となりの罪人

ポテトギア

プロローグ:運命を変えるスリ

第1話 生きるためには奪うしかない

 あの少女の金を盗む。


 路地裏に隠れながら表通りの様子をうかがっている少女・シュネスの頭の中はその事でいっぱいだった。


 このシュネス、わけあって家がなく、11年に渡り各地の路地裏や貧民街を転々として暮らしている、いわゆる浮浪児である。


 栄養が足りてない体は折れそうなほど細く、もうどれくらいの間切っていないか分からない茶髪は腰を通り越してひざの裏に届くまで伸びている。さらにここ半年ほど広場の水でしか洗っていないので汚れ放題痛み放題で、乙女の髪としては最悪な有様だった。しかし当のシュネスにとってはいつもの事なので、もはや気にもならなくなっている。


 そんな彼女が標的とする少女は、裏地が紫色をした紺色のマントを羽織っており、頭には同色のとんがり帽子。右手には金色の装飾がほどこされた大きな本を抱え、左手には金貨の入った小さな麻袋が握られている。


 全体的な印象からしてどう見ても『魔術師』だ。それも、そこそこ高級そうな服装を見るに、年齢に反してかなりの実力者だろう。


(もしバレたら終わり……でもやるしかない。この辺りではあの子以上に無防備な人もいないし、ここを逃したらどのみち行き倒れるだけ)


 もう4日間は何も入れていないお腹をさすりながら、シュネスは機会をうかがう。たった今、魔術師の少女が金貨の袋を懐に仕舞い込んだ所だ。狙うなら今だろう。

 シュネスは路地裏から出て、自然な流れで表通りの人混みへ混ざり、少女へと近づいた。


「わっ」


 シュネスと肩がぶつかり、驚いたように声を上げる魔術師の少女。シュネスは今までの人生で培った演技力を総動員して『無害な普通の少女』を演じる。


「ご、ごめんなさい! 急いでて前を見てなくて……」


 魔術師とはいえ、相手は歳もそう離れていないであろう少女。おまけにシュネスの恰好は、ボロ雑巾を継ぎ足して作った毛布でもかぶっているかのような、薄汚れた路地裏暮らし丸出しの服が一着のみ。魔術師の少女が相当怒りっぽい性格でもない限り、肩がぶつかったぐらいで怒る気にはなれないほど、シュネスは社会的弱者のオーラをまとっていた。


「いいよいいよ、気にしないで」


 思惑通り、魔術師の少女はにっこりと微笑んでシュネスに手を振った。


「すみませんでした!」

「大丈夫だってば。転ばないようにねー」


 何度も頭を下げて、魔術師の少女に見送られながらシュネスは走り去る。

 そして、再び人混みに紛れたタイミングで、予め開けておいた服の裂け目に手を突っ込む。そこには麻袋に詰まった金貨の確かな感触。


(やった……何とか今回も成功した)


 緊張の糸が切れて、思わず息をつく。だが周囲の風景から浮かないよう、歩みは止めない。


 彼女がした事は至って単純。魔術師の少女と肩をぶつけた拍子に相手の懐から金貨の袋を盗り、少女と向かい合うまでの一瞬の間に、ボロボロの服に縫い付けていた内ポケットにしまい込んだのだ。


 要するに、ただのスリである。


(この重さは金貨7枚……7万セフ! 2日に1回食べるとしても、何十日も食いっぱぐれないで済む!!)


 お金の重さは命の重さ。その確かな重さを感じれば、思わず足取りも軽くなるというもの。


 最初こそ、罪悪感は感じていた。しかし、そんな悠長な事を言ってられないという事は、すぐに思い知った。

 路地裏の世界では道徳心を捨て切れなかった者から死んでいく。様々な貧民街や路地裏で生きて来た彼女の教訓である。


(でもやっぱり、ちょっと申し訳ないとは思うよね……)


 魔術師の少女の背中を肩越しに見つめながら、シュネスは心の中で独りごちる。

 生き残るために数え切れないほどの罪を犯して来た彼女だったが、何も感じることなく手を汚せるほど、彼女も悪に染まり切ってはいなかった。


(ごめんなさい、魔女っ子さん。これも生きるためなの)


 声に出さず静かに詫びて、シュネスは通りを後にする――


 その瞬間だった。


「あーー!!」


 ついさっき聞いたばかりの少女の声が、表通りに響き渡った。


「無い……! ぼくのお金が無い!?」


 その声が聞こえた瞬間、シュネスは走り出していた。空腹で力が入らない足を必死に動かして、飛び込むように建物の陰に隠れた。

 肩で息をしながら、物陰から顔を出して少女の方を窺う。彼女はマントの内側や服の中などに手を突っ込みながらその場でバタバタしている。無くなったという事実に気づいただけで、盗られたとまでは思っていないようだ。


(だ、大丈夫、私が犯人だってことはバレてないみたい……)


 相手は魔術師。犯行がバレようものなら、どんな残虐な方法で始末されるか分かったものでは無い。

 凡人とは違う、才能を持つ存在。やりようによっては超常を操る魔術師は、シュネスのような弱者にとって災害と同じ扱いだった。


(とにかく、バレる前に退散っと……)


 ここからは演技力ではなく隠密力の出番。昼間でも薄暗い路地裏をコソコソと歩いているのを見られたら怪しまれる。なるべく早く、もっと奥に進むべきだ。


 誰にも見られてはならない。ましてや、被害者である魔術師の少女には、絶対に。


「見つけたよ! お金泥棒!」

「ええ……!?」


 そう思ってる矢先にいきなり背後から声をかけられ、ビクリとシュネスの肩が跳ねる。恐る恐る振り返ってみれば、路地裏の入口に立つ魔術師の少女が、その空色の瞳でシュネスを睨みつけていた。


(うそ、何でバレて――)


 反射的に懐に隠している金貨の麻袋へ視線を移し、その変化に気が付いた。服越しにでも分かるほど麻袋が光を発していたのだ。


「まさか、探知の魔術……!?」

「今すぐ返してくれるなら、痛い目にはあわせないよ」


 小脇に抱えていた装飾の豪華な本を右手に持ち、魔術師は言う。しかし、シュネスは目を合わせたまま静かに後ずさるだけで、返事は返さない。


 こんな大金を手にしてしまった以上、簡単には諦め切れない。ましてや返した所でこの魔術師が見逃してくれるはずがない。命は取られずとも、ボコボコにされて都市警備隊か王国騎士団に引き渡される可能性だって十分有り得る。


「ふうん……大人しく返してはくれなさそうだね」


 シュネスの態度からおおよそを察した魔術師の少女は、呆れたようにため息をついた。

 そして、金色の装飾が施された本を開く。風も吹いていないのに、開いた本のページがパラパラとひとりでにめくれ始めた。


「それじゃ、力づくで取り返そっかな!!」


 少女が叫んだ直後、彼女の周囲に、黄色に輝く魔法陣が空中にいくつも描かれた。魔術が発動する合図だ。


(来る……!!)


 恐怖を感じつつも必死に足を動かすシュネスは、滑りこむように曲がり角へ身を隠す。その直後、路地裏の闇を閃光が貫いた。一瞬前までシュネスがいた場所を通過した閃光は、一直線に突き進んで壁を抉っていた。まさに紙一重の回避。直撃したら間違いなく重傷だ。


「よく避けたねぇ。でも次は無いよ」


 こちらへ近づく足音に、少女の声が重なる。見た感じだとほとんど同い年であろう彼女の声は、シュネスが思う『同年代の少女』のものとは別物だった。恐らくかなりの修羅場をくぐり抜けて来た歴戦の魔術師だ。


「おとなしくお縄にかかるんだね、泥棒ちゃん――」

「ていっ!!」


 曲がり角から顔を出した少女の顔面めがけて、シュネスは路地裏に捨てられたゴミ袋を投げつけた。しかし、少女の眼前に浮かぶ魔法陣がそれを阻む。ゴミ袋はひとりでに弾け飛び、破裂した袋からゴミが散乱する。


「くっ……!」


 シュネスは二度三度とゴミ袋を投げ続けるが、少女は棒立ちのまま、魔法陣が全てを弾いた。


「そんな悪あがき、効かないって!」


 少女の右手にある本が耀き、新たに複数の魔法陣が展開された。先ほどよりも激しい攻撃が来る。

 そのタイミングを待っていたシュネスは、さらに袋を投げつける。


 しかしそれは、ゴミ袋ではない。

 シュネスが大事に懐に隠しておいた、金貨の入った麻袋だった。


「わっ!!」


 自分のお金を塵に変えてしまわないよう、慌てて魔術を中断する少女。防御の魔法陣を消し、飛び込んで来た麻袋を受け止める。


「なんだ、やっぱり返す気に――」

「そりゃい!」

「ぶわふっ!?」


 少女の顔面に新たなゴミ袋が直撃した。金貨を回収しようと防御を解いた瞬間を、シュネスは狙ったのだ。その隙を逃さず、シュネスは恐ろしい魔術師に背を向けて駆けて行った。


「ぐわっ! くっさいなぁもう! 臭い移ったらどうするんだよ……」


 乱暴にゴミ袋を投げ捨て、少女は紺色のマントをはたく。ズレたとんがり帽子をかぶり直し、ため息をついた。


「あの子は……もう逃げたか。まあいいや、ぼくのお金は戻って来たんだし」


 薄汚れた路地裏に住まう少女の事など気にも留めない様子で、少女は麻袋を握りしめる。


「ん?」


 と、そこで違和感に気が付いた。

 口を縛っていた紐を解き、中を見る。直後、少女の動きがピタリと止まった。


「……なるほどぉ、ぼくも舐められたものだねぇ」


 少女はフッと笑みをこぼし、麻袋の中身を地面にばらまいた。それは金貨などではない。ただの石ころだった。シュネスはいつの間にか金貨を取り出し、中身をすり替えていたのだ。


「そっちがその気なら、もう容赦はしないよ……」


 空になった麻袋を握りしめる拳からは、隠しもしない苛立ちが現れていた。ぷるぷると肩を震わせながら少女は叫んだ。


「ぼくから逃げられると思ったら、大間違いだよ!!」


 少女の立つ地面に巨大な魔法陣が描かれ、路地裏の闇を再び閃光が浸食していく。

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