#2-1 『秀麗』が燃えた日

 秀麗。

 意味としては一段と立派で綺麗な様であるということ。

 逢埼華菜はかつて学生時代に秀麗な学生であると教師陣から評価をいただいていた。秀麗といわれるようになった理由は成績の優秀さと化粧なしで整えた身だしなみから来るその綺麗さから。本来であれば成績の優秀さは然程『秀麗』という言葉には関係ないのだが学校側としては彼女のような学生を手本として学校全体を良くしようという試みがあった。広まったのは彼女の成績の良さと真面目さだけだったが。

 身だしなみと成績は両方とも両親の厳しい指導の賜物である。

 両親は華菜に三つの約束をしていた。一つ目に門限。夜七時までには帰るようにという言いつけ。

 二つ目に勉学。学校トップとまではいわないが二百人中上位三十位以内で成績を保つようにと言い、その為に家庭教師を雇った。そして三つ目に化粧。大学を終えて社会人になるまではするなという決まり。

 彼女は正直この約束三つが嫌いだった。束縛され勉強を押し付けられ、自分を磨くすべを得られずにいた。自由を奪った両親を内心憎しみすら抱いていた。

 ちなみにそんな両親はもういない。数年前に華菜が大学に通っていた時に夫婦水入らずの旅行先で事故で死んだからだ。

 彼らは遺産を残し、華菜は一人になった。当時住んでいた一軒家は売り払って一人新天地に住むことにした。家を売ったのは嫌っていた二人の事を思い出したくないから。そして言いつけを守っていた彼女は自分がこの先苦悩するのではと予想していた。事実その予想は当たっていた。嫌いな相手と想い人の思いもよらぬ結婚。想い人の隣を嫌いなものに取られている事実が彼女を苦しめていた。

 





「ねえ、今日は何食べるのー?」


 逢埼華菜はまだ二十七と若いのにおばさんと呼ばれることに特に目くじらを立てることもなく逢埼華菜は翔の無邪気な質問に考え込む。


「うーん何にしようか?」


 その日も仕事の傍らで吉良島翔を預かっていた。彼女が想い人と恋敵との間にいる子供を預かる理由。それは単にその子には罪はなく、いずれ吉良島純也に正式な手続きを踏んでもらって離婚してもらおうと考えいた。


(翔君には悪いけど……でもこのままじゃどうしようもないわけだし)


 とはいえ今の華菜は子供を預かるただのお人よし。どうにかして彼女を、吉良島美沙を追い払うすべを見つけなくてはならなかった。


(あの神様の誘いは……いやでもそれはいくらなんでも可哀そうだし)


「あ、おばさん僕ハンバーグが食べたい!」


 どたどたと廊下からリビングに戻ってきた翔は笑みを浮かべて提案する。それを聞いて華菜は首を縦に振った。


「よし。じゃあハンバーグにしましょ」


「わぁい!おばさん大好き!」


 その笑みに華菜はどこか複雑だった。笑顔になった時もなんとなくだが想い人の吉良島純也を想像する。


(そもそも離婚を進めるってどうなのかしら?いやでも……このままじゃこの子にだって毒だろうし)


 キッチンへ向かうと彼女は冷蔵庫から必要な素材を取って料理にかかる。自分が何をしようとしているのか。それは彼女自身、その重みを理解していた。


(夫婦を引きはがすって我ながら恐ろしいこと考えるわね。でもそうないと吉良島君とあの子が――)


「あ、とまといらなーい」


「はいはい」


 これからしようとしている行いと翔の声に心がどこか裂かれそうになる。しかしあの吉良島美沙をどうにかしなくてはいけないというのが彼女の内にはあった。


 愚痴を心でこぼしながらも出来上がっていくハンバーグの味は確かだった。


「うん、おいしー!」


「そう。よかったよかった」


 元気にほおばる子供の姿を見て華菜は気づけばソファーで横になっていた。


(あ、まずい疲れが……)


 視界が揺らぐ。ここ最近は仕事が多く、睡眠もなかなかとれずにいるほどだった。


「どうしたのおばさん?おねむなの?」


「そうかも……ね」


「うんわかった。おやすみなさい」


「ああ。うん。ちょっとお昼寝するね……」


 子供に進められて彼女は昼寝を始めた。眠りにつくまでそう時間はかからなかった。






 

「……さん、逢埼さん。起きて」


「う……うん?」


 ふと瞼を開く。すると華菜の司会に飛び込んできたのは――


「……吉良島君!?」


「やあ。こんばんは」


「う、嘘!?何でここに!?」


「何でってもう時間だからさ」


 吉良島はそういうと手に持ったスマートフォンで時計を見せる。時刻は午後三時を示していた。

 二時間近く眠ってしまったらしい。


「……寝ちゃってた?」


「そうみたいだね」


「それにしても大変でしょ?頼んでる身ではあるけど」


「え?ああ大丈夫だから。料理とかもさ、やると結構楽しいのよ」


 その時ばかりは楽しかった。というより華菜にとって記憶に残る時間ではあった。誰かに何かをする。それが好きだというを自覚し始めていた。特に想い人である彼、吉良島純也に対して。


「そう?どこかお礼に連れてってあげてもいいけど。レストランとか海辺とかさ――」


「いやいや大丈夫だからって。あ、翔君は?」


「翔なら車だよ。今日もありがとう」


「うん。帰り気を付けてね」


 そうして立ち上がると彼を見送ろうと玄関まで向かう。玄関先で彼はスーツを整えて目の前の華菜にお辞儀をするとドアを開けて『じゃあね』と言って去っていった。


「吉良島君……どうしたらいいかしら私」


 去っていく彼の後姿を見て未だに胸中に残る恋心への感触とあのお邪魔虫をどうするかの悩みが彼女を駆け巡る。未だ彼女の手にはカードがなかった。吉良島にまとわりつくその虫退治の術が。






 その日、日が落ちて夜に差し掛かった時。華菜はテレビを見て部屋のソファーでくつろいでいるとふとチャイムが鳴った。玄関のチャイムと時計の時刻の二つを見て彼女は首を傾けた。


「宅急便かしら?でも何か頼んだっけ?」


 疑問に駆られていたその時、玄関のドアは開いた。鍵のかかったはずのドアが。


「え?」


 驚く間もなく部屋に数人の人間が上がり込んできた。その先頭にいたのは――


「はーいこんばんは。逢埼さん?」


 吉良島美沙だった。


「な、なんであなたがここに!?というか鍵は!?」


「ああ、これのこと?」


 ポケットから鍵を取り出した。鈴が付いたその鍵は間違いなく逢埼家の鍵だった。


「ど、どうしてそれをあなたが?」


「ごめんごめん。翔君がね、持ってちゃったの。だからこうして返しに来たの」


「勝手にって……翔君が?」


 目を細めた。あの子がそんなことをするのだろうかと。彼女の指示でやったのだろうかと。


「そうよ。子供のしたことなんだし……でさ――」


 その鍵をポケットにしまうと美沙はソファーにドサリと座る。


「悪いけど今日、ちょっとここ貸してくんない?ついでだから」


「ついでって。先に鍵返して――」


「貸してって言ってんの?言葉の意味わかりますか?」


 後ろの取り巻き連中はニヤついていた。華菜が逆らえないのを知ってるから。


「大丈夫よ。どうせ返さないと窃盗罪だなだんだであたしが怒られるわけだし?」


 図太い態度といい傲慢さといい、母親としての自覚のない彼女から出たその言葉に一瞬めまいを起こした。


――この女、本当に人間か?


 そして袋の中の缶ビールとつまみが華菜の家のテーブルに乱雑に開かれると美沙とそのグループは華菜の家で酒を飲み始めた。


「あ、そうだ家主さんにはコレね」


 乱雑に投げられた一つの缶。オレンジジュースだった。


「あんたはそれでいいよね」


 馬鹿にするような笑みを浮かべる美沙に今は何もできずにいた。

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