第4話

 × × ×



 カラオケには、行かなかった。



 何だか、あんなに注目を集めた後で密室に閉じ込められたら、問い詰められた挙げ句に色々とボロが出てしまいそうだったし。何より、花菱さんが好きに言い訳をする時間を設けたかったからだ。



 俺は、後から彼女の嘘に乗っかって辻褄を合わせればいい。現場で課長や後輩のアドリブに合わせるのも、主任の俺の重要な仕事だった。今回は、それ以上にパターンを考える時間を得られたのだから、乗り切るなんて造作もない事だ。



 しかし、思わず香苗の事を『彼女』だと言ってしまった。どさくさに紛れて、表現の間違いだと刷り込んでおくべきだっただろうか。



 ……いや、彼女の事を嘘には出来ない。それだけは、絶対にダメだ。これも、他に理由を考えておこう。



「ふぅ」



 反省しながら、川に掛かっている橋の下。時折桜の花びらが滑り込んでくる、ジメジメとした場所に座り込んで、俺はタバコを銜えるフリをしながら、途中でテイクアウトしたアイスラテのストローをふかしていた。



 タバコは、もうやらないよ。体に悪いし。



「お……」



 向こう側を見ると、カップルがイチャツイていた。男が女の胸の中に手を入れて、中々に熱いキスを交わしている。確か、隣野高校の制服だ。俺に気が付いているのか、それとも見せつけているのかは分からない。



「ねぇ、柊。あいつら、青姦すると思う?」


「どうですかね」



 突然、話しかけられた。ポツリと答えた後に、自分の言葉に気が付く。そして、後ろを振り向くとそこには金髪で目の鋭い少女。同じクラスの、楠田操くすたみさおさんが立っていた。



「じゃあ、賭けよう。ウチは、するに500円」


「結構、大きい額ですね」



 ならば、俺は必然的にしない方に500円をベットしなければいけないワケだが。何となく、俺は負けると思った。昔から、この手の二択を悉く外すクセがあるのだ。



 結果は、すぐに分かった。男は、ひと目もはばからずにスカートの中へ手を入れて、立ち上がると女を壁に寄せ押し付けるように行為を始めたのだ。



「はい、ウチの勝ちね。500円ちょうだい」



 賭けの結果は絶対だ。俺は、財布を取り出して100円玉を4枚と50円玉を1枚、そして10円玉5枚を隣に座った楠田さんへ渡した。



「まいど」


「どうやら、結果を知ってたみたいですね」


「ここんところ、毎日だから。こっちは、草の影になってて向こうから見えないんだよ」


「なるほど。楠田さんは、毎日ここにいるんですか?」



 彼女は何も答えなかったが、つまりそういうことなのだろう。俺は、やっぱり負けるべくして負けたことを自覚すると、悔しさを砕くようにアイスラテの氷を噛んだ。



 楠田さんは、いわゆる不良少女だ。高校に入る前からそうだったのか、それとも入ってからこうなったのかはわからないが。しかし、第八高校に入学できるレベルには賢いのだから、中身は周囲とさほど変わらないだろう。



 身長は俺より高くて、声も低い。そして、妙に美人だからか、いつも怒り気味の表情が際立っている。何となく、昔の知り合いを思い出して懐かしくなる、そんな可愛らしい少女だ。



「なんでここにいんの?」


「歩いて帰る途中、ちょっと疲れたので」


「あんたの家、このへん?」


「いいえ、ここの最寄りから2駅のところにあります。しかし、一度は母に『カラオケに行く』と連絡してしまったので、時間をつぶす為に歩いてました」


「そう」



 どうして、あたなはここにいるのか。そんな事は、聞かなかった。大方、彼女も誘われたが断ったのだろう。理由を聞かれれば、鬱陶しい事この上ないに違いない。



 だから、俺はただ黙って、川の向こうのカップルが立ちバックでセックスしているのを、ボーッと楠田さんと眺めていた。



「あぁいうの、どう思う?」


「嫌いではないです」


「マジ? ムカつかない?」



 ……あぁ、するとかされるじゃなくて、見てる事について聞いてるのか。間違えた。



「昔は、嫉妬することもありましたよ」


「いや、あんたの昔っていつよ」



 言われ、またしても失言してしまった事に気が付いた。俺って、気を抜くと本当にポカばっかりやらかすなぁ。



「ちゅ、中学生の頃です」


「それって、いうほど昔じゃないでしょ」


「そのとおりです。少し、カッコつけただけです」


「……何よ、それ」



 楠田さんは、少し吹き出して、しかし恥ずかしかったのか表情を戻してから拳一つ分だけ俺の方へ近付いた。何かを話す気になったのが分かった。



「ウチは、ずっごくムカつく。なんか、『自分たちはこんなに幸せです!』なんて見せつけられてるみたいでさ。バカみたい」


「互いを好きすぎて、周りの事なんて考える余裕もないのかもしれません」


「それこそ、本当のバカじゃん。バカが視界に入ること自体、本当にウザい」



 なるほど。



 楠田さんは、随分と前からここを使っていたみたいだ。確かに、風が通って気持ちがいいし、桜並木や草花と川の流れはいつまで見ていても飽きないし。そんなところにあんなモノが現れれば、気分を害しても仕方ないだろう。



 まぁ、彼女なら『止めろ』と直接言えそうなモノだが。やっぱり、気を使ってるのか、それとも、見た目によらず知らない人間に声を掛けるのは怖いのだろうか。どちらにせよ、高校生なら普通の事だ。



「いつも、どれくらいで終わるんですか?」


「5分ももたない」


「そうですか、ならばそろそろですね」



 言ってる間に、男が果てたのだろう。動くのを止めて、女へ覆いかぶさるように抱き締めて、きっと凄い音を立てているであろうキスをしていた。俺の耳には、鳥のさえずりしか聞こえてこない。



「あんた、動じなさ過ぎじゃない?」


「楠田さんだって、いつも通りに見えます」


「ウチはムカついてるって言ってんじゃん」



 顔を見ると、楠田さんはほんのりと赤くなっていた。怒っているのか、それとも照れているのか。恐らく、後者なのだろう。実は、羨ましいという気持ちもあるのかもしれない。



 指摘なんて、絶対にしないけど。



「そうでしたね、すいません」


「ふん、素直なヤツ」


「嘘を考える頭がないだけです」


「……ねぇ、話変わるけどさ。なんで花菱は泣いてたの?」



 それは、意外な質問だった。彼女のようなタイプは、あまり周囲に興味を持たないと思っていたが。俺も、まだまだ人生経験が浅いらしい。



「話せません、彼女との秘密です」


「なにそれ。つーか、あんたって本当に女子高生?」



 またしても、意外な質問である。別に、本当に正体に勘づいて指摘を飛ばしてきたワケではなさそうだが、楠田さんは中々に懐疑的な目を向けている。彼女も彼女で、嘘と真を見破るセンスが高いらしい。



「見た通りです、おっぱいは小さいですが」


「そういう自虐的なところが、女子高生っぽくないって言ってるんだけど。というか、真面目っぽいのにギャンブルも平気で乗っかって来るし。こんな所でカフェラテ飲んでるし、人のセックス見ても汗一つかかないし。意外と喋るし」



 ――ウチとも、平気で話してるし。



 最後の一言は、聞かなかった事にした。



 さておき、やはり隠そうと思っても滲み出る雰囲気や咄嗟の言動には違和が生まれてしまうようだ。こうなったら、家でやっているのと同じように、無理に女子らしさを演じない方がいいのだろう。



 ……よし、決めた。まぁ、今はジェンダーレスの時代だ。化石みたいに古臭い、凝り固まった性別通りの生き方を選ぶ必要は無いだろう。真面目にやる上でも、なんの障害にもならないしな。



「楠田さんは、どうして私に声を掛けてくれたんですか?」


「別に、ここにいたからじゃん。というか、ウチが質問してるんだけど」


「それと同じです。大した理由なんてないですよ、私は偶然そういう生き方をしてきたってだけです」


「なんか、頭良さそうな事言ってんね」


「元々頭が悪いから、覚えたての言葉を使いたかったんですよ」



 他人のセックスをのぞき見しながら、俺は運命論者としての意見を述べた。バカバカしくて、涙が出そうだ。



「ねぇ、廻」



 ……あなたも、呼び捨てですか。俺、何か距離が近くなるような事を言ったかな。



「なんですか?」


「ウチも、カラオケ行った方がよかったと思う?」


「行きたかったんですか?」



 楠田さんは、またしても答えなかった。何ともまぁ、かわいい子だ。俺も昔は、意味も無く素直になれなくて色んなモノを見逃して、その度に悲しくなったり切なくなったりしてたっけ。



 同じ目には、合って欲しくないな。



「なら、今から行きましょうか」


「へぇ?」


「確か、三時間くらいは遊んでいると言ってたハズです。大人数で入る部屋にいるでしょうし、二人くらい飛び入りでも向こうは困らないでしょう」


「でも……」


「大丈夫、私が着いてます」



 もしかすると、俺は色々と聞かれてしまうかもしれないが、花菱さんが既に話をしているだろうし誤魔化す準備も済んでいる。後は、適当にこなしておこう。



「ほら、行きましょう。……あ、その前に」



 そして、俺は立ち上がり。



「ねぇ、あなたたち! ここ、フツーに人いますから!」



 そう叫んで、カップルに存在を伝える。彼らは、急いで服を直すと逃げるようにどこかへ行ってしまった。あの反応なら、もう二度とここでヤッたりはしないだろう。



 楠田さんは、俺を見上げて口を開けていた。まさか、こんな小さな体からあんなにデカい声が出るとは思っていなかったのだろう。

 俺は、自社の展示会の決意表明を毎年毎年だだっ広い会場で、それもマイク無しでやらされてたのだ。発声方法は、我流だが心得ているのである。



「やば……」



 小さく呟いて、楠田さんは立ち上がった。そして、ずっと眉毛を優しく寝かせ、もっと美人を際立たせるような微笑みを浮かべたのだった。



 ……ところで。



 カラオケボックスに着いてみんなと合流するまでの間、彼女はずっと俺の手を握っていたのだが。まぁ、その話は大した問題でもないだろう。母さんも似たようなマネをするし、特に理由はないハズだ。

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