第20話 剣を愛せよ。さすれば剣に愛されよう

 今度はルジエから前に出た。先ほどまでの素早さはそのままに、しかし動きが大振りになっていた。すかさず剣で受け止めるマラガスだったが、先ほどまでとは段違いの衝撃に、剣を構える手が痺れた。


 マラガスは再び鍔迫り合いになる前に剣を押し返そうと力を込める。だが、ルジエの剣は動かない。それどころか、逆に弾き飛ばされた。ルジエは更に距離を詰める。


「動きが、変わったっ……!?」


 マラガスと言葉を交わす前の繊細な動きとは打って変わって、一つ一つの斬撃が激しい。軽やかに舞うというよりは一歩ずつ力強く踏み締めるかのような、活力を感じさせる大振りな剣撃へと変貌している。

 まるで別人が宿っているかのように、ルジエの動きは豹変していた。


「訓練を積めば、動きの癖を事だって難しくない。弱点をあえて作ったり得意技を隠していたり、強い剣士ではよくある事よ」


 笑みと共に、後輩へ助言するルジエ。その動きはまたも変わる。

 細かい動きでも、極端に大振りな動きでも無い。特徴という特徴が何も無い、まさに基本を忠実にしたような剣裁き。これも、彼女の言う『作られた癖』のひとつに過ぎなかった。


 マラガスが見切ったと豪語していた今までの動きは、ルジエがわざと演じていただけ。それは彼女のほんの一部でしかなく、その神髄は彼女自身にしか分からないほど多才で深いものだったのだ。


 マラガスの顔から、最初の余裕は完全に消え失せていた。年上とはいえ、ふたつしか歳の違わない女性にされるがままの防戦一方。突き付けられた圧倒的な実力差は、誰にも負けないと思い込んでいた少年にはなかなか応える現実だった。


「クソ……! この俺が、負けるはず無い!!」


 一撃ごとに人が変わったかのような変則的なルジエの連撃を、かろうじて防いでいたマラガス。その瞳に力が宿った。

 彼の持つ剣に光が宿ったかと思うと、その光は魔法陣を描く。次の瞬間には、彼の剣は雷を帯びていた。


「魔術……いいじゃない」


 剣術の試合に魔術を使った彼を咎めようと一人の男性教師が身を乗り出したが、ルジエはそれを片手で制する。苦戦したという事実に怒りを示すマラガスを見て、彼女は笑みと共に言った。


「ここからは魔術の使用も認めるわ」


 剣術学校でも魔術の勉強はしている。身体能力を強化したり、剣の威力を高めたり。剣士にも剣を使った戦いに組み込む事の出来る魔術は必要であり、実戦でも魔術込みでの剣術を要求される。そういった観点から、魔術学校ほど本格的ではないものの、基礎的な魔術は学んでいるはずだ。


「あなたの全力をぶつけなさい。でないと稽古の意味が無いものね」

「舐めやがって……!!」


 空気を焦がす雷を剣にまとわせ、マラガスは接近する。先ほどまでとは威力も段違いの斬撃。だが、ルジエは軽く受け流す。倍以上の速度で繰り出されるマラガスの連撃を、いともたやすくいなしていた。しかも、彼女はひとつも魔術を使わずに。


「食らいやがれ、俺の必殺の一撃!!」


 少年は吠え、剣に宿す雷が爆発的に膨れ上がった。それは剣を中心として渦を巻き、三メートルほどの雷の大剣となった。

 高くかかげられた雷撃は、そのままルジエへと振り下ろされる。ルジエは走り出した。


 まとわせる雷は大きくとも、その起点は一本の長剣。狙うはそこだ。

 マラガスの目の前まで一瞬で距離を詰めたルジエは、彼の振り下ろす剣へ横から一閃。落雷の如き一撃は横に逸れて闘技場の床を砕いたが、ルジエにはかすりもしなかった。


「俺の一撃を、あっさり弾いて……!?」


 すかさず風の魔術で体を浮かせて距離を取り、ルジエから離れた所に着地するマラガス。剣の切っ先をルジエへ向けると、彼の左右に魔法陣が浮かび上がった。


「貫け!!」


 彼の叫びに応じて、二つの魔法陣から矢のように細く集束した雷撃がいくつも飛び出した。凄まじい速度だが、ルジエなら避けられるはずだ。

 しかしルジエは動かない。その場で剣を構え、飛来する雷撃の群れを迎え撃つ。


 雷撃の数だけ剣が振るわれ、その全てが彼女の体を焦がす事なく散った。


「なっ……俺の雷撃を斬った……!?」

「宝剣でもない限り魔術は斬れないわよ。剣の腹で弾いただけ」


 驚きを露わにするマラガスへ、ルジエは指で剣の腹をつつきながら軽く言ってのける。だが、それは言うほど簡単には出来ない。


 雷撃が飛んでくる位置を寸分たがわず見抜く動体視力と、思い描く通り正確に剣を操る技量が必要だ。腹で弾くように剣を振ると、普通に振るよりも空気抵抗が増す。単純に求められる筋力が増えるだけでなく、僅かな重さの違いによる重心のズレは、決して些細な物では無い。何よりこんな事をやっておいて、息の一つも乱れていない事にも驚きだ。


 少なくとも、剣の道を究めた達人か、感覚でコツを掴むような天才でないと、立て続けに放たれる魔術攻撃を剣で弾き飛ばすなんて芸当は出来ない。


「クソ……デタラメな強さじゃねぇか」


 達人か天才か。目の前の女性をどちらかに分類するとすれば、それはだ。マラガスは直感的にそう断言できた。


「けど、俺は諦めねぇ――」


 再び彼の剣に魔法陣の耀きが重なる。だが、目の前の相手はそれを待たない。少しでも魔術に意識を割いた状態では、ルジエの早業に対処する事は難しい。少なくとも、卒業してもいない剣術学校生には無理な話だった。

 ルジエは彼の剣をからめとるように自身の剣を重ね、手を捻って振り払う。素早く器用な所業によって、マラガスの手から剣が抜け、地を滑った。


 瞬きの内に自分の手から剣が消え、マラガスは何が起きたのか理解出来なかったようだ。しかし次の瞬間には、自分の喉元に刃があてがわれ、目の前の女性がニコリと微笑むのが見えた。


「勝負あり、ね」


 己の全力を余裕であしらったルジエを見て、マラガスは唖然とし、そして悔しそうに唇を噛む。それが決着だった。生徒達から歓声や拍手が溢れる。


「あなたは強いわ。基本も応用もよく出来ているし、相手をよく見て戦術を組み立てられていた。でも、所々に詰めの甘さが出てるわね。自信を持つのは良い事だけど、自分の実力を過信し過ぎると、無意識に油断してしまうものよ」


 ルジエは地面に転がったマラガスの剣を拾い、彼に手渡した。マラガスは無言で剣を受け取り、それから真っ直ぐと彼女の瞳を見た。


「……俺には、何が足りなかったんすか」


 そこに高慢で高圧的な本来の彼はおらず、悔しさに紛れて、格上の実力者に対する彼なりの敬意が現れているように感じた。


(……依頼達成、かしらね)


 模擬戦を通して彼の中で何かが変わったのを感じ、ルジエは微笑む。無事に依頼をやりとげた事だけじゃなく、純粋に後輩の成長の一助になれた事を喜ぶような、そんな笑みだった。


「足りないもの……そうね」


 だから、彼女も試合後の後輩に対してしっかりと助言を授ける。


「剣を息を合わせる事、かしらね」

「え……?」


 予想外の一言に、首をかしげるマラガス。


「これは私の持論なんだけど、剣は道具じゃなくて相棒なのよ。生きて無くても、真摯に向き合えば心を通わせる事も出来る。ただ人が剣を振るのではなく、想いを込めて人が剣を振り、剣に応えてもらう。そうすれば、思った通りに動けるわ」

「剣と、心を……」


 具体性に欠ける根性論のようにも思えるが、自分に足りないピースがはまったかのように、マラガスは得心したような顔をしていた。


「言ったでしょ? あなたの心が剣に表れてるって。剣からあなたの心ではなく、剣の心が表れるようになった時、きっとあなたは更に強くなってるわ」


 剣を鞘に収める時、ルジエは雷撃を打ち払った剣の腹をちらりと見た。

 あの雷の矢のように剣を使わない攻撃魔術は、この学校では習わない。おそらく彼は学校の授業とは別に、独学で魔術を学んでいるのだろう。そして元々素質があったのかひたすら努力を重ねたのかは分からないが、戦いにおいて十分使えるほどにまで仕上がっていた。


「あなたの腕と向上心は認めるわ。あとは『終わり』を見出す事なく努力を続け、そして誠実になる事。己の剣に対しても、他人に対してもね。先輩との約束よ」


 ちょっとばかり先輩風を吹かせて、ぱちりとウインクをするルジエ。

 今まで周りに邪険な態度を取り続てた故に、誰からも優しく接される事が無かったマラガスは、自分に対して物腰柔らかに接してくれて、それでいて芯の通った勇ましさを兼ね備えた彼女の笑顔を見て、思わず頬を赤らめる。

 そして、それを隠すように深々と頭を下げた。


「あ、ありがとうございましたぁ!!」

「どういたしまして」


 ハッキリと彼から出て来たお礼の言葉に、普段の彼を知る誰もが驚いていた。学園長をはじめとする教師陣はマラガスに訪れた良い変化を拍手で称え、シュネスも無事に終わってほっと胸をなでおろす。


 今日と言うこの日に、白い闘技場の真ん中で。

 ここにいる誰よりも強い赤髪の剣士は、全ての後輩たちに真なる剣術を見せつけたのだった。

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