んでいることを確認してから、イポスは立ち上がってトラックを浮かび上がらせた爆心地である円形に崩れた道路を観察する。
驚いたことにクレーターのような円錐状ではなくコイン型の穴が開いている。しかも、綺麗にアスファルトの部分を剝がしたような穴だ、砂面が瓦礫の隙間から見える。
焦げたような跡もなく、火薬の匂いもしない。円形も多少歪な部分はあってもほぼ真円だ。
何をどうしたらこんな事になるのか、想像もつかない。いや、一つだけあるにはあるのだが。
車へと戻る。
裏に隠れていたレラジェを見ると右手を地面について項垂れている。
「レラジェ!」
急いで近寄ったイポスの声に反応する様子もない。イポスの背中を冷たい汗が流れた。
「レラジェ! 起きてください!」
肩を掴んで揺らすと、脱力していた首が持ち上がる。イポスは胸を撫で下ろして、レラジェの目を見つめた。
「……イポス、相変わらず詰めが甘いわよ……」
レラジェが力無く笑いながらイポスの呼びかけに応えてくれた。目頭が熱くなるのを感じた。
「すぐに応援が来ます。もうちょっとの辛抱です」
「ありがとう、ところで煙草を一本くれないかしら?」
どうやら腕も動かなくなってしまったようだ。
イポスは苦笑を漏らしながらレラジェのジャケットの左ポケットから煙草を取り出す。
一本取り出してそれを咥え、ライターで火をつける。先端が仄かに赤く光ったら、少し吸い込んで、それからレラジェに咥えさせる。
「レラジェ?」
煙を吐いたかと思えば、瞼が閉じた。名前を呼ばれるとその青い眼がまた顕になる。どうやら耳をすましていただけのようだ。
「到着したようね」
静かに言ったレラジェは少し目線より上にあるイポスの顔を見て、微笑む。
「強くなったわね、相棒」
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