第26話 思ったよりも他人は自分の事を気にしていない

 お金と小物が少々入る小さな鞄を肩に下げ、シュネスはコマサルの街を歩いていた。守り屋の仕事としてではなく、休日を過ごすために。


 ルジエが買って来た白いワンピースに身を包み、とても長い茶髪は大事な贈り物である緑のガラス玉が綺麗な髪留めで一つ結びにしている。

 路地裏で拾ったボロ布以外の『まともな服装』もすっかり着慣れてしまった自分に苦笑しながら、シュネスはとりあえず前へ進む。


「休日……何したらいいんだろう」


 普通の人は仕事が休みの日は何をしているのだろうか。シュネスは歩きながらそんな事を考え出した。思えば、守り屋の三人やクロジアからも、普段仕事をしていない時は何をしているのか、話を聞いた事がほとんど無い。


 根っからの職人気質なクロジアや自分で魔術を編み出しているというモファナは、それぞれの研究なり探求なりに没頭していそうだ。マストは毎日朝早くから鍛錬に出かけているし、休日にも一人で修行をしているかもしれない。ルジエもやはり剣術の鍛錬だろうか。それか買い物に出かけたり、何もせずのんびり過ごしているという可能性もある。


(私には鍛錬で伸ばすべき技術も無いしなぁ……だからって他にやる事も無いし)


 歩いて行くうちに人が多くなって来た。どうやらたくさんの屋台や店が並ぶ商店街に着いたようだ。たまにルジエに頼まれて食材を買いに行ったりしているので、無意識に足が向いたのだろう。


(せっかくだし何か買い物を……でも何を買えばいいか分からないよ)


 持ち前の器用さですいすいと人の波を通り抜けるシュネス。ふと右手に違和感を覚えた。何となく視線を向けると、いつの間にか自分の右手が何か掴んでいた。


「……えっ!?」


 それは小さなカードだった。記されている文面から、それが冒険者ギルドの会員証である事が分かった。もちろん、知らない誰かの。

 どうやらスリのしやすい人混みに入った事で、条件反射で誰かの懐から盗ってしまったらしい。


 ちなみに冒険者の会員証は立派な個人証明証でもあるため、渡る所に渡ればそこそこの値で取引がされる。もちろん足が付かないよう仲介人も多くその都度金額は差し引かれるが、かつてのシュネスのような正真正銘の一文無しにとっては十分美味しい話。その頃の癖が未だに抜け切れてないのだ。


(どどど、どうしよう……!? これ誰の会員証!? 顔も見てないから分かんないよ……!!)


 定職に就いた以上、さすがに盗みで小遣い稼ぎをする訳にもいかない。11年間数え切れないほど盗みを働いて来たが、だからといってこれからも気にせず盗りまくるなどとは考えられないシュネスだった。


「あれ、おかしいな……」

「どした?」

「ギルドカードが見当たらねぇんだよ。ここに入れたはずなのに」


 知らない誰かの会員証を握りしめてあたふたしていたシュネスの耳に、そんな会話が飛び込んで来た。声のした方を向くと、剣と槍を携えた二人の男性が商店街の端で立ち止まっていた。そのうち片方は、服のポケットをまさぐって何かを探している。


(もしかしてこれ、あの人たちの……!)


 シュネスは返しに行こうと歩き出したが、一歩踏み出した所で止まった。もしシュネスが盗った事がバレたら、その場で都市警備隊に連行されるだろう。二人とも冒険者だけあってがっしりとした体躯をしているし、挟まれたらさすがのシュネスでも逃げれないかもしれない。


 きっとバレないはずだが、もしもバレたらと思うと、どうしても別の方法を考えてしまう。いっそのこと会員証を持って立ち去るか。それともどこか適当な所へ捨てて知らん振りをするか――


「あ、あの!」


 冒険者二人の困り果てた顔が目に留まったシュネスは、気付いた時には彼らの前まで駆け寄っていた。


「これ、落としましたよ」

「あっ! 俺のギルドカード!? 落としちまってたのか!」


 腰に剣を携えた男性は顔を輝かせて差し出された会員証を受け取った。


「大事な物なんだ。ありがとな!」

「いえ、落とされたのを偶然見ただけですから……」

「それでも助かったよ。悪い奴に拾われちゃたまらんからな」


 男性は冗談半分に笑い飛ばすが、過去に何度も冒険者の会員証を盗っていた『悪い奴』が目の前にいる事など知る由もない。シュネスは笑顔を浮かべつつ、とても冷や汗をかいていた。


 その後、何度もお礼を言いながら去って行った二人組に手を振りながら見送って、シュネスはその場で大きなため息を吐いた。


「はぁ……ヒヤヒヤした……」


 よく考えてみれば、彼らからすればシュネスなどただの通りすがりの一般人なのだ。シュネスが会員証を盗んだ事など、彼らが気付くはずも無い。なのにシュネスはあの一瞬で、相手に気付かれた場合の事を考えてしまっていた。ずっと盗人目線で生きて来た弊害である。


「でも、ちゃんと渡せて良かったな」


 未だ早鐘を打つ心臓に手を当てながら、シュネスは微笑んだ。守り屋の受付をしてると何度も経験しているが、人にお礼を言われたり誰かが喜んでいるのを見ると、胸の中が温かい気持ちで満たされる。罪人としての過去を持っていようとも、やはり人助けはいいものだ。


「安心すると、ちょっと小腹空いて来たなぁ」


 目に付いたのは、いつもお世話になっている果物屋の近くにある魚の串焼きの屋台。果物屋に行く度にいい香りが漂って来るものだから、少し気になっていたのだ。


「朝ごはんは食べたけど……一本くらいいいよね」


 今までのシュネスなら、命に係わらない空腹なら我慢してきた。生命維持以上の食事など贅沢と言えるような毎日だった。そもそもの話、食べ物にありつける事自体が珍しいのだから。


 だが今は、安定した衣食住も揃っているし、なんと言ってもお金がある。店主の目を盗んでくすねるのではなく、お金を払ってきちんと購入する事ができるのだ。


「すみません、串焼きひとつください」

「あいよー!」


 頭にバンダナを巻いた背の高い女性が、シュネスの注文を受けて素早い手つきで調理を始めた。その間、屋台の前でそれを眺めているシュネスはまたもヒヤヒヤしていた。


 盗みを働いていた時のシュネスにとって、店や屋台にいる大人は絶対に見つかってはいけない対象だ。時には囮としてあえて見つかる事で仲間と協力して商品を盗む事もあるが、基本的に見つからないのが最善。なので買い物で店員と話をする度に、シュネスは緊張する。


 相手にとってシュネスはただの客でしかないのだが、それでも意識すればするほど、変に敏感になってしまうものだ。


「どれも美味しそうなお魚ですね」

「この街は海に面してるおかげで、質のいい魚がよく入るんだよ。絶白の森のおかげで年中涼しいから痛みにくいしね」

「へぇ……そんな所にも影響があるんですか」

「まあでも、魔力が乱れてる異常気象領域だけあって周辺の魔獣も狂暴みたいだから、漁師さんは毎度大変だって聞くねぇ」


 だがそれでも、緊張しつつ店主との会話は欠かさない。コミュニケーションは情報収集の基本である。何気ない会話に出て来た事柄が、いつか役に立つかもしれない。

 幸いにもこの屋台の女性は気さくに話をしてくれるので、少し緊張も和らいだ。


「はいお待ちどおさま。綺麗なお召し物に落とさないようにね」


 あっという間に魚を一匹焼き上げた店主の女性は、包み紙と共に串焼きを手渡す。シュネスはきちんとお金を払い、それを受け取った。


「ありがとうございます!」

「良かったらまた来て頂戴な」


 怪しまれる事もなく無事に買う事が出来たシュネスは、商店街を抜けてすぐの所にある公園のベンチに座り、冷めないうちに串焼きを食べる事にした。


「んっ、美味しい……!!」


 パサパサし過ぎず、それでいて中までしっかりと火が通っている。味付けも比較的薄めで、朝食後の間食としてちょうどいい味わいだった。

 何より、初めてお金を払って買ったという事実がさらに美味しく感じさせているのだろう。気付けば一瞬で平らげていた。


 働いて得たお金で食事をする。

 当たり前に思えて実はとても贅沢であるひと時を味わい、シュネスはしばらく余韻に浸っていたのだった。

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