第15話 届を出した木曜日
最近、京香は体の違和感を持っていた。
特に息子夫婦と同居を始めてから、体の違和感が強くなった。
体が重く、浮腫んでいるような気がする。
手足の先が時々痺れる。
時折、目の前に白い虫のような点が無数に見える。
京香は自分が家族から嫌われている事を知っていた。
高齢な姑。
離婚を仄めかす夫。
可愛くない嫁。
同居が始まり嫁が作る料理は、京香の好みの味ではなかった。
それに、徐々に強くなる手足のしびれ。
まさかとは思うが嫁が、京香になにかを盛っているのではないか?
常にリビングに座っている姑が飲み物になにかを混ぜたのではないか?
京香が財産を狙っている事を知っている夫が、京香を害そうとしているのではないか?
京香は、嫁の料理した食事を食べる事を止めた。
外食や、好きな総菜やケーキを買ってきて食事をする。
大好きな甘い物を食べた後は気分がいい。
せっかく退職したのだ。好きな物を食べたい。
そう京香は思っていた。
夫から離婚を告げられた日、夫が倒れた。
そのまま、放置していれば死ぬかもしれないと京香は思ったが、すぐに嫁が、気が付き救急車を呼んでしまった。
その日は夫の事を忘れて徹に会いに行った。
「来てくれてありがとう。京香さん。」
「徹。会いたかったわ。」
「好きだよ。京香さん。」
「ふふふふ。」
徹と一緒にいると嫌な事を忘れられる。
「京香さん。相談がある、、、、300万円貸してくれないかな?絶対返すから。」
「300万円?どうしたの?徹?貴方が私と一緒に暮らしてくれるなら考えるわ。」
徹は言った。
「本当に?こんな事を頼めるのは京香さんだけだ。頼むよ。俺の家に来ていいから。」
京香はうっとりと言った。
「本当ね。うれしい。徹。」
自宅に帰った京香は、寝室で嫁と遭遇した。
嫁を追い払い、夫が入院した病院へ行く。
京香が行った時、夫は少し身動きをしていた。
人工呼吸器をつけられ、点滴やモニター心電図、様々な機器に囲まれICUに入院している夫。両手両足は白い抑制帯で縛られていた。
眼は殆ど開いていないにもかかわらず、夫はうなり声をあげ京香を責めてきているようだった。
側の看護師が言う。
「まあ、意識が戻ったのかしら。報告しないと、、、」
看護師はICUから出て行った。
身動きができない夫。夫が死ねば生命保険が手に入る。丸田家の財産も京香が手にする事ができる。
京香はそっと夫に近づいた。
その時、ICUのドアが開き医師が入ってきた。
京香は、夫に伸ばしていた手を下した。
その後、医師から京香は説明を受けた。
夫は、回復してきているが、かなり高い可能性で後遺症が残り、介護が必要な状態になりそうだとの事だった。
目が覚めた夫は、人工呼吸器を外されたみたいだ。
まだ朦朧とする意識で、必死につぶやいている。
「妻に殺される。妻の京香に、、、、殺される。彼奴が俺を、、、」
看護師からは、疑惑の籠った眼差しで見られ、居心地が悪い京香は足早に病院を後にした。
翌日、夫がいない事を良い事に京香は、自宅で丸田家の金庫の鍵を探していた。
どこに隠しているのか、金庫の鍵が見つからない。
その時、嫁から電話がかかってきた。
どうやら、嫁は受診し手術が必要と言われたらしい。病名も嫁に聞いたが、手術が必要な程の事には思えなかった。そもそも嫁と同居したのは、家事を嫁にさせる為だ。京香は、手術の付き添いも、孫の面倒を見る事もはっきりと断った。
嫁はその日の夕方に帰宅し、暗くなってから孫と一緒に実家に帰ったらしい。
息子とは離婚するつもりなのだろうか。
京香は気分が良かった。
愚図で役立たたずな嫁がいても、意味がない。
私でさえ、夫から離婚を求められたのだ。
息子夫婦も離婚すればいいと京香は思っていた。
翌日も、自宅の中を探した。
金庫の鍵は見つからなかったが、ふと京香は夫から渡されていた離婚届を思い出した。
あの時のテーブルへ行き、夫の引き出しを開いた。
そこには夫名義の通帳とキャッシュカードが入っていた。
その通帳は、仕事をしていた頃、京香と夫が毎月入金していた丸田家の生活費の為の通帳だった。
通帳には675万円の残高があった。
離婚と同時に、結婚してからの財産を夫婦で分けるつもりだったのだろう。
京香は笑みを浮かべ独り言った。
「ふふふ。675万円ね。ありがたくいただくわ。望み通り離婚してあげる。」
丸田家に残っても、年老いた義母、後遺症が残る夫の介護、長男夫婦の孫の世話が待っている。
財産は欲しいが、この家に縛られて、徹の元へ行けないのは嫌だった。
残りの人生は、
好きな人と、
好きな事をして、
好きな物を食べて過ごしたい。
貯金通帳を手にして気分がよくなった京香は、広一から渡された離婚届にサインをした。
その日の内に離婚届を持って、役所に行き提出した。
これでもう自由だ。
好きな事ができる。
嫌いな家族の世話をする必要も、害されると怯える必要もない。
大好きなケーキを買って、京香は愛する徹の所へ向かった。
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