第3章:人の子罪の子、元気の子

第25話 正当なる労働の対価

「おはよう、シュネスちゃん」

「おはようございます。今日は早いですね」


 とある日の朝。

 朝食の準備をしようと、日の出の鐘が鳴る前に一階へ降りて来たシュネス。彼女を迎えたのは、既にエプロンを着けて台所に立っていたルジエだった。彼女はシュネスの姿を見ると、机に置いてあった麻袋を手に取った。


「シュネスちゃん。これどうぞ」

「……これは?」


 訊ねながらも、手に取った瞬間に分かった。麻袋はシュネスの握りこぶしよりもふた回りほど大きく膨らんでおり、中身はそれなりの重量だ。口を結んでいた紐を解き、中身を覗く。


 声が出なかった。息を呑む音だけが、シュネスから発せられた。

 麻袋の中身が予想通りであり、予想を遥かに超えてもいたからだ。朝の眠気など完全に消え去るほどに。


 中身は硬貨だった。それも一枚や二枚ではない。金貨同士がぶつかり合う音や重量を分析し金額を把握するシュネスの特技が自動的に導き出した枚数は、金貨15枚に銀貨5枚。金額にして15万5千セフ。見慣れていないどころか夢にも見なかった大金を前に、シュネスの語彙は吹き飛んだ。


「わ、わぁ……おかねいっぱい……」

「今月分のお給料よ。と言ってもまだ数日残ってるけど」

「こんなに、ですか……?」


 顔いっぱいに驚愕を浮かべるシュネスを見て、ルジエは面白そうに笑った。


「それと、今日は働かなくていいわよ。そのお金で気分転換でもしてきなさいな」

「え……」


 その言葉を聞いた途端、まるで手元の金貨に耀きを吸い取られたかのように、シュネスの瞳からサッと光が消えた。力が抜けた手元をすり抜け、お金がたくさん入った麻袋が地面に落ちる。

 そして数秒の間が空いた後、彼女の目からぽろぽろと涙が零れ出した。


「ちょっ、シュネスちゃん!?」


 突然の涙に驚くルジエの胸元へ、シュネスは飛び込んで来た。


「私まだやれます! 頑張りますから! 捨てないでください!!」

「え? え!?」

「もっとお仕事頑張ります! 足手まといにならないようにもっと……! だからお願いします! まだここにいさせてください!! うわあああああああん!!」


 ルジエのエプロンを涙で濡らして、路地裏で出会ったあの日ぶりの号泣を見せるシュネス。受付の仕事が板について、振る舞いも少し大人びて来たと思っていたが、まだまだ子供のような容姿に見合った泣きっぷりだった。

 ルジエには何が何だか分からなかったが、とりあえず彼女を抱きしめ、落ち着かせるように背中をさすった。


「大丈夫、大丈夫だから! よく分からないけど、シュネスちゃんを捨てたりなんかしないわよ」

「ぐす……本当ですか……?」

「噓じゃないわ。悪い夢でも見たの?」


 ルジエに抱き着いたまま、シュネスは顔を上げる。よどみの無いルジエの夕陽色の瞳を見て、ようやく涙が止まった。


「その……お給料があまりに多かったので、口止め料込みなのかと……私はもういらない子なんだって思って……」


 大量のお金を渡された直後に『働かなくていい』なんて言われたばかりに、『これを持って出て行け』と言われているのだと思ったらしい。

 要するに、シュネスはこれを解雇の通告だと勘違いしてしまったのだ。


「なんだ、そんな事ね」


 ルジエはもう一度シュネスを抱き寄せ、優しく頭を撫でた。


「シュネスちゃんったら、いつも頑張ってるのにたまに自己肯定感低いわよね」

「す、すみません……」

「このお金はね、シュネスちゃんが今日まで頑張って働いた分の報酬なのよ。ちゃんと働きに見合った分だけ渡してるわ。シュネスちゃんがこのお金を多すぎるって思うのなら、それだけあなたが一生懸命頑張ったって事」


 仕事に慣れて来たシュネスはよく笑うようになったが、いつも心のどこかでは、戦えない自分に負い目を感じていた。幼くして親に捨てられた彼女は、きっと不安だったのだろう。

 いつかまた、不要になったら捨てられるのではないか、と。


「働かなくていいって言ったのも、今日はお休みってだけよ。シュネスちゃんが守り屋で働き始めて、まだ一度も休日らしい休日を与えて無かったなって、今更ながら思っただけ。だから大丈夫、捨てたりなんかしないわ」


 折れそうなほど細く小柄なシュネスを温もりで包み、優しく語りかけるルジエ。彼女の言葉をひとつひとつ取り込んでいくうちに、シュネスの精神も安定してきたようだった。


「明日からはまた働いてもらうから、今日はゆっくり休みなさい」

「……でも、いいんでしょうか。こんなにお金も貰って、そのうえ丸一日も仕事から抜けるなんて」

「むしろ今までがおかしかったのよ。三人で回してた頃は各々が適当に休みを取ってたから気が付かなかっただけで、本来はしっかり休みをあげるべきだったわ」


 戦闘以外がからっきしなモファナとマストは、そういった依頼が無い時を見計らって自由に行動していたし、受付をしていたルジエもたまに休養日を設ける程度で疲れは取れていた。

 なので、シュネスに休日を与える事をつい忘れていたのだ。今までの人生が過酷過ぎるあまり労働程度では苦にもならないのか、シュネスは毎日変わらず元気に働いている。だからこそ余計に気付かなかった。


「とにかく、今日は一日自由時間よ。今まで行きたかった所でも、食べたかったものでも、そのお金があれば何でもできるわ。自由に羽を伸ばすのも仕事のうちだから、ね?」

「自由に……」


 今まで、自由から一番遠い人生を歩んで来た。生きる事に必死で、他の事に時間を割く事など出来なかった。ただ命を明日に繋ぐだけの毎日に、自分の趣味や娯楽を見つけられるはずが無い。


 だが今は、お金も時間もある。とても一般的でとても贅沢な暮らしが出来ている今なら、やりたい事が見つかるかもしれない。


 地面に落とした麻袋を拾い上げて中を覗く。ぎっしり詰まった金貨や銀貨を見て、そして顔を上げてルジエを見た。


「……本当に、いいんですか?」

「もちろん」


 シュネスの確認の言葉に、ルジエは力強く返してくれた。シュネスは目尻に残っていた涙を拭き、もう一度袋の中身を見下ろす。


 お金とは、社会で生きていく上で必要不可欠な物。それは過去のシュネスのような、家も職も無い浮浪児であろうと例外では無かった。

 故に、最低限生きていけるお金を持っているという事は『生きていい』という権利を持っている事と同義だと、シュネスは思っていた。


 だが最近は、考え方が少し変わっていた。お金はもちろん大切だが、所持金が多ければ多いほど偉いという訳じゃ無い。大事なのは稼ぐ過程や、貰ったお金にこもった人の想い。今で言えば、シュネスの働きに対して『給料』という手段で労ってくれた、ルジエ達の気持ちが大事なのだ。


「ありがとう、ございます」


 今度は別の理由で流れそうになった涙を押し留め、シュネスは満面に笑みを作った。





 *     *     *





「これ、子供っぽく無いですかね……?」


 初めての休日を外で過ごす事にしたシュネスは、慣れないながらも身支度を済ませた。今着ている丈の長い白いワンピースは、ルジエがたまたま見つけてシュネスに似合いそうだからと買って来たものだ。


 フリルがついていたり全体的にふんわりとしたシルエットも相まって、シュネスの言う通り少し子供っぽい印象だった。ただ、15歳の平均よりもはるかに小柄なので、ルジエの見立て通り十分に似合っている。


「良い感じじゃない。すごく可愛いわ」

「えへへ、ありがとうございます」


 髪を整えるようにシュネスの頭を撫でて、ルジエは満足げに頷いた。今まで見た目に気を配るだけの余裕が無かったシュネスはファッション周りも大変疎い。なので彼女のコーデはいつもルジエが担当しているし、今回も楽しそうに着せ替えていた。


「それじゃあ、行ってきます」

「気を付けてね」


 ルジエは小さく手を振ってシュネスを送り出した。小さな鞄を肩に下げて、コマサルの中心街へと歩みを進める小さな背中を見送りながら、ルジエは笑みと共にそっと息を吐いた。


「さてと。シュネスちゃんに心配されないように、私もしっかり働きましょうか」


 自分が抜けている間に何かあった場合、シュネスは自分がいなかったせいだと責任を感じてしまうだろう。彼女はそういう子だ。

 しかし、そもそもシュネスが来るまで守り屋は三人で切り盛りしていたのだ。ここでしっかり仕事をこなさねば、新人に示しがつかない。


 いつも以上にしっかり働こう。そう気合いを入れるように、ルジエは拳を握った。

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