第10話
× × ×
「離れたらダメだよ」
「はい」
昨日の夜は、そりゃもう怒られた。この子たち、俺が女だって忘れてるんじゃないかってくらいに怒られた。しかし、心の底から心配したんだろうなって分かったから、特に言い返すこともしなかった。
それが、優しさなのかと問われれば決してそんな事はないのだが。まぁ、何というか。女子高生が本気で怒っている姿なんて、普通じゃ中々見ることが出来ないだろうからな。
あれはあれで、貴重な経験だった。そういうことにしておこう。結果的に、師匠の事も旅の本懐も話さずに済んだし。
「廻ちゃん、何に乗りたい?」
桜野さんのでっかいのを頭の上に乗っけられて、俺は背後から拘束されていた。ネズミィなんて来たことがないし、パレードやショーを見ながらチュロスを食べて、アイスラテを飲めればそれでいいのだが。
「ダメだよ、ファストチケット取りいこ」
どうやら、そういうことらしい。どうせ好みが通らないのなら、俺にいちいち聞くなよと思いつつ。しかしなんとも、暴虐婦人な立ち振舞はかわいらしいとも感じてしまう。
「それ、字も読みも違うから」
楠田さんが、まるで俺の頭の中を見透かすようにツッコんだ。この子、なんで分かったんだろう。俺ってば、無意識の内に口に出してたのか。
「というか、自分で分かってるんですね」
「廻は許してくれるからいいの」
そんなに信用されても、結構困ってしまうのだが。俺だって、怒る時もあるんだぜ?
「ふぅん、例えばどんな時に怒るの?」
今すぐ怒らせたいのか、花菱さんは俺のおっぱいとも呼べない胸をつまみながら訊いた。こんなに人がいっぱいいる中で、変なことはやめなさいよ。
「えっと、飼い犬を殺された時とかでしょうか」
「ジョン・ウィックじゃん」
何なんだ、この前から。第八高校では、空前のジョン・ウィックブームが巻き起こってるのか?
というか、女の子ってキアヌの映画見るのかよ。全然知らなかった。
「はい、お話終わり。遊びいこ」
そんなワケで、3人に引っ張り回される形でランド内を縦横無尽に駆け巡り付き合いきった事で、まるで人類で初めて月面に着陸したニール・アームストロングとエドウィン・オルドリンが地球を見下ろしたように、達成感に満ちた面持ちで帰りの電車から遠ざかる青い城を眺めたのだった。
「いい気なもんだ」
三人は、すっかり眠っていた。ここから東京駅までそう時間は掛からないが、疲れているというなら眠らせておこう。起きてまた乳繰られても、無駄に辱めを受けるだけだからな。
「やれやれ」
呟いた時、ふとスマホに連絡が入った。どうやら、予てから依頼していたエミちゃんの知り合いのお兄さん。つまり前世の俺と連絡が取れた上に、アポイントメントまで取ってくれたらしい。
日時は一週間後、場所は茨城県。現在、会社より命じられた異動に従って、つくば市内に住んでいるらしい。意外と近いところにいてくれて助かった。
これで、ようやく真相を知ることが出来そうだ。案外、チョロかったな。
――ふぅ。
胸の奥の支えが取れたと同時に、過去と対峙する緊張感が生まれた最中。電車は、東京駅のホームへと辿り着いた。時刻は19時。荷物を取りに行ったら、みんなとはここで解散。夏休みの終わりまで、しばしのお別れってことだな。
「何言ってんの? 一緒に行くに決まってんじゃん」
「えぇ……」
さも当然のような言い放った楠田さんと、さも当然のように後ろでネズミィのお土産を見せ合いっこしている花菱さんと桜野さん。この子たち、どうして当然のように自分の都合が通ると思っているのだろう。
「約束が違うじゃないですか」
「いや、そもそも違う約束をしてない。それに、ウチらも2週間空けてるし、ママにも言ってある」
「部屋とかどうするんですか? このシーズンは、飛び入りで部屋を借りれないかもしれませんよ?」
おまけに、俺は前世で学んだ裏技を駆使して格安で泊まれるホテルを転々とするつもりだからな。彼女たちの寝床は確保出来ない。
「廻の部屋に四人で泊まれば良くない? 同じお金払えば入れてくれるだろうし、四人くらいシングルでも一緒に寝れるっしょ」
「ま、マジですか」
絶対に無理だと思う。というか、男ってのは基本的に肌が触れたまま日常生活するのを生理的に嫌う生き物なんだよ。タクシーとかでも、女なら後ろに三人座るけど、男は一人が助手席に行くだろ?そんな感じさ。
「あぁ、また『マジ』とか言ってるぅ」
花菱さんは、随分と甘えた様子だった。桜野さんは、断られると思ってオロオロしてるし。
この子たち、もしかして自分がどう反応すれば俺が断らないのかって、完璧に理解してやってるんじゃないだろうか。女ってのは、その辺りの嗅覚が異常に鋭いからな。
チクショウ、これだから。
「……分かりました、行きましょう」
ということで、俺たちはホテルの職員さんに無理を言ってシングルルームに四人で泊まる事になった。意外といけるんだな。
幸い、このホテルは一流で間取りはかなり広い。ソファもあるし、床はカーペット敷きだから床に寝てもいい。
それに、エミちゃんのお陰で旅を長々と続ける理由もなくなったからな。一週間なら、彼女たちの資金を援助しても問題ないだろう。出来る限り、広い部屋を借りれるよう交渉するか。
本当はラブボとカプセルを転々としようと思っていたのだが、父さんに本気で怒られたからのプランだ。結果論だけど、これで良かったと思う。
「やばー、めっちゃ楽しくなってきた。ねぇ、明日っからどこ行くん?」
「明日は山梨に行きます。本当は、東京の前に行く予定だったんですよ」
「あ、嫌味言ってる。でも、廻も楽しかったでしょ?」
「別に嫌味でも何でもないですし、ネズミィの思い出は掛け替えないです」
「かぁわい」
結局、俺はソファで寝る事になった。途中、楠田さんが起きて俺の隣に寝たのだが、俺は一瞬だけ目を開けて、頭を撫でるとそのまま朝まで眠った。
「準備、出来ましたか?」
「はぁい」
ホテルを出て霞が関駅まで歩き、丸の内線を使って新宿へ。ホームを出てから三人が『お腹すいた』と口を揃えたから、そろそろ人の出入りが落ち着いた立ち食いそば屋で、俺たちは朝からかけそばをズルズルと啜っていた。
「やばー、めっちゃおいしい。というか、ウチ立ち食いって初めて」
「私、一人じゃ絶対入れなかったよ」
「女子なら誰でもそうだよ、廻がおかしいだけ」
そういうモノなのだろうか。よく分からないが、満足してくれたならよかった。彼女たちのおかげで店内が華やいだせいか、大将も心なし嬉しそうに見える。
「山梨ではなにすんの?」
「ワインビーフとほうとうを食べるんです」
言って、俺は花菱さんにそれぞれの料理の画像を見せた。
「うわ! めっちゃおいしそう!」
「やばー」
昨日、寝る前に記憶の場所の料理をピックアップしておいた。彼女たちには食いだおれとでもいっておけば、大概は問題無いだろう。本来なら、旅行の目的なんて食べる以外に他ないといっても過言ではないし。
「東京代表は、このかけそばって事だね」
「そういう事になりますか」
桜野さんは、旅の料理の頂点を決めようとしているのだろうか。中々に、グルメな一面もあるらしい。
どうやら、この話を聞いていたらしい。大将は少し気まずそうな表情を浮かべている。でも、これはかなり名誉ある事なんだから、あなたはもう少し喜んでもいいと思うぜ?
何せ、浅草や日比谷、ネズミィでの食事を凌いでの選出だ。安くてうまいってのは、やはり大正義なんだな。
「それじゃ、行きましょうか」
中央線を使って高尾から山梨市駅へ。駅を降りると、妙に綺麗なホームと遠くに聳え並ぶ山々。セミの声を聞きながら駅前の商店街をしばらくネリネリ歩いて、今日泊まる温泉付きの旅館へ辿り着いた。
チェックインは、夕方だ。荷物だけフロントに預けて、目的地に向かおう。
「それじゃ、出掛けますよ」
「待ってよぉ……」
三人は、暑さにやられてしまったのだろうか。グデーとロビーのソファに座って、ペットボトルのお茶をコクコクと飲んでいる。まぁ、確かに今年の暑さは普通じゃないからな。
「その首の扇風機、使わない方がいいんじゃないですか? 温風が当たるだけですよ」
「分かってるけどさぁ」
せっかく買ったのだから、使わないと勿体ないといった様子で花菱さんはハンディファンを回していたが、この外気では逆効果だっただろう。
「今度はどこに行くの?」
「甲府です、おいしいお店がいっぱいありますよ」
「なんでそんなに知ってるのよ」
そりゃ、前世の地元だからな。柊家から走ってこれるくらいには、地図も店の並びも覚えてる。
「調べたからです」
「相変わらず勉強が好きだね、廻は」
因みに、本当の目的はかーちゃんと会って話をする事だ。もう少し詳しく聞いて、一体いつ俺の名前が表札から消えたのかを調べなければいけない。
無論、あのかーちゃんがわざわざ名前を消すだなんて考えちゃいない。問題は、どこで俺の記憶の齟齬が発生したのかの確認だ。
「なので、少しだけ単独行動させてください」
「ダメ」
適当な言い訳は、通用しなかった。残念だが、最終兵器を使うしかない。
「実は、昔の友人の家に行きたいんです。二人で話したいので、お願いします」
「ふぅん」
この子たちは、いつも意外な反応をする。俺の予定では、キャーキャーとからかってニヤニヤしながら乳繰られるモノだったのだが。どうして、こんなにシンとしているのだろう。
「男? 女?」
「男ですよ」
「……そっか」
花菱さんは、切なそうだった。切なそうだったけど、でも弱々しく笑って。どこか、安心しているようにも見えた。まるで、夜に出かける彼女が、女の友達と遊びに行くと知ったときのような、そんな淡い感覚。
「分かったよ。帰ってきたら、みんなでおいしいモノ食べに行こうね」
呟くように言って、俺に抱き着く。俺は、頭を撫でてあげる事しか出来ない。
「はい、もちろんです。お二人も、いいですか?」
「……まぁ」
「……うん」
なんだか、危ない橋を渡っていた気がする。香苗、つまり昔の恋人は死んでいると説明しているのだから、年齢的には怪しまれたって何もおかしくない。
いや、きっと違和感には気が付いてるんだろうな。優しいから、指摘してこないだけで。
「それでは、一時間後に」
言って、俺は前世の実家へ向かった。
さて、戻ったら何と言い訳をしようかと考えながら、甲府の街を一人で歩く。考えながら、緊張感を誤魔化して歩く。自分の心の中に渦巻いている不思議な感情を、押し殺しながら歩く。
そうして、ようやくたどり着いた家。
俺の目に飛び込んできたのは、久しぶりに帰ってきたのか、玄関先で笑顔のかーちゃんに『ケンヤ』と呼ばれる紺のスーツの男の姿だった。
……それは、見紛うことない前世の俺だった。
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