#1-1 それは嫉妬と兄弟のように育つもの

「えーっとこの不具合は直したから……次はこれかしら?」


 とあるマンションの住宅の一室。3LDKの部屋で一人住んでいる女性がいた。服装はシックな色合いで整えたカジュアルウェア。さらに長いさらりとした黒髪を後ろで束ね、眼鏡を掛けている。彼女の名前は逢埼華菜(あいさきかな)。年は二十七歳で社会人。


「これは……今、田中さんが対応中ね」


 現在彼女は在宅勤務で家内で仕事をしていた。

 

「ねーねーごはん!」


 無邪気な声がした。パソコン内の時計を見て彼女はお昼の時間に差し掛かっているのを確認する。


「あーはいはいちょっと待っててねー」


 自身のタスクチェックの途中で無邪気な声に引かれ、一度デスクの上のノートパソコンから離れる。彼女は仕事部屋からキッチンのある居間に出た。その声の主である子供にご飯を作ってあげるために。

 

「少しだけ待っててね。おいしいの用意するから」


「はーい!」


 彼女は今、システム開発企業に勤めていて一年前からテレワークと呼ばれる自宅にいたままで仕事を進められる勤務形式を会社に認めてもらった。認めてもらった要因には彼女自身の成績の良さが大きく紐づいている。

 背伸びをしつつキッチンに着くとあらかじめ用意した白飯とみそ汁。加えてプチトマトの入った小鉢。それから冷凍物ではあるが唐揚げとポテトサラダ。最後にデザートのプリンを淡々と一対の形になるようにテーブルに並べる。


「からあげだー!」


 華菜から見たテーブルの全体はぱっと見は彩のない唐揚げ定食のようにも見えて、さながら親からの愛情がないようなのだが翔と呼ばれた子はから揚げが好物でありテーブル全体のレイアウトはさほど気にしてはいなかった。はしゃぐ翔の態度を見てそれはあまり気にしなくなった。


「それじゃあ両手を合わせていただきます」


「いただきまーす」


 白いご飯に唐揚げ、ポテトサラダに味噌汁とプチトマト。そしてデザートのプリン。近くのスーパーでお惣菜を買い揃えたそれらを自分と子供の分含めて二膳ずつ綺麗に並んでいた。

勢いよく食べ始めた翔のその様子を見て彼女は微笑む。まだ幼い彼にとってお箸を使うのは難しいのかフォークで唐揚げを力強く突き刺すとそのまま口に頬張って笑顔になる。つられて彼女も笑顔になった。


「おいしい?翔君」


「うん!!」


 まだ四歳の翔はその見た目とは裏腹に白飯と唐揚げをフォークで掻き込む様にして口に頬張ってあっという間にその小さなお茶碗を空っぽにして見せた。


「トマト食べられる?」


「えーきらーい」


「そう。じゃあお味噌汁は?」


「すき!あ、おかわり」


「はいはい」


 最初はどうしていいのかわからず戸惑っていたが華菜も慣れてきたのかその対応が上手くなっていた。翔の勢いよく頬張るその姿を見て華菜はどこか安堵(あんど)の表情を自然に浮かべていた。


(本当、子供って可愛いわね。愛くるしいっていうのかしら?)


 安堵の顔で見守る中、華菜がそばに置いたスマートフォンが鳴りだした。その時の彼女の顔は沈痛な面を持ったような顔で恐る恐る画面をのぞき込むとそこに書かれた文章を読みだす。


――そろそろお昼だと思うんだけど。ごはんもう食べた?


 その文面にとげのない文字を並べて彼女は送信ボタンを押す。それからしばらくは重い顔のままで彼女は席を立つ。


「あ、おばさん!ごちそうさまでした!」


「はい、お粗末様でした」






 しばらく時間が経過した。辺りは夕暮れになり、パソコンに向かっていた彼女も定時の時刻を理由に今日は仕事を切り上げるとメッセージを残して職場から自身を切り離した。


「ふぅ……今日も疲れたわね」


 そう言いながら手元のマグカップに注がれたコーヒーを飲みつつ椅子にもたれかかる。かすかな時間での小休止。


「それにしても翔君、元気よね」


 ふと机の引き出しから箱を取り出す。華菜は笑みを浮かべてその箱を開ける。内側に数字の刻まれている箱の中には白い紐が通ったピーナッツ大くらいの銀色の猫の顔をモチーフにしたアクセサリが入っていた。


「大丈夫。私が何とかするからね。吉良島君」


 アクセサリに語り掛けていたその時を、リラックスしていた華菜の世界を裂くようにインターホンが鳴った。時計を見てその音に華菜は眉を潜めた。玄関に出るまでにそのインターホンは二回鳴り出していた。


「はーい」


 玄関先にいたのはふんわりとした染めた茶髪に首から金色のネックレスを掛け、ファーのついたコートにその下を赤のスーツで着こなす一人の女性が腕を組んで立っていた。


「翔は?」


「ちょっと待ってて」


 ふんぞり返るような女性のその態度をよそに華菜は自身を崩すことなくもう一つの部屋に入り、中で眠っていた翔を起こしにかかる。室内には散らばった人形や変身グッズなどのおもちゃが溢れかえっていた。


「翔君?お母さんお迎えに来たよ?」


「…………えぇ?ままきたの?」


 起き上がって不機嫌な彼はママの到来を何処かいやそうにしていた。


「ママだよ~翔~」


 部屋からひょっこりと顔を出して来たのは派手な格好の女性。名前は吉良島美沙(きらしまみさ)。吉良島翔の実の母。


「ごめんねー。ちょっと遅くなっちゃった。夕飯食べに行こうか?翔の好きな唐揚げ食べに行こ?」


「えーお昼に食べたからいい」


 胡坐をかくように座る翔は何処か理不尽な顔でママの提案を断った。その時の美沙の表情は彼に気づかれることなく華菜に向けた。歯をむき出しにした怒りの表情を一瞬だけ。そして翔に違う表情を見せる。


「……じゃあ何がいい?」


「ハンバーグ!!」


「じゃあハンバーグ食べに行こうか!車乗ろ!」


 翔を抱きかかえるようにして美沙は部屋を出ていった。部屋の主である華菜には目をくれないまま。


 それから数分後、しばらくして彼女は華菜のいる部屋に勢いよく戸を開けて戻ってきた。


「ねえ、どうゆうこと?」


 先ほどまでの態度から一変、美沙はギラリと華菜を睨みつけ、足音を大きく立てた。


「何が?」


「何がじゃないでしょ!!」


 壁を勢いよく叩きつけて威嚇するように華菜を睨みつける美沙。


「私言ったよね?お昼はお肉系は控えめにしろって。野菜食わせろって言ったよね?」


「……しょうがないじゃない。あの子まだ食べられなさそうだから――」


「だから食わせられるようにしろって言ってんの!!馬・鹿・か!?」


 雷を落としたように怒りに満ちる美沙の態度に華菜は内心辟易していた。


「もうすぐあの子も小学校に入るの。それまでに好き嫌いはなくしておきたいの!わかる!?」


「それは……そうだけど」


「そうだけどじゃない!!やれ!!あとあの部屋も片付けろ!!」


 泣きそうになる華菜は只こらえるしかなかった。その時だった。電話が鳴ったのは。持ち主だった美沙はそれを取るとそれまでの渦巻いていた怒りはまるで水を掛けた火のように消えた。


「はい。ああ、ごめんね?すぐ行くからね純也君」


 スマートフォンの画面を切るとまた火がつく。華菜の方を向く。


「いい?あの子の好き嫌いをなくしなさい。幼稚園ならともかくもうあと小学校入るまで二年近くしかないの。わかった!?」


 乱暴な振る舞いで彼女は華菜の住むアパートを去っていった。玄関で華菜は傍若無人な美沙の振る舞いを只々見て震えていることしか出来なかった。


 静かになったアパートの部屋で華菜は一人作業部屋のパソコンに今日の業務報告をメールで書き上げてメールを送るとパソコンを畳んで作業部屋を出る。そしてその隣の寝室に入るとそのままベッドへと突っ伏していた。涙を流しながら。


――どうしてこんなことになったのだろうか?


 ふと眠気に襲われる。ここ最近はあの来訪者とその子供の対応に追われていたのか彼女自身は体力が大きく削られているということに気づいていなかった。


(それは……私が選んだから。全て私が悪いんだ。それだからあの人は――)


 罪悪感とともに華菜の意識は眠りへと落ちていった。

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