第29話 きっと天使に違いない

「シュネスちゃん、大丈夫かしら……」


 依頼人を一人送り出した後、ルジエは依頼書を整理しながら呟く。小さなため息と共に出たその言葉を、毎度の如く待合スペースでだらけているモファナが拾う。


「そんなに心配? 普通にお出かけしてるだけでしょ?」

「それはそうだけど……私が過保護なだけかしら。あの子の初めての休日っていうのもあって、何か問題に巻き込まれないか不安なの」

「うん、過保護なだけだね」


 モファナはバッサリ切り捨てる。現にルジエは、シュネスの事になると心配し過ぎる節がある。


「シュネスの野生の勘をなめちゃいけないよ。たぶん盗賊に尾行されたり攫われたりしそうになっても、あっさり撒いて帰って来るよ」

「まあ、それは私もそう思うわ。でもこの街で怖いのは盗賊や裏社会の悪人だけじゃないわ。特に守り屋わたしたちにとっては」

「例えば?」

「例えば……教会、とか?」

「あぁー」


 ルジエにその名前を出され、モファナは露骨に嫌そうな顔をした。


「あの気味悪い司祭ね。確かに、そこらのごろつきよりはるかに面倒だ」

「ええ。あの、司祭。シュネスちゃんがうっかり捕まっちゃったらかなり面倒な事になるわ」

「……考えるだけでも心配になって来た。ぼく、ちょっと教会に行ってシュネスに近付かないよう司祭をボコボコにしてこようかな」

「何でそうなるのよ。まあ私も一瞬似たような事を考えたけど……」


 教会に行かないようシュネスに伝えるのではなく、わざわざ教会の方に出向いて司祭を押し留めようと考える辺り、モファナとルジエがどのくらい司祭の事を良く思っていないのかが分かるだろう。


「でもやっぱり、シュネスちゃんの休日を邪魔しちゃ悪いわ。そもそも教会になんて用事もないのに寄らないでしょうし」

「ま、それもそっか」


 シュネスが宗教をやっているなどいう話は聞いた事がないし、記念すべき初めての休日に教会になんて足を運んだりしないだろう。


 結局、この話題はルジエの考え過ぎという事で流された。

 ちょうど同時刻に、話の渦中にいた少女がくだんの司祭へ会いに行こうとしているなど、知るはずもなく。





     *     *     *





 教会は大抵の街には設置されている。熱心な教徒が世界中に存在するというのもあるが、一番の理由はやはり、時刻を知らせる鐘があるからだろう。コマサルには馬車の停留所以外に星時計は無く、ここで暮らす人は皆、教会の鐘を聞いて時間の流れを感じている。


 その為か、鐘のある塔はコマサルのどの建物よりも高く、それに引っ張られるように敷地内の建物自体もなかなかに豪華な造りとなっている。その最たるものは、やはり礼拝堂。鐘の塔の隣に建っている縦に長い大きな建物がそうだ。白を基調とした石材や窓にはめられた色とりどりのガラスなど、どこをとっても綺麗だった。


「し、失礼しまーす……」


 そんな教会までやって来たシュネスは、おっかなびっくりといった様子で両開きの扉を開ける。内装もやはり豪勢で、壁や柱には小さな天使の像がたくさん見られた。


「誰もいない、のかな……?」


 極力音を立てないようにゆっくりと扉を閉め、シュネスは当たりを見渡す。彼女以外に人影は見当たらず、自分の足音がはっきりと聞こえた。

 7日に一回、この教会で礼拝が行われるというのは聞いた事がある。今日はその日ではないらしい。


「おや、どうされました?」

「……っ!?」


 突然、奥の方から声をかけられ、シュネスは飛び上がりそうになった。

 入口の正面にある礼拝堂の最奥。陽の光を堂内に取り込むガラス窓を背にした大きな天使の像が見える方から、人が近付いて来る。

 逆光が作る影のせいで顔は見えないが、背丈や声色からして若い男性だろう。


「あ、あの、司祭さんはいらっしゃいますか?」


 緊張で少しどもってしまったが、男性は特に気にしていなかった。顔が見えずとも朗らかに微笑んでいるのが分かる。


「それは私です。何かお困りですか?」

「その、実は少し教えていただきたい事がありまして……大した話じゃないんですけど、いいですか?」

「ええ。私でよければお答えしましょう」


 男性が近くまで歩いて来ると、ようやく彼の姿を見る事が出来た。白を基調とした祭服に身を包んだ、少し高身長の青紫色の髪の男性。小耳に挟んだ司祭の外見と一致する。そしてイメージ通りの優しい微笑みを浮かべていた。


「そう言えば聞き慣れないお声ですね。こちらには初めて――」


 シュネスの顔を見た司祭の言葉が止まる。笑みが消え、その目は驚愕に見開かれていた。


「あ、あなたは……」


 口をパクパクさせながら、かろうじてそこまで声を絞り出す。いきなり黙った事を不審に思い、シュネスは鞄の紐をぎゅっと握りしめた。

 やはり神に仕える者ともなると、シュネスの罪を見破る事が出来てしまうのだろうか……? 襲い掛かって来たらすぐに逃げられるよう足に力を込めた、次の瞬間だった。


「て、天使……?」


 司祭は膝から崩れ落ちた。


「このコマサルに降りてくださったのですか、天使よ……!!」

「え、ええ!?」


 赤い絨毯が敷かれた床に両膝を立て、手を組みながらシュネスを見上げた。といっても高身長の男性が膝をついてもシュネスの背が小さいので、それほど見上げる角度があるわけでもないのだが。

 シュネスにとってはそれどころでは無く、困惑しながらも誤解を解こうと口を動かした。


「わ、私は人間ですよ司祭さん! シュネスという名前の人間です! 人間! ほら見てください、羽もありませんよ!」

「なんと神々しき美しさ……間近で言葉を交わす事ができて光栄でございます」

「だから違いますってば……!」


 その場で半回転して小さな背中に翼が生えていない事を見せるも、ふわりと舞った一つ結びの長い茶髪が光を反射し、そこに天使の翼を幻視してしまったのか司祭は涙を流し始めた。


「あ、あわわ……どうしよう……」


 シュネスは頭が真っ白になりかけた。いきなり天使だとか言われて年上の男性に跪かれたのだから当然だろう。


 聞いた小話によると、旧時代では美しい人への比喩として『天使のような人』と表現していたらしいが、旧時代と違って天使の存在が実在するものとして比較的身近になっている現代では、そんな表現はほとんど使われなくなっている。

 それに相手が聖職者である事を考えると、冗談などでそんな事を口にしたりはしないだろう。彼は本気でシュネスを天使と勘違いしているのだ。


「兄さん、お客さん困ってる」


 ゴンッ! と鈍い音が礼拝堂に響いた。

 いつの間にか近くに現れていた長髪の女性が、跪く司祭の頭へ鈍器のようにぶ厚い教本を叩き込んだのだ。


「ぐおぁぁ……アベラ、いたのですか……」

「聖具室の整理、終わったよ」


 頭を押さえながら、先ほどまでとは違った種類の涙を浮かべる司祭。長髪の女性は気だるげな目で彼を一瞥したのち、ちらりとシュネスの方を向いた。


「ごめんねお客さん。あの兄さんが人間と天使を見間違えるなんて驚きだけど、弟として謝罪する」

「謝罪だなんてそんな……え、弟?」


 もう一度、目の前の人物を観察する。赤紫色の髪は背中の辺りまで伸びており、眠そうな顔つきも中性的。司祭と同じものであろう祭服の上から見る体つきも比較的細めだ。


「もしかしなくても女だと思った?」

「すみません……てっきり女性の方かと……」

「気にしないで。よく言われるから」


 教本を持ってない方の手をひらひらと振った彼女改め彼は、跪く体勢からうずくまる体勢へ変化していた司祭を見下ろす。


「兄さんよく見て。この子の髪は白くないでしょ?」

「……へ?」

「この子は人間だよ」


 弟らしき長髪の男性にそう言われ、司祭は瞬きした後、一度目をこすってから再びシュネスをじっと見た。それから数秒ほどしてようやく気付いたように声を上げた。


「あっ、本当ですね。よく見てみればちゃんと茶色の髪を……いやでもその身に纏いし神秘はただの人間にしては……」

「もっかい頭叩こうか?」

「……その必要はありません。と言うか教本で人を叩くんじゃありません」


 ぶ厚い今日を掲げた辺りで、司祭はようやく元に戻ったようだ。咳払いを一つして、改めてシュネスに向き直る。


「えっと、シュネスさんでしたっけ。すみません、あんな取り乱し方をしてしまって。本当に申し訳ない」

「いえ、驚きましたけど謝るほどの事じゃ」


 苦笑いを浮かべるしかないシュネス。第一印象は変人といった所だが、彼も悪い人ではないはずだ。


「申し遅れましたね。私はコマサルの教会で司祭をやっております、カイネンと言います。こんな初対面になってしまいましたが、どうぞよろしく。で、コチラが」

「弟のアベラだ。ここの助任司祭をやってる」

「よ、よろしくお願いします……!」


 順番に握手を交わしたシュネスは、背の高いカイネン司祭を見上げて首を傾げた。


「ところで、どうして私を天使だと勘違いしたんですか?」

「俺も気になってた。コマサル一と言っても過言じゃないほど熱心な信徒の兄さんが、こんな間違いをするだなんて」


 アベラも一緒になって尋ねる。

 二人の視線を受け、カイネンはバツが悪そうに頬を掻いた。


「そうですね……シュネスさんを一目見た時、そのオーラが人間の物とは思えない神々しい光を放っていたんですよ。天使か、それでなければ子なる神――『神の子』でもないと説明が付かないくらいに」

「かみのこ……? 一応、ちゃんと人間の子供ですよ。もちろん天使でも無いです」


 その産みの親には捨てられたのだが。

 余計な情報だと思うのでここでは出さなかった。


「それより、オーラって何ですか? そういう物が見える魔術……?」

「いえ、魔術では無いですね。特異体質、とでも言いましょうか。私は生まれつき『人の罪』を光や色として視る事が出来るんですよ。」

「えっ……」


 罪と言われ、無意識に肩に力が入る。もしそれが本当なら、シュネスなんて一目見ただけでも問答無用で牢にぶち込まれるのでは……。


「そしてシュネスさんからは一切の罪を感じないどころか、天上の如き神々しさを感じてしまったという訳です。どうしてかは分かりませんが、それだけあなたが穢れなき善人だという事でしょうか」

「そ、そうですかねー、あはは……」

「人間なんて生まれる前から罪を背負ってるものなのに、凄いねお客さん」


 罪を視るチカラの前ではシュネスなど、とびきりの黒だと思うのだが、どうしてか盗みを働きまくった彼女の罪はバレなかったようである。

 顔に出そうになっていた焦りは、とりあえず愛想笑いで誤魔化した。


「それでシュネスさん。教会へはどんなご用で? 何かお困りでしたら、お詫びも兼ねて全力でお助けいたしますよ」

「そうでした……! 実は旧時代について勉強しようと思ってて、ついさっき再創さいそうの話を本で読んだんです。それで、神様に関わる話は教会の司祭さんに聞いたら詳しく知れるかも、と友達に教わって……」

「なるほど。神の教えをしっかりと学ぶその姿勢、素晴らしいですよ!」


 グッと拳を握って、カイネンは目を輝かせていた。


「今日あなたと出会えたのも神の思し召しでしょう。知りたい事は何でも教えて差し上げます!」

「わあ、ありがとうございます!」

「ついでにアベラも勉強しなさい。助任司祭と言いつついつも軽い手伝いばかりで、教本もろくに頭に入ってないでしょう」

「えー、俺は別に」


 カイネンと対照的に、何事にも冷めたような無気力青年アベラは露骨に嫌そうな顔を作った。しかし今回は、シュネスという理想的な教え子を前にしたカイネンの熱がそれを上回った模様。


「ここで長話も疲れるでしょうし、司祭館へ案内しましょう! 資料もたくさんありますから、何でも教えてさしあげますよ!」


 司祭兄弟が暮らしているという司祭館へシュネスを案内しながら、カイネンはアベラが逃げないよう腕をガッチリと掴んで引きずっていた。

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