8か月の物語

おきな

8か月の物語

『「普通」って何だろう。』


 1年生の夏、私は朝起きられなくなっていた。起きようとしても体が動かないのだ。学校も、教室が嫌だったし、家にいるのも嫌だった。かといって、学校に行かないことはできないので、ほぼ毎日授業が始まってから登校していた。


 登校したら、いろんな先生の部屋を回って、時間を潰していた。特にM先生、2年生の倫理担当の先生と話すことが多かった。先生は、私が隣の先生の部屋にいたときに、偶然そこに来て、私の筆談もあっさり受け入れてくれた、優しい人だった。「先生」と呼ばれることを嫌って、


「俺は自分が先生だと思ってないからなあ。”Mさん”でいいよ」


と、友達のように接してくれていた。友達がいなかった私にとっては、すごく嬉しかった。


 そのうち、学校に行くと喋れない私は、先生とも筆談をするようになった。倫理の先生なので、主にしていたのは哲学対話だ。私も、中学の頃から哲学じみたことを考えるようになっていたので、先生の話がしっかり頭に入ってきた。


 初めて先生の部屋にお邪魔したときは、


「ちょっと来週の授業考えてくれん?イスラームについてな」


と教科書を渡されて、いきなり授業を考えさせられた。先生の授業は、本人に聞いたところだと、1回の授業でテーマを決めて、それについてグループワークをしたりして最後にまとめ、という感じらしい。そのテーマを決めるのに、私を使ったということだ。私はノートに、『断食とは何か』『何の意味があるのか』と書いて、先生に見せた。先生は、「あーなるほどね」と言って、採用とも却下とも言わなかった。そしてすぐ、先生が話題を変えた。先生と話していると、話題がどんどん移り変わる。それが楽しかった。


 先生の部屋に私が通い始めてから1週間ほどしたある金曜日、いつものように、ドアをノックすると先生は「おう、座り座り」といつものように言った。私は定位置の、座りにくいソファーに座って、先生を見た。そしていつものように、その日の時間割を聞かれて、答えるついでに私は、筆談ノートに『ちょっと先生、「普通」って何ですか?』と書いて渡してみた。初めての相談だった。するといきなり先生が、答えてくれた。


「普通は幻想や。人間が作り出して、夢に見てる幻想」


私がびっくりしていると、すぐに、「何かあったん?」と聞いてきて、余韻に浸る時間はなくなってしまったけど、いつ思い出しても、あのときはさらっとすごくかっこいいことを言ってくれたな、と思う。M先生にも、過去に大変なことがあったのだろう、と思った。それからたくさんいろんなことを話して、「明らめる」という話になった。先生は、ホワイトボードに「明らめる」と書いて、説明してくれた。


「人と違うことを明らめる。明らかにする。俺は身長180センチないです、それが俺や、っていうことを明らかにする。そうしたら、俺がいつも言ってる、世界との和解もできるんじゃないんかな」


アーレントの話だ。アンパンマンに例えた、世界との和解について、私はその前に聞いていた。そのときは他の、M先生と仲がいい先生もいて、私があまり聞いていなかったことを後悔した。あとで何回聞いても、そのアンパンマンの話はしてくれなかったから。分かりやすかったのにな。その日は長い時間先生の部屋にいた。とりとめもない話をして、私が初めて「場面緘黙症」という言葉を書くと、「俺もよく知らんのやけど、場面緘黙ってどんな感じなん?」と聞いてくれて、私がノートに『軽い子は、知らない人とだったら話せるらしいです(私は無理だったので今こうなってます)』『だから、周りの人に”喋れない子”って思われてる場所では声が出せないんだと思います』『当然辛いことの方が100倍多いけど、こうやって先生と話せたりするのは楽しいです』と3行書いたら、先生が、「これって俺も書いていい?赤ペンでも?」と聞いてきて、私がうなずくと、最後の行の下に『Me, too!』というアルファベットと、先生が好きなドラえもんの絵を書いてくれた。あとで担任の先生にも見てもらったほど嬉しかった。声を出すことについても真剣に聞いてくれて、そこの筆談ノートをコピーしていた。今でも残っているかな?


 私が学校から帰ろうとしているとき、偶然先生に会って、最初のさようならを言うことができた。あとで教えてくれたけど、私の声を聞いて、先生は泣きそうになったんだそうだ。多分言っていないけど、私も嬉しくてほぼ泣きながら帰った。


 それから、私が先生の部屋に行くと、帰るときに「さようなら」と言う決まりになっていた。先生はいつも、「こうやって喋らなあかんのに、よく毎日のようにここに来るよな〜」と言っていたが、喋りたいと思わせてくれたのは先生だ。それでも、10回に1回ぐらいしか声は出なくて、そのときはグータッチで挨拶の代わりにしていた。今はもう、必要ないけど。


 先生とその仲間の先生たちのおかげで、私は学校でも話せるようになった。でも、自分なりには頑張ったけど、授業に出ていなかったから、そのままいくと留年になって、私は通信制高校に転校することになった。そのときも、たくさん相談に乗ってくれて、とても嬉しかった。


 まだ、もっとたくさん、先生との思い出はあるけれど、M先生の良さは、充分伝わったことだろう。


 M先生と出会って8か月、私が転校する1か月ほど前に、M先生や、お世話になった先生9人に手紙を書いた。そのときの、M先生の返事はこうだった。

「返事?みんな書いてんの?俺は書かんで。だって俺との関係はまだ続くやろ?ここで終わりじゃないから。な?そうやろ?」


 その言葉通り、私が転校してからはメールでやりとりをしている。5月に久しぶりにメールを送ったとき、私には辛いことがあったけど、それを言い出すことができなかった。その代わりに、『普通って何やろうとか、先生に教えてもらったけどまだ考えることもあります。』と書いて送ったら、M先生から返ってきたのはこんな文章だった。『普通って何なのか、是非これからもずっと考えてください。俺も考えます。』


 8か月の物語は、これからもずっと続く。『「普通」って何だろう。』という疑問と一緒に。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

8か月の物語 おきな @okina_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ