第8話 汚れた自分と付き合う方法
「たっだいまー! ぼくの勝ち!」
「チクショー負けたー!」
日の入りの鐘が鳴った頃、モファナとマストが帰って来た。別々の依頼をこなしていた二人だが、どうやら帰り道にばったり合流して守り屋まで競争して来たらしい。ドタバタと騒がしく帰って来た二人に、ルジエは「やかましい」と言いたげに顔をしかめていた。
「モファナちゃん、元気だね……」
「そう言うシュネスもあんまり疲れてなさそうだね」
「あれ、そうかな? 自分ではちょっと疲れたと思うけど……気のせいかな」
「今までが過酷すぎて耐性ついたん、じゃ……おやや」
モファナはふと口を閉じ、じろじろとシュネスを観察し始めた。その視線は主にシュネスの頭部へと向いている。
「ど、どうしたの?」
「シュネス、髪結んでるー! うはは、なにそれカワイイじゃーん!」
「照れるよそんな……」
長い長い髪を後ろで一つ結びにしただけなのだが、モファナはテンション高めにぴょんぴょん跳ねている。そう言えば、髪型を変えたのは依頼受付を始める直前。モファナとマストが出て行ってから後だったか。二人には始めて見せたことになる。
いつも以上に元気が有り余っているモファナをよそに、体をほぐしているマストもシュネスへ声をかけた。
「仕事はどうだったんだ? ルジエの言ってる事が分からん場合は言えよ。たぶん俺も分からんが、一緒に考えるぐらいは手伝えるぜ」
「はは……ありがとうございます」
ドヤ顔で情けない事を言うマスト。すぐさまルジエの言葉が飛んで来た。
「シュネスちゃんはどこかの誰かさんがたとは違ってちゃんと聞いてくれるし、教えた事はすぐ覚えるんだから大丈夫よ」
「だってよモファナ、言われてるぞ」
「いやいやマストでしょ」
「二人ともよ! ちょっとはシュネスちゃんを見習いなさい!」
夕飯前の守り屋に、子供を叱るようなルジエの声が響く。まるでいつの日か思い描いた幸せな家族のような光景に、シュネスの心は温かいもので満たされた。
しかし今朝方、小言を言うルジエに対しモファナが「お母さんみたい」と茶化し、まだ20歳であるルジエの怒りを買うという事案が発生していた。なので誤解を生まぬようシュネスは口には出さなかったが、それでも暖かな気持ちは、笑みとなって顔に表れていた。
* * *
ルジエが作った夕飯を皆で食べ、暖かいお風呂に入る。未だ現実味の湧かない幸せを感じつつ、シュネスは寝間着のまま外に出ていた。
玄関を出て、正面にある階段に腰掛ける。毎日雨風にさらされながら寝ていたからか、寝る前に外の風を浴びないと落ち着かないのだ。
一日中仕事をしていると時間が経つのもあっという間で、疲れた体とは対照的に、心は充実感を感じていた。もしかしたら、この疲れこそが充実した一日を証明しているのかもしれない。
「こんなに幸せな日が来るなんて、昔の私は想像できたかな……できなかっただろうなぁ」
東は海に、南は雪が降り続ける『絶白の森』に面しているコマサルは、他の街に比べても年中涼しい。夜のそよ風を感じていると、少し肌寒くなってくる。
しかし、寒さも暑さも我慢するしかなかった今までの記憶が、『それはいつも通りだ』と告げていた。体に悪い方が、かえってシュネスの日常には合っているのだと、己の体が言っていた。
「…………」
自分はまだ、路地裏での日々に囚われたままだ。帰る場所を無くしてからの11年は、年齢だけが積み重なったシュネスの心に深く根差している。
陽が落ち、すっかり暗くなった路地裏への入口が、自分を手招いているように錯覚する。その闇を視界におさめると、あるべき場所に返って来たような安心感を少しでも感じてしまう。そんな自分が嫌だった。
「はぁ……結局のところ、私の根っこは汚れたまんまなのかなぁ」
「何してんだ?」
「ひゃぁ!」
いきなり頭上から声がしたと思ったら、玄関の扉を開けてマストが見下ろしていた。
「おっと悪いな、驚かせちまったか」
「い、いえ別に……」
急に現れた事に驚いたというよりは、誰も聞いていないと思っていた独り言を聞かれたかもしれないという恥ずかしさもあっての反応だった。まあ小声だったし、恐らく聞かれていないだろう。
「んで、汚れがどうしたって?」
聞かれていた。普通に声が届く距離だった。
「あはは、いやー何でもないですよ、忘れてください」
恥ずかしさを誤魔化すようにぎこちなく笑顔で流すシュネス。玄関の扉を閉めたマストは、そこにもたれかかりながら目を伏せた。
「ま、汚れは思ってるほど簡単にゃ落ちねぇよ」
「え……?」
「俺も仕事道具をうっかり鍛錬で使って汚しちまった時、全然汚れ取れなかったしな。ルジエにめっちゃ怒られた」
「…………そうですか」
胸の内を見透かされたかと思って心臓が跳ねたが、続く言葉が全くの的外れな話題で、一気に冷静さを取り戻した。一瞬の動揺を返して欲しい。というかなぜ仕事道具を鍛錬に使うのか。
「それだけじゃねぇな。俺の物は基本的に使い古してるから汚れてばっかだ」
いつの間にかシュネスの横まで階段を降りて来ていたマストは、少し間を開けて同じ段に腰掛ける。そしてシュネスに見えるように右手を隣に向けた。手にはめている革製の指抜き手袋には、傷や汚れが見て取れた。
「洗っても落ちないんですか?」
「そりゃあ頑張って洗い続ければいつかは綺麗になるだろうな。でも俺は、この汚れを全部取っちまいたいとは思わねぇぜ」
「……どうしてですか?」
「そーだなぁ。上手く言えねぇが、この汚れは俺が頑張った証でもあると思うから、かもな。たまに言うだろ? 『傷は兵士の勲章』って。それみたいなもんだ」
シュネスはそんな言葉は一度も聞いた事は無いが、言いたい事は伝わる。手袋をはめた手を開閉するマストは、何度目かで拳をグッと握った。
「これは俺が稽古中に、初めて師匠に拳を当てた時に貰った物なんだ」
「へぇー、お師匠さんがいるんですか」
「ああ。先に逝っちまったけどな」
「……!!」
あっさりとそう言ってのけたマストに、シュネスはどう返せばいいか分からなかった。ちらりと横顔を見ても、彼は特段悲しんだ素振りは見せていない。それどころか微かに笑っている。手にはめたその存在を確かめるように、両手を握っていた。
「貰ったそん時は綺麗な新品だったけど、ずっと使ってるから今はこんなになっちまってる。この汚れや傷には、師匠との鍛錬で出来たモノだっていくつもある。だから、これは全て俺の経験と思い出の証だ」
「……それがマストさんの勲章、なんですね」
「そういうこった」
歯を見せて笑うその顔は、いつもの自信に満ちている。その濃い青の瞳は、目に見える以上の深さを隠している、夜空に似ていた。
「だから俺が言いたいのは、別に汚れてたっていいんじゃね? って話だ。人によっちゃ汚れなんて綺麗サッパリ無くした方がいいって思うんだろうが、そうにしても、汚れを知ってねぇと取り方も分かんねぇ。取れない汚れとの付き合い方もソイツには分かんねぇ。だから言っちまえば、汚れた事がある方が有利なんだよ」
「……そんな考え方、初めてです」
自分が汚れてしまった事を諦めて受け入れるような人は、今まで何人も見て来た。だが、汚れを知ったからこそ成長したと言い切るような人間は初めてだ。
シュネスの悩みを見透かしていたのか、あるいはただ単に自分が思っている事を言っただけなのか。マスト本人がどういうつもりなのかは定かではないが、その言葉は今のシュネスの心にスッと入り込んだ気がした。
「よっと」
言いたい事は言い終わったのか、勢いをつけて立ち上がるマスト。そのまま階段を上がり、玄関に手をかけた所でこちらを振り返る。動きを目で追っていたシュネスはそれを見上げた。
「まーいろいろ考えるのは疲れるだろ。自分なりに考えて、分かんなきゃ俺らに相談すりゃいいぜ。この仕事してちゃ、いろんな『汚れ』と接するからな。考えるぐらいは手伝えるぜ」
体術馬鹿だの何も考えてないだの、モファナやルジエからは散々な言われようだったが、彼も彼なりに、己の考えや信念があるのだろう。守り屋の先輩として、シュネスはもっと彼に教わりたいと思えた。
「はい……! ありがとうございます!」
シュネスも階段から立ち上がり、マストに続いて屋内の灯りが漏れる玄関をくぐった。
路地裏の闇は未だ口を開けてシュネスを待っている。だがが少なくとも今は、そこへ帰る時ではない。シュネスは光の溢れる守り屋の中へと入って行った。
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