第30話 はじめの罪、となりの罪
司祭兄弟が暮らす教会内の建物と聞いて礼拝堂のような豪勢なものだと身構えていたシュネスだが、案外普通の家屋だと知ってホッと胸をなでおろした。さすがに広く煌びやかな礼拝堂で勉強するのは落ち着かなさそうだったので、そういう意味でも場所の移動はありがたかった。
シュネスは居間らしき部屋に通され、一度自室に向かったカイネンは、十冊ほどの本を持って戻って来た。
神の教えをシュネスのような子供に教えられるとあってなかなかに張り切っているようだ。本当はシュネスは15歳の成人なのだが、栄養が足りてないせいで実年齢より幼く見えるのだから仕方ない。
「さて、シュネスさんは何が知りたいですか? たくさんあるでしょうし、一つずつで構いませんよ」
「そうですね……それじゃあ、
アベラが淹れてくれた甘い香りのするお茶を片手に、シュネスはさっそく質問する。
本によれば、旧時代が終わった再創という出来事は、人間が犯した大罪が神の怒りに触れた事が原因である。その罪について、シュネスはまだ読んでいなかった。
「再創の原因ですね。それはズバリ、『天使の創造』です」
「天使の……?」
今日はよくその名前を聞くなあ、と思いつつ話を聞く。カイネンは一冊の本を開き、シュネスに見せながら話す。ちょうどその本には、旧時代に描かれたであろう天使の絵が添えられていた。
「旧時代の文明は現代と比べ物にならないほど発達していたと言われています。何でも作り出す事が出来るその技術力でもって、旧時代の人類は疑似的に
「天使を造る事、ですか」
「はい。天使とは神の遣い。天使の創造は神にしか許されていません。人類が神に並ぼうとした事が、再創の発端となった罪なのです」
「魔道具の特許みたいなモノだね。無断で真似た者は厳しく罰せられる。だからって地上を焼き尽くすのは、少しやりすぎだと思うけど」
カイネンの横からアベラが茶々を入れつつ、分かりやすく要約してくれる。
とどのつまり、何でも出来るほどに高い技術力を持っていた昔の人々が調子に乗って天使を作ったせいで、文明は一度崩壊したのだ。
「忘れてはならないこの罪は『隣罪』と呼ばれています。隣の罪、という意味らしいです。天使の創造によって神の隣に立とうとした罪、そして『原罪』に並ぶ大罪であるという、二つの意味が込められた命名だそうですね」
「あの、原罪って?」
自然と出て来た知らない単語について、シュネスは挙手と共に質問した。
「ああ、すみません。つい知っている前提で話してしまいました。原罪というのは、旧時代のさらに昔――全ての人類の祖先である最初の人類が犯した罪の事です」
「最初の人類……壮大な話ですね」
「隣罪が人間の独断による罪だとすれば、原罪は悪魔の教唆による罪。悪魔に唆されて神のいいつけを破った人間が背負った、原初の罪であると語り継がれています」
「約束を破るのは悪い事だよね。俺も小さい頃は礼拝を抜け出して兄さんにゲンコツ食らってたから」
アベラのだいぶ規模の小さいたとえ話に、シュネスはクスリと笑った。
「そして、人類の祖先が犯した罪は、子孫である我々に受け継がれていると言われています。人は皆罪の子。私達にも罰が科せられているのですよ」
「罰、ですか」
「罪には罰が与えられます。原罪には、命を生む事と命を育む事の苦しみ、出産と労働の苦しみが与えられました。そして隣罪には、命を保つ事の苦しみを……『魔力』が与えられました」
「魔力には人の中に宿るものと、空気中に漂うものとで別れているのは、シュネスさんも知ってるよね」
「はい。それと、鉱山などで採掘される魔石にも含まれているとか」
アベラの問いに、頷いて答える。魔力に関する簡単な知識は、以前クロジアに教えてもらった事だ。
「その魔力が、神様からの罰なんですか……? 今まで特に気にしてませんでしたけど」
「まあ、ぶっちゃけ言われてもピンとこないよね。俺もよく分かってない」
「せめてアベラは知っておきなさい」
手に持っていた本をぽすんと頭に置きながらカイネンがたしなめる。
「神が慈愛の恵みとして地上に振り撒いたのが空間魔力。魔石や魔獣はそれを吸った事により生じた物です。しかし、人間に生まれつき宿る魔力はまた別。先ほども言ったように、これは神からの罰。いわば枷のようなものです」
「魔力を持つ現代人は、旧時代の人よりも体が複雑になったと言われてるんだ。良くも悪くも」
カイネンの話に、アベラが繋げる。
「これは医療分野の話でもあるんだけど、体内の魔力の乱れによって体調を崩したり怪我をする人は少なくない。魔力が作用して軽い病気が悪化してしまったり、逆に魔力のおかげで病気の進行が遅くなったりもする。不思議だよね」
「へぇー……アベラさん、医学にも詳しいんですね」
「全く、教本の内容はすぐ忘れるというのに、他の勉強だとすぐ覚えられるんですから」
「得意分野は人それぞれだ」
やれやれとため息をつくカイネンだが、アベラはお茶を啜りながらひょうひょうと返す。
「神の教えは人生を豊かにするためにある。なら結局の所、俺の人生がそれなりに豊だったら教えもいらないのかもな」
「コラ、あまりそういう事を言うんじゃありませんよ」
司祭として聞き捨てならない言葉にカイネンは視線を鋭くする。しかしアベラはやはり聞こえないふり。窓の外に視線を注ぎながらも、声は正面の少女へ向けられた。
「シュネスさんも、あんまり兄さんの話を鵜吞みにしない方がいいよ。知識としては正しいんだけど、この人神の教えを第一に考えるような節が……」
彼の声が不自然に止まった。シュネスとカイネンは不思議そうにアベラを見るも、彼は椅子にもたれたまま窓の外をジッと見つめていた。
「アベラさん……?」
「ちょっと待って」
急に立ち上がったかと思うと、アベラは赤紫色の長髪をなびかせて、足早に外に出てしまった。残された二人は何事かと顔を見合わせる。
十数秒もすると、彼は戻って来た。
「兄さん、こいつら外で聞き耳立ててた」
その両手に、二人の見知らぬ男性を引きずりながら。
「な、何だこの女……つえぇ……」
「……多分コイツ男っすよアニキ」
筋肉質な大男と、やせ細った小柄な男。どちらも頬が赤く腫れて鼻血が出ていた。
「殴ったのかアベラ」
「対話前の挨拶だ。これが無いと穏便に会話も出来ない人間らしかったから」
「やれやれ……まあ、今回はいいでしょう。彼らは悪人ですし」
玄関前に座らされた二人の男を見下ろしながら、カイネンは険しい顔で言い放つ。視るだけで人の罪を量る事が出来る彼の目は誤魔化せない。
「盗賊かそこらでしょうか? 薄いですが、黒い罪の色だ」
「なな、何の事だかさっぱりだ。俺達はただ馬車の停留所までの道を聞きたくて寄ったまでで……」
「おじさん達、もしかして私の後をつけて回っていた方ですか?」
言い訳じみた細い男の声を遮ったのは、シュネスの遠慮がちな問いかけだった。
「シュネスさん。何かご存知なのですか?」
「その……図書館へ向かう前辺りから視線を感じたんです。私は昔から、いろんな人に何度か尾行された事があるんですけど、後をつける人特有の気配のようなものがその時と似てるなーって……」
「おおおお俺達がお前を尾行してただって?? そ、そんな事なな無いよなぁ?」
「……アニキ、誤魔化し方下手っす」
「バレバレだなおい」
目が泳ぎまくっている細い男に近付いて、アベラは腰を屈めた。
「何が目的だ? シュネスさんを攫おうとでもしてたのか? それとも教会の魔道具か聖具でも盗みに来たのか」
気だるげな瞳に威圧的な光を滲ませるアベラ。彼に凄まれ、男は観念したように声を荒げた。
「けっ! 教会なんてどうでもいいね! 俺たちゃそこの守り屋のガキに用があんだよ!!」
あっさり白状した彼の言葉を聞いた三人は――特に司祭兄弟はかなり驚いていた。カイネンなど目を剥いて固まっている。
何をそこまで驚いているのかとシュネスが首をかしげると、微動だにしない兄をよそにアベラが話しかけた。彼もカイネンほどでは無いが、少なからず衝撃を受けているようだった。
「シュネスさん、守り屋の人なの?」
「え? はい、最近入ったばかりですけど」
そう言えば、シュネスが守り屋の一員である事を話していなかった。今日は仕事ではなく、あくまでプライベートとして来たので言う必要も無かったのだが、もしかしてそれが意外で驚いているのだろうか。
……と、そこまで考えた所で、シュネスは取り返しのつかない事に気が付いた。
さっきから十メートル級の巨大魔獣でも見たかのように驚愕を露わにしているカイネンは、人の罪を包み隠さず知る事が出来る。コマサルを中心に活動している守り屋とも一度くらいは会った事があるはずだ。となれば当然、守り屋に犯罪者を守る『裏の顔』がある事も見破っているだろう。
(こ、これ、私もマズいんじゃ……)
シュネスの罪がバレなくとも彼女が守り屋の一員と知ってしまえば、きっとただでは済まされないかもしれない。じわじわと焦りがこみ上げて来た。
最悪捕まえられるのではと思いアベラへ視線を向けると、しかし彼はシュネスではなく、カイネンの方へ歩いて行った。
「兄さん、いつまで固まってんの」
「ごふっ!!」
本日二度目の教本攻撃。跪いていないカイネンの頭には届かなかったので、今回は脇腹を本の角で殴られていた。
「気持ちは分からなくもないけど、そんなに驚くこと?」
「な、何をするんですアベラ……私はただ、この天使のような穢れなき少女があの罪人集団の仲間だなんて、信じられないんですよ……悪事に加担しながら善人のふりをする卑劣な者共の……」
震える己の手を見つめながらぶつぶつと呟くカイネン。驚愕の次には困惑が溢れ出ているようだった。
アベラは面倒そうにため息を吐く。
「本人も認めてるんだから受け入れるしかないでしょ。それにほら……シュネスさん怖がってるし」
「……っ!」
二人が目を向けた先。テーブルを挟んで玄関前の盗賊二人と司祭兄弟を見ていたシュネスはビクリとして後ずさった。その瞳には焦りと小さな恐怖が滲んでいる。彼女からすれば、逃げ場がない袋小路に追い詰められたような気分だろう。
「どうするの兄さん。守り屋の一員だからって、あの子も拒絶するつもり?」
「…………」
アベラの問いは、咎めているようにも聞こえる。
カイネンが守り屋の事を良く思ってないのは明らかだ。もしかしたらアベラは、兄のそんな見方に異を唱えたいのかもしれない。
「俺も犯罪者は好きじゃないけど、守り屋は嫌いじゃないよ。あそこの人に落とし物を拾ってもらった事もあるし。兄さんがあの人達と馬が合わないのは知ってるけど、それをさっきまで普通に話してた彼女にまで押し付けるのはどうかと」
「……アベラ、それは違います。私は本当に、驚いてるだけなんです」
カイネンは被りを振って、弟の顔を正面から見る。
「いくらシュネスさんが守り屋の仲間だとしても、ここで突っぱねる気などありませんよ。罪無き清らかな心を持つ彼女にそのような事……おや、シュネスさん?」
二人はふと、シュネスの様子がおかしい事に気付いた。椅子から立ち上がっていた彼女の体が不規則に揺れているのだ。うつむいたまま、前後左右にゆらゆらと。
そして。
「シュネスさん!」
糸が切れたように、その場に倒れ込んだ。
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