第9話

 ……。



「お風呂、いこ?」



 マジで?



 ということで、俺は観光の後でなるべく薄目のまま大浴場に入った。女子高生程度ならまだしも、結構やましい気持ちになってしまう年頃の人も入っていたからな。隅っこで小さくなっていたから、出来る事ならば許してもらいたい。



 それに、風呂場で起きた一部始終を語ってしまうと、対象年齢が18歳になってしまうから割愛だ。すまない。



「ふぅ」



 三人が疲れて寝てしまったあと、俺は一人で浅草を歩いていた。この街には、仕事で来たことがある。アセヒビール本社のオブジェを見て、金のでっかいウンコがあると内心興奮していたモノだ。



 確か、こっちの通りで課長と酒を飲んだハズだ。そんな曖昧な記憶を頼りに、浴衣を着た男女が行き交う通りを早足で歩いていく。

 なるほど、この焼酎と焼き物の香りは中々に懐かしい。早く大人になって、ホルモン焼きでホッピーを一杯やりたいモノだ。



「……ここだ」



 誘惑を振り切りながら進み、たどり着いたのは前世の友人の家だ。彼は晴海通りから少し離れた、高速道路の下の掘っ立て小屋に住んでいる。いわゆる、世捨て人ってヤツだな。



「こんにちは」


「……んぁ?」



 途中の自販機で購入したカップ酒を二つ差し出すと、彼は不思議そうな顔をして酒を受け取ってブルーシートの外に置いてあるブロックに座る。



 名前は知らない。嘗て、俺は彼を師匠と呼んでいた。



「めんこい嬢ちゃんだけど、どちら様?」


「あなたの噂を聞いて、話を聞きに来たんです。こんばんは、師匠」


「へぇ、変な嬢ちゃんだねぇ。僕、どの界隈で有名になったんだろう」



 言って、師匠はカップを開けてグビと喉を鳴らした。思わず、生唾が湧いてくる。



「数年前に、新宿で出会った男を覚えていますか? 黒髪で短髪の、人生に絶望した顔の男です。いつも、喪服みたいな黒のスーツを着ていたのですが」


「あぁ、もちろん。だって、僕を師匠と呼ぶのは彼だけだったもの」



 ビンゴだ。やはり、記憶は共有出来ている。



「彼は、今どこにいるか知っていますか?」


「いんや、知らないよ。そういえば、最近はとんと会わなくなったね。4年前に、新橋で飲んだのが最後だったかな。ブラストワンピースが勝っていたねぇ」


「……4年前に、新橋で?」


「あぁ。んまかったね、あの昆布巻きは」



 昆布巻きは知っている。数寄屋橋へ向かう途中にある、立ち飲み屋の昆布巻きだ。あの時は競馬中継がやっていて、有馬で盛り上がっていた。

 しかし、4年前というのはどういう事だ?俺の記憶では、キタサンブラックが優勝したハズ。これは、間違いなく5年前の話だ。



 つまり、エミちゃんが再びお兄さんと出会っているのと同じようにと、師匠はと出会っている。



「彼、行方不明なのかい?」


「えぇ、実は私の叔父なんです」


「ふぅん、兄弟がいるとは聞いてなかったけれど。彼、一人っ子だって言ってなかったかな」


「……え?」



 師匠の頭がボケたのでなければ、おかしいのは俺の記憶の方だが。師匠を疑うくらいなら、俺は自分の頭を疑う。きっと、根本的なところで俺は何かを間違えているのだ。



 頭か、痛い。



「まぁ、大切な人が亡くなって辛かったんだろうねぇ。整合性なんて取れなくても、何も不思議じゃないねぇ」


「叔父は、そんなに狂ってましたか」


「逆だよ、嬢ちゃん。狂えなかったのが辛いんだ。彼はね、僕のように諦められなかったのさ」


「諦めなかった、というのは?」



 訊くと、師匠は顎に手をやって。



「そういえば、教えてもらってなかったね。彼、何を頑張ってたんだろう。まさか、その人を生き返らせようとでもしてたのかな?」


「はは、そんなバカな話――」


「あるかもしれない。けど、ないかもしれない。嬢ちゃん、君の叔父さんの本気をバカにするのは止めなさい」



 否定しそうになったのは、それが俺の中に存在していない記憶だったからだ。俺は、香苗を復活させようだなんて考えたことはない。



 しかし、師匠のこの瞳はなんだろう。まるで、そう藻掻いている男を見てきたかのように語るじゃないか。



 話しに来て、本当に良かった。



「分かりました。師匠、ありがとうございます」


「どこへ帰るのかは知らないけど、送っていこうか?」


「いいえ、大丈夫です。ちゃんと、安静にしておいてください」



 師匠は、右足を動かせない。無理に歩かせるだなんて以ての外だ。



「何だか、僕のことを知ってるみたいな嬢ちゃんだね。それこそ、彼みたいだ」


「親戚ですから、あなたのことを教えてもらっていたんです」


「そうかそうか。それじゃ、さよなら」


「はい、ありがとうございました」



 分かったことがある。それは、この世界には俺が二人いるということだ。



 他に、状況の説明がつかない。ドッペルゲンガーでも離魂体でも何でもいいが、とにかく俺が廻ちゃんになった後でエミちゃんや師匠に出会った俺が間違いなく存在しているのだ。



 俺は、歩きながら考えを整理した。もし仮に俺がもう一人いるとしても、不可解な点は幾つかあるからだ。



 一つ目は、かーちゃんの反応。コロの話をした時、何一つとして違和感を感じなかった。いつも心配してくれたあのかーちゃんが、俺を思い出して無反応だなんてあり得ない。



 二つ目は、柔術。どれだけ頑張って記憶の中を探しても、自分が強い理由が見つからない。後で調べて分かったのだが、廻ちゃんはやはり運動音痴だったようだ。



 三つ目は、女慣れ。こいつに関しては、俺の実際の年相応なのかもしれないが、それでも少し不自然だ。額とはいえ、キスなんて中々出来るモノではない。まして、一緒に風呂に入るだなんて。



 ……やはり、解決するには会いに行くしかないのだろうか。どこかにいるハズの、もう一人の俺に。



 ――プルル。



「廻! どこ行ってんの!?」


「楠田さん。すみません、少し野暮用で――」


「女の子が知らない街の夜に一人ぼっちで歩き回るってバカなんじゃないの!? 攫われちゃったらどうんすの!?」


「すみま――」


「場所教えて! 迎えいくから! ウチも皐月もめっちゃ怒ってるから!」


「えっと、浅草駅へ向かって歩いてます。ホッピー通りを通る予定です」



 ――ガチャ。ツー、ツー。



「……帰りたくないなぁ」



 まさか、楠田さんが本気で怒るとは思わなかった。あの子が一番、俺に無関心なんだと思っていたけど。



 なんだろう、トイレに行くんで起きたのだろうか。何か、適当な理由を考えておかなくてはいけないに決まってる。



「いや。最初から旅に出ると言ってたんだから、嘘をつかずにその用事を済ませに行ったと説明しよう」



 そんなワケで、23時頃。ホッピー通りまで戻ってきた俺は、三叉路のところでマジギレした楠田さんと花菱さん、そして泣きそうでオロオロしている桜野さんと合流した。



「すみません」



 カクカクシカジカ、説明をすると三人は少しだけ黙った。しかし、やがて花菱さんがゆっくりと。



「あたしたちにも言えない用事って、なに?」


「話せません」


「どうして話せないの?」


「相手の方と、約束しているからです」



 師匠は、過去に決して自分のことを誰にも話さないでほしいと言った。ただ世の中と関係を持つのが嫌なのか、それとも何か犯罪を起こして逃げているのかは分からないが。



 しかし、師匠の言葉を忘れることは出来ない。裏切るくらいなら、俺は自分の舌を噛み切るよ。



「なら、お仕置きしちゃうから。ぐす」



 泣かないでよ、ズルいなぁ。

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