第24話 善かれ悪しかれ人は人

 夜は更け、一人また一人と部屋に向かっていた頃。シュネスはひとり、カウンター裏で書類整理をしていた。今日は昼から王都に行っていたので半日分の仕事が後回しになっていた。それを少しでも埋めようと、すぐに終わりそうな作業から消化している所だった。


「もう遅い時間だけど、寝ないのか?」


 そんな彼女に声をかけたのは、客人用の寝間着に身を包むクロジア。深夜に森を歩くのは危険だからと、今晩は空き部屋の一つを借りて泊まる事にしていた。


「もうすぐ終わる所です。少しだけでもやっておきたくて」

「そうか」


 カウンターや休憩スペースがあるオフィスとリビングのある居住スペースを分ける扉にもたれ掛かりながら、クロジアは慣れた手付きで依頼書を仕分けしているシュネスを見て呟く。


「シュネスは仕事熱心だな。守り屋の半数が自由人なだけに大変だろう」

「あはは……私は私に出来る仕事をしているだけですよ。モファナちゃんやマストさんも、私には出来ないような仕事をしているんですし」


 あの二人がとびきりの自由人である事は、もはやシュネスにも否定しようがない。だがそれでも、彼女は二人の事も尊敬していた。


「ルジエさんも皆さんも私の事をたくさん褒めてくれますけど、私なんてまだまだです。今までは対面する事なく金品を盗んでいたので、街の人達と面と向かって話をするのはまだ少し緊張します。以前クロジアさんにも相談した通り、戦う力も持っていません」


 シュネスは俯き、書類を握る手には力が籠った。


「私にはどうやってもルジエさんたちのようには戦えません。私に出来ない事は、皆さんにお任せするしかないんです。ですのでその分……いえ、それ以上に、私に出来る事があれば何でも――わっ」


 シュネスの言葉が終わる前に、彼女の手から依頼書の束が消えていた。背後から書類を取り上げたクロジアは、そのままシュネスの頭を軽く叩くように、書類の束をすぽんと乗せた。


「シュネスの考え方は良いと思う。けど、何事もやりすぎは駄目だ。守り屋が好きだという気持ちは分かるが、今のままだといずれ体を壊しかねない」

「……でも」

「でもじゃない」

「あう」


 何か言い出すより速く、クロジアは再び依頼書の束で頭をはたく。


「何事も健康が第一だ。それはシュネスだってよく分かってるはずだろ?」

「それは……はい、その通りです」

「焦る事は無い。守り屋に来てまだひと月も経っていないんだからな。むしろたったこれだけの期間で覚えるには、あまりに多い仕事量だ。他の三人ほどの戦闘能力は無くても、その呑み込みの早さは飛びぬけている」


 頭に乗せていた書類の束を手渡し、クロジアはシュネスの肩を優しく叩いた。


「シュネスはもっと、自分の能力を誇っていいと思うぞ」

「そ、そうでしょうか……? ありがとうございます」


 嬉しそうにはにかむシュネスは、書類をカウンターに置きながらこう続けた。


「自分に自信を持っていいのか、正直良く分からないんです。自分が優れた人間なら、そもそもあんな生活はしていないんじゃないのかって考えちゃって」


 全ての始まりは、生みの親に捨てられた事。僅か4歳だった当時のシュネスには、その理由は分からない。両親にも何か事情があったのか、自分に何か至らない点があったのか。少なくとも、必要とされていなかった事は――愛されていなかった事は、幼いながらにもハッキリと分かっていた。


「ですので、私に出来る仕事は何でもしたいっていうのは、守り屋の役に立ちたいって意味ももちろんありますけど、自分のためでもあるんです。自分を生かすだけだった11年間の先に、人の役に立つ私がいるんだって、自分に証明したいんです」


 彼女の瞳には様々な感情が渦巻いていた。存在意義の自問、人生の理想、そして決意。15歳の少女が抱えるにはあまりに濃く、そして重い感情の数々。


「なんて、自己満足の塊みたいな理由ですけど」


 そんな感情をごまかすように自嘲気味に微笑む彼女を見て、クロジアはゆっくりと首を振った。


「自己満足だっていいさ。自分の考えに従って生きるのは、何も悪い事じゃない」


 今の自分がシュネスにしてあげられる事は、彼女の良い所も悪い所も肯定してあげる事。クロジアはそう理解したかのような目をしていた。


「これといった決意も無く『なんとなく』で生きている人は多い。そういう大人を俺はたくさん見て来た。だからこそ、自分の信念を持って、理想を持って生きようとするシュネスは立派だと思うぞ」

「え、えへへ……ありがとうございます……」


 年上の人から一方的に褒められると、こそばゆい恥ずかしさと嬉しさがある。そんなシュネスの笑顔を見て、仄暗い空気が払拭されたのを感じ、クロジアも釣られるように小さな笑みを零す。


「俺が守り屋に協力しているのも、そこら辺が理由なんだ。善人でも悪人でも、助けを求めて伸ばされる手があればその手を掴む。守り屋を立ち上げたルジエが貫くそんな信条に、惹かれるものがあったのかもしれない」


 話を聞いて手が止まっているシュネスに代わって依頼書を元の位置に戻しながら、クロジアはそう話す。


「この守り屋になら協力してもいい。そう思えたんだ」

「時には悪事に加担する事になっても、ですか……?」

「ああ。聖人にも悪人はいるし、罪人にも善人はいる。大事なのは社会の決まり事に沿っているか否かで決まる善悪ではなく、その人の考え方だと俺は思うんだ。固い意志を持って生きる人の方が、そうじゃない人よりも魅力的だ」


 こう言ってはなんだが、シュネスから見て、クロジアは意外とまともである。そんな彼が、今回のような面倒ごとに巻き込まれたり、他にも身に危険が迫るかもしれないのに、守り屋に協力するのは何故か。少し疑問に思っていたその事が明らかになり、シュネスは自然と顔がほころんでいた。


「クロジアさんにも、クロジアさんの理想があるんですね」

「そんな大層なものじゃないと思うけど……まあ、そういう事にしておこう」


 滅多に笑わないクロジアの口角が僅かに持ち上がり、笑っている自分を恥ずかしがるように頬を掻く。


「まあともかくだ。シュネスには立派な自分の考えがあるようだし、あまり思い詰めすぎない事。それだけでも覚えておいてくれ。守り屋設立当初、ルジエは働き詰めで倒れかけた事があるからな」

「あのルジエさんが……? 意外です」

「仲間が増えてからはよりしっかり者らしく振る舞ってるみたいだが、実は割と失敗も多かったんだ。あ、この事は本人には秘密で頼む。あいつの拳はかなり痛いから」


 少なくとも一度は経験しているような口ぶりに、シュネスは苦笑しながら頷いた。


「クロジアさん、昔の守り屋を知ってるみたいですけど、守り屋ができたばかりの頃からここにいるんですか?」

「まあ、ほとんど初めからかな。確か最初は、魔道具関係の設備調整で呼ばれたんだったか。その後も何度か話をして、協力関係を結ぶ事になったんだ」


 快適に暮らしていく上で、魔道具は欠かせない物だ。シュネスのように特殊極まりない人生でもない限り、魔道具とは普段から接する事になる。新しく事務所を構えて組織を立ち上げるとなったら、当然設備の構築は専門の人間に頼む事になる。そうしてたまたま呼ばれたのがクロジアだったのだという。


「あくまで魔道具職人として技術面での協力を約束したんだが、忙しい日は事務作業も手伝わされてた。だからか街の人の何割かは、今でも俺が守り屋の正式メンバーだって誤解してるっぽいけど」


 昔を懐かしむように語るクロジアの声色は、心なしか明るかった。


「今でこそ、コマサルの全てを牛耳っている超人集団だの表社会と裏社会の架け橋だの言われている守り屋だが、そこを一生懸命切り盛りしているのは、ちょっと変わった普通の人間だ。神でも天使でも無い」

「働き過ぎは体に毒、という事ですね。ありがとうございます。わざわざご忠告いただいて」

「いや、俺が勝手に心配しているだけだよ。余計なお世話かもしれないけど」

「そんな事ないですよ! 心配してくださるのはとても嬉しいです」


 シュネスは明るく笑う。11年間社会の裏に紛れ、日の目を浴びる事が無かったのが勿体なく思ってしまうほど、見る者の心に安らぎを与えるような無垢な笑みだった。


「働き過ぎで倒れちゃったら、ルジエさんに怒られちゃいますからね。それこそ三食も忘れるような事があったら」

「……そ、その通りだな」


 そして、そんなシュネスの思わぬ一撃に、クロジアはバツが悪そうに目を伏せた。

 先ほど外で交わした話を思い出したシュネスの、彼女なりにクロジアを心配しての一言だったのだが……彼には相当耳が痛い話だったようだ。


「過去の悪例を忘れないのは大事だ、うん」


 守り屋の新人に示しをつけられるよう、自分の生活も見つめ直そう。そう心に誓ったクロジアだった。

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