#5-2

 これは逢埼華菜がまだ姓を吉良島としていなかった十年前のある日の話。吉良島美沙とその仲間たちが死んでから数日後の事である。


「まさかこんなことになるなんて……」


 市内のファミレスのとある席で吉良島純也は額に手をあてて俯いていた。その近くで幼い吉良島翔はスマートフォンの中で再生されているアニメをじっと見ていた。料理はまだ来ていなかった。


「大丈夫?なんだか顔色がすぐれないみたいだけど」


 テーブルをはさんで向かいの座席に座ってきたのは逢埼華菜(あいさきかな)。心配そうな顔つきで彼女は純也に水の入ったコップを渡す。


「ん……ああ。ごめんね。あの後手続きとかお葬式とかやってたからさ。部屋片づけたりするの大変だったよ。散らかっててさ。いつの間にか買ってた化粧品やらコートやらアクセサリーやら……」


 渡されたコップの水を飲みながら純也は生気のない表情で答える。


「ぱぱだいじょうぶ?」


「ああ、ごめんな翔。今日はお父さんと一緒に美味しいもの食べような」


「うん!なんってのがたべたい!!」


「な……ナン?」


 驚きながらも困惑した表情を純也は浮かべる。


「ええっとね。こないだテレビ一緒に見てた時にね。もちっとしてて美味しそうって言ってたのよ。今度家に連れてきたら作ってあげようかしら?」


「いや……市販でいいと思うよ?」


 苦笑いを浮かべた。どうやら調子を少し取り戻したようだ。


「美沙さん……亡くなったのよね?」


「ああ。死んだ親父にさ、最後まで責任を取って見せろって言われたけど。これってそうなのかな?」


「それは……わからないわ。だけど吉良島君はできる限りで彼女と翔君を幸せにしようと頑張っていたのよね?」


 その問いに対して純也は固まる。少し考えこむと彼は華菜の方を向いて答えを話す。


「確かに俺は仕事を頑張ってるよ。でもそれは家を放ってやってることさ。貿易会社の営業で夜遅くまで交渉やら書類整理やらで。でも美沙と翔を放ってまでこんなことして何になるんだろうってさ。でも俺が悪いような気がするんだ。全部さ」


「全部?どういうこと?」


「それは――」


「お待たせしました」


 若い女性のウェイターが料理を運んできた。並べられた料理に翔が身を乗り出す。


「おいしそー!!」


「ふふ。どうぞめしあがれ」


「いただきまーす!」


 ウェイトレスに差し出されたフォークとナイフで頼んでいたお子様プレートのハンバーグを切り出す。その様子を見て翔は驚きの表情を浮かべる。


「どうしたの?」


「いや……翔、こんなに行儀がよかったっけってさ」


「家にいるときはいつもこうよ?あ、でも初めはそうじゃなかったかしら?お箸とか結構苦戦してて。私が教えてからしばらくして慣れてたみたいだけど。それでも呑み込みが早いのは確かだと思うわ」


「……すごいな。今の翔と同じくらいの頃の俺なんてやんちゃでさ。母さんに迷惑かけてばっかだったよ。最後にはどこか行っちゃったし」


「……そうなのね」


「あ。ごめん。別に悪気があったわけじゃなくて――」


「大丈夫よ。それより冷めないうちにご飯食べましょう。これからについては元気を付けたその後で話せばいいじゃない」


「うん。そうだね」


 元気よく、それで丁寧に食べる翔の姿は純也の心に光を見せた。三人はそれぞれ食事を終えるとそのまま吉良島純也の住んでいる一戸建て、つまりは今の翔と華菜が住んでいる家に向かった。


「ぐー……」


「すっかり寝ちゃってるわね」


「気づいた?全部食べた後に追加で頼んでたポテトバクバク食べてたの」


「育ち盛りね。いいことよ。とっても」


 二階にある翔の部屋に入り、抱っこしていた翔を純也がベッドにそっと寝かせる。その顔に癒しを華菜は覚える。


「いいわね。こういうのって」


「……そうかな」


「どうしたの?吉良島君。何かあったの」


「あ、えっと……一階のリビングで話がしたいんだけどいいかな?」


「ええ。いいわよ」


 翔を部屋に残し、二人は一階に降りる。リビングに設置された四人用の食卓の半分は書類などで埋め尽くされていた。


「これは?」


「ああ、美沙が亡くなってから色々手続きしててさ。それにさっきも話したけど部屋の掃除とかしてて。不要な奴はネットオークションとかフリマとかに出す予定なんだ。あ、何か持ってく?」


「いや。いいわ。それよりそれらを売って翔と吉良島君の今後に備えた方がいいと思うわ。この先何があるかわからないし」


「ああ、そう……かな?結構綺麗なままの洋服とかあるけど?」


「大丈夫よ。洋服とかこっちにある分で十分だから」


 にっこりと微笑んで華菜はその提案をやんわりと断った。


(冗談じゃないわよ。誰があの女の選んだ服やらアクセやらをつけるもんですか!!)


 その内心では灼熱の怒りを沸かせていた。


「まあ……サイズとかあるもんね。で、実はさ――」


 純也は食卓の上にお菓子とコーヒーを並べながらその話を切り出す。


「翔の事……なんだけど。またしばらく面倒見てもらっていい?」


「ええ。いいわよ」


 華菜はそれを快く承諾した。迷いなきその回答に純也は目を丸くする。


「え……いいの?」


「いいわよ全然。慣れてきたし。なんならこのまま独り立ちするまで面倒見てあげてもいいわよ?」


「いやそこまでは……ああ、でも――」


 純也はしばらく考え込む。そして華菜の方を向いてこう言った。


「ここに住む?」


「……え?!」


「ああ、えっと、変な意味じゃないんだ。合鍵渡しておくから。ああでもテレワークって家変えても大丈夫なの?」


「会社貸与のパソコンだから通信とか問題ないわ。それに子育て関係の話なら向こうもあっさり承諾してくれると思うわよ?」


「……逢埼さんってすごいね」


「そう?」


「いやだって……その年でテレワークしててさ。最初にうちの会社の案件を貰いに来た時なんて今も覚えてるよ。きりっとしてて逢埼さんみたいだなって思ったら逢埼さんだったわけで」


「ああ、あの時はね。仕事に一生懸命打ち込んでたからよ」


「何かあったの?こう……目的とか。例えば一流エンジニアになりたいとか」


「目的ね……」


 何気ない質問を純也は切り出した。華菜の視線は純也から注がれたコーヒーから昇る煙に向かい、そして表情を難しくしてその視線を元に戻す。


「あるとしたら両親への腹いせかしら」


「腹いせ!?」


 純也は思わず大声でその答えに反応した。


「そんなに驚く?」


「いやだって、真面目な人だと思ってたからさ。え?腹いせ?しかも両親?」


「……実はね」


 華菜は昔の話を切り出した。悲しい表情で。


「両親はね。所謂、束縛するタイプの人たちだったの。小学校の時からかしら。お稽古とかやらされて。ピアノに水泳に塾。中学に入ってからピアノと水泳はなくなったけど。その代わりに塾の時間が増えたの。どうしてここまでするのって聞いたら母さんから『お前は教師になるの。父さんみたいな教師にね』って。酷いのよ。私の意見なんて蔑ろ……いえ。それどころか私の意思すら認めてくれなかった。高校にいた時、門限とか成績とか……おまけに友達と遊ぶことも叶わなかった」


 沈痛な表情で泣きそうな華菜は話を続ける。


「大学に入ったら多少は自由に生活できるだろうって思ったのに……門限も何も残ったままで。それどころか単位も必要以上に取らされたの。それに休日は社会勉強だって言ってバイトをやらされたの。自由なんてなかった。むしろ前よりきつくなった。あの日まではずっと両親の眼が光ってて……苦しかったの」


「あの日?」


「ええ。二人が死んだときよ」


 その時、吉良島純也は確かに見た。逢埼華菜がそれまで沈痛な面をしていた瞬間から笑みを浮かべて見せたのを。


「私が大学三年生で二月の半ばのある日、両親が旅行に行くって言いだしたの。私も?って聞いたのよ。そしたらね――」


――何を言っているんだ?お前は連れてかないぞ?これから大事な時期なんだから。どの学校で研修を受けるかとかそういうの調べる時期だろうが!!


「怒鳴られたのよ。父さんに」


「……そりゃあひどい」


「その場にいた母さんが何も聞いてないかのように振舞ってたの覚える。旅行カバンに洋服とかを淡々と詰めてて。それで次の日にはそのまま行っちゃたの。二人としては夫婦水入らずって雰囲気にしたかったんでしょうけどね、たまったもんじゃなかった」


「それで、旅行先で?」


「ええ。車での帰りだったのかしら。山の景色を見に行った帰り、車ごと崖から転落してそのまま二人とも死んだの。警察の人の話だと雨とか降っていなかったし車とか道路とかにも異常はなかったって」


「ばちがあたったとか?」


 彼女の両親の顛末を聞き、純也は率直な感想を述べた。


「そうかもしれないわね。でもそれには遅かった。自由もなく、楽しさもなく。ただ束縛されたばかりの学生生活で私の学生としての人生は終わったのよ。学生生活はあと一年残ってた。でも大学にいて遊びに出れなかったせいで友達もロクにいなかった私は只一人で一年を過ごした。死んだ両親を……どこまでも私の人生で好き勝手してくれた二人を深く憎んだわ。私のたった一度の人生を縛りに縛って最期は遊びに行って死んだ二人をね」


 華菜はカップを握っていた手に力を込めていた。さっきまで登っていた中のコーヒーからの湯気はいつの間にか消えていた。


「だけど、綺麗だったよ?本当に『秀麗』って呼ばれてて」


「え?」


 彼女の手の力は不意に緩んだ。純也の言葉が刺さったのだ。


「ほら……あの後っていうか……社会人になってさ。うちの努めている会社に来たじゃん。登録システムかなんかの開発でプロジェクトリーダーの補佐だっけ?若い美人さんだなって思ったら逢埼さんって聞いてすげーってなったもん」


「あ、ああ、あの時の事?」


 華菜は態度を一転して表情を緩ませていた。所謂、照れ隠しという状態だった。


「なんでエンジニアになったの?教師は多分押し付けられたから嫌だからって言うのは理解できるけど」


「ええ。確かに教師は押し付けられてた道だから嫌っていうのはあったわ。後は若い学生達にいずれ自由な人生の歩き方を見せつけられてそのうち私は嫉妬の心を持って生きていくかもしれないからって思ったの」


「嫉妬?」


「ええ。私のできなかったこと。遊びに行くとか自由な進路を歩いて見せるとか。多分普通に学生時代を過ごしてた人たちにとってはそれが当たり前かもしれないけど。少なくとも縛られて生きていた私は違った。だから妬んだ心で仕事をするようになるだろうって。両親が死んでしばらくはその未来ばかりが頭の中で巡ってた。だから私にとっての選択肢はそれ以外でなおかつ自由になれそうな仕事を探したの」


「それでエンジニアに?」


「うん。テレワークとかフリーランスとか。恥ずかしい話だけどそればかり聞いてて気が付いた時にはエンジニアの世界に飛び込んでた。プログラムとか開発とか色々あるけど少なくとも私にできない仕事じゃなかった。教師以外の進路を認めなかったあの縛ってばかりの両親への仕返しにもなってたから会社内の成績も結構高い方で気が付いたらプロジェクトリーダーの補佐の仕事が回ってたのよ」


「いや、凄いじゃん」


「え?」


 彼女のこれまでの人生を聞き、吉良島純也は興奮していた。


「いや本当に、腐らずにいたってのもあるけどエンジニアって大変でしょ?残業多いとかブラックだとかって聞くし!過去にそれだけあったにもかかわらずここまでやってこれたならもっと報われていいよ逢埼さんは!」


「……ありがとう」


 興奮気味の純也の意見を聞いた時、華菜の目から涙が零れ落ちていた。手でそれを拭きながら彼女は『ありがとう』と言ったのだ


「あ……いやありがとうじゃないわね。むしろ――」


「だいじょうぶ?」

「あ――」


 いつの間にか彼女の後ろに翔がいた。華菜が座っている椅子の近くに来るとその小さな手にいつの間にか握っていたハンカチを差し出した。


「はい」


「……ありがとう」


 華菜はそのハンカチを取るとそれで顔を拭く。そして涙の痕が残ったその顔で笑顔になると翔をぎゅっと抱きしめた。


「翔、えらいぞ」


 父として吉良島純也は翔を褒めた。

 これからしばらくして吉良島純也は翔の母として逢埼華菜を迎える決意をする。

 しかしそれが悲劇の引き金になるとは知らずに――

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