第21話 悪を断つためだけの刃じゃない

 マラガスとの戦いの後も、ルジエは時間の許す限りたくさんの生徒に指導を行った。闘技台の周りに集まるほとんどの生徒はルジエの戦いぶりを真剣に見学していたが、一部の生徒はシュネスの方に群がっていた。

 校内で伝説的に語り継がれているルジエと共にやって来た小さな女の子。注目の的となるには十分な要素だった。


 シュネスからしても興味を向けられる事に悪い気はしなかったが、それでも一気に来られるとたじろいでしまう。ちょうど近くにいたヒビニアの助けを借りながら、シュネスは何とかルジエの特別授業が終わるまで、生徒達の質問攻めをしのいでいた。


 しばらくして解散となった後は、学園長と依頼報酬の受け渡しや事務的な手続きを済ませ、今回の依頼は無事達成となった。最後にルジエが在学中にお世話になっていたという教員たちに挨拶をして回り、学校を後にする頃には、すっかり陽が傾き始めていた。


「ルジエ先輩! ありがとうございました!」

「シュネスちゃーん! また来てねー!」

「今度、守り屋にお菓子持って行くよー!!」


 帰り際まで、剣術学校の生徒たちは二人を見送っていた。マラガスをはじめとする稽古をつけてもらった生徒達はルジエに感謝を述べ、そしてシュネスを可愛がっていた一部の生徒は彼女へ手を振った。


「あら、いつの間にか人気者ね」

「あはは……」


 皆が思っているほど自分は大した存在ではないと何度も言っていたのだが、それでも学生たちはシュネスに興味津々だったようだ。シュネスは苦笑いを浮かべながらも、去り際に彼女らに手を振り返した。


 馬車の停留所への道すがら、シュネスは初めての王都をキョロキョロと珍しそうに見渡していた。そんなシュネスを見て、ルジエは申し訳なさそうに笑みを浮かべる。


「ごめんなさいね、せっかく王都に来たのにこれで終わりなんて。本当はいろんな所に連れて行ってあげたかったんだけど、陽が暮れる前に帰らないといけないから」

「いえ、私は十分楽しかったですよ! こうして誰かと街を歩くのが夢だったので」


 今までの人生、シュネスはのんびり街を歩くような事は一度も無かった。彼女にとって人の行き交う街は命がけの狩り場であり、帰る場所が無い彼女の唯一の居場所だった。

 どこまでいっても、それが彼女の『世界』の全て。なので始めて来る王都を今日のように明るい気持ちで見渡す事ができるのが、シュネスにとってはたまらなく贅沢で、夢のように感じる日常のひとつだ。


「ルジエさんと王都に来れただけでも、とても素敵な思い出です」


 一つ結びにした長い茶髪を揺らしながら、シュネスは明るい笑顔を見せる。しかしすぐに、その顔に影が差した。


「……それに、謝るとしたら私の方ですよ。今回の依頼、全てルジエさんに任せっきりで、私はただついて来ただけですもん。不甲斐ないです」

「なんだ、そんな事気にしてたの?」


 落ち込んだように俯いて歩くシュネスの頭を、ルジエは優しく撫でた。


「気負う必要は無いわよ。今回は元から見学の意味を込めて、私がシュネスちゃんを引っ張って来ただけだもの」

「そう、なんですか」

「ええ。守り屋では今日みたいに、依頼人のもとに出向いて話を進める事もあるわ。いずれは一人で依頼人との話し合いや交渉をする事になるでしょうし、今日は研修みたいなものよ」

「そうですよね。いずれは一人で……はい、頑張ります!」

「だから、分からない事があったら何でも聞いてね」


 澄み渡った空に広がる夕焼けを閉じ込めたような橙色の瞳を細め、ルジエは優しく語りかける。彼女の言葉の暖かさと、頭を撫でられる手の温もりを感じて、シュネスは顔を綻ばせた。


 勇ましく剣を振るうルジエの包容力豊かな優しい一面。シュネスはそれが好きだった。いや、実際はシュネスだけじゃないだろう。ヒビニアをはじめ、剣術学校の生徒たちは皆ルジエを尊敬していた。見るからに反抗的だったあのマラガスですら、ルジエと剣を交えた後には人が変わったかのように素直になっていた。


 優しく、しっかり者で、皆に慕われている。シュネスが思い描く『正しい大人』の、ひとつの完成形とすら言えるような女性。シュネスにとってルジエはそういう存在だった。

 そんな人物が、今は犯罪者に手を貸すような仕事をしている。


「……ルジエさん。守り屋について、ひとつ聞いてもいいですか?」

「なあに?」


 改まって尋ねる彼女へ不思議そうに視線を向けるルジエ。シュネスは一呼吸置いた後、再び口を開く。


 その疑問は、ルジエにとっては突拍子もない問いかもしれない。けれど、シュネスにとっては、ずっと気になっていた事だった。


「守り屋は、どうして善人だけじゃなく、悪人も守っているんですか?」


 案の定、いきなりそんな質問をされたルジエは目を丸くしていた。その困惑を答えあぐねていると捉えたのか、シュネスは慌てて付け足した。


「えっとそのっ、秘密とかでしたら全然答えなくても大丈夫ですよ! 個人的に気になっただけで……」

「あー、そういうのじゃないわよ。ちょっと驚いただけ」

「すみません、急にこんな事聞いちゃって」

「いいえ。不思議に思うのも当然よね。思えば、シュネスちゃんには一度も話してなかったもの」


 シュネスは良くない質問をしてしまったのではと内心焦っているのが顔に表れている。それがどこか可笑しくて、ルジエは小さく笑った。


「善も悪も分け隔てなく守る。この守り屋の信条はね、私が守り屋を設立した当初からの方針なの」

「守り屋って、ルジエさんが作ったんですか!?」

「あ、これも話してなかったかしら。ごめんなさい」


 ルジエは頬に手を当ててため息をついた。


「仕事の事はいろいろ教えたつもりだったけど、私ったら大切な事は何も話してなかったわね。守り屋で働いてもらってるんだから、始まりの話ぐらいするべきだったのに」


 そして、乗合馬車の停留所までの道のりを歩きながら、ルジエは話し始めた。


「王都に住んで、ソルド剣術学校に通っていた頃。私には同い年ぐらいの、仲の良い盗賊の子がいたの。学校にも友達はたくさんいたけど、その子とは一番の仲良しだった。その頃の私にはまだ『盗賊は悪い人だ』っていう考えはあったけれど、彼女が貧しい家族を養うために盗賊をやっているって知ってからは、私は彼女の盗みを止めなくなった。その頃から、私は少し悪い人だったのかもね」


 昔を懐かしむように、ルジエはゆっくりと言葉を紡ぐ。


「お互いが休みの日を見つけては遊びに行ったりしてね。たまに私が勉強を教えてあげたり、彼女から戦闘術を教わったりもした。盗賊である前に一人の友達として、私は彼女との時間を楽しく過ごしてたわ」

「とても、仲が良いんですね」


 シュネスは思い出を語るルジエの顔を覗き込む。顔を見ていれば、彼女がどれだけその友達を想っているのかが分かった。シュネスの視線を受け、ルジエも笑みを返す。しかし、続く言葉は意外なものだった。


「でも、それも長くは続かなかった。彼女の所属していた盗賊団が、王国騎士団の襲撃を受けて壊滅したの」

「え……」

「その子も騎士団に捕まって、今まで奪った金品やそれらを換金して得た物は全て差し押さえられた。盗賊としての収入だけで食い繋いで来た彼女の家族は、ほどなくしてみんな命を落としたわ」

「そんな……」


 生きる為には奪うしかない。そんな生活が身に染みていたシュネスは、その話に人一倍の共感を覚えた。そして、自分一人の命を繋ぐだけでも大変だったシュネスには、その上で家族を養って生きていく事がどれほど辛く苦しい道であるか、痛いほど想像できる。


「冒険者だった父親は幼い頃に死に別れ、病に侵されていた母親はとても働ける状態じゃない。弟さんもまだ3つになったばかりだったそうよ。そもそもあの子の父親が死んだのだって、冒険者ギルドの無茶な魔獣討伐作戦が失敗しただけ。彼女やその家族は、何も悪い事なんてしてないのよ」


 正直に言えばこんな話、表に出ないだけでそれほど珍しいものでは無い。シュネスだって親の勝手な都合で捨てられ、路地裏や貧民街を彷徨った。似たような境遇の子供たちとたくさん出会った。大人になって、あるいは年老いて、それぞれの理由で居場所がなくなった者達ともたくさん出会って来た。


 全てを救う正義など存在しない。

 生は平等に振り分けられ、しかしそれ以上の平等など存在しない。運は平等に廻って来ないし、お金も、自由も、死に方さえも、平等には与えられない。


「この国における正義っていうのは、都市警備隊や王国騎士団の事を指す。けれどその『正義』は、秩序を守り悪を断つための正義。弱き者を守り、救う正義じゃない」


 ルジエの口調には押し殺すような悔しさが混ざっていたが、顔には現れていない。在りし日の覚悟を思い返すように、その目は決意に満ちた光を湛えていた。


「助けを求めているのは善人だけじゃない。悪人と呼ばれる人たちにも事情があるし、悪と呼ばれるしかなかった人だっている。善人も悪人も関係ない。守りたい物は、誰にだってあるのよ」


 そう語るルジエは、隣を歩くシュネスの手を握った。生きるために、幼くして罪人になるしか無かった少女の手を。


い人を守るのは国の仕事。なら、悪い人を守る人も必要。そう決意した私は、守り屋を創ったの。罪に染まってもなお助けを求めている人に、手を差し伸べるために」


 道行く人々の喧騒と夕陽に溶けるその言葉は、隣のシュネスだけが最後まで聞き届けた。


「守り屋誕生秘話って言うと大袈裟かもしれないけど、まあこんな所よ。参考になったかしら?」

「は、はい。ありがとうございます」


 善人と悪人の仮面を付け替えるのは大変だ。善人を守って悪人を倒す。そんな分かりやすい正義の方が簡単だ。

 なのに守り屋は、善と悪の両方を守り、両方を討つ。


「理念というか信念というか、ルジエさんたちの想いが、よく分かりました」


 彼女が繋いでくれる手を、シュネスも握り返す。身長差のあるルジエの顔を見上げ、その夕陽色の瞳を見て、シュネスも改めて決意を告げる。


「私も、守り屋で一生懸命頑張ります!」


 生きるためのお金を稼ぐためだとか、寝床を確保するためだとか、それ以前の話だった。


 自分も、彼女たちと一緒にいたい。守り屋こそが、自分のいるべき場所なんだ。

 独りで闇を進む罪人の隣に寄り添い、守るための悪。それが自分のやるべき事。この人生が今まで繋がっている理由だ。


 ルジエの話を聞いたシュネスは、そう確信していた。

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