第32話 さみしさを眠らせて

 目が覚めても、頭の中で大きな魔獣が足踏みをしているかのような、重く響く頭痛がしばらく続いていた。診察を終えた医者から貰った薬を飲んで少しマシになったものの、頭がぼんやりするのは変わらなかった。


(病気じゃないって言われたけど……本当に寝たら治るのかな……)


 ベッドで仰向けになっているシュネスは、意味も無く天井の木目を見つめながらため息をついた。

 窓からまだ光が差し込んでいるのを見るに、医者に診てもらってから、まだそれほど経っていないようだ。体調が悪い時はなかなか寝付けないものだ。


(ルジエさんたちに心配かけて……会ったばかりのカイネンさんとアベラさんにも迷惑かけて……私はダメダメだなぁ)


 毛布を頭から被って、もぞもぞとうごめく。

 命の危機が迫ったり心がズタボロになったりした時に現れる、超絶弱気なシュネスが顔を出していた。


「あ……」


 毛布にくるまるシュネスは、自分の服装に目が行った。

 着ていたのは寝間着ではなく外で倒れた時の服装――つまり、外行きのワンピースのままだったのだ。


「シワになっちゃう……着替えないと」


 せっかくルジエに買ってもらった一張羅なのだ。できるだけ長く大事に着ていきたい。

 くらくらする頭を押さえながら、シュネスはベッドから降りた。が、高熱にうなされていたせいで足元がおぼつかない。


「わぶっ」


 そして転んだ。

 咄嗟に身を捻ったおかげで顔面を床にぶつける事は防いだ。11年も外で暮らしていたおかげか、受け身の取り方だけはバッチリである。


(でも体調管理はへたくそ……情けない……)


 ただ問題があるとすれば、今のシュネスはメンタルが弱かった。

 肩からじんわり広がる痛みもプラスして、シュネスは床に寝転がったまま起き上がる気力も湧かなかった。

 冷たい床の上で丸くなっていた、そんな時。


「大丈夫ですかシュネスさん!!」

「わっ……!」


 部屋の扉が豪快に開け放たれた。

 床に転がったままのシュネスはびっくりして顔を上げると、もの凄く焦った様子のカイネンと目が合った。


「どど、どうしたんですかカイネンさん!?」

「先ほどこの部屋で倒れたような音が聞こえたので、何かあったのかと思いまして……! 大丈夫ですか?」

「は、はい、ちょっと転んだだけですので、なんとも」


 人に見られるとなると急に恥ずかしくなり、シュネスはいそいそと起き上がった。


「それよりシュネスさん、まだ寝てないと駄目じゃないですか。何か必要でしたら取って来ますよ?」

「いえ、その……寝間着に着替えようと思いまして」

「……それは大変失礼しました」


 ちょっぴり気まずくなったカイネンは謝る。そのままくるりと回れ右をした。


「それでは、安静にして――」

「ま、待ってくださいっ」


 シュネスに呼び止められ、出て行こうとしたカイネンの足は止まった。


「どうしました?」

「えっと……実はちょっと、寝付けなくて」


 こんなことを言うと子供っぽくて笑われるかもしれないと思い、恥ずかしそうに指をいじりながらシュネスはたずねる。


「も、もう少しだけ、ここにいてくれませんか……?」

「……ッ!?」


 そんな彼女の提案に、カイネンは思わず固まってしまった。


 熱のせいでうっすらと頬を染めながら、遠慮がちに上目遣いで頼まれたのだ。

 どこかの誰かに言われた通りの年下好きの変態でなくとも、特別な感情を抱いてしまいそうになるのも不可抗力というものだろう。


 しかしそれは、罪無き全ての人々を平等に支え、共に神へ祈るべき司祭としてはあってはならない感情だ。

 よって、彼の取るべき行動はひとつ。


「ふんぬぁ!!」


 己を律するみんなの司祭様は、自分の頬に力一杯の拳を叩き込んだ。


「わあああー!! 何してるんですか!? 大丈夫ですか!?」

「お、お気になさらず……神に仕える者として、よこしまな心を滅したまでです……」


 いきなりの奇行に、シュネスはぎょっとする。

 カイネンはなんともないように微笑んでいたが、唇が切れたのか口からちょっと血が出ていた。


 物凄く痛そうだが、どうやら邪心とやらは一撃で消えてくれたようだ。カイネンは血を手で拭いながらニコリと微笑む。


「それより、眠くなるまでの話し相手が欲しいのでしたら力になりますよ。元々、まだ少しここに残るつもりでしたので」


 教会の留守はアベラに任せているようで、シュネスに何かあった時の人手として、カイネンはシュネスが寝ている間も下で待機していたらしい。シュネスの申し出も快く引き受けてくれた。


 今度こそ無事に着替えられたシュネスは再びベッドに潜り、椅子を近くに引き寄せてカイネンも座る。シュネスが着替えている間に取って来た水のボトルや解熱薬も近くに置いてくれた。


「お体の方はどうですか? まだ少し眠っただけではありますが」

「ちょっと良くなった気がします。思ったより、すぐ治っちゃうかもしれません」

「油断は禁物ですよ。守り屋は通常営業しているみたいですので、シュネスさんは気にせずゆっくり休んでください」


 今日会ったばかりなのに、カイネンはとても優しく接してくれている。これが司祭としての包容力なのだろうか。街で聞く彼に関する噂話が良い物ばかりなのも頷ける。

 だからこそ、シュネスには聞かねばならない事があった。


「……あの、カイネンさん」


 首元まで毛布をかけて寝ているシュネスは、傍に座る男へ視線を向けた。


「カイネンさんには、守り屋はどう見えてるんですか?」


 恐る恐る聞いてみる。

 カイネンはその問いに驚いて数回瞬きをしたのち、質問の意図を察したように微笑んだ。


「私の『目』の事ですか」

「は、はい」

「恐らくシュネスさんが考えている通りです。私は守り屋に裏の顔がある事を知ってます」


 人の罪を見抜く目。

 魔術とはまた違う特異体質によって、カイネンは相手の顔を見ただけでその人が犯した罪の大きさを知る事ができる。


 そんな彼の目には、やはりルジエたち守り屋の面々は罪人だと見えているらしい。


「ただ、誤解しないでくださいね。私は守り屋を憎んでいる訳ではありませんし、騎士団にありのままを伝えて解体してしまおうなどとは考えてません」


 シュネスが悲しそうな顔をする前に、カイネンはすぐに付け足した。


「シュネスさんが守り屋の事を大切に思ってる事は何となく分かります。そして守り屋の三人がシュネスさんを大事に思ってる事もまた。ならば私に、それを壊すことはできません」

「私たちが犯罪者でも、ですか?」

「ええ。そこは少しずつ、ですがね。今までの見方を変えるには時間が必要ですから。ああもちろんシュネスさんの事は全く嫌いじゃありませんしいつでも教会に来て頂いて構いませんよ」


 にっこり笑顔でつらつらと言葉を並べる彼に、シュネスは可笑しそうに苦笑を浮かべて。

 それから少しうつむいた。


「私は、カイネンさんから見えるほどの善人じゃありませんよ。過去には盗みだって……数え切れないほどしてきましたし」


 その告白に、カイネンは大きく驚いた素振りは見せなかった。


「でも、根っからの悪人という訳でも無いでしょう? たった今、私の前で打ち明けたのがその証拠です。罪を後ろめたく感じている時点で、あなたの心には善なる光があるのですから」


 カイネンの顔は明るかった。自分の事を犯罪者だと語る目の前の少女から依然として『罪の色』が見えないから、だけでは無いだろう。


 彼は理解している。

 自分が心の底から嫌う『犯罪者』とは、ただ法を犯した者ではなく、私欲の為に人々を傷付け、その罪を罪とすら思っていないような者だという事を。

 守り屋はそういった犯罪者の手助けをしているが、彼女ら自身がそうではないという事を。


「人はみな罪の子です。罪を持って生まれ、大なり小なり罪を犯して生きるもの。罪とどう向き合い、どう償うかが大事なのですよ」

「どう、償うか……」

「犯した罪は冷たく残り続けます。ですがシュネスさんなら、凍える事なく乗り越えられると思いますよ。シュネスさんは、一人ではないのですから」


 カイネンの言葉は優しかった。

 うわべだけの甘さではなく、シュネスの事を想って寄り添ってくれるような優しさだ。


「ありがとうございます。すこし、考えてみますね」


 一番不安に思っていた事を打ち明けられて安心したからだろうか。

 そう多くを語らないうちに、シュネスのまぶたはゆっくりと降りていった。

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