第7話
× × ×
女子高生になって、気が付けば三ヶ月が経っていた。
とは言え、やっている事は何も変わらない。ただ、真剣に勉強しているだけ。結果、人間はどんな知識も三ヶ月くらい寝る間を惜しんで勉強すれば大方を吸収できるようで、俺は既に五科目の知識を卒業レベルにまで伸ばしていた。
コンプレックスって、凄いよな。人間は、正しさや強さよりも過ちと弱さを理由にした方が頑張れると思う。事実、俺はそうだ。過去の自分を卑下して見下して、もう二度とあんな生活は送りたくないというプライドから頑張れているのだから。結果を追い求めるのに、綺麗ごとは必要ないのだろう。
「すごぉい」
返却されたテストを見て、花菱さんは俺に抱き着いた。平均点は96点。世界史はA、B共に100点。どうやら、学年でトップの点数を獲得出来たようだ。
こいつは、素直に嬉しい。例え、前世の記憶を引き継いでいる高校生の中に混じった年増でも、やっぱり嬉しいモノは嬉しいのだ。
というか、スポーツも勉強も活躍するのは若い者なのだから、むしろ固い頭でここまで上り詰めた事は褒められてしかるべきじゃないだろうか。大人はみんな頭がいいだなんて、完全に幻想だしな。
「ありがとうございます」
帰り道、俺はこの喜びを一人で噛みしめたかったから、二人には適当な理由をつけて別れ駅の間をテクテクと歩いていた。
スマホには、エミちゃんからの連絡。放課後も何度か出会って勉強を教わっていた俺は、教育実習を終えて第八高校から離れた後も連絡を取り合っている。今では、友達という立ち位置が正しいのだろう。
返信して、少し。道を歩いていると、途中で何人かの高校生が揉めているのが目に入った。偶然にも、そこは楠田さんと出会った橋の下の対面。つまり、あのカップルの憩いの場である。彼らの制服は、第八高校のモノだった。
「こらこら、何をしてるのさ」
俺は、特に何も考えずにその場へ割り込んでいた。というか、自分が女子高生である事を忘れていたと言った方が正しいだろう。
「誰、お前」
「大丈夫ですか? 立てますか?」
囲まれていたのは、何と女子であった。よくもまぁ、こんないたいけな存在を寄ってたかって叩けるモノだ。彼らは、自分たちを正義か何かだと勘違いしているんじゃないだろうか。
「無視してんじゃねーよ!」
集団の中の一人、美しくもかわいげのない面をした銀髪の少女が俺にビンタを放った。俺は、その攻撃を避けられずにバッチリと頬で受けてしまい、ヒリヒリとする感覚に苛まれる。
「みっともないから止めなよ」
よろけたが、さりげなく少女を橋の壁際に寄せて阻むようにその前へ立った。男が三人、女が二人。この銀髪の少女が、集団のボスなのだろうか。如何なる理由があったのか知らないが、こういうやり方は嫌いだ。
「うるせぇな、こいつ。一緒にやっちまおう」
再び、腕が伸びて来た。今度は、男の手だ。
瞬間、俺はその手を躱してギュッと掴むと、腕を支点にぐるりと腕に飛びついて固め、地面に体ごと叩きつけた。そのまま、ギリリと搾り上げて関節を極めると、男は『いてて!』と叫んで地面を叩く。
……はて。自然と発揮してしまったこの技はなんだ?俺は、一体いつ柔術なんて学んだのだろう。少なくとも、前世の記憶に覚えはない。
「この――」
銀髪の少女に蹴り上げられそうになった時、スッと腕を離して転がりながら躱すと、その蹴りは男の顔面にクリーンヒットした。いやはや、人の顔面を躊躇なく蹴っ飛ばせるなんて、頭のタガが外れてるんじゃないのか。
最近の子供って、怖いな。
「なんだこの女、ジョン・ウィックかよ」
呟いた彼を、俺は知っていた。確か、7組の子だ。という事は、全員一年生なのだろう。
「やめよう、カッコ悪いよ」
後ろの少女は、俺のセーラー服を掴んでプルプルと震えている。だから、俺は手を広げて半身で構えると、差し手で距離を掴みながら暴力を諫めるように横に首を振った。
「あんた、名前は?」
「三組、柊廻。次にこの子に手を出したら、警察に突き出すよ。証言は私がする」
「はぁ? だから何だって言うの?」
「少し、自分たちで悪事への罪と対応する罰を勉強してみなさい。それでも同じことが言えるなら、私が相手をしてあげる」
待て待て、いつから俺はこんなに好戦的な性格になったんだ。元々の廻ちゃんは、今の無口な俺が家族に疑われないような子だったんだぞ。だから、体が自然と反応したなんてあり得ないし、そもそも9歳の少女にこんな実践級の格闘術を学ぶ時間なんてないハズだ。
違和感しかない。どうして、こんなに強いのだろう。俺は、目の前の事件よりもよっぽど不可解な謎に、意識を奪われつつあった。
「うっさい!」
銀髪の少女が、再び手をつき出した。俺は、それを左手で掴みクルリと反転すると、後ろの彼らの元へ跳ね返すように肩で強く押した。『おえ』と漏らし吹っ飛んで、彼女を受け止めた集団も一緒に地面へ転がる。
おかしい。こんなに強いだなんて、絶対にあり得ない。
「なんなのよ、こいつ」
「だから、女版ジョン・ウィックなんだって。ヤベーよ」
果たして、ジョン・ウィック推しの彼はなんなのかという疑問もあったが、とりあえず全ての疑問を振り払って少女を守る事に専念した。考え事は、窮地を脱してからで充分だ。
「やめて」
強く言うと、銀髪の少女が舌打ちをしてから踵を返す。周囲も、それに続く様に引き返していった。どうやら、上手くいったようだ。
「大丈夫ですか?」
冷静さを取り戻して、改めて振り返り少女の顔を見上げると、それは同じクラスの
なぜ、そのダイナマイトボディで自分に自信がないのかは全く分からないが、しかし彼女はいつもオドオドしている。もしかすると、身長の高さにコンプレックスでもあるのかもしれない。
繊細だ。恥ずかしがることなんて、まったく無いのに。
「あ、ありがとう。柊さん」
「いいんです、気にしないでください」
泣き出してしまったが、頭を撫でようにも届かないので、手の甲を包んでよしよしと慰める。すると、桜野さんはしゃがみ込んで私の手を額に当てたから、『もう大丈夫ですよ』と囁いて安心させてあげた。
一先ず、色々と言葉をかけるべきだろう。
「中学の頃の知り合い、とかですか?」
うん、と頷く。
「テストの順位発表で名前が載ったからって、憂さ晴らしでもされたんですか?」
うん、と頷く。
「勉強、しない方がよかったと思いますか?」
うん、と頷く。
「そうですか。でも、桜野さんは何も間違ってませんよ」
桜野さんは何も言わなかった。俺ってば、一体何人の女の子を泣かせれば気が済むんだろうって。また、他人事で冷静だ。
……どうして、俺はこんなに冷静でいられるのだろうか。これまで全く気にならなかった心の内側を、嫌でもさっきの柔術と結びつけて考えてしまう。
答えは一つ。間違いなく、俺は自分が強い事をどこかで知っていた。だから、いつも冷静だったのだ。
しかし、当然ながら考えても理由は分からない。そうして思考を巡らせているうちに、いつの間にか桜野さんが泣き止んだから、俺は考える事を止めて再び彼女と話をすることにした。
「彼女たちの事、許してあげますか?」
「……柊さんは、どうしたらいいと思う?」
難しい質問だった。許す必要は無くとも、復讐する事で彼女が汚れるのは確かだと思っているからだ。
目には目を歯には歯をと悲劇を繰り返せば、いつかどちらかが崩壊する。そうなった時、桜野さんが現実を受け入れられるとは思えない。暴力の先に待っているのは、善悪とは関係の無い周囲の冷たい反応だ。
これから先何十年も続いていく人生の中で、すべてを犠牲にたった一瞬の満足を得るだなんて、そんな不器用な生き方を推奨する事は出来ない。
長く生きている俺だから、香苗を愛し続けている俺だから、そういう風に言えるというのは分かっている。気持ちに踏ん切りをつけるのにも、大いなる勇気と覚悟が必要だからな。むしろ、そっちの方が難しいよ。
「なので、復讐は止めません。剣が必要なら、私を持てばいいです」
ただ、俺は何となく、桜野さんの答えを分かっていた気がした。だから、協力すると口にしたのだ。
「……悔しかったんだと思う」
「何がですか?」
「私が居なければ、枢木さんは五位だったから」
テストの結果は、五位までの名前が中庭の掲示板の一番目立つところに張り出される。無論、そんなモノを気にして確認する生徒は勉強を頑張った者だけであるし、もっと言えばそこに至れるという自信のある者だけであるし、しかも載ったから何なのだという話でもあるのだが。
つまり、彼女は銀髪少女の枢木さんが努力したことを、どうしようもなく理解している。だから、悔しさも分かってしまうのだろう。
「私、許すよ。柊さんが、せっかく守ってくれたから」
「そうですか、偉いですよ」
今度は、頭を撫でた。すると、彼女はハラりと流れた前髪の奥で、照れたように小さく笑っていた。
かわいいじゃないか。女子は、やっぱり顔を出してる方がいい。
「それにしても、柊さんってすっごく強いんだね。私、ビックリしちゃった」
「偶然ですよ」
「いや、偶然って――」
俺に都合が悪いから、桜野さんの優しさに甘えることにした。きっと、こうして黙って困ったような顔をすれば、彼女はそれ以上何も聞いてこないと分かっていたからだ。
こういうやり方が、いわゆる年の功ってヤツだな。
「自分のこと、口止めとかしないの?」
「なぜですか?」
「だって、柊さんっていつも黙ってるし。花菱さんと楠田さんが、絡んではいるけど。何か、目立ちたくない理由があるんじゃないかなって」
「ないですよ、漫画やアニメじゃないんですから。それに、こうなればむしろ私のような抑止力があった方がクラス的にも便利でしょう。お望みとあらば、アンタッチャブルにもなりますよ」
「か、かっこいい……」
そうだろうか。どうも、桜野さんと俺の価値観は大きく乖離しているようだ。
俺は、むしろこういう力を操る賢い人間の方がカッコよく思えてしまう。剣や銃は、いくら強力でも使い手がいなければ効果を発揮しないのだから、当然と言えば当然だ。
給料も、そっちの方が高いしな。
……ならば、逆説的に泣けば絶対に助けたくなってしまう花菱さんや楠田さんが、俺的にはカッコいい人間ということになってしまう。いやはや、使いっ走りの魂は、どうも尽くすことに精進し過ぎて困る。
それもこれも、全部香苗のせいだよ。
「あまり、持ち上げないでください。それに、ピンチの状況でもちゃんと立ち上がれた桜野さんの方が、よほど頑張っています」
「はぅ……」
「うぷ……っ!」
突如として抱き締められ、俺は桜野さんの胸の中で窒息しかけていた。いや、窒息死しかけていた。やはり、体格によるパワーの差は覆せるモノではない。というか、これって結構ヤバいんじゃないのか?
――トントン。
背中を叩いても、桜野さんは夢中で離してくれなかった。だから、俺は息も出来ずに頭がボーッとしてきて、薄れゆく意識の中で『俺より強いじゃねぇか』と考えるとゆっくり目を閉じた。
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