#2-3

「随分こっ酷くやられたのね」


「……ええ」


 よろりと立ち上がって華菜は部屋の周囲を見渡す。

 棚から落ちた食器に地面に散乱した中身の出た菓子袋やビール缶。華菜は後になって気づいたのだが買い置きしていたシャンプー類も一部くすねられていた。


「すみません、先に部屋片付けておくべきでした」


「……酷いわ。これ」


 部屋の周囲を見渡しながら悲しげな表情で神様は感想を述べた。


「あなたも……大丈夫なの?ほほとか結構腫れてるわよ?」


「……幸い家からは出ないから。テレビ通話とかも使わないので心配はされないかと。仕事さえどうにかなれば生きていく分にはどうにでもなりますよ」


「だとしてもこれはあんまりよ」


 華菜の今の状況に心配しながらも片づけに参加するメセキ。


「……学生時代に吉良島君から笹山美沙という虫を追い払えなかった私に対する天罰だと思うんです。そうでなきゃこんな事になって」


「天罰って……」


「神様、お願いがあります」

 

 悲しげな表情を浮かべたままのメセキの横で華菜は落ち着いた声で神様に願いを申し出る。


「……なにかしら?」


「あいつらを……地獄に叩き込む術を教えてください。神様なりのやり方で」


「ええ、いいわよ。救われるべきその嫉妬を私の力で燃やして見せなさい」


 メセキはそっと手を差し出す。手の上から紫色の炎が静かに燃え盛り始める。


「さあ、手をとって、逢埼華菜――」


 そして華菜は神様のその提案を受け入れるようにして自らの手をその炎へと伸ばす。

 炎は彼女を包み、彼女は絶叫を上げてその場に倒れた。やがて彼女は復讐の魔人へと変わってゆく。







「いいよね、逢埼さんって」


「え?」


「両親がしっかり見てくれてるって感じがする。振舞とか成績とかさ。本当に丁寧で」


「……ありがとう。でも吉良島君もすごいと思う。だって重役でしょ?今聞いた役職って確か――」


「ああ、うん。でもコレ……親の七光りってやつだから。少しでもまずい態度とると速攻で首になっちゃうんだ。僕がアイツの父親だからなのかは知らないけど……でも成績はいいからそこにいられるんだよって皆言ってくれるんだ」


 華菜が仕事のシステム開発を請け負った際に訪れたある企業にて。何度目かの訪問ではあったが彼女は吉良島純也と再会していた。その時の彼はというとその会社の、世間一般に名の知れた実力主義の大企業で所謂重役を二七という若さでこなしていた。親の七光りというやつではあるが才能は中々のもので社内でも評判の高い人物として有名だった。


「ところでどうしたの?相談したいことがあるって」


「うん。実は……」


 吉良島純也は高校を卒業してからこれまでの人生を語り始めていた。

 大学に入ってからも美沙を中心としたグループによく絡まれる感じで一緒にいたのを。そして四年の時、笹山美沙を妊娠させたことも。それを聞いたとき、華菜は大いに驚いたが、すぐに落ち着いた態度で話を聞き続けた。

 やがて浮き彫りになる吉良島家の現状。母親は小さいときに離婚していなくなり、父も去年死んだという。頼れる親戚もおらず、家にいる子供は自分と同じような境遇をたどっていると。母親となった笹山美沙はどうしているのかというと子供を授かったのちしばらくは食事などを与えていたが最近はほっぽりだしにして遊びに出ているのだという。父親の吉良島純也は休日まで出勤しないといけないときがあるほどに仕事があって、息子の翔がどうにも不安だと。


「それは……笹山さんが悪いと思うわよ。母親としての責任も果たさないで連日遊んでばっかっておかしいじゃない!」


 驚かされっぱなしではあったが華菜は言いたいことは言おうと笹山の今の態度を非難した。


「うん。ベビーシッターとか雇おうかと考えたんだけど美沙に止められてさ」


「そう、なの」


――待って、それって渡りに船じゃ?


 何か電流のようなものが華菜に走った。そして――


「あの……もしよかったらうちで預かってもいいけど?」


「え!?」


 突然の華菜の提案に純也は驚きを隠せずにいた。そして暗い表情の純也の顔にどこか光があった。


「いいの?本当に」


「うん。笹山さんには悪いかもしれないけど。でも子供をそんな風にするなんて……私ちょっと許せない」


「……少し考えていい?」


「いいわよ。断ってもいいし。第一他人の家の子供を預かるなんて図々しいし」


「ああ、うん。確かに」


 微笑みだした吉良島純也のその顔を華菜がその目で見たとき、胸の高鳴りを強く感じた。そして改めて逢埼華菜は自覚する。


(ああ、私やっぱりこの人のことを、吉良島君のことが――)






「あら、お目覚め?」


 ふと気が付くと逢埼華菜は部屋のベッドで寝ていた。昨日の美沙達の来訪から半日以上が経過した午後、日はまだ上っていた。


「あ……そういや部屋--」


「大丈夫よ。さっき綺麗にしたから」


 メセキがそう言う傍らで華菜はリビングに飛び込む。ゴミ類や割れた皿などは廊下の外にゴミ袋にまとめられてカーペットの汚れもある程度は消えていた。その綺麗ではないが見れるレベルの部屋になったのを確認すると華菜はメセキの方を向いてお辞儀をする。


「ありがとうございます。神様」


「そんなに丁寧にしなくても大丈夫よ。私が勝手にやったことだし」


「いえいえ。助かりました。何より――」


 洗面所に向かって鏡を見る。映し出されたその両目には紫色の怪しい光が宿っていた。


「……もう少し待っててね。吉良島君」


 自分の情けなさと想い人の苦しみを思い返していると両目から涙が頬を伝って零れ落ちる。そして――


「救ってあげるから。あいつらみんな殺してやるから」


 その涙は音を立てて燃えて消えた。彼女の瞳から溢れるその炎にあてられ消滅し、その時華菜は笑っていた。


「私が、私こそがあの人の隣にふさわしいのよ……!」


 幕は開かれる。凄惨にして純粋な復讐の幕が。

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