第14話

 × × ×



 寝ている間、計六回。花菱さんが、勝手に俺にキスをした回数だ。この子、実は結構な欲求不満なようで、二人が寝ているのをいいことにペロペロと唇を奪っていったのだ。



 だから、俺は『アホなんですか』と少し怒った。シュンとしてそっぽを向く姿は存外可愛かったが、同時にかわいそうだとも思ったから、もう寝返りを打てないように彼女を背中から抱き締めて眠った。



 ダブルベッドで四人。小さくなるにも、こうしておいた方がいいだろうしな。



「それでは、今日はつくばに行きます。旅も終わりです」



 金沢駅からつくばに行くには、新幹線を使う。鈍行列車を乗り継いで行っても良かったが、流石にそろそろ心配だとそれぞれが家族から連絡をもらってしまったのだ。



「廻ちゃん、これ食べる?」


「ありがとうございます」



 桜野さんからチョコを貰うと、花菱さんは嫉妬してしまったようで肩を強く押し付けてきた。それを見た楠田さんは、何かを察したのだろう。ニヤと悪い表情を浮かべて。



「廻、これも食べな」



 もう一つ、マシュマロを口の中へ放り込んできた。礼を言う暇もくれず、彼女は花菱さんを見てから再び小説に目を落とす。



「んむむ……」



 あぁ、なるほど。花菱さんは、実はイジられると真価を発揮する子だったらしい。へそを曲げて窓の外を見たと思ったが、タイミング良くトンネルに入に入った事でガラス越しに悔しそうな顔が丸見えになってしまっている。



 不憫だな。今も、未来も。



 もしも自分が流転する瞬間が分かるのなら、俺がキッパリとフッてあげなければいけない。別に胃が痛いとか、変な汗が出るとか、そういうのはないけど。でも、やっぱり少しだけかわいそうだと思ってしまう。



 せめて、保留している間たけでも良い夢を見せてあげたいと思うのは、やっぱり俺の偽善と自己満足なんだろうか。それとも、『今だけはこのままでいさせて』という女特有の悲しい願い事を叶えているとも言えるのだろうか。



 何となく、花菱さんはそんな感じな言葉を使いそうだ。もちろん、だからといって自分を正当化するワケではないが。それでも、一太刀でスッパリと切り落とすのが必ずしもの優しさではないというのは、よく知ったところなのだ。



「花菱さん」


「なに」


「あなたは、何かくれないんですか?」


「……うへへ。あげるよぉ」



 チョロい子だ。俺、あなたが変な宗教にハマってしまわないか心配だよ。



 つくば駅に着くと、エミちゃんに電話をしてこちらの無事を伝えた。どうやら、あの人も結構な心配性のようで、実は毎晩連絡を寄越してくれていたのだ。



「エミちゃん先生、なんて?」


「お兄さんも一日空けてくれているみたいなので、この辺で待っていればいいらしいです」


「なんで、そのお兄さんの電話番号とかラインとか教えてもらわないの?」


「分かりません、先方の理由だとか」



 そして、待つこと一時間。駅前のカフェで二杯目のカフェラテを飲み終わった頃。とうとう、その人は現れた。優しそうで妖しげな、赤みがかった髪を持ち黒いスーツを身にまとう、30歳くらいの人だ。



 三人から離れ、奥の席へ座って彼の方を見る。すると、彼はニコリと笑って、小さく頭を下げた。



「……こ、こんにちは」



 続いて礼をしながら緊張を隠しもせず話しかけると、お兄さんは手帳に文字を書いて挨拶した。やたら綺麗で整然とした、彼の性格をよく表している文字だと思った。



「もしかして、喋れないんですか?」



 ――頷く。



「何故か、聞いてもいいですか?」



 ――それが、君が僕に会いに来た理由?



「そうなる、かもしれません」



 すると、お兄さんはまるでいつか俺がやってくるのを知っていたみたいに、とても落ち着いた面持ちで文章を書き始めた。



「……願ったから失った? 誰に、何を願ったんですか?」



 ――すべてを、悪魔に。



「悪魔……」



 共通点。



 共通点だ。今まで、俺が出会ってきた人たちの共通点。コロは尻尾を。師匠は足を。お兄さんは声を。



 ……廻ちゃんは、髪の毛を。



 そうか、そういうことだったのか。



「私はあなたはだったことがある、といったら、あなたは信じますか?」



 ――アンステーク。



「それが、俺の名前ですか」



 そして、お兄さんはゆっくりと頷いた。今の言葉が答えになっているのか、それは分からなかった。



 だが、答えは導き出せた。



 つまり、俺は勘違いをしていたのだ。俺が嘗て流転していたのは、ケンヤさんではなくコロだった。しかし、俺は常に見てきたケンヤさんを自分の事だと思い込み、混濁した記憶の中で彼を自分の正体だと思い込んだのだ。

 いや、彼の中に全てを投影したと言った方が正しいのかもしれない。まさか、自分が犬になっているだなんて思いもしないだろうからな。



 これまでの全て、受け継いできた誰かの記憶を、最も見慣れた人の形に無理やり自分を押し込んだのだ。



 ならば、記憶が途切れ混濁した理由はもっとシンプルだ。



 俺は、コロよりも知能の低い存在。つまり、虫や鳥などの記憶を所持出来ない生物にも流転していた。犬になってしまうのだから、他の生物にはならないという保証はどこにもない。むしろ、そうして長い歴史の断片を少しずつリセットしてきたのだろう。俺が流転する条件を満たしさえすれば、俺は誰にでもなれるのだろう。



 条件。即ち、死にかける事。



 死にかけ、生きたいと強く願った時に俺はそいつに流転する。ただし、その条件とは何だろうか。流転して、俺は身体の一部と引き換えに何を与えるのだろうか。そもそも、アンステークというのは一体なんだ?



 ――君は、ファウストという男を知っているかな?



 考えていると、お兄さんは目の前で手帳に文字を書き連ねた。ファウスト、確かドイツの伝説に出てくる博士の事だ。



 ――ファウストは、悪魔との盟約によって自身の魂と引き換えに無限の知識と幸福を得たんだ。



「魂と、引き換え?」



 ――あぁ。アンステークは、ファウストと盟約を結んだ悪魔。まぁ、君はさしずめファウストの盟約から漏れてしまった、この世界では叶えきれない幸福の残りカスとでも言ったところかな。そして、君の特筆すべき特徴は。



 伝染する事。



 ――そのままだよ、アンステークはドイツ語で『伝染』という意味さ。あるいは、ステークの逆説。つまり、あり得ない利害関係。ステークホルダーという言葉を知っているかな?馬主の集まりをそう表した事が転じて、利害関係者を表す意味となったんだけど。



「アンリアルって言葉があるな、構造は同じか」



 ――まさに、その通りさ。現実を否定して空想ならば、利害を否定すれば平等さ。利も害もないのなら、そこには平和と調律が訪れるだろう?故に、アンステーク。君は、対価と全く同じラインの幸せを流転者に届ける悪魔なのさ。



「伝染し続けないと存在出来ないなんて、随分とレベルの低い悪魔なんだな。俺は」



 ――仕方ないよ。君は『死』じゃなくて『死にかけ』を対価に現れるんだから。完璧な力なんて、発揮出来るワケがない。



「……どうして、あなたがそんな事を知ってるんだ?」



 なんて、理由なんて聞かずとも、俺は彼を知っていた。いや、既に教えて貰っていると言った方が正しい。



 ――僕が、ファウストだからさ。



「あなたが、師匠や千歳賢也に俺の事を教えたのか」



 ――違うよ、伝染と言っただろう?君は、勝手に移っていくんだ。役目を終えた君の依り代が、死にゆく人間に心から『生きたい』と想いをぶつけられた時にね。僕は、君の行方を見続ける事で、世界が終わるまでの暇つぶしをしているだけだよ。



 ……なるほど。まさしく、伝染する悪魔だ。もはや病気だな。



 ならば、廻ちゃんはあの時に死のうとしていた。しかし、死を実行しても死にきれなかったのだ。



 だからこそ、俺はここにいる。蓋を開けて見れば、これ以上なくシンプルな理由だ。バカバカしくて、涙も出ない。



「俺は、この子の願いを知らない」



 ――けれど、もう叶えてるハズだよ。だって、君の存在理由はそれだけなのだから。君は、対価を支払った人間の願いを叶えてあげる事しか出来ない。君は、その子になってから一体何をした?何をされた?



「……女の子に、告白された」



 ――ならば、それが君の叶えるべき願いだったんだよ。よかったね、アンステーク。今度は、君は何になるのかな。



 そして、ファウストは席を立つと、口元に手を当てて妖しく笑ってから店を出て行った。彼は、自分の頼んだコーヒーに一度も口をつけていなかった。

 彼にとって、俺へのこの説明は何度目の事なのだろうか。いつか、俺は再び彼に同じ質問をするのだろうか。その時にも、俺はまた何度も謎に苛まれて苦しむのだろうか。



 ならば、次は是非、悩まなくても済む性格の人間の間を流転していきたいと思った。



 ところで、もはや解き明かす必要もない謎だが、千歳賢也の願いとは何だったのだろうか。



 答えは簡単だ。間違いなく、死の順番を組み替えたのだ。婚姻届けにサインを貰えなかった記憶があるのなら、最初に死ぬのは千歳賢也だったハズだ。愛していたのなら、それくらいやってもおかしくない。



 ならば、もしかすると香苗は寿命を全う出来たのだろう。コロに流転する前の事だったのなら、あぁして墓がまだ残っているのなら。管理していた人間が必ず存在していて、ならばそれは最後に名前を刻んでいる者に他ならない。



 そんな事を考えて、俺は自分の力を思い出した。



「……そこにいるのか、廻ちゃん」



 呟くと、頭の中に小さな声が聞こえて来た。それは、やはり聞きなれた声。ずっと、俺が聞いていた声。



 今の俺が扱う、弱くて可愛らしい、泣きそうな声だった。

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