第13話
× × ×
ホテルに入ってから、俺はずっと頭に冷水のシャワーを掛けっぱなしで考えを巡らせていた。冷却していないと、すぐにオーバーヒートしてぶっ倒れそうだからだ。
しかし、落ち着けば落ち着くほどに、俺の思考は答えではなく謎を導いてしまう。エミちゃんのお兄さんとは誰なのか、師匠が出会った絶望してる男とは誰なのか、どうして流転したのが廻ちゃんだったのか。
……いや、ダメだ。ケンヤさんにも言われたじゃないか。最初が間違っていれば全てが徒労に終わるのだから、始まりに立ち返る事が解決する為の方法だって。
「喧嘩、喧嘩か……」
今ここで、母さんに電話して『私たち、なんで喧嘩してたんだっけ?』と尋ねるべきだろうか。
……いや、無理だな。俺が消えたあとの廻ちゃんの負担が、あまりにもデカ過ぎる。そんなに衝撃的な事実を忘れたと娘が言ったら、母さんは今度こそ廻ちゃんの気が触れてしまったのだと思うに違いない。
それに、何度も流転してる事は確かなんだ。だったら、廻ちゃんじゃなくても他の記憶の始まりを辿れば――。
「ふふっ。それが分からないから、俺は記憶の上で自分を一人だと思い込んでいたんじゃないか。バカバカしい」
八方塞がりだ。きっと、エミちゃんのお兄さんにも記憶はない。だって、俺が彼を乗っ取って、エミちゃんに教師となるキッカケを与えたのだから。その記憶が残っているのなら、ケンヤさんと同じように俺がいた事が嘘になってしまう。
……嘘か。
やっぱり、これは廻ちゃんの妄想なのだろうか。例えば、彼女が出会ってきた人間から見聞きした事柄を、彼女はとても大切にしていた。大切にして、まるで自分が体験したかのように信じ込んだ。
その結果、母さんとの喧嘩によって決定的に廻ちゃんの何かが壊れ、現実と妄想の壁が壊れ俺という第二の人格が生まれてしまった。
ならば、俺はあくまで廻ちゃんが妄想した出来事と現実に齟齬が発生してもおかしくはない。むしろ、現実と妄想が中途半端に噛み合ってしまったが故にデジャヴュとなって、この謎を生んでいる。
「いや、ないな」
年端も行かない女の子が有馬記念なんて見るか?というか、仮に見ていたとして、どうやって師匠のような存在を見つけてくるんだ。他の記憶はドラマなんかでもお目にかかれるかもしれないが、彼だけは特殊だ。あんな人間、他にいるハズがない。そうだと考えられる根拠に乏しすぎる。
ならば、超能力があったとか。廻ちゃんには他人の過去や未来を見通す力があり、それが俺に重なって――。
「だったら、母さんとの喧嘩を回避出来るだろ。却下だ」
誤解とは不思議なモノで、どれだけ整っているように見えても必ず自分で綻びを見つけ出せてしまう。やはり、納得しようと思っても自分で納得できない。美しかろうが醜かろうが、正解には遠く及ばないのだ。
「誰か、助けてくれねぇかな」
どういうワケか、俺は異常なまでにセンチメンタルな気持ちになっていた。これまで、どんな問題に直面しても強くいられたのに、暴力で解決出来ない問題に直面すればすぐさまこれだ。
だから、俺は力ってヤツが信用出来ない。保険にはなり得ても、保証とはなり得ない。それが、武力というモノの本質的な脆さなのだろう。
「……いや、待てよ?」
もしも、俺の記憶の奥深くに眠っているこの強い俺がいたとして、どうしてそいつは俺が流転する事になったのだろう。実戦でも敵無しレベルの武術を扱える人間が、他の魂を宿す事件とは一体なんなのだろう。
そいつはきっと、廻ちゃんと母さんの喧嘩に匹敵する、とんでもない事態のハズだ。それこそ、命を削るような――。
「……廻」
突如、風呂場を覗き込んで花菱さんが呟いた。このホテル、トイレも風呂も扉が無くてすりガラスで隔てられているだけだ。
「どうしましたか、花菱さん」
「ごめんね、旅に着いてきちゃって」
謝るくらいなら、着いて来なきゃよかったのに。
なんて、性格の悪い言葉は飲み込んだ。墓地で騒いだ時点でだいぶ不思議に大人気ないのに、これ以上彼女たちを困惑させてしまっては始末が付かなくなる。
「大丈夫です」
「あ、あたしね、廻がそんなに困ってるとは思ってなかったの。みんなで行ったほうが、楽しいかなって。廻、いつも一人で寂しそうだったし」
「そうですか、ありがとうございます」
シャワーの音で返事が聞こえなかったのか、花菱さんは壁から顔を出して鏡越しに俺と目を合わせた。なんだか、少し泣きそうな表情をしている。
「き、嫌いにならないで」
「なりませんよ、どうしたんですか」
言いながら、花菱さんは風呂場に入ってきた。当然だけど、服は着ていない。しかし、上手に断れるほど今の俺に余裕はなく、だからそのまま冷たいシャワーを浴び続けた。
「あたしね、廻のこと好きなの」
「私も好きですよ」
「そうじゃなくて」
否定すると、花菱さんは俺の背中に抱き着いてきた。縋るように、引き寄せるように。
「好きなの。女の子が好きでも大丈夫って、教えてくれたあなたが」
……冗談には、聞こえなかった。
「この旅も、もうすぐ終わっちゃうから。その前に、伝えておきたかったの」
「どうして、私なんですか?」
「毎日一緒にいて、笑ってくれると嬉しくて、辛いときに励ましてくれる人を好きになることって、そんなに不思議なこと?」
何も、不思議じゃない。むしろ、当たり前過ぎるくらいに当たり前の事だ。恋人とは、その幸せの延長線にある結末の一つなのだから。むしろ、これまでの俺たちの関係そのものが、花菱さんにとって代え難い恋愛だった言えるのだろう。
「なぜ、今言うんですか?」
「好きな人が傷心中の人にアプローチかけるなんて、女なら当たり前のことじゃん」
「そっちじゃないです。何でシャワーを浴びてる時なんですか? って訊いてるんです」
「……二人には、聞かれたくなかったから。一緒にお風呂入ってくるって」
「抜け駆けですか?」
「違うよ、二人はそういう好きじゃないって。昨日、教えてもらった」
どうやら、俺が各地で記憶を探っている間にそういう話し合いが行われていたらしい。なるほど、彼女たちにとっては自分の本当の気持ちを確かめるための旅だったらしい。
俺って、本当に悪い奴だ。
「少し、保留させてもらっていいですか?」
「いいよ、でもフラレたら死んじゃうから」
「えぇ……」
愕然としたものの、その実俺は彼女のやり方に脱帽していた。これだけ巧妙なテクニックを使われれば、どんな相手でもイチコロで手に入るに決まっている。
「嘘だよ。でも、別に大丈夫。だって、もしもそうなったとしても、廻はあたしが女だからって断るワケじゃないもん」
「そうですか」
甘えるように頬擦りする花菱さんの感触を受けても、俺は自分がまったく興奮していないことに気が付いていた。これだけかわいらしい女の子に、体を押し付けられているにも関わらず、だ。
謎を考える為に脳のリソースを割いているから?勃つモノがないから?水で体が冷やされているから?
……いや、違うな。こいつは、罪悪感だ。
廻ちゃんの体を使って、一人の女の子を本気の恋に落としてしまった罪悪感。俺が取れるワケでもない責任を、きっと近い未来に押し付けてしまうであろう罪悪感。花菱さんが、もしも俺じゃない廻ちゃんを見たときにどうなるのかという罪悪感。
参った。
恋愛をやらかすつもりはないと宣言していたハズなのに。まさか、こんな形で巻き込まれるとは。俺の価値観が如何に稚拙で矮小かを、花菱さんの勇気に思い知らされてしまった。少し考えれば、すぐに気が付けたハズだったのに。
「あはは……」
彼女の方へ向き直って顔を見ると、顔を真っ赤にして目を細めていた。胸に手を当てれば、クラブのアンプもびっくりな鼓動がバクバクと轟いているに違いない。
誤魔化す笑いも、儚い。生唾を飲み込んで、やがて俺の顔を見ていられなくなったのか、キョロキョロと視線を動かして唸りながら再び抱き着いてきた。
「よく頑張りましたね」
どうしていいかが分からなかったから、俺はいつかの記憶のように頭を撫でた。どこの誰の記憶なのか、見当もつかないけど。でも、こうしてやれば喜ぶって、何となく理解していたんだ。
「えへ。というか、抜け駆けって。廻、実は自意識過剰?」
「そうかもしれません」
「ふぅん。まぁ、別にいいけど」
許してくれたから、俺は出来る限りの力で花菱さんを抱き締めた。
……瞬間、どこかから声が聞こえた。小さくてか細い女の子の声だ。
それは、随分と聞き慣れた声だったが。果たして、どこから聞こえてきたのだろう。俺は、プシューと頭から湯気を出して茹だっている花菱さんを撫でながら、他人事のように声の出処を考えていた。
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