第12話

 × × ×



「なにこれ、美味しすぎるんですけど」



 五日後、俺たちは石川県の漁港にてぶり大根と海鮮丼、そして貝の盛り合わせを食べていた。ウッキウキで料理に舌鼓を打つ三人を見ていると、何だかこっちまで幸せになってきてしまう。



「こういう居酒屋みたいなとこ、私初めて来たよ」


「でもさぁ、普通女子高生が入ろうと思う? 怖くない?」


「いや、フツーに無理」



 テーブルに並べられた料理もパクつきながら、三人はやや怪しむような視線を俺に送っている。店は、お世辞なら綺麗な店だと言える程度の店舗で、いわゆる大衆居酒屋に分類されるような場所だ。



「そうですか?」


「もしかして、廻って一人で焼肉とか行けるタイプ?」


「どうやら、世の中には行けないタイプもいるみたいですね」


「うわ、すご」



 とはいえ、相変わらず女の子の怖くて店に入れないという感覚は俺にはわからない。お店の人だって、お客が来てくれれば嬉しいに決まっているだろう。ラーメン屋とか、むしろ大人数だと席もなくて困るだろうに。



「まぁ、お詫びのようなモノです。単独行動で心配をかけてますから、勇気を出してるんですよ」


「嘘ばっか、廻がビビるワケないじゃん」



 あっさり看破され、俺はバツが悪くなって目を逸した。すると、隣の席に座っている頭にタオルを巻いたおじさんたちが、ゲラゲラ笑っている。どうやら、話を盗み聞きしていたらしい。



 この昼から飲んでいるし、格好から察するに漁師さんだろうか。それとも、トラッカー?とにかく、THE・漢って感じの男たちだ。



「大将、今日は店が明るいなぁ!」


「いい匂いするべ」


「かっはっは!」



 三人は、完全に酔っ払っているらしい。仲が良さそうだ。しかし、彼女たちは絡まれたのだと勘違いしてビックリしている。こういう場所だと、こういう出会いも楽しみの一つなんだけどな。



「すみません。彼女たちが怖がるので、大きな声はやめてくれますか?」


「おぉ、すまんすまん」


「でも、お嬢ちゃんは怖がらんのぉ」


「よく見知った方と、お父様方が良く似ているんですよ。水を差してしまって、申し訳ないです」


「あんらぁ、よく出来た子でぇ」



 目を白黒させながら、おじさんたちは大将に何かを注文した。すると、数分経って三人が落ち着いた頃に、何故かこのテーブルに巨大な皿が届いたのだ。



「頼んでないですよ」


「いいのいいの、オイラたちの奢り」



 そう言って、おじさんたちは俺たちの分まで会計を終わらせて礼も聞かずに店から出ていった。女子的に、どう考えてもこんなにたくさんは食べられないワケだが。しかし、気っ風のいいおじさんの心遣いだと思って、俺たちはゆっくり時間をかけて完食したのだった。



「もう食べれない」


「夕飯、いらないね」



 俺と花菱さんは、一切喋れなかった。体の小さな俺たちでは、流石に無理して含んだ食料の圧迫感には勝てない。今体を揺らされたら、失神するか破裂するかするだろう。



 少し休憩して、俺たちは電車に揺られながら金沢市へと向かっていた。今日は、ホテルが取れなかったのと節約もあり、夜のステイ利用でラブボにでも泊まろうと思っていたのだが、流石に女子四人で入るのはよろしくないだろうか。



「いえ、別にいいですよ」


「わぁい」



 店に確認してみると、どうやらラブボ女子会という文化があるらしい。そういえば、少し前に東京でも流行っていたような気がするが。こっちには、遅れて入ってきたのか?何にせよ、節約できてラッキーだ。



 ……ラッキー、なのだろうか。まぁ、金には代えられないが。



「それで、廻。今日は一人でどこに行くの?」



 電話で予約を済ませ、駅へ。このあたりは、都心よりもだいぶ涼しい。やっぱり空が広いと風も通るし過ごしやすいのだ。



「お墓です」


「それって、亡くなった恋人のお墓?」


「はい。彼女の実家が、石川県なんです」



 そう、彼女だ。



 俺は、香苗の事を『彼女』と伝えた。まぁ、廻ちゃんには気の毒だけど、例えバイセクシャルだと思われても三人は笑ったりしないだろう。俺の記憶が継ぎ接ぎで、例えどこで経験した誰かの記憶だったとしても、自分に嘘をつくべきではない。



 だって、そうしないと後悔するだろ?



「そっか。まぁ、絶対に行くんだろうなって思ってたよ」


「ねぇ、廻ちゃん。今回は、私たちも一緒に行っていい?」



 強く口にする桜野さんは、言葉通りの強い表情をしている。夏風に揺られて、いつもは隠れている目がはっきりと見えた。



「いいですけど、特に何もありませんよ? ただのお墓ですし」


「それでもいいの、ね? 皐月ちゃん」


「うん」



 楠田さんは、相変わらず無口だ。スマホの画面を伏せると、俺たちを見てコクリと頷くだけ。



「分かりました。それでは、行きましょうか」



 駅からバスに揺られて20分、降りて更に10分ほどテクテク歩いていくと、とあるお寺に併設された広い墓場に辿り着いた。お盆だからだろうか、人の数も多くて線香の煙があちこちに立っている。



 というか、お寺に続く通りには縁日すら出来ている。こいつは、死者の魂を商売に使っていると捉えるべきか。はたまた、誰も寂しくないように盛り上げていると捉えるべきか。



「皆さんは、ご先祖のお墓参りに行かないんですか?」


「旅行から帰ったら行くよ。小さなところだから、時期をずらしてるの」


「私の家は仏壇なので」


「ウチは行かない」



 楠田さんは、少し寂しそうだった。もしかすると、家との間になにか確執があるのかもしれない。もちろん、彼女に問い質すようなマネはしないけど。



「着きました」



 どうやら、俺の方が香苗の恋人の俺よりも先に来たらしい。花瓶の花は完全に枯れて茎だけになり、墓石もカンカンに乾いてしまっている。早く水をかけて欲しいだろうけど、まずは掃除をしないと。



「このお墓、誰も手入れしてないの?」


「はい、恐らく」


「家族の人とかは?」


「いません、事故で亡くなっていると聞いています」


「……そっか」



 花菱さんは、それ以上何も聞いてこなかった。楠田さんと桜野さんも、何も言わずに周囲に散った花びらと埃を箒で掃除してくれている。高校生なのに、本当によく出来た子たちだ。



「この布巾、使っていいのかな?」


「はい、大丈夫ですよ」



 答えると、花菱さんは寺に備え付けてあるダスターで墓石を乾拭きしてくれた。俺は花瓶を水場で洗って磨き、滑りをとってそこに買ってきた花束を飾った。



 それにしても、恋人の俺は一体何をしてるんだ。こんなになるまで香苗を放っておいて、よくもまぁ結婚だなんて宣っていたモノだ。新しい恋人が出来ても、故人を偲ぶくらいはやってもいいだろうに。



 ……まぁ、怒ったって仕方ないか。もしかすると、その俺には記憶がないのかもしれないからな。



「ねぇ、廻。どうして、この人だけ名字が違うの?」



 水を掛けていると楠田さんに言われたから、墓石に刻まれている文字を見ると、確かに香苗の前には男の名前が刻まれていた。



 姓は千歳、名は。



賢也けんや……」



 ケンヤ、ケンヤだって?これは、一体どういう――。



「養子?」


「養子だったら、苗字は変わらないんじゃないかな」


「あ、そっか」



 ケンヤ。俺の記憶にあった俺の名前。しかし、それは香苗の墓に刻まれている。ということは、あのケンヤさんはそもそも俺が流転していた人じゃなかったってことになるんじゃないのか?



 ならば、俺があの家で過ごしてきた記憶自体が、全て嘘だったということになる。いや、そんなハズはない。だって、俺はあの家の、あの家族の――。



「苗字を、知らない」



 なぜだ?なぜ、こんな事になるんだ?俺は何を見逃しているんだ?考えろ。真面目にやれよ、俺。



「……いや、待て。香苗は、癌だったんだよな?」



 そうだ。香苗は、癌だった。若くして発症した、もう二度と治らない病だった。自分でベッドから立ち上がることも出来ず、毎日を苦しいと呻きながら生きていたのだ。



 ならば、遊んでいた記憶しかない俺は、一体どこで彼女と出会ったんだ?



「廻、大丈夫?」



 吐きそうだ。自分の記憶の整合性が一切取れていない事を、俺がまるで存在しているハズがないって証拠を、脳漿に直接叩きつけられたような感覚がある。



 でも、故に、だからこそ。俺は、たった一つの可能性を導かざるを得なかった。



「俺は、香苗と同じ病室にいた」



 そうだ。それ以外にありえない。けれど、俺が医者だったというケースはあり得ない。何故なら、無知無能のコンプレックスがあるからだ。そんな人間が知識に劣りを感じていても、少なくとも高校生レベルの程度が低い問題なんかじゃないハズなんだ。



 ……ならば、千歳賢也も癌であり、そして香苗よりも先に死んだ。これしか、答えが見つからない。



「じゃあ、誰なんだ?」


「め、廻? どうしたの?」


「じゃあ、俺は誰なんだよ。……俺は! 一体なんなんだよ!? どうして俺には、香苗を見送った記憶があるんだよ!?」



 思わず、墓石に手をついて叫んだ。その姿を見て、三人はどう思ったのだらうか。きっと、ケンヤさんと同じく不気味で仕方なかったに違いない。



 だが、そんなことを気にしている場合じゃないんだ。俺は、俺は――。



「落ち着いて」



 振り返ると、花菱さんが俺の顔を両手で挟んでまっすぐに目を見た。逸らすことは出来ず、視界いっぱいに広がる彼女の顔を、俺は自分の頭が冷えるまで眺めていた。



「大丈夫?」


「……は、はい」


「理由、話せる?」


「……すみません」


「そっか」



 呟くと、花菱さんは頭を撫でて優しく抱きしめたが、そんな感覚など覚えられないくらい、俺はやっぱり困惑している。

 しかし、三人はそれでも他に何も聞いてこなかった。死者との間の事だから、遠慮してくれたのだろうか。



 俺は、バクバクと音をたてる心臓の痛みをどうにか堪えるように、ただ黙って彼女に体を預ける事しか出来なかった。

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