第5話

 × × ×



 『成就した恋ほど語るに値しないものはない』とは、正しくその通りの考え方だと思う。



 リアルであれ妄想であれ、いくら歳を取っても付き合った後のカップルのイチャつきほど見ていられないモノはないし。何なら、怒りはしないモノの楠田さんの言うとおり、見せつけられているようで少々不快になったりもする事もある。



 しかし、それってきっと俺に共感性みたいなモノが欠如しているからなのだと思う。実際、某動画サイトには『カップルチャンネル』なるモノが乱立しているようだし、創作物でも付き合った後のほのぼの生活を語る物語がいくつもある。



 つまり、成就した恋を語ることは、社会的には許されているのだ。



 だから、少しだけ。本当に少しだけ、香苗の話をしたいと思う。俺の前世を構成する上で、とても大切な事なのだ。



 香苗は、俺の婚約者だった女だ。しかし、ある日癌に掛かった事が判明し、苦しい闘病の末に死んでしまった。あれだけ頑張って生きようとしていたのに、なんて残酷なんだろうと俺は心から思った。



 俺が転生する、3年前の事だ。



 はっきり言えるが、俺は今でも香苗が好きだ。きっと、自分の境遇を受け入れて婚姻届けにサインをくれなかった香苗なら、いつまでも愛を引きずっている俺を見れば、『早くいい人見つけなよ』と叱咤を飛ばしてくるだろう。俺の名前しか書かれていないあの紙っぺらを、ビリリと破って『私の事は忘れて』と泣きながら言う事だろう。



 しかし、それでも突っぱねて好きでい続けて、朽ちて果てるまでずっとそうやっていられると思っている。幽霊になった彼女が俺と誰かの生活を見て、悲しい気持ちにならないように。強がりで、実は寂しがり屋な彼女が泣いてしまわないように。俺は、ずっと一人でいようと思っている。



 ……なんて夢を、カラオケに行った約一ヶ月後の朝の教室。寝不足気味で、ついうつらうつらと舟を漕いでいた俺は見た。



 夢の中の彼女は、いつだって死んだときのままの綺麗な姿だ。俺も、彼女が愛してくれる男の俺だった。

 しかし、妙だったのは、女の俺が男の俺と香苗が仲睦まじくしているのを眺めている、的な。如何にも、夢らしい映像だったということだ。



 俺は、何故か失恋したような気になって。変な言い方だけど、自分に恋人を取られた気になって。これまで浮かんでも来なかった、酷い『苦痛』に苛まれていた。



 前世と切り離した生活をしようと思っていたのに、しっかりと足を引っ張られている事を自覚して切なかった。



 はい、おしまい。これ以上は、まさしく語るに値しない。要するに何を伝えたいかといえば、『今世で恋愛をやらかす気はない』って事さ。



 それに、精神を体に引っ張られる様子もないし、どうも男との恋愛には臨めそうにないからな。



「廻、どんな夢見てたの?」



 まだ眠たい眼のまま、俺は次の授業の為にノートをまとめいていた。すると、起きる前からずっと俺を眺めていたであろう花菱さんが、不意に口を開いたのだ。



「他愛も無いことです」


「ふぅん。廻の寝顔、かわいいね。チューしちゃった」


「嘘つかないでください」


「んふ。写真撮ったから、待ち受けにしとくね」


「恥ずかしいですよ」



 泣かせてしまった一件以来、花菱さんはやけに俺に絡んでくるようになった。懐かれた、といったほうが正しいかもしれない。

 それを受け止めて更に同じ時間を過ごしたからか、日に日に彼女の態度が甘ったるくなっていくのが分かった。



 彼女は、まるで産まれて初めてビーフジャーキーを人に貰い一生の君主を決めた犬のように、すこぶる俺に構うようになっていた。



 恐ろしいくらい、俺の隣にずっといる。帰り道も、休み時間も、休日も。何だったら、トイレに一人で行こうとする時ですら、とっ捕まって「一緒に行こう?」などとワケのわからないことを言い始めるのだ。



 ……いや。これは、前世でも何度か見ていた女子同士の光景だな。多分、普通の事なのだろう。



 とにかく、花菱さんは絶対に俺を一人にしなかった。恐らく、一人ぼっちの俺があまりにも惨め過ぎて放っておけないか、俺の事を好き過ぎて片時も離れないかのどちらかだろう。



 いずれにせよ、結構疲れる。そして、まだ彼女だけならばよかったのだが、このクラスには俺を掴んで離さない子がもう一人いるのだ。



「廻」


「なんですか? 楠田さん」


「これ、ちょー面白かった。ありがと」



 今度は窓側の席からやってきた楠田さんが、貸していた小説の文庫本を持ってきた。



「それはよかったです」


「ふふ、また貸してね」


「……むぅ」


「……なによ」


「べっつに〜。ね、廻」



 二人は互いに目を合わせると、まるでエリア66で見つかったグレイのように、両方から腕を抱き締めて俺を席に拘束した。

 周囲のみんなは、そんな俺たちの姿を見て『あぁ、またやってる』と極めて人肌に近い温度の視線を送っている。俺は、この雰囲気がこの上なく心地悪い。



 楠田さんは、基本的に人前で口を開かない。ずっと俺の腕を抱いて、ポチポチとスマホを弄るか貸した小説を読んでいるだけだ。時々、思い出したかのように肩を摺り寄せるくらいか。



 にも関わらず、俺が少しでも離れようとすると、ジッと悲しそうな目で俺を見て、近寄ればツンツンしながらベッタリと体を押し付けてくる。花菱さんのように自分からはついて来ないが、仲間外れは可哀想だと思って気を遣い。



「楠田さん、ホームルームが始まる前にトイレへ行きますけど、どうしますか?」



 こんな感じで、声をかけると。



「うん」



 そんな感じで着いてきて、結局二人に両脇を抱えられて、俺はやっぱり連行されるグレイのように廊下を歩くのだ。



 何だろう。控えめに言って、これはやりすぎなんじゃないだろうか。男同士じゃ絶対にあり得ない。精々、ゲラゲラ笑って肩を組むくらいだ。というか、女子同士の付き合い方と言っても、ゼロ距離での関係は生活に支障をきたすだろう。



 主に、俺が。



 同性として、好きになってくれるのは嬉しいが、好かれ過ぎは良くないし、二人の仲がイマイチなのはもっと良くない。それが、今現在俺が送っている高校生活の問題点だ。一先ず、二人には少しずつ自立を促す以外に他ないだろう。



 しかしながら、花菱さんが犬なら、楠田さんはさしずめ兎といったところか。どうも、俺は昔っから小動物系の生き物に好かれる気概があるらしい。



 さて、どうするべきかな。なんて、頭の片隅で『廻ちゃんも女の子に人気があったのだろうか』と同時に思いながら、やっぱり自分の問題を他人事のように考えているのだった。



「そういえば、今日って教育実習の人が来るんだっけ」


「先週のホームルームで言ってましたね」


「どんな人だと思う?」


「分かりませんが、担当教科は世界史で女性だったかと」


「へぇ」



 二人が鏡を見て髪の毛を弄ってる間で、俺はボーッとしたまま自分の、というか廻ちゃんの飾り気のない顔を眺めていた。こんな髪型でもちゃんと女の子に見えるのは、やはりこの子が美少女だからなのだろうか。



 中学2年生の時、日本人形みたいなダラっと伸びっぱなしだった髪の毛を、このアン・ハサウェイみたいなベリーショートに切ったとき。母さんと父さんは、意味不明な声を上げながらぶっ倒れた。



 ここでも、やはりこの世界の連続性は現れている。俺の精神が入る前は本当にどんな子だったんだろう。



 しかしながら、女の命と言われる髪の毛を、男の俺が独断でさっぱり切ってしまった事には一抹の申し訳なさがあった。ただし、手入れが面倒であるというより、どう考えても顔を出しておいた方がいいと思ったのも確かだ。



「ね、アイライン引いたげる」


「じゃあリップはウチが」



 今世の記憶を思い出していると、二人がポーチから化粧品を取り出して俺の顔に線を引き始めた。今更、化粧程度を恥ずかしいとは思わないが。しかし、廻ちゃんが異性にモテてしまうと困るなぁと、俺はいつも通りの他人事で考えた。



「これは、何なんですか?」


「何って、かわいい方がいいじゃん。ねぇ」


「うん」



 どうやら、俺を改造する上で二人は親睦を深めているらしい。ならば、このまま黙っているのがいいだろう。そんな事を考えながら、俺はどんどんかわいくなっていく廻ちゃんを見ていた。



 化粧って、すげぇな。



「おほほ、かわいいですこと」


「花菱さんのキャラが掴めません」



 冗談を聞き流していると、隣でモジモジしていた楠田さんが、まるでテディベアを抱くように背中から俺の体に手を回してきた。



 花菱さんと違って喋らない分、何を考えているのか察するのに苦労して反応に遅れる。だから、スキンシップを防げない。気が付けば、力負けしてなすがままというのが、俺のよくある日常だった。



「教室に戻りましょう。楠田さん、離れてください」



 大人しく従ってくれるのも、また女子高生らしいのか。それとも、男と違って女には断られ燃えるタチがないのだろうか。彼女は、止めろといえば止めてくれる。



 理性的で、助かるよ。

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