第2話 汚れた世界と汚れた人たち

(ひぃぃぃー! 魔術怖かったぁぁぁ!)


 今にも泣き出してしまいたい衝動を抑え込み、シュネスはひた走る。複雑に入り組んだここの路地裏は、普通の人が入れば間違いなく迷うだろう。

 しかしシュネスにとっては庭も同然。魔術師の少女から距離を離しつつ、再び人混みに紛れようと大通りを目指していた。


(探知魔術が仕掛けられてたのはたぶんあの麻袋。あれは捨てたからもう見つかる事は無い……とは言い切れないよね。とにかくここを離れないと)


 金を盗られ、ゴミを投げつけられた挙句、返された袋には石ころしか入っていない。おそらくあの魔術師はご立腹だろう。次に会えば殺される。絶対殺される。


(今日は逃げきれても、また鉢合わせるかもしれないし……いっそコマサルから出て別の街に行こうかな……)


 麻袋から取り出したお金は全て内ポケットに仕舞い込んである。無論、着の身着のままの徒歩移動にはなるが、これだけの金貨があればお腹を満たしながら隣の街まで歩いて行けるだろう。


 逃げながらこれからの生活について考えていたシュネス。そんな彼女に、ふと声が掛けられた。


「ちょっと待ちな、嬢ちゃん」


 声は前方から。一旦路地裏を出ようとしていたシュネスに立ちはだかるように、人であふれる商店街を背に立つ青年が一人。所々ちぢれている青色の髪をした男だった。


「わ、私……? 何かご用ですか?」

「ああ。ちょっと人を探しててな。何でも、俺の仲間が金を盗られちまったんだよ」

「そ、そうなんですか」


 指抜き手袋をはめた手で頭を掻きながら、ため息交じりにそう言う青年。シュネスは路地裏の闇に戻るように一歩後ずさった。そんな彼女へ、青年は視線をよこした。


「単刀直入に言うが、嬢ちゃんがその金貨泥棒だろ?」


 青年の目が真っ直ぐシュネスを射抜く。盗人として様々な人間から、命からがら逃げ続けたシュネスには分かった。この目は、この言葉は、本当にシュネスが泥棒なのか確認する時のそれじゃない。


 彼は既に、シュネスが犯人だと分かっている。もはやしらばっくれてこの場をやり過ごす事など不可能だろう。


「……っ!!」


 だからシュネスは、踵を返して逃げ出した。再び入り組んだ路地裏に入れば、追って来るであろう彼を撒く事はそう難しくもない。あのおっかない魔術師からも逃げきれたのだ。今回も油断しなければ大丈夫。


 そう考えた刹那。背筋にゾワリと何かが這い上がるような、とてつもなく嫌な予感がした。このまま走ってはいけないと、そう本能が訴えかけるような。


 反射的に体を左へ寄せるシュネス。

 直後、さっきまでシュネスがいた場所を『何か』が高速で通過し、壁に激突した。


「いってェ……避けやがったな」


 雑に積まれた木箱や樽を蹴散らしながら壁に突っ込んだのは、さっきまで話していた青年だった。投擲物でも魔術攻撃でもなく、青年本人。


「……え? え!?」


 シュネスは驚きのあまり、彼が立っていた位置と壁にヒビを入れて激突した青年とを見比べるように何度も首を振った。

 青年がさっきまで立っていたレンガ道は彼の足があった箇所だけ潰れていた。彼は、一瞬で二十メートルほどの距離を真っ直ぐに『跳んだ』のだ。生身でそんな事ができるなど、尋常じゃない脚力だ。


(あの魔術師のお仲間さん、この人も化け物だ……!!)


 一瞬でさっきの恐怖が戻って来た。金貨7枚という大金を手で持ったまま歩いている少女を見た時は格好の獲物だと思ったものだが、勘違いもいいところだったのだ。あの魔術師も、この青年も、敵に回してはいけなかった。


「やっぱ、普通に捕まえた方が早ぇよな」


 壁にぶつかって寝ころんでいた青年は飛ぶように起き上がり、シュネスを一瞥して一歩踏み出す。


 シュネスにとって、金貨7枚なんて大金を稼げるような人間は『強い人間』だ。それは腕っぷしだけでなく、世の中を渡り歩いたり生きていくだけの力があるという事。

 そして、そんな人間から金品を盗んで生きているのが、シュネスのような『弱い人間』。弱者では強者に勝てないなんて、当たり前すぎる自然の摂理だ。


(でも、それでも私は諦めない……!)


 弱い人間であるシュネスは、強い人間を相手にして上手く立ち回り、騙し、逃げて、今日まで生き抜いて来た。だから相手がシュネスと比べて強い人間だろうが弱い人間だろうが構わない。世の摂理なんて知った事か。


「絶対に、死んでたまるか!」


 青年が再び踏み込んで来たそのタイミングで、シュネスはすぐ近くに積まれていた木箱をひっくり返す。シュネスの背丈よりも高く積まれていた木箱は、ちょうど突っ込んでくる青年を巻き込む形で雪崩を起こした。


「うおぁっ!!」


 一直線に跳ぶように向かって来た青年はこれに直撃。謎に強靭な体で木箱を粉砕しながらゴロゴロと転がり、路地裏を飛び出した所で止まった。この程度では傷一つ付けられないだろうが、不意は突けた。

 青色の髪をホコリ塗れにしながら商店街で寝そべる青年を見て、周りの人達は何事かとざわつき始める。青年が顔を上げた時には、既にシュネスはその場を去っていた。





 *     *     *





(今日はツイてなさすぎる……!! そもそも魔術師相手に盗みを働く事自体が無謀だったんだ!)


 直接的な傷こそ受けてはいないものの、これほど身の危険を感じる盗みは、今までの人生でも十回ほどしか経験した事が無い。そのうち何度かは、標的の仲間に魔術師がいて手痛い反撃を食らった事もある。あるのだが、今日の少女のように奪いやすそうな相手が大金を持っていたりすると、過去の反省すら忘れてしまうこともある。お金は人をダメにするのだ。


(もうあの恐ろしい人達と鉢合わせるのだけは避けないと……! この街で拠点にしてる路地には食料はおろか使える物もろくに残ってないし、このまま別の街へ移ろう!)


 商店街を行き交う人々を避けながら進む足どりも、気付けば早歩きになっている。どうにかしてあの魔術師と青年から逃げ切らないと、どんな未来が待っているか分からない。最悪の場合、未来に辿り着けない可能性すらある。何か、あの二人を足止めできる良い手を考えなければ……。


「……!!」


 そんな時、シュネスはある人物を見つけた。深紅の長髪を揺らし前方を歩く、腰に剣を携えた背の高い若い女性だ。


 街中で剣を持ち歩く人は、危険な魔獣と戦ったり未知の場所を探索する『冒険者』か、犯罪者を取り締まり街の治安維持を務める『王国騎士団』のどちらか。そして、目の前の女性がどちらであろうとも、一般人より戦闘能力が高いのは確かだ。


「す、すみません!」


 シュネスは意を決して話しかける。女性は歩みを止めて振り向き、僅かにおどろいたように眉を持ち上げた。一見ボロ布一枚にしか見えないシュネスのみすぼらしい格好に驚いたのだろうか。どのみち、奇異の目にさらされる事には慣れっこなシュネスは特に何も思わない。


「どうしたの? 迷子かしら」

「い、いえそうじゃなくて……実は、助けて欲しいんです。男の人に追われてて……」

「詳しく聞かせて」


 女性は真剣な顔つきでシュネスの話を聞いた。今まで声をかけた事のある王国騎士は、路地裏暮らしの浮浪児に関わるとロクな事が無いと思っているのか、シュネスの話に取り合ってくれない人がほとんどだった。


 だが、この女性は真剣に聞いてくれている。そんな良い人を騙すとなって申し訳なくなるシュネスだったが、今は生きるのが最優先。シュネスは自分が金貨を盗んだ事は隠し、『知らない男に追われている』とだけ伝えた。


 これで魔術師の少女と人間離れした動きの青年を、強そうな剣士とぶつける事が出来る。事情を詳しく話されれば本当はシュネスが悪者だと気付かれるだろうが、時間稼ぎになればそれでいい。その時までに、この街から離れていればいいのだから。


「分かったわ。話してくれてありがとう」


 女性は安心させるように微笑み、シュネスの頭をやさしく撫でた。思惑通り、彼女はシュネスが悪いなどとは少しも考えていないらしい。上手くいきそうだ。


「その不埒な男は私がとっ捕まえるわ。あなたは安全なところに――」

「ルジエ! そいつ押さえろ!」


 深紅の髪をした女性の言葉に割り込んで、シュネスが今最も聞きたくない声が辺りに響いた。

 その直後に、青い髪の青年が目の前に


「……!?」


 道に敷き詰められたレンガを割って豪快に着地した青年は、力のこもった瞳でシュネスを捉えていた。だがシュネスが驚いたのはそれだけではない。一番の理由は、化け物じみた身体能力を持つこの青年が、剣士の女性の名前を呼んだ事。まさかとは思うが、この女性までもあの二人の仲間だったり……。


「ちょっとマスト、あなた何やってんの? まさか、この子が言ってた『追いかけて来る怖い男の人』ってあなた?」

「ん? 何聞いたのか知らねぇけど、モファナのやつがそこの嬢ちゃんに金貨盗られたんだとよ。だから追っかけてたんだ」

「モファナが? あの子から逃げられる人間なんていないでしょ。人違いじゃない?」


 まさかだった。これはどう考えても、この二人――いや、魔術師の少女も含めて三人は顔見知りだ。


「いやいや、本気なワケ無いだろ。試してるんだからよ」

「……ちょっと待って、あなたまさか、もうの? 私なんにも聞いてないけど?」

「あー、そうだっけ? でも考えとけって言ったのはルジエじゃねぇか」

「私が帰ってくるまでに考えをまとめておいてって意味よ! すぐさま実行しろなんて言ってないわよ!」


 何やらシュネスそっちのけで揉めているようだが、もう限界だった。

 怪しまれないように演技をしたりだとか、周囲に溶け込むように気配を消したりだとか、そんな策を弄する心の余裕は無かった。


「あっ、オイ待て!」


 女性と話していた青年は、シュネスが走って逃げだしたのに遅れて気付く。全速力で建物の裏に逃げるシュネスを、青年と女性は追った。

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