#1-3

 メト・メセキ。女性で自らを嫉妬の神と名乗る者。

 彼女の今の服装は黒のドレスに首に玉虫の胴体をモチーフにした首飾りを付けている。背は成人男性よりやや低いほどで華菜より少し大きい。二十代半ばあるいは後半くらいの顔つきをしていて。長いストレートの黒髪をなびかせて華菜の前に現れた。


「嫉妬払い?」


「ええ。あるべきじゃない妬み嫉みを晴らす。私にはそれができるのよ」


 首を傾ける華菜の正面で椅子に座るメセキはそう言うと持っていた白のティーカップの中に入っていたダージリンの香りを楽しみだした。ダージリンの香りはリビングの中を駆け巡り、華菜の表情がどこか和らいでいた。


 リビングの中心に設置されたテーブルの上には香り立つダージリンの入ったティーカップと皿の上に並べられた色とりどりの甘いお菓子が置かれていた。全てメセキが持ってきた物である。


「えっと……準備しているときにいろいろ聞いたんですが。つまり神様の狙いは『救われるべき嫉妬』に手を差し伸べるということなんですよね?」


「ええそうよ。私には嫉妬の気配を感じ、読み取る力があるの。それであなたに接触しようと考えたのよ」


「そうだったんですか」


 用意された菓子群に手を伸ばしながら華菜とメセキの会話は始まる。そして雑談から華菜の昔話へと話題が変わった頃。


「私が高校生の時です。吉良島君に恋文を、ラブレターを送って告白をしようとしたんです」


「あら、素敵ね」


「吉良島君の携帯の……まだSNSが完全に普及する前でしたから結局メールアドレスとか知らなくて。それでその手法を取ったんですよ」


 苦笑いで華菜は答えた。しばらくしてその表情は暗くなった。


「でもその日、吉良島君は……来てくれませんでした――」


 沈痛な表情で華菜はその日の出来事を思い出した。自分にとって屈辱と悔恨の残る日を。






 告白の日、放課後の図書準備室で落ち着かない様子で待つ華菜の前に現れたのは短いスカートに茶色に染めた長い髪にで化粧で整えた顔の学生、笹山美沙とその取り巻き合わせて五人だった。


「はーいこんにちは優等生さん」


「さ、笹山さん?なんで……」


 現れた集団のうちの一人。笹山美沙。長い金髪に染めた髪、両耳にはピアスをした女性。いわゆる不良である。


「ろくに自分も磨かないですっぴんのままで私の彼氏に近づくなんていい度胸してるじゃん?」


「け、化粧って……うちで禁止されてるから」


「うわぁ出たよすっぴんアピール。腹立つわ」


 取り巻きの一人である金髪がしかめた面と握り拳で愚痴のように返す。


 予想だにしていない者たちの登場に華菜は驚きを隠せずにいた。


「あぁ、ごめんなさいねぇ。これ見てきたのよ」


 笹山がスカートのポケットから取り出したのは華菜が純也の下駄箱に置いたラブレター。それは乱雑に折りたたまれ、封がすでに切られていた。


「それ……!」


「この子がたまたま見つけたのよ。でね――」


 美沙は自分の左隣にいた金髪の女子を指さしながらそう言うとその手紙を室内の隅に置いてあったシュレッダーに入れて見せた。呆然とする華菜の前で想いのこもったそれは音を立てて雲散霧消と変わっていった。


「な、何して……」


 美沙は一気に詰め寄ると華菜の胸倉を掴んで睨みつけた。


「何してんのはこっちのセリフよ!人のカレシに何してんの!?ねぇ!」


「え?え?」


「あー分かったよミサ。コイツわかってないんだよ。なーんにも」


 後ろでゲラゲラと取り巻きの一人が笑い出した。怒りに満ちた美沙はそのままの表情で華菜をにらみつける。


「ふ、二人は付き合ってたんですか?」


「付き合ってた、だぁ?」


 胸倉をつかむ手の力はさらに強くなった。そして乱雑に彼女を振り回すようにして近くの壁にぶつけた。


「付き合っているの。元カノじゃないんですけど?」


 後ろの取り巻きが一斉に笑う。崩れ落ちた華菜をあざ笑うように。


「ねぇミサ、こいつシメちゃわ――」


 取り巻きの一人が提案しようとしたとき、誰かがこちらに近づく足音がした。それを聞いたミサはいの一番にドアに振り向く。


「……ってそんなわけないでしょ」


 美沙は焦りから一転部屋の隅に置かれたシュレッダーを見てニヤリと笑う。その隙をついて華菜は準備室のドアへ一直線へと走り出した。


(どうして……どうして……!)


 悔しさに満ちて泣きながら廊下を走り抜けた。鞄を置いた教室へ向かう。放課後なのかそこはがらんと静かで室内には誰もいなかった。夕日の差しかかる教室で華菜は自分の机の上にあった鞄を取る前に顔についた涙を必死に拭き取った。


(どうして……?どうしてあんなのと……?私じゃないの?)


 さっきの集団に絡まれる前に華菜は逃げるようにしてその教室を出ようとした時だった。


「あ、逢埼さん。どうしたの?」


 いつの間にか教室に誰かが入ってきた。それは同じクラスの男性で華菜が告白しようとした男性、吉良島純也である。整った顔にスポーツ万能と成績の優秀さ、おまけに家が裕福といわゆる恵まれた環境の人間だ。


「あ、吉良島君。えっとね――」


 何かを言おうとした。しかしそれ以上は言えなかった。先ほどの図書準備室での一件で焼き付いた美沙の顔が離れなかったからだ。


「ごめん。ちょっとあってね。その……また明日」


 そういって華菜は教室を足早に出ようとした。


「逢埼さんどうしたの?僕でよければ話を――」


「ごめんなさい。また今度で」


 教室を出て彼女はそのまま昇降口から家に向かって一直線に向かっていった。泣き後を残しながら。



「臆病といえばそれまでなんですけどね……ただ、悔しかった」


「うーん私が男だったらその美沙って子よりも華菜ちゃんのほうがいいかしらね。頭いいでしょ?」


「え?ああ、どうでしょうか?」


 褒められたのは悪い気がしなかったのか椅子に座っていた華菜は小躍りというほどではないが微笑んで体を揺らしていた。


「それでだけど。あの部屋といい、あなたの妬みといい何があったの?」


「え、ああ……実は、ですね」


 一呼吸おいて彼女は今までの出来事を思い返しつつ神様に話だした。


「あの後、吉良島君と笹山さんは確かに付き合っていると他のクラスメイトから聞いたんです。当時の私はいずれ吉良島君のほうが飽きるというか……幻滅すると思って何もしなかったんです」


「何もしなかった?」


「……取り巻き連中が怖かったんです。化粧して彼女たちより綺麗になったのなら、笹山も手を引いてくれるかなとは考えていましたけど化粧にそこまでの力があるとは思えなくて」


「まあそうね。それにけんかしてまで恋愛しろだなんて私もそんな鬼じゃないわ。その時は待つのが正解だと思うわ」


「あいつらとはクラスは別でしたけど陰口たたいてたり嫌がらせしてきたりで。しばらくこっちがもう彼に何もしないとわかるとそのまま卒業まで何もなく過ごせました」


「勝者の余裕って感じなのかしら?だから何もしてこなかったのかもところであの部屋は何?というかさっきあの子連れてかれたっぽいけどいいの?」


「あれは……その」


 おどおどとしていたが、華菜は一呼吸おいて真剣な目つきをして神様に向き合って話を始める。


「今から三か月前のことなんですけど。吉良島君と別の会社で出会ったんです。その時にはもう子供がいたんです」


「子供が?ということはその想い人、結婚してたのね」


「……母親はあの笹山でした。今は姓が違いますけど」


 手に持ったカップに力がこもる。淀んだ瞳で彼女は話を続ける。


「どうしてそうなったのか彼から話を聞いたんですが……あの日からしばらくして大学に入って別々になって……その時に笹山が妊娠したんです」


「妊娠?彼女が在学中に?」

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